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155. ナバロの仮説―2

「ナバロ殿、何を血迷ったことを言っておる。我々はずっとイスタニアに住んでいる。他所からやってきたなどと信じられぬ」


 ナッシュマンはずっと黙っていたが、ここに来て口を開いた。


「えーと」


「ナッシュマンだ」


「ナッシュマン殿。いいですか、私は、まあその大賢者と呼ばれるくらいですから、アンダロスに存在するすべての書物を読んだと言っても過言ではありません。そんな書物の多くで指摘されている二千年前の問題があります。人骨や動物の骨が化石となって地中に残ることをご存じでしょうか?」


「いや、全くわからぬ」


「ええ。だいたい骨などは放っておけば微生物に分解されて五、六十年もあれば、ほとんど跡形もなく土に還ります。ただ、特殊な条件下ではそれが石に変わるのです。そうやって保存された骨がいたるところで見つかっています。まあ、そういう昔の人の骨を発掘して昔の人の生活などを調べる学問があるのですよ。ところが、どこにも二千年以上前の人骨の化石は見つからないのです。獣人の化石は見つかるのに、ですよ」


「ほう、それはなぜだ」


「私はずっとそれが不思議でなりませんでした。現代のイスタニアの人々に、遺体の骨を完全にすりつぶす文化などありません。二千年以上前にそんな文化があったのだろうか、などと仮説を立ててもみました。しかし、これは途轍もなく不自然な習俗です。人骨をすりつぶすなど、大変な労力ですし、仮にそんな習俗があったとしても、すりつぶさなかった人骨の化石がどこかで見つかるはずじゃないですか。やはり、これは辻褄合わせに過ぎないと結論付けました」


「すると我々は魔物のような侵略者なのか?」


 ノーラが突然訊いた。


「ノーラ殿、さすがです。まあ、その可能性が高い、という話です。そのころ、イスタニアには多くの獣人が住んでいたはずです。そして今、獣人たちは魔の森の向こう側、アスカの地に住んでいて、こちら側には住んでません。もしかすると異世界からやって来た人間たちがここにいる獣人たちを駆逐したのかもしれません」


「馬鹿な! 人間と獣人は共存できるではないか! こうしてニケやチャゴとも一緒に生活が出来る。助け合い、愛し合うことだってできる!」


 ノーラはこの仮説をどうしても否定したいようだった。


「ノーラ殿、あくまで仮説や可能性です」


「いや、ノーラ、俺はナバロ殿の話を信じる。人間とはそういう生き物だ。異質なものを排除し、利用する。俺がいた世界でも同じようなことが起きていた。しかも同じ人間同士でだ。肌の色が違う。言語が違う。文化が違う。そんな理由で先住民族たちを虐殺して自分たちの生活圏を作り上げた。そんな歴史をもつ大国があった」


「ジン……そんな醜悪な存在の末裔なのか、我々は」


 ジンはそれに対して、悲しそうな笑みを浮かべた。


「ノーラさん……」


 ノーラの隣に座っていたニケがノーラの腕に手を掛けた。


 ナバロが説明を再開した。


「この世界。いいえ、イスタニアだけではありません。アスカやイスタニアのあるこの広大な大陸がある世界。そして、その真ん中には魔の森があります。魔の森は多数の異世界と繋がる巨大な次元の開口、門、扉、そんなようなものではないかと考えています」


「おおまかだが分かって来たぞ。つまり、人間界、俺のいた世界だ。そこから大昔、二千年前にやって来た人々の子孫たち、それがイスタニア人だ。そして、魔の森の開口部は今度は別の次元に開いた。そこからやって来始めたのが魔物たち。魔物たちは魔の森に住みついた。そして、今度は、また別の次元に繋がって別の存在がやって来た。それが今回起きた魔物の異常行動の始まりだ。そう言うことじゃないのか!?」


