157. ナウブと言う名の騎士
ジンたちはオロに二日滞在し、諸々の旅の準備を行った。きょう出発、という朝になって、キビズが大柄の初老の騎士を伴ってやって来た。
「ジン殿、それに皆さん、儂はナウブと言う者である」
キビズの隣に立つフルプレートアーマーの初老の騎士はそう名乗った。
兜を外して、右腕に抱えている。
「ジンです」
ほんの短い間、沈黙が続いた。
「……疑念もあろう。儂がいつ『個にして全』などと言い出さないか、と」
その沈黙を嫌ってか、ナウブは単刀直入に斬り込んできた。
「ええ、正直に申しまして。拙者はラスター帝国第二王子ベラスケス殿下とお話する機会を得まして、殿下が兄君であらせられるシャイファー殿下と会話した時のことを聞いております。すでに白線虫に乗っ取られていたシャイファー殿下は過去の記憶を持ち、口調まで昔のままだったそうです。つまり、人間であるふりを奴らは出来る」
ジンも単刀直入にそう返した。
「うむ。ジン殿、こう言えばすこしは信頼してもらえるかもしれん。儂にはエルロッドの民たちの声が聞こえる。だが、それは『ああ、奴らはそんなことを今言っておるのか』と言う意味でだ。貴公らが他人が何かを言っておるのを聞くのと変わらん」
「ナウブ殿、拙者にはナウブ殿が言われることが、よく理解できません」
「うーん……ああ、この例えがいいかもしれん。ジン殿は伝令管という物をご存じか?」
「伝令管ですか。いや、聞いたことがござらん」
「伝令管と言うのはな、長い長い、金属でできた管だ。この管を、そうだな、例えば城郭の司令塔から城壁にまで通すと、城郭の上から戦況を眺めながら、的確に指示を城壁にいる兵に伝えることが出来る。まあ、遠いところにいる人と叫ばなくとも話が出来る、そんな施設設備だ」
「寡聞にしてみたことも聞いたこともありませんでした」
「実際にそんな物が備わっているところなど、王城などのかなり主要な防衛拠点だけだから、無理もない。そう、そんな伝令管から声が聞こえるようにエルロッドの民の声が儂には聞こえるのだ」
「ではやはり乗り移られているのですね?」
「いや、儂はそれに従う必要はない。例えばジン殿、儂が今、ジン殿に『死ね』と言ってジン殿はそれに従うか?」
「まさか!」
「で、あろう。声が聞こえるからと言って従う必要はない。白線虫と言うのは、多分、それ自体は意思を持っていない。あれは伝令管なのだ。ただ、多くの人々があれに操られるのは、儂のように声が聞こえるだけではなく、行動や思考をも乗っ取る伝令管なのだろう。なぜだかわからぬが、儂は声が聞こえるだけで、それをただ聞いているという感じなのだ」
「今も聞こえているのですか?」
「いや、全く。声が聞こえるのには瘴気の圏内にいなければならないらしい」
「瘴気!」
ジンはまたこのキーワードが出てきたことに驚いた。
「ジン殿、瘴気を知っておるのか?」
「いいえ、ナウブ殿、賢者ナバロという者によると、瘴気などは存在しないらしいのです。瘴気ではなく、黒い魔力の広がり、というものらしいです」
「それは非常に合点がいく話だ。頭が割れるほど大きな声で奴らの命令が聞こえるが、それはだんだんと薄れていく。しかも、ここ、オロで聞こえたことなど一度もないのだ。魔物との戦場が近付くと断続的に声が大きくなる。あれは気体などではなく魔力なのだ、と説明されればそっちの方がしっくりいく」
「ということは、ナウブさんは魔力が見えない、ということだよね」
マルティナはずっと黙って話を聞いていたが、急に口を開いた。
「ああ、見えぬ。普通見えぬであろう?」
「私も見えないけど、でも、感じることはできるタイプ。今の話からすると、ナウブさんの頭の中の声が大きくなってきたら、敵が近い、ってこと?」
