151. ウォデル陥落
「マイルズ、もう少しだ」
ガラルド・ミルザ伯爵の端正な顔は煤汚れ、鎧の肩の部分が剥がれ落ちている。それでも、マイルズを励ましていた。
「伯爵、俺のことはもういい。さっさと……うう……行けって!」
痛みに耐えながら、マイルズは虚勢を張った。
(ニケのポーションがあればなぁ)
マイルズは出血と痛みで頭がもうろうとする中、そんなことを考えていた。
マイルズの腹に深々と剣が突き刺さり、気を失ってしまって、すでに二日が経っていた。幸い急所ではなかったし、ミルザ伯爵が低級ポーションではあったが、応急手当をしてくれていた。しかし、既に大量に失血したいたため、意識が戻ったり気絶したりを繰り返していた。
朦朧とした頭であの瞬間を思い出す。
不覚だった。
昼後六つにポートカリスの点検、にかこつけてぶらぶらと西門前に来た。マイルズには一日の中で、ほんの少しでも構わないから、一人の時間が必要だった。このポートカリス点検と言う名の散歩は日課になっていた。
そこで、不可解な行動をする兵士に出くわした。
「おーい、そこの君。今は門を開ける時間じゃないよー」
返答がない。ポートカリスを引き上げるウィンチをひたすら巻きとっている兵士にマイルズは近づいた。
「おい、いい加減にしろ。止めろって……へ?」
ウィンチをひたすら回していた兵は、振り向きざまにマイルズの腹に剣を突き入れた。
「な、なにを……」
マイルズの意識はそこで途絶えた。
幸いなことに、両足を高さ二十ミノルもあろうかと言う天守閣のデッキからぶらぶらさせて、ワイン片手に、食後のひと時の時間を楽しんでいたエディスが、眼下のポートカリスの前で何やら大声を上げているマイルズに気づき、様子を見ていたのだった。
「ま、マイルズ!」
エディスはすぐに走り始めた。
デッキから下を降りるには天守閣の執務室の前を通る。エディスはノックをして許可を得ることもなく、ミルザ伯爵――ガラルドの執務室のドアを開けると、叫んだ。
「伯爵ー! マイルズが!」
「エディス殿!? どうしたというんだ?」
「とにかく、ポートカリスに!」
エディスが駆けだすとガラルドが後に続いた。エディスの後をかけつつ、通りすがりの家臣たちに命じていく。
「私に続け! 緊急事態だ!」
◇
走る二人、それに後ろに続く兵士や役人たちにポートカリスが見えてきた。
「ポートカリスが動いている!」
エディスがそう言った時、血まみれのマイルズの姿がガラルドの目に入った。
「マイルズ!!」
ガラルドはマイルズに一目散に駆け寄ろうとしたとき、エディスがそれを制した。
「伯爵、ダメだ! あの兵の対処が先だ!」
若い、というより幼い、に近いガラルド。普段は冷静に執務や軍務をこなしていたが、マイルズのその姿を見て血が上ってしまったようだった。
「分かっておる! あの兵を捕らえよ!」
そう命じてすぐに手にした低級ポーションをマイルズの傷口にかけた。傷口は塞がったが、体内ではまだ出血が続いているだろうし、すでに相当失血している。
ニケが作るような上級ポーションはこの街では常に品不足だった。戦闘は日常茶飯事。いくら作っても追いつかないのがポーションだった。それでも、幸い、ガラルドは低級ポーションを三つ持ち歩いていた。
ガラルドがマイルズに一応の手当て終えた時、ポートカリスはすでに一ミノルほども地面から上がっていた。
ウォデル大橋にたむろする魔物がいなくなって久しい。魔物たちは以前のように橋の上でたむろして、エディスに撃ち殺されたりすることはなくなっていた。
攻めてくるときは隊列を組み、計画的に襲ってくるようになっていた。そのため、ポートカリスが一ミノル程、上がっても、中に侵入しようとする魔物は近くにいないので、皆にそこに対する懸念はなかった。そして、それが仇となった。
