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150. メドゥリン

「チャゴ、海だ!」


「ああ、カルデナスさん、海ですね!」


 船の一隻も停泊していない、ところどころの板が外れたボロボロの桟橋にカルデナスとチャゴは立っていた。


 夕刻が迫り、他の皆は宿探しだ。海だ海だとはしゃぐ二人に呆れて、さっさと行ってしまったのだ。


「しかし、チャゴ、まだ出航できるような海の様子じゃないな」


「あれ、流氷ですよね?」


「ああ。沖合はまだまだ凍ってそうだ。すこしここに着くのが早すぎたな。あと二、三カ月はここで過ごさないとな」


「二、三カ月も!?」


「多分船はアスカ側だ。向こうの方が寒いんだろうから、こっちが出港できたとしても、向こうが氷に閉ざされて到着できなければ意味がない。だから船は向こうで冬を越すんだろう。なに、ここには魔物はいない、みんなでゆっくりすればいいさ」


「こんな何もない村で?」


「そこまでひどくはないだろう。人口だって百人程度入るんじゃないか?」


 チャゴは何もせずにこの村で過ごす三カ月を想像して身震いした。



 ◇



「なんと、ベラスケス王子の肝いりで来られた御一行だったのですか! それは村としても歓迎せねばなりますまい」


 メドゥリンの村長は、宿を見つけられずに最後に自分を頼って来たジンたちを村長の家に招き入れた。


 春になったとはいえ、夕方になって冷え込み始めた。村長の家は十三人が入ると少し窮屈な感じがしたが、ジンたちは感謝した。


「野営は何度もやってきましたが、さすがに村の中で野営するわけにもいかず、困っておりました。かたじけない」


 ジンがそう礼を言うと、村長はバツの悪そうな顔をした。


「あ、いや、さすがにこの家では十三人はお泊めできません。そんな数の寝室はございませんので。今晩のところは三組ほどに別れていただければ、お泊めする場所を確保できるはずです」


「ああ、いや、お恥ずかしい、なんだか気を遣わせてしまったようで申し訳ありません」


 思わず自動的に泊めてもらえると思ってしまったジンは赤面するしかなかった。


「ジン殿、と言われましたか。数カ月ここに滞在されるとのことですよね。だったら、さすがにずっと三組に分かれて宿に滞在、と言うわけにもいきますまい。昨年の秋に亡くなった網元の家が空き家になっています。そこそこ大きな家で厩舎もありますので、ここに住まわれたらいかがでしょう? 十三人は十分に寝泊まりできる大きさがあります」


「それはありがたい。是非そうさせてください」


「空き家と言いましたが、人の手が入らなくなってから、そんなに月日はたっておりませんので、まだまだきれいなままだと思います。明日になったら村の者に案内させましょう」



 ◇



 村長はまだ若い。見た感じ三十代の後半ほどに見えるが、人のよさそうな男だ。この晩、村長宅で簡単な歓迎の晩餐が開かれた。村長にしてもゲトバールやイスタニアの状況に関する情報が聞ける貴重な機会なのだ。


「ジン殿、ジン殿はアスカからお越しですか?」


「いいえ、イスタニアやアスカの外にある外国から来ました。ニホンと言う国です」


「ニホン……寡聞にして聞いたことがございませんな。いえ、獣人の方々がご一緒でしたから、てっきりアスカからお越しなったのかと」


「ああ、この二人はアスカから来ました」


「そうでしたか。ここにも獣人の方々が何人かいます。もともとはアスカの港町オロとここメドゥリンを行き来する船員だったのですが、引退すると、こっちの方が暖かいと言って住み着いたような人々です。まあ、皆さんもいずれお会いになると思いますよ」


 ニケとチャゴが顔を見合わせた。やはり同胞がいるというのは心強いのだろうか。


 ノーラが村長に質問を重ねた。


「ということは、我々のめざす場所はオロという港町で、ここより寒い、と?」


「ええ。ここはオロに比べればずいぶんましですよ。ですが、皆さまが向こうに着くころは夏ですから、さすがに寒くはありません。むしろちょうど過ごしやすい季節になっていると思いますよ。それで……村長と言う立場上、聞かなければならないのですが、ゲトバールは、いや帝国は大丈夫なのでしょうか?」