「ああ、そうなるな。だが、ジン殿、皆さん、安心しないでほしいのだ。儂には自分が乗っ取られないと言い切る自信はない。ここ、オロにいる分には絶対に大丈夫だが、強力な瘴気、いや、黒い魔力が発せられた時、もしかしたら、儂は自分でなくなる可能性がないとは言い切れんのだ……」
「その時は斬ってやろう」
ナッシュマンが静かにそう言った。
「お主は?」
「ナッシュマンだ。ナウブ殿、良しなに。そして、こちら、主であるノーラ様だ」
自分だけ自己紹介して、主を抜きにはできないナッシュマンがノーラを紹介した。
「ナッシュマン、『様』はよせ。それにお主の主は私の父だ。ナウブ殿、私はノーラと申します。良しなに」
これをきっかけに一連の自己紹介が始まった。皆のナウブが白線虫に乗っ取られているかもしれないという疑心は完全に拭えている訳ではなかったが、ナウブがいることでチームが有利になりえること、そして、それ以上にナウブの人となりを見て、現時点では信頼することにしたのだった。
◇
「キビズ殿、ナウブ殿が我々に同行することについて、私はこちらからもお願いしたいと思います。敵が黒い魔力を用いた時、それがすぐにわかるのはこちらにとっても有利に働きます」
ノーラはキビズにそう言うと、ジンの顔を見た。ジンはそれに応じて頷いた。
「そう言うと思っておりました。ナウブ殿が案内するとは思いますが、まずはシキの街を目指して南に下ってください。皆さんの目指す中部は遥か南西、ウィドナ国だと思いますが、このワイ・トゥカ国にいる間は魔物とは出くわさないはずです。それでも、道中はお気を付けください。皆さんの安全を、アスカの全ての神に祈っております」
「町長、ありがとうございます!」
「キビズさんも元気でね」
「お世話になりました!」
ジン一行の皆が口々に別れを告げた。一行の旅がまた始まるのだ。
一行にはナウブが加わった。
長い冬が終わり、この極北の地の大地にも淡い緑が芽吹き始めていた。
◇
「ねぇ、ジン、白線虫に乗っ取られた魔物や人たちは黒い魔力で命令が届かなければ、動けないのかな?」
馬車に乗るニケが、すぐ傍を騎馬で進むジンに話しかけた。
「さぁな。それだと、四六時中黒い魔力がないと奴らは何もできないことになる。ウォデルでの戦いやマグノ砦の前での戦いを考えるとそう言うわけではなさそうだがな」
会話を聞いていたナウブがジンを補足した。
「ジン殿の言うとおりだ。一度乗っ取られれば、黒い魔力の影響圏外にいて、声は聞こえなくとも、声の最後の指示に従って動くようだ。だが、この場合、集合意志から離れて、個々の意志で動き始める。『全であり個』とは良く言ったものだ。だが個になったエルロッドの民は弱い。乗っ取られる前の個体の記憶や能力に従って、命令をこなそうとするが、まったく連携が取れないようだ」
「すると、やはり乗っ取られる前の記憶が残っているのか?」
「残っているようだ。しかもそれは黒い魔力の影響下では全体に共有されるようだ。だから非常にまずいことが起こっている。ある時点から彼らの戦争のやり方がとてつもなくうまくなった。儂は帝国人で第四軍所属の大隊長だった。第四軍は全滅してしまったが、それは、敵の戦術が第三軍の名高い軍師、バルベルデ殿のやり方そっくりになったからだ」
「その軍師殿の頭脳が取り込まれたと」
「ああ、そうとしか思えん」
「だとすると、いずれ敵は鉄砲を作り始めるかもしれません……」
「なぜ、そう思う?」
「ファルハナはアンダロスの辺境にあって、依然脆弱です。今生き永らえているのは、魔物たちがあそこの重要性を知らないからです。あそこが奪われれば……」
