159. ノーラの手紙
「ベラスケス王子殿下
先般、マグノ砦まで殿下の軍と同道できたのは、このノーラ・アンドレア・ラオにとって、大きな誉れとなりました。
その後、殿下の軍におかれましては、魔物軍を砦に釘付けにしておられます。ラスター帝国のみならず、辺境公国群にとっての希望となっていることでしょう。
私たちはここアスカにやってきて、数々の新しい事実や情報に接しました。
この情報が出来るだけ早く殿下のお耳に届くこと、畏くも皇帝陛下のお耳に届くことが肝要と思われたので、竜騎士メルカド殿を一度殿下の元にお返しすることにいたしました。
情報の本題です。敵は魔物ではなく、魔物を操る何者かだろうと推測しております。これは殿下もすでにそうお考えになっているかと思料いたします。
その意思は〈黒い魔力〉と呼ばれる何かの精神波のようなもので伝えられます。これが今回の情報の第一の要点です。
〈黒い魔力〉は百ノル先にまで届く可能性が示唆されています。この魔力を発する者を撃滅することが、対魔物戦において、最重要になります。
ただ、多くの者は魔力の発生源など知りようもありません。しかし、殿下もご存じの通り、魔力を見ることが出来る者がまれに存在します。これらの人材を軍に登用し、魔力の発生源を特定することが出来れば、魔物軍の動きを察知することが出来ます。それどころか、発生源である何者かを処理出来れば、戦いそのものが有利になる可能性もあります。
これに関して、もう一つの重要な情報があります。
この〈黒い魔力〉の影響の範囲外では、白線虫に乗っ取られた個体――殿下もご存じの通り、人間も魔物も動物も乗っ取られる可能性があります――は他の個体との意思のやり取りが難しくなります。
〈黒い魔力〉の影響の外では、正常な人間のように言葉で意志のやり取りを行うしかなくなる、とのことです。魔物などは、非情に原始的な言語しか持っておりませんので、意志を共有することが難しくなり、集団としてはかなり弱体化するらしいのです。
補足情報として、もう一つ。例えるなら、白線虫は伝令管のようなもので、それ自体は意志を持たない、ということです。言い換えれば、どこかに存在する集合体としての意志を乗り移った人間や魔物に伝えて、行動を強要するのが白線虫です。
ただ、白線虫には恐ろしい能力が備わっています。それは、人間の脳と一体化して、その個人が持つ経験や記憶を吸い上げることです。吸い上げた経験や記憶は全て共有され、これが対人間戦に活用されることです。魔物たちが突然、集団戦法を取り始めたのは、ラスター帝国第三軍のバルベルデ軍師が取り込まれた後に起こった可能性が示唆されております。
殿下やオーサーク、それにウォデルでの戦いで魔物は鉄砲の存在を知っております。当然、その出元や技術について探り始めていてもおかしくありません。そう言う状況において、最も脆弱なのがファルハナです。ファルハナは魔物の勢力圏内にあります。もし、魔物がその出元がファルハナであると知った時、その技術を取り込みに来ることに疑いはありません。
イスタニアにあって、現在最も強力な軍が殿下の帝国第二軍とオーサーク駐屯兵団です。殿下の軍がマグノ砦で魔物たちを引きつけている間に、オーサーク駐屯兵団をルッケルトまで押し出し、サワントを解放する必要性が出てきた可能性があります。サワント公国を解放すれば、そのすぐ南にあるファルハナへの魔物の圧力はかなり下がるはずです。
北部穀倉地帯では現在、新アンダロス王国軍とオーサークからの援軍、それにウォデル軍の生き残りが必死に戦っていることかと思います。遠く離れた我々には、この辺りの戦況は推測でしか話せませんが、重要であることの認識には間違いはないはずだと思料いたします。
差し出がましい口を出すのは心苦しいことですが、殿下に申し上げます。新アンダロス王国と不戦条約を結んでください。帝国がイルマスに攻め込まないと宣言するだけで、新アンダロス王国は存分に兵力を北部穀倉地帯に展開できるはずです。
絶対にファルハナを魔物に取らせてはなりません。敵が鉄砲を手に入れれば、イスタニアに残るのは滅びの道だけです。どうか、殿下の御心を帝国臣民のみならず、イスタニア全土の人々にも照らせてあげてください。
更に、もう一つの情報です。
最初に断っておきますが、これはあくまでも、殿下もお会いになった旧アンダロス王国の大賢者ナバロ殿の仮説です。
イスタニア、それにアスカ、この二つの地域からなるこの大陸は太古の昔から異世界と繋がり続けていた、ということです。
ナバロ殿が言うには、原初の人々、それがアスカ人だというのです。そして、我々は異世界からやって来た人々の末裔。ジンもイスタニア人の装束や文化に見覚えがある、と申しております。ジンの世界の、ジンの故国から見てはるか西方のオウシュウという地域が我々イスタニア人の故郷である可能性があります。
そして、その後か先かは定かではありませんが、魔物たちも同様です。どこかの世界と繋がって、やって来た、と。
そして、最近になって新しい世界と繋がってしまい、そこからやって来たのが白線虫やそれを操る存在の可能性が高い、とナバロ殿が言っておりました。
ナバロ殿によれば、これらの問題の解決は最終的には魔の森にあると思われる、異世界とこの世界の間にある通り道を塞ぐしかありません。
ただ、この情報に関しては我々も確信があるわけではありません。あくまでナバロ殿の仮説である、と言うことを申し加えておきます。
最後ではありますが、最重要である情報をお伝えいたします。
今、我々は元帝国第四軍の将軍、ナウブ・ウルダンガリン殿と行動を共にしております。ナウブ殿は白線虫を体内に飼っております。驚くべきことは、依然、彼が人間として行動をしていることです。
ナウブ殿曰く、集合体の声は聞こえるが、その声に従う必要はない、らしいのです。
そして、この、声が聞こえる、という事は我々にとっては非常に有利に働きます。ナウブ殿は白線虫に入られたときの話をしてくれました。口に侵入する途中の白線虫を噛み切ったというのです。あくまでも推測の域を出ませんが、不完全な状態の白線虫を体内に飼うことにより、彼は意志の声は聞こえるが、意志に支配されない状況を作っているのかもしれません。
我々も彼を完全に信頼しているわけではありません。ですが、もし、彼が言うように声だけ聞こえて支配されない人がいるのであれば、対魔物戦で我々が有利になることは言うまでもありません。
そんな状態にある彼が、今日、意志の声が聞こえる、と言ったのです。敵が近くなってきました。
殿下、この後、我々は敵を追跡することにしました。これから敵との戦いが激しくなる可能性もあります。アスカにおいても魔物と無縁の生活は出来そうもありません。
新しい事実が分かればまた殿下にもお伝えしようと思いますが、メルカド殿を一度お返しするので、この先、それが出来るかは定かではありません。
殿下、どうか、イスタニアの民をお救いください。
いつかまたお会いできることを祈っております。
アスカ、ワイ・トゥカ国にて
ノーラ・アンドレア・ラオ」