 村長の耳にも当然、魔物の襲来の話は入ってきていた。しかし、断片的な情報で、実際のところどうなっているかは分からなかった。


 同じ帝国人であるメルカドがそれに答えた。


「ゲトバールはまだ安全なはずです。私は竜騎士ですから、つい先日、一度帝都に戻りましたので、かなり新しい情報です」


「おお、では、冬の間の漁や狩りで得られた食料は中央街道でちゃんと帝都に行って売れるわけですね?」


「ええ、もちろんです。そうしてもらわなければ、帝都の民が飢えてしまいます」


 メルカドはそこまで言ってしまってから、(しまった!)と思った。


「飢える?」


 村長は聞き逃さなかった。


「ええ、まあ、その戦争ですから、何かと要り様なのです」


 実際のところはそうではない。北部穀倉地帯からの食料輸入がどうなって行くか分からないという事情がある。だが、そんな話を村長にすれば、この村の生産者たちが売り惜しみをしたって不思議ではない。メルカドとしては不用意に最新の情報を開示するわけには行かないのだ。


「メルカド殿、でしたね? 何か言いにくそうにされていることは分かります。軍機もあるでしょう。これ以上は訊きません。ただ、このメドゥリンの安全にかかわることは教えてほしいのです」


「村長、今、ベラスケス殿下が必死に戦って、魔物たちをここからはるか南西の彼方にあるマグノ砦に封じ込めていらっしゃいます。殿下がご健在な限り、メドゥリンは大丈夫です」


「ありがたいことです」


 村長は素直に感謝した。


 帝国の食糧事情は実際のところ、不安定だが、まだ緊急事態と言えるほどでもなかった。北部穀倉地帯はこれからどうなるかは分からないが、帝国の南部農村地帯においては第二軍の活躍で魔物を駆逐した。農村地帯の生産力はすぐには戻らないだろうが、ある程度の収穫は期待できるはずた。イルマスに集積した昨年度の穀物、パーネルにもかなりの蓄えがある。ゲトバールはそれ以上の蓄えがあって、まだすぐに飢餓が全土を襲うような状況にはなっていなかった。


 メルカドが珍しくファウラーに話しかけた。


「ファウラー殿は南部アンダロスの出身ですよね?」


「ああ、ダロスが故郷の都会っ子ってわけだが、もうそんな街はこの世に存在しない」


「今、アンダロス南部はどうなっているのでしょうか。津波の水がいまだに残っている、なんてことはあり得ないですし」


「水は、もちろん引いているだろうな。だが、海水だぞ? 塩害でホルスト周辺の穀倉地帯はもう使えないはずだ。雨が土にしみ込んんだ塩を洗い流すには少なくとも数年はかかるだろう」


「いえ、どうしてこんなことを聞いたかと言いますと、無人に近い状態になった南部アンダロスに魔物や魔物に同化した人間たちが住み始めたとしたら、と考えたわけです」


「まあ、ないとは言えないが。あそこにはそれに抵抗する人間もいないからな」


「でしょう?」


「しかし、それこそ竜騎士であるメルカドしか、それを確認できる者はいないな」


「まあ、私もあんなに遠くまで飛ぶわけには行きません。ナディアがへばります」


 話はイスタニア全土におよんだ。ウォデルの話が出てきた。


「メルカド殿、ウォデルの状況は大方聞いたが、その後の情報はなにかあるか?」


 ジンはやはりマイルズの安否が気になっていた。


「ジン殿、これは軍機ですので、また改めて話しましょう」


 村長もウォデルと聞いて、それが一体どこなのかすら知らなかったので、ただ自分の前では話せないこともあるのだな、とだけ理解するにとどまった。


 そんな、彼らにとって〈世界情勢〉ともいえるイスタニアの問題を話しながら、芋と魚がメインの、素朴だがしっかり量があって、塩味の利いている料理を楽しんでいると、来客があった。