ジンはここまで話してしまってから、ハッとした。伝令管である白線虫を体内に持つナウブにこんなことを話せば、ナウブの意志に関わらず、その内容は魔物たちに伝わるのではないか、と。
「ジン殿、心配ご無用。今、儂の頭に巣食っておる白線虫は黒い魔力の影響下でなければ、儂の知識を集合体に伝えられない。だが、あまりそういうことを儂に話すのではないぞ。後になって黒い魔力の影響下に入った時に、記憶を吸い上げられたとしても、不思議ではない」
ジンはそれを聞いて、少なくともヤダフやモレノの話をしなくてよかった、と思ったが、一つ、大きな不安を抱えてしまった。
「しかしな、ジン殿。心配するな。もし、連中が儂の脳をひっかきまわし始めたら、すぐにでもマルティナ殿に電撃魔法を儂に放ってもらうことにする。奴らに儂を好きにはさせん」
「やだよ、そんなの!」
マルティナは即座にそれを拒否した。
「そう言わんでくれ、マルティナ殿。マルティナ殿がやらねば、儂は自分で喉を搔っ切るだけだ。だが、その場合、幾ばくかの情報が奴らに漏れることになる。どうせ死ぬんだ。マルティナ殿が罪の意識を持つ必要はない」
「そうは言っても、もうあの気分は味わいたくないんだよ……」
マルティナはまたあの光景――無数の第一軍兵士の死体が雪原に転がる光景――を思い出してしまった。
「まあ、そうならんように皆も願っていてくれ。こいつが……」
と言って、ナウブは自分の頭を指さした。
「こいつがそもそもそんな能力があるのかも、儂は何の確証も持っておらん。ただ、これまで、記憶や知識を吸い上げられた者たちを見てきたからのう。用心には越したことがない、と言っておるだけだ」
「ナウブ殿、分かりました」
ジンは短くそう答えた。
◇
この街道はツツにとっては天国だ。魔物もいないし、すぐ近くに魔の森のほとりの森が広がっている。ニケやジン、それにツツがいた魔の森のほとりの森とは、魔の森を挟んで反対側だが、こちらの森の方が野生動物が多く、狩りには事欠かない。
カルデナスは酒がないのには閉口したが、毎晩ツツやリア、それにエノクが狩ってきてくれる鹿、猪、兎の肉をたらふく食べられるのはありがたかった。
そんな野営の夕食を終えると、馬車で寝る者、見張りの者、二つ張った天幕で寝る者に別れて、それぞれ自分の好きなように時間を過ごし始めた。
ジンは肉を焼いた焚火の前でまだ、独り座っていた。
ジンの頭に去来していたのはマイルズのこと、カーラのこと、シャヒードやドゥアルテのこと、そして会津にいるはずの両親や兄、それに妹チズのこと。
すでにこの世界に来て四年が経っていた。チズももう大きくなっていることだろう。あの後、会津はどうなってしまったのだろうか。
「ジン殿」
暗がりから急に出て来て、小声で話しかけてきたのはナウブだった。
「ナウブ殿。もうお休みになったかと思っていました」
「いや、昼間のことを思い出して、少し話がしたいと思った」
「昼間のこと?」
「ああ、そもそもなぜ自分がこうして自分のままでいられるのか、儂にはよくわからんのだ。だから、いざとなった時に自分がどう振舞うのかについて、絶対的な自信が持てないのだ」
「ナウブ殿……」
「だが、これだけは約束しよう。今の儂は、儂のままだ」
「ハハハ、ナウブ殿、拙者はナウブ殿が白線虫に入られる前を知りません。『儂のまま』と言われても。ただ、もうとっくにその点の懸念はありません」
「うむ。しかし、ジン殿、やはり情報については気を付けてくれ。いったん黒い魔力の影響下に入って、この虫が向こうと繋がれば、儂の意志とは関係なく、情報は持っていかれるかも知れんからの」
「はい。それは気を付けるようにします。ナウブ殿は大隊長だった、と言っておられましたが、将軍だったのですか?」