「ジン殿、ご察しの通りです。今回やって来た者たち、それがあの白線虫と黒い魔力を使う者たちです」


 皆が絶句する中、ジンが訊いた。


「白線虫と黒い魔力の関係は?」


「仮説と言うにはまだまだ分からないことが多すぎるので、この辺りをジン殿たちから確認したかったのですが……黒い魔力は操り人形の糸ではないか、と考えています」


「つまり?」


「リーチェでのことです。何者かが白線虫に侵された魔物を操る際に意志を伝達する波、これが黒い魔力の正体だと感じています」


 たしかにそう言われてみれば、北部大森林から動物の群れが大挙して襲ってきたとき、洞穴の集落の長老が〈黒い魔力の残滓〉と言っていたことをジンは思い出していた。


「ああ。それは俺にも思い当たる節がある。黒い魔力を俺自身は見ることができない。だが、それが見えるナバロ殿のような人が、そんなことがあった後に動物たちが集団発狂した。では、ツツがその黒い魔力の発生後、ひどい体調不良になった。あれはどうだ?」


「分かりません。魔力の少ないものが頭痛を訴えたことは事後に聞きました。もしかすると関係があるかもしれませんし、ないかもしれません」


「では、魔力がないものが魔の森を渡れない、魔の森に入ると魔物のになる、なんて話はいったい何だったんだ!?」


「ああ、あれは簡単です。いや、簡単と言えば、必死に身を守ろうとしたアスカの人々に失礼になりますか……あれは嘘のはずです。アスカの人々が作り上げた壮大なウソ。ニケさんや自分たちの民にまで信じ込ませた大嘘です。ジン殿、あくまで仮説と言いましたが、我々が侵略者だとすると、魔の森の向こうに逃げたアスカの人々がそんな嘘をついてまで、人間と別の生活圏を選んだということとの辻褄が合いませんか?」


「確かにな。だとすると、我々も魔の森を通ってアスカに行けた、ということか?」


「はい。ですが、現実的には無理だと思います。今の魔物や白線虫の状況を考えればとてもではありませんが、安全に抜けられるとは思えません。魔の森に行くのは最後。この事態を終わらせるときだと考えます」


「……この事態を終わらせる、か」


 ノーラが呟いた。


「ええ、ノーラ殿。やはり、皆さんはアスカに行かなければなりません。魔法の起源を見つけてきてほしいのです」


「へ? 魔法の起源?」


 急な話の展開に誰も付いては行けていなかった。マルティナが素っ頓狂な声を出した。


「ええ。仮説、仮説、仮説ばかりで申し訳ないのですが、これも仮説です。魔法、魔力、という原理のよく分からないこの力は、この世界独自のものと思えるのです。ねぇ、ジン殿、そうですよね?」


 ナバロは急に確信めいた言い方で、ジンに確認した。


「いや、俺には分からない。ただ、前の世界にはなかったのは確かだ」


「で、ジン殿、今はその魔法が使える、と」


「いや、俺は使えないぞ?」


「いいえ、カマイタチ、でしたっけ? ベラスケス殿下から聞きましたよ? その魔剣で繰り出す魔力の(やいば)。それは魔法です。ただ、物を媒介して射出しているだけで、本質的にはマルティナ殿や私が放つ魔法とさほど変わりません」


「そうなのか? マルティナ」


「うん。ナバロが言っていることは間違ってない」


「ジン殿、それより、私が興味があるのは、ジン殿がいた世界、そこに魔法はなかった、という点です。これで私の仮説は更に強化されます」


「ああ、そんなものはおとぎ話の世界でしか存在しなかった」


「でしょうね。やはり、間違ってなかった。特殊なのはこのイスタニア、いや、この世界だ」


 ナバロは興奮して、本来は優し気な細い垂れ目を大きく見開いている。


「ナバロ殿?」


「ジン殿、いいですか? ジン殿のいた世界の人々の装束とイスタニアの人々の装束。これは同じではないですか?」


「ナバロ殿、申し訳ないが、それは大きく異なる。我々日本人はイスタニアの人々の着る服や鎧などとは全く見た目の違うものをしていた。ただ……」


「ただ、何ですか!?」


「欧州。日本からは遠い国々の人々が二、三百年ほど前まで来ていた服や鎧。イスタニアの人々の装束はそれに酷似している」


「それです! 我々はそのオーシューという場所にいた人々の内、魔の森の門を抜けてやって来た人々の子孫なのです!」


「しかし、彼らは魔法などは使わない」


「ジン殿、まさしくそれです。ジン殿の世界には魔法なんてものはなかった。そんな人々がここイスタニアにやってきて、使い始めた。魔力と言うものが人ではなくこの世界に備わっていた。物事の法則がこの世界とジン殿がいた世界では異なるのです。だとしても、ですよ? その力の使い方を誰からそれを教わったのでしょう?」