 村長の妻がその来客を伴って、晩餐が開かれている居間に入って来た。


「メドゥリンにようこそ、皆さん。それにそこの猫とキツネの同胞たち」


「よくこんな北国まで来ましたね。ねえ、あなた、本当にかわいらしいわね」


 獣人の夫婦らしい。前半はコモン語で話し、後半はアスカの言葉でニケとチャゴに話しかけた。


「こんばんは、ニケです」


「俺はチャゴです」


 ニケとチャゴはコモン語で返した。ここには多くのコモン語しか解さない人がいるのだ。


 夫婦は熊の獣人だ。年老い、船乗りを引退した獣人が住み着いている、とさっき村長が言っていた人達だろうか。確かに彼らは年老いているように見えた。


「ジン殿、きっとニケさんとチャゴさんが喜ぶと思って、妻に呼びにやらせていたのです。さあ、ダビ、リリ、そこの空いているところに座ってくれ」


 村長は夫婦に席を勧めた。


「マルティン、世話になるのう」


 ダビと呼ばれた夫の方が村長にそう言うと、二人はそこに座った。


「ニケ、チャゴはアスカのどこから来たんだい?」


 ダビは二人に訊いた。


「アスカの中部です」


「ああ、それはオロからは遠いねぇ」


 そう言ったのはリリと呼ばれた獣人夫婦の妻の方だ。 


「ダビさん、リリさん、教えてほしいのですが、アスカの南部は津波の影響は受けなかったのですか? それに魔物の襲来はあるのですか?」


「チャゴ、津波のことはある程度知っておるが、魔物のことは全く分からんのだ。儂らはもうここの住人だからのう。アスカの情報は昨年の冬にオロの船員から聞いたことぐらいだ。その時はまだ魔物騒ぎにはなってなかったからのう」


「津波はどうですか? アスカの南部は?」


 チャゴはニケと同じ中部出身だが、しばらく過ごしたアスカの南部、マハの港街に愛着があった。知り合いも多くいた。


「イスタニア側でダロスの港がどうなったか、という話と大層に変わらん。めちゃくちゃになった、と。それ以上の情報はない。すまんな、チャゴ」


「……そうですか」


「チャゴ、獣人だからってアスカのことが全部わかるわけじゃないよ。その証拠に私たちだって」


「ニケ、分かっているよ。ただ……心配なんだ」


 チャゴとニケが二人で話し始めたのを見計らって、ジンがダビに話しかけた。


「ダビ殿、拙者、ジンと申します。こんな人間の集団がアスカに入った時、アスカの人々はどう感じますか? それは、このニケを人間の街を連れ歩くときに拙者は大いに心配したのです。幸い、ニケは好奇の目で見られることは多かったですが、あからさまな迫害にはあいませんでした。逆に我々がアスカに行った時、どうでしょう?」


「ジン殿、儂らも今だってある程度の差別は今だって許容している。それはもう仕方がない事だ。しかし、この通り、マルティンはいつも儂らを気遣ってくれておる。そういうことだ」


「そういうこと、とは?」


 ジンはこういう時、飲み込みが非常に悪い。


「人によりけり、ということだよ。向こうにだって人間を差別してくる奴はいるだろう。しかし、お互い人語を解し、協力し合える、仲間だってことに気づいた連中はそんなことはしない。それはイスタニアでもそうだし、向こうでも同じだよ」


「ありがとうございます。もう一つよろしいでしょうか」


「ああ、一つとは言わず、いくつでも良いぞ。わっはっはは」


「はい。このニケがお婆々、と呼ぶ存在です。ニケの認識では巫女の大先輩、程度なのですが、拙者にはそうは思えません。なにか、アスカの伝承的な存在で、異界の存在と交信できるような人々がいたりしないでしょうか?」


「ああ……なんだ、最近の若い子たちはそんなことも親から聞いていないのか」


 ダビはそう言いながら、ニケとチャゴに軽く非難する目を向けた。


「ダビ殿?」


「ああ、いるな。そういう存在が」


 ダビが話し始めた内容は驚くべきものだった。あくまで伝承、あくまで神話、あくまで聞いた話、という注釈が付くが、もしこれらが現実に起こっていることとするなら、ジンの転移やあの白い虫、それに黒い魔法の説明がつくかもしれない。もちろん確証のある話ではないし、こじつけに近い側面もある。しかし可能性の問題として、ニケが言う〈お婆々〉という存在がこの謎を解くキーマンになるのかもしれない。ジンはそれが知れただけで、やはりここまでやって来たのは正しかったと思えた。


 ダビの話を要約すると、こうなる。


〈お婆々〉とニケが言う存在は、時空士と呼ばれる存在だ。時空士は折り重なる多重世界の管理士だ。時空の歪みを察知し、対応する。


 時空についてはダビは詳しくない。ただ聞いたところを頼りにたどたどしく説明する。


 時空はまるでピンと張られた刺繍の布のようなものだ、と。そしてその刺繍布は何枚も何枚も少しの距離を空けて重なっている。


 その刺繍布を上から下から押して、隣り合う重なった刺繍布にくっつけようと試みる存在がいるらしい。


 これを行うには強大な力が必要らしいが、ダビはそれには詳しくない、と言った。


 ただ、そういった、強大な力が働いて、時空と時空がまじりあう瞬間を時空士は探知できる。


 ダビが言うには、アスカの人々にとってすら異世界の存在はもちろん驚くべきことだが、見たことはなくとも、聞いたことのある事柄だそうだ。そして、イスタニアの人々程、その存在に疎いわけではない、と言うことだった。