「ああ、儂はナウブ・ウルダンガリン。帝国伯爵家の次男坊でな。家は兄に任せて、ひたすら武芸にうつつを抜かしておるうちに、気が付けば一個大大隊、一万人を預かる将軍になっておった」
「それがなぜ?」
「第四軍はマグノ砦の少し北、フリャナの町で防衛線を張っておったが、そこで魔物に儂らは負けたんじゃよ。儂自身も魔物にぶっ叩かれて、気を失ってな。気が付いたときには目の前にオーガの顔があった。その口から気持ちの悪い白い線虫が出て来て、儂の口をこじ開けて、入って来るところだった。儂は思いっきり口を閉じた。歯を食いしばるようにしてな。白線虫を途中で噛み切った、っちゅうわけだ。儂に噛み切られた白線虫の半分が地面に落ちて、もう半分が儂の体内に入った。もしかすると、それで儂は声は聞こえるが、命令は拒絶できるのかもしれん」
「すると第四軍の多くの帝国兵が敵に乗っ取られたのでしょうか?」
「わからん。だが、あの状況だとそう考えるのが自然だろうな」
「この森のさらに向こう、魔の森の反対側には彼らがいる、と」
「いや、この森の反対側は北海だ。だからここ、ワイ・トゥカはこうも穏やかなんじゃ。まあ、寒いことさえ我慢できれば、ここはいい国だ」
「ワイ・トゥカ国。何度か聞きましたが、アスカにも国があるのですね」
「当たり前だ。アスカの広大さを分かっておるか? イスタニアなど比べ物にならぬ大きさだ。イスタニア全土の十倍の広さはあろう。そこが一つの政体に支配されておるなど普通ありえんだろう」
「それほどにも広大だったとは、拙者は寡聞にして知りませんでした」
「そのワイ・トゥカですら、もっと細かく分かれておる。総長と呼ばれる、まあ帝国で言えば領主かのう、そんな偉い人たちの合議体がこの国の最高機関になっておる。だから厳密にいえば、ワイ・トゥカは各総長が治める総領と呼ばれる小さな国の集まりのようなものだ」
「なるほど。なんだか拙者の故郷の政体と似ておりますな」
「ほう、ジン殿の国も総長がおったのか?」
「いえ、ダイミョウと呼ばれておりました。どちらかと言えばアンダロスの領主に近い存在です。しかし、合議制ではなく、その領主の中でも最有力だった徳川家が全国を支配しておりました。それでも各領主には領内の内政には全面的な裁量権が与えられておりました」
「ワイ・トゥカの仕組みは面白いぞ。各総長は総領の人口千人に対して、一個の手札が与えられる。何か決め事がある場合は、手札を一番集めた総長が決定権を持つそうだ」
「それだと、人口の多い総領を持つ総長が何でも一人で決めることになって、拙者の故郷の日本と変わりなくなるのではないですか?」
「それがそうはならない。総領の人口が少ない総長同士が結託して手札を集めて対抗できるのじゃよ」
「なるほど、それは面白いですね」
話は逸れに逸れ、異世界間の政体比較に及んだ。
「ハハハ、ジン殿は支配者階級だったはずだ。話の流れですぐにわかる」
「いいえ、支配者階級と言うのもはばかれる、領主様を支える家の四男坊だった。いや、過去形で言うのもおかしいな。四男坊です」
「なに、儂も次男坊で伯爵家なぞ、継ぐ必要もなかった、おかげで好きに生きてこられた。儂が見るに、ジン殿もそうではないか?」
「ええ、兄上には申し訳ないとは思いますが、好きに生きてこられました。……無理やりこの世界に引っ張ってこられる前までは」
「……ジン殿は帰りたいか?」
「ええ。帰りたくて帰りたくて仕方がありません。でも拙者はここに来て多くの人たちと縁を作ってしまいました……拙者は、もう、これをすべて投げ打ってまで帰りたいとは思いません」
「そうか。ジン殿、であれば……っ」
突然、ナウブは言葉を詰まらせた。
「ナウブ殿?」
「静かに……声が、ああ、間違いない、声だ。遠いが聞こえる。奴らだ」