153. ナバロ
「なあ、ジン、ツツを連れて狩りに行ってきて良いか?」
「珍しいな、ノーラ」
「ん? ああ、こうもただ飯を食ってばかりだと鉄砲の腕も鈍るしな」
第二王子のお墨付きの威力はやはりここでも絶大だった。ジンたちは一切食料に困ることはなかった。すべて村民が供出してくれていた。
ただ、こうも長い期間、ずっと世話になるというのも、あまり気持ちの良いものではない。
「ツツ、ノーラがああ言っているが……」
ツツは二人の会話を首を傾げたり耳を立てたりしながら聞いていたが、『狩り』と『ツツ』というキーワードをしっかりと聞き取っていた。ジンが訊くまでもなく、すでに大興奮で飛び上がって立ち上がり、ジンに肩に前足をかけた。
「ははは、ツツ、でも、俺じゃない、ノーラだ」
ノーラが鉄砲を担ぐと、ツツは状況を理解して、今度はノーラの前にお座りをした。
「ツツ、お前は賢い狼だな。よし、行くか!」
「わおおぉーーん」
ツツは短めの遠吠えで返事した。
すると、リアとエノクも手を挙げた。
「私も行く!」
「俺も!」
◇
メドゥリンでの生活は平和そのものだった。
チャゴとカルデナスは釣り。真面目なニケはポーションづくり。
ジンとファウラー、それにナッシュマンはひたすら模擬戦。マルティナはその観戦だ。
ロッティとスィニードは村にたった一つしかない酒場に繰り出し、昼間から飲んでいるようだ。
実際、この村で出来ることと言えば、釣り、狩り、模擬戦、酒場、この四つしかなかった。
「こうじっとしていると寒くてたまらないや」
「あったかそうな毛皮付のお前がそうなら、俺なんかはもっと寒い」
チャゴとカルデナスは釣り糸を桟橋から垂れながら、寒さに耐えていた。
「ねえ、カルデナスさん、あれって流氷?」
沖合、遠くに黒い影が見える。
「いや、チャゴ、あれは船かもしれんぞ」
「オロから来た?」
「他のどこから来るんだよ。本当に船なら、もう向こうの港も使えるってことだ。いよいよ出発になるな」
「って、カルデナスさん、船はどうするんだよ」
「もちろんあの船をもらうのさ。俺たちはベラスケス王子の書面があるじゃないか」
「でも、あの船の人たちは帝国人じゃないよ。オロから来るんだから、アスカの人だよ。聞いてくれると思う?」
「ああ。俺たちが持っているベラスケス王子の書面。ありゃ魔法の手紙さ」
「魔法?」
「お金というな。帝国がいくらでも払うっていうんだから、漁民や船乗りがそれを断る道理はねぇよ」
◇
「しかしな、ジン、この模擬戦に意味はあるのか?」
ファウラーがジンの斬撃を受けながら、そう言った。
「そりゃあるだろう」
「お前みたいに強い魔物はいない」
「確かに。ファウラーのように強いのもいない」
「対魔物戦というのは、木偶の坊をどれだけ早く、どれだけ多く叩っ斬る、この練習の方がいいんじゃないか、っと」
ファウラーは受けたジンの攻撃を真上に撥ね上げた。
「っし、ここには木偶の坊はいないからな」
ジンは跳ね上げられてすぐに切り返して胴払い。
「「ふんっ」」
二人の剣と刀が交錯して、力勝負になった。
「ジン殿ーーー!」
模擬戦に励むジンたちの元にカルデナスとチャゴが息を切らせながらやってきた。
「カルデナス殿?」
「船だ! 船がオロから着く。今、桟橋でそれを見たんだ。いよいよ出発だぜ!」
まだ夏にはなり切っていなかったが、今年は氷の引きが早いのだろうか、オロからすでに船がやって来たらしい。
「やっとか。マルティナ、ファウラー、ナッシュマン殿、港に行ってみましょう!」
知らせをってきてくれたカルデナスとチャゴを伴って、ジンたちは港にやって来た。
「ああ、間違いない。あれは船だ!」
ようやく、この平和だが退屈な日々が終わる。船だ、やっと船が来た。と皆が沸き立つが、一緒にやってきたはずのマルティナの姿が見えない。
「ん? マルティナは?」
ジンが気づいた。
「マルティナなら、あそこ」
チャゴが指をさした先、桟橋に上がる手前にマルティナはいた。マルティナは見知らぬ男と向かい合って何か話しているようだったが、ジンからは五十ミノルほど離れていて、何を言っているかは全く聞こえない。
「誰だ、あの男は?」
ナッシュマンが怪訝そうにつぶやいた。
「拙者も分かりません」
ジンは五十ミノル先のマルティナとその男から目を逸らさないまま、そう返事した。
◇
「ジン殿、ですね!?」
その男がそうジンに訊いて来た。ジンが見たこともない男だ。年のころは二十代後半、細身の垂れ目、細身と言うより、羸痩、と言った方がいいほどで、骨が皮を纏っているような見た目の男だった。
マルティナ同様、ローブを纏っているが、マルティナの物とは大きく違っていた。白いそのローブには、最近はまず見ることがなくなったアンダロス王国の紋章が刺繍されていた。
「ああ、ジンだ。しかし、拙者はお主を知らぬ」
「もちろんです。はじめてお目にかかりましたので。しかし、やっと会えました」