「そう。だから、思うに、ジン殿、お主はその異世界から来たんだろう?」


「ダビ殿、拙者もそれを隠してきたわけではありません。ただ、イスタニアの人々にとってはこの話はとてもとても信じられるようなことではなかったのです。なので、拙者は無用の混乱を避けるため、それについては話さないことにしてきました」


「そうであろう。イスタニアの人々にはアスカの精神と世界が結びつく話など世迷言で片づけられる。だからこんな話は儂もこれまでここではしてこなんだ」


「ダビ殿、ありがとうございます。拙者たちはしばらくメドゥリンに滞在します。どうか、またお話を聞かせてください」


「ああ、いいとも。儂ら夫婦は子宝に恵まれんでな。また孫のようなニケやチャゴに会わせてほしい。もう引退した身でやることもないんだよ。せめてジン殿たちの手助けが出来れば、儂ら夫婦にとってこれほど幸せなことはない」


「重ね重ね、感謝します。ありがとうございます」



 ◇



 ある程度必要な話が終わった後には、皆個別に好きな話をして残り少なくなった食事を口に運んでいた。


 カルデナスはジンとダビの話が終わるのをずっと待っていたようで、それがひと段落したのを見て、すぐにダビに北海の話を聞き始めた。ダビは引退した船員なのだ。カルデナスにとっては大先輩に当たる。


 ノーラは実はこれまで、さほど縁を持てなかったマルティナと話し込んでいた。マルティナも以前とは違い、ジンの周りにいる人にはかなり心を開くようになっていた。


 ニケはチャゴの馬鹿話に笑いもせずにただ相槌を打っている。チャゴは話下手なのだ。


 リアはなぜか隣に座ったナッシュマンと柄にもなくオーサークの今後の戦略やファルハナの重要性などについて語り合っていた。リアも背伸びがしたいのだろう。老境に達しているナッシュマンはそんなリアの気持ちを知りながら、その話に付き合ってあげていた。ナッシュマンはノーラの身の安全が懸ると、とたんに物分かりが悪くなるが、ニケやリア、それにエノクたちの若者たちには極端に優しく、物分かりが良いのだ。



 ◇



 夜も更けた。


 王侯貴族が招く晩餐にもこの一行は参席することも多かったが、さすがにそんな晩餐では長居は出来なかったが、この晩餐では別だ。


 初めの方こそ、情報収集に重きが置かれたが、時間が経つにつれ、それは話を楽しむ集まりになって行った。


 そして、そういう集まりは時間が経つのが早い。話下手なチャゴがうつらうつらし始めたのを見て、村長マルティンが皆に聞こえるように、ほんの少し大きめの声で言った。


「ささ、皆さま。特にお若い子たちがもうお(ねむ)のようです」


 そこでもう寝落ちする寸前だったチャゴ、それに眠くなって無言になってしまっていたニケ以外の皆がどっと笑った。


「皆さまはしばらくこのメドゥリンに滞在されると聞いています。また、ぜひ情報交換を兼ねてこういう晩餐を行わせていただきます。明日は皆様を新居にご案内しますので、朝八つにはここにお集まりください」


 その締めの挨拶に三々五々、皆が立ちあがり始めた。


「村長、いや、マルティン殿、今日はお招きいただきありがとう」


 ノーラが礼を言うと皆がそれに倣って続いた。


「いいえ、大したおもてなしも出来ませんでしたが、今宵は私も大層楽しい時間が過ごせました」


 村長マルティンはそう皆に挨拶して、眠そうなマルティナが目の前を通って退出するとき、こう語りかけた。


「同名のお嬢さん。あなたに幸運があらんことを」


「あ、ありがとう」


 マルティナはお礼を言ってから気が付いた。マルティン、マルティナ、男性名と女性名の違いだけだ。


「マルティンさんにもきっと幸運があるよ」


「いいえ、ここにあなたたちが来てくれたことで、その幸運に私はすでに浴していますよ」


「ん?」


「マルティナ、おやすみない」


「マルティンさん、おやすみない」


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