昼後7つ前、すでにウォデルの街の外は真っ暗だった。その暗闇、ウォデル大橋の向こうからトロル三体が猛然と走って来たのだ。その後ろには無数のオーガやゴブリンが続いている。
ガラルドが率いてきた兵たちがポートカリスのウィンチを巻き上げる兵を組み敷いて、ウィンチを元に巻き戻そうとしていたが、少し遅かった。
トロルの一体が、ポートカリスの鉄格子をがっしと掴んだ。もう二体もすぐにそれに続いた。巨体のトロル三体がポートカリスを掴んで持ち上げようとしている。
「兜付き……」
エディスが呟いた。
「鉄砲兵を参集しろ! 今すぐだ!」
ガラルドはそう叫びつつ、マイルズを引きずって、ポートカリスから離れようとしている。
不幸なことに、オーサークからの銃歩兵百名は、空からデッキに襲い掛かる無数のワイバーンの対応に追われていた。とてもではないが、ガラルドの参集に応じれる状態ではなかった。
◇
ポートカリスは押し上げられ、三体の兜付きのトロル、それに無数のオーガとゴブリンが街に侵入した。
住民たちが阿鼻叫喚の声を上げる中、魔物たちはこれまで別都市で繰り広げられてきた惨劇をもたらす行動とは全く違う行動をとり始めた。
これまで攻めてきた魔物たちは殺すためではなく食うために人々を殺していたが、今、ここに入って来た魔物たちはまるで人間の軍隊のように、突破した西門に続く街道を整然と行進していた。逃げ惑う人々を文字通り歯牙もかけない。
時折、魔物たちに向かって行く兵の集団がいたが、そういうものに対しては容赦なく手に持ったこん棒や剣で叩き伏せていく。
そうしてから、口から白い虫を吐き、それを倒した兵に飲ませていくのだ。殺してしまった人間は食料になるのか、ゴブリンたちが回収して引きずっている。
ガラルドと配下の兵たちは必死にマイルズを引きずって東へ東へ進んだ。ワイバーンと戦っていて、変事に気が付かなかった銃歩兵たちだったが、それでも徐々にガラルドたちの周りに集まってきたが、その数は十数名にすぎない。とてもではないが、今や街に入り込んだ魔物軍に対峙できる数ではなかった。
「伯爵! 馬車に乗ってください! 街を脱出します!」
顔見知りの商人が、ガラルドたちに気が付いてそう声をかけてきた。
「私は、人々をこの街に置いて逃げるくらいなら、父上のようにここで戦って死ぬ!」
マイルズが騒ぎに目を醒ました。
「馬鹿なことを言うんじゃねぇ、伯爵。俺はいい。とにかく逃げろ。魔物が入って来たのは伯爵のせいじゃない……ぐ、ごほっ、ごほっ……ふぅ……いいか、お前は絶対に死んではならねぇ。俺を置いて、逃げろ……」
マイルズはそこまでは言い切って、多量の失血の為か、また朦朧として意識を手放した。
「マイルズ、私がお前を置いて行くわけがない。だが、私も死ねぬ。それは確かだ……ピットガル、頼む。乗せてくれ!」
「ええ、伯爵、早く乗ってください!」
◇
そうしてマイルズが次に目を開けたのが、今だ。
ガラルドが『もう少し』と言ったのは、パディーヤに避難できるのがもう少しという意味だった。
パディーヤはあと数ティックで到着できるだろう。
ガラルドと生き残りの兵たちが無数のウォデルの民を引き連れて、パディーヤに向かっていた。
ウォデルに比べて小規模なパディーヤの街では到底迎え入れられる数の民ではなかった。
ついに魔物たちの中原への本格的侵入を許してしまった。
(パディーヤで魔物たちを止める。絶対にだ!)
ピットガルと言う名の商人の幌のない荷馬車に乗るガラルドはそう心に誓った。既に春になっていたが、夜の冷え込みはまだ厳しい。
目の前には意識のないマイルズが横たわっている。
そして、エディスがその頭を優しく撫でている。
「マイルズ、死んじゃだめだよ」
「マイルズは死なない。エディス殿、心配するな」
ガラルドはそう言って視線をマイルズから荷馬車の進む方向に目を向けた。
魔灯の光に彩られたパディーヤの街が見えてきた。