「アスカの人々。ナバロ殿はそう言いたいのだな?」


「そーーーーです! 魔法の起源はアスカにある。生命力を目に見える、物理的な力に変える特性はこのイスタニアの大地に元から備わっていた。いや、言い換えればその特性を取り出すことこそ魔法そのものなのではないか、と。アスカの人々はそれを生活に用いていた。ここにやって来たオーシュウの人々、我々の祖先はその方法を彼らから教わった。そして、これが私の仮説の最後です。アスカの人々は、魔法の全てを教えてくれたわけではなかった」


「教えてくれなかった魔法。それが魔法の起源にはある、とそういうこと、ナバロ?」


 そんなものがあるのなら、マルティナも知りたかった。


「マルティナ、仮説ですよ。仮説」


 ナバロは興奮を自ら鎮めるように、急に口調を低く、ゆっくりしたものに変えて、そう言った。


「ナバロさん。お婆々たちがそれを知っている、って言っているの?」


 ナバロが話す内容に、ニケは思い当たる節すら見つけられなかった。アスカにそんな秘密があるというなら、最も知識階級に近いところにいて、巫女として教育を受けたニケなら、少しくらいは知っていてもいいはずだが、ニケにとってナバロの話はあまりにも突拍子のないものだったのだ。


「おばば?」


「うん。お婆々はジンやツツが異世界からやって来ることを教えてくれた人だよ」


「時空士、ですね」


「ナバロ殿は時空士の存在も知っていたのか?」


 ジンは獣人の老夫妻の話を覚えていたが、そのことをこの学者兼魔導士が知っているとは思っていなかった。


「もちろんです。アスカに伝わる伝承や神話、そんなものは全てこの頭の中に入っています」


「チャゴやニケよりずっとアスカのことに詳しいんだな」


 カルデナスが突っ込んだ。


「まあ、一般人のアスカ人よりは。学者ですから。時空士は重要な存在ですが、多分、それ以上に重要な存在がいるはずです。まあ、私もそれが誰なのかは分かりません。だから最初はそのお婆々と呼ばれる時空士に会いに行くといいでしょう。そこからきっと繋がって行くはずです。〈原初の魔法〉。あなた方が求めるべき物の名です」


「「「〈原初の魔法〉」」」


 ジン、ノーラ、マルティナが同時にナバロの言葉を繰り返した。


「ええ。今は電撃や炎、氷や水、土などに別れていますが、それらはすべてこれに繋がります。その原理を理解できれば、魔力さえあれば、あらゆる魔法……いや、もう魔法とは言えないものになるかもしれません。力、ですね。生命力をあらゆる形の力に兌換する理屈が分かるはずです」


「ナバロ、ちょっと話が分からないよ」


 マルティナがそう訴えた。


「マルティナ、あなたが電撃魔法を使う時、スペルを唱えますね。しかし、魔法を放つのに本来的にはあんなものは必要ありません。あくまでも魔法は生命力と力の兌換なのです。ただ、その結果をスペルによって限定しているのです。そうしなければ、結果の形もイメージできないし、どれほどの生命力を注ぎ込むべきかも術者は分からなくなる。分からなければ、必要以上の生命力を注ぎ込んで命の危険すら招いてしまうかもしれない。スペルはあくまでも制御装置なのです。その制御装置を持たずに、生命力をあらゆる形の力に置き換える。それが原初の魔法です。それが、次元の開口部を塞ぐのに必要な力だと私は考えているのですよ」


「「「塞ぐ!?」」」


「ええ。それしか終わらせる方法はありません」


「ジン、それでいいのか、お前は?」


 ノーラが突然ジンにそう訊いた。


「……分からない」


「ジン……」


「帰ろう、帰ろう、と思ってきた。でも、最近はいつか帰れたら、になってきていた。正直、分からない」


「ジン殿が故郷を思う気持ち、私も分かります。もうダロスの街はこの世には存在しません。私は帰るところを失ったという意味ではジン殿よりあきらめがついています。でも、ジン殿の故郷は次元の向こうにあるのですよね」