「ん? どういうことだ?」
「はい。私は……いや、マルティナ、悪いがお前から説明してはくれぬか?」
どうやら、彼はマルティナとは知己のようだった。
「ナバロが自分で言えばいいじゃんか」
「どうもジン殿が警戒しているようだから、マルティナが説明してくれると助かる」
「もー。……ジン、この人はナバロ。大賢者」
「え? は??」
ジンは目を瞬いた。
「マルティナ、もう少し真面目に紹介してほしいんだが」
「だから自分で言えって。……もう、分かったよ。アンダロス王国が誇る大天才。すべての文官試験を制覇して、それに飽き足らず、アンダロスの七不思議と呼ばれる諸問題をさっさと解決してしまった当代きっての天才。だけど、隕石津波も魔物の襲来も全く予言しなかった」
「……マルティナ、ひどくないか?」
ナバロと呼ばれたこの男は大賢者と紹介された割にはマルティナに対してあまり強く出れないように見える。
「だってそうじゃん。結局大して役に立たなかった。証拠に国は滅んで、あんたはこんな北の最果てにやってきている」
マルティナに容赦はなかった。
「ぐうの音も出ない」
ナバロは肩を落とした。
「で、その大賢者というのは?」
とはいえ、〈大賢者〉だ。ジンはそれについてはちゃんと聞きたかった。
「うん。別にそんな役職はないんだけど、王様が勝手に、っていうか王様なので、勝手でいいんだけど、そう言い始めたんだよ」
相変わらず雑な説明を続けるマルティナ。
「ふーん。で、その大賢者様がどうして俺を知っているんだ?」
「それは私から。隕石津波があった時、私はホルストにいて、難を逃れました。いや、実際、ホルストも結構大変だったんですが、何とか死なずに済みました。しかし、見ての通り私は頭は抜群にいいが、体力がない。北に向かう隊商にお金を掴ませて、リーチェまで逃れたのですよ。そこでファルハナのことを聞きました。それから……」
長い説明を始めたナバロに、ここに突っ立っていては寒くてかなわないと思ったジンは彼の言葉を遮った。
「いや、待て。長くなりそうだな。船が付くまではまだまだかかりそうだ。ちょっとうちに来てはもらえんか?」
「あはは、確かに、いや、私ももう膝ががくがくするほど凍えていました」
◇
ファルハナで突然生まれた新兵器。しかもそれは今までこの世界のだれも思いつきもしなかった発想によることが、ナバロはその新兵器を調べるにつけて分かって来た。ついに実際の鉄砲をファルハナで手にしたとき、彼は確信したのだそうだ。
(これはこの世の物ではない。やはりな)
そんなころ、魔物の襲来がファルハナにあって、ナバロは命からがらウォデルに逃げた。ウォデルでも鉄砲が使われ始めていた。情報を集めるにしたがって、ジンと言う人物がその中心にいることが分かって来た。しかも知己であるマルティナも一緒だというではないか。
ナバロはジンたちの足跡を追い始めた。そして、ついに、マグノ砦で魔物軍と対峙する帝国第二軍の軍団長、帝国第二王子ベラスケスとの謁見にただりついたそうだ。
『その方、アンダロスの大賢者だとな。なぜ、そのような者が我が第二軍にやって来た?』
『殿下、私はジンと言う男を探してここまでたどり着きました』
『またジンか!! 有望そうな男が来たと思えばジンの名を口にする。余は不愉快だ!』
そんな会話もあったが、結局ベラスケスはナバロにジンたちは北海に面する港町メドゥリンにいると教えてくれたそうだ。
ジンはベラスケスにはそうするだけの理由があったことが分かる。無用の人間に帝国やイスタニアの命運を握っているかもしれないジンたちの所在をやすやすと漏らすわけがない。ということは、ベラスケスも彼が有用であると認めたのだろう。
「なるほど、殿下に会ったのだな」
「ええ。それで、この魔物の襲来、白線虫、黒い魔法、対魔物戦に特化した鉄砲、これらのことをジン殿に伝えようと思ったのです」
ジンは驚いた。
すべての謎はアスカにある。そう思ってここまで来た。しかし、ここに願ってもない形で、何の脈絡もなく突然現れた男から重要な情報が得られるかもしれない。しかし、これら情報が必要なのはパディーヤでありマグノ砦、それにオーサークやファルハナだ。
「なぜ、俺なんだ?」
「と、言いますと?」
「なぜ、そんな情報を俺に伝える? その情報が必要なのはファルハナやマグノ砦だ。俺に伝えても仕方がなかろう?」
「いいえ、ジン殿。そうではありません。端的には白線虫や黒い魔法の話ですが、その向こうにあるのはこの世の真実ですから。それら真実に、さわりだけでも触れてからアスカに行ってもらいたかったのです。もちろん、私が今から話す内容についてジン殿から確証が得られれば、ベラスケス殿下にもファルハナやオーサーク、それにパディーヤにも伝えましょう。しかし、まずはジン殿から話を聞いて私の仮説の裏付けが欲しかったのです」