「それすらももう分からない。日本はなくなっていても不思議じゃない」


「ジン! 気合を入れろ。お前の目的はなんだ!?」


 ナッシュマンが声を荒げた。


「ナッシュマン殿。拙者の目的はもちろん……」


「もちろんなんだ?」


「正直、それも分からなくなってきています。帰りたい。ノーラや皆と一緒に生きていきたい。イスタニアの民を救いたい。……そもそも俺がここに来た使命とやらを知りたい!」


 ジンの本音は最後の言葉だろう。なぜこんなところに呼び寄せられたのか。なぜ自分なのか。


「なら、迷うな。どうあがいたって知り得ない故郷の状況に心を持っていかれるな。もうお前の進む道はあらかた決まっているんだ。腹をくくれ!」


「はい。ナッシュマン殿、ありがとうございます」


 ジンはやはりまだ若い。どうしても考えがあらゆる方向に行ってしまうのだ。やるべきこと、やれること、やれたかもしれないこと、そんなことが頭の中でぐちゃぐちゃになっている。『腹をくくる』とはつまり、今やれることをやるしかない、ということだ。それ以上のことはジンでなくとも、いかなる人にもできないのだから。ジンはそれを理解して、ナッシュマンに礼を述べた。


「ジン、いい加減、船が着いているんじゃないか?」


 話が長くなってきたことで、ずっとそれを心配していたカルデナスは話が一段落するのを待っていたかのようにそう言った。


「カルデナス、確かにそうだな。港まで十数ミティックはかかるからな。そろそろ行くか?」


「ああ、行って、船を奪わねぇとオロまで行けねぇぞ」


 カルデナスがそう応えると、ナバロも頷いた。


「ジン殿、皆さん、そうしてください」


 皆が港に向かって歩き始めた。すると、歩きながらナバロがジンに近づいてきた。


「ジン殿。私はあなた方と一緒にはいきません。ベラスケス殿下の元に戻ろうと思います」


「殿下のところに?」


「ええ。あそこで多くの魔物を引きつけておいてもらえるのは、アスカ側に渡ったジン殿たちにも有利に働くはずです。それに、私は既に戦況をひっくり返す武器を作ってしまいました」


「鉄砲ではなくか?」


「いいえ、鉄砲です。ですが、イスタニアならではの工夫を一つ加えます。弾丸の魔道具化です」


「鉄砲ではなく、弾丸を、か」


「ええ。電撃魔法を封じ込める方法を特定しました」


「しかし、そんなことをしなくても弾が当たれば魔物は死んでいるぞ?」


「ワイバーンでもトロルでも、はたまたガーゴイルでも倒せますか?」


「それはなかなか難しいな」


「この弾丸はそれらを倒せます。しかも一撃で。あと、眉間を貫かなくとも倒せます」


「それは誠か!?」


「ええ。まあ、まだ実際には使っていないので、あくまで……」


「「仮説」」


 二人は声をそろえた。


「はっはっはっはっは! いや、ナバロ殿、お主はやはりすごいな。大賢者ナバロ。その名に偽りはなかった。是非ベラスケス殿下、それにファルハナのガネッシュ様、オーサークのインゴさん、そして、パディーヤで戦っているはずのリヨン伯爵、ミルザ伯爵、後……マイルズにも教えてやってくれ。イスタニアを頼む……」


 景気よく笑って、話し始めたジンだったが、ベラスケスやガネッシュたち、今、各地で魔物と必死に戦う人々の名を挙げながら、彼らの顔が頭に思い浮かんだ。


 そして最後にマイルズの顔が浮かぶと、それら苦境にある人々を置いてアスカに行くことの意味をかみしめ、だんだんと話すトーンは重いものに変わって行った。


「ええ、ジン殿。私はこの通り武器はここにしかない人間です。アスカに行ったって皆さんの足を引っ張るだけですから、こっちでやれることをやりますよ」


 ナバロは自分の頭を人差し指で指して、そう言った。


「ああ、そうだな! 俺もやれることをやる」


 既に桟橋に横付けされた帆船が皆の視界に入って来た。


「チャゴ! 俺たちの船だ!」


「うん、カルデナスさん!」


 はしゃぐカルデナスとチャゴが、歩く皆を置いて、桟橋に向かって走り始めた。


 ジンはそんな二人を目で追いながら、ここから先の新しい道に思いを馳せた。


これで帝国編は終わりです。


明日から私事にて少し家を離れます。

日曜日に帰って来る予定になっていますので、月曜日からの更新再開となります。

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