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148. 人の人たる所以

 マグノ砦攻略を前にして起きた諸々(もろもろ)の事柄の異常さは筆舌にしがたい。


 ベラスケスは、もし自分が今、父親である皇帝の前に跪いて報告を行うとするならば、と想像してみた。


(いったい何をどう説明したらいいのだ。兄の死か? それをガルナーが首を切ったと説明するのか、いやいや、そもそもの問題を説明せねばなるまい。だとすれば、敵の正体だ。……しかし、これだって、敵は白い気持ち悪い虫でした、では話にならない……)


 ベラスケスはこれはまず自分の判断ではどうにもならないと思った。彼は決して優柔不断であったり人に判断をおもねる人間ではなかったが、ことここに至っては判断がつかないのだ。


 これは自分の判断の範疇を超えた問題である、と。皇帝の決裁を得なければ前に進めない、と。彼はそう思った。


(まずは、敵とは何なのか、これを陛下に知ってもらわねばなるまい。敵は……何だ?)


 ベラスケスは、ハッとした。あの白い虫が敵なのではない。あの白い虫を介して、人や魔物を操る意志。これが敵なのだ。


 その意思の持ち主は誰なのだ? シャイファーではなくなったシャイファーが言っていた〈全〉とは誰なのだ? 文字通りとすれば、ああなってしまった人や魔物たちの〈集合意志〉のようなものが存在するのだろうか?


(分からぬ。敵はいったい何なんだ……だが、しかし、陛下に裁可を頂かねば、もう動けなくなってしまった)


「ローデス! 祐筆を用意するか、お前がそれをやれ」


「祐筆に漏らしていい話ではないのではないですか、殿下?」


「まあ、そうだ。だからお前がやれ。いいか、陛下への報告だ。慎重に書け」


 そう言うと、ベラスケスはさっきまで悩んでいたのがウソのように、能弁に状況を話し始めた。いったい敵が何なのかはわからないが、敵の個体はすべて白い気持ちの悪い生き物によって体を乗っ取られている、そして、乗っ取られたと言えども、個体の記憶は保持されている。それどころか、記憶は吸い上げられ、乗っ取られた別の個体が、さらに別の個体の記憶を持っていることもある、と見たままの説明をしていった。


(後の判断をするのは陛下だ。俺は見たままを言えばいい)


 ベラスケスは半ば、投げやりに状況説明をしていき、最後にこう結んだ。


「マグノ砦を落とせと言えば落とします。しかし、この第二軍が失われたとき、第一軍をほぼ失ってしまった今となっては、帝都までこの魔物軍を抑える兵力がなくなってしまいます。陛下の御聖断を仰ぎたく筆を執りました」


「殿下、このまま書くのですか?」


「ああ、そのまま書けばいい。余が署名だけしよう」


「少しお時間を」


 祐筆ではないローデスにとって、そう手際よく書き上げられるものではない。しかも皇帝に宛てた手紙だ。額に汗しながら、必死に字をつづって行く。


 書き上がるまでの間、ベラスケスは衛兵の一人に命じてライナスを天幕に呼び寄せることにした。



 ◇



「ライナス、往復丸一日、いや今からなら帰って来るのは明日になるか。いずれにしても、これを至急陛下に届けてほしい。今から行けば、今晩遅くには陛下にお目通りが叶うであろう。帝都で一泊して、明朝、向こうを発て。昼過ぎには陛下の命を持って帰れるか?」


「……それは、恐れながら、陛下のご判断の速さ次第かと」


「それでよい。行け」


「はっ」


 ライナスが天幕を退出すると、ベラスケスはローデスにジンを呼んでくるように命じた。


「いいか、周りの者は要らない。ジンだけを呼んでくるのだ」


「かしこまりました。少々お待ちを」


 ローデスも退出した。


 ベラスケスが考えていたこと。それは、敵が実際のところ一体何なのかは分からない。


 少なくとも分かっていること、それは敵が、何者か、あるいは何者たちか、の意志によって動いていることだ。マグノ砦に籠る魔物や元第一軍の兵士たちを倒しても、解決にならないような気がしていた。


 根元の〈意志〉を断たない限り、この戦いは終わらない。ならば、ジンを急ぎ北に向かわせなければならない。ここに引き止めるのが自分であってはならないと思い始めていた。


 今の計画ではマグノ砦を抜いて、そこから北進。北海の沿岸都市スプールを魔物から解放して、そこから更に北海沿岸を東進してメドゥリンに行かなければならない。


 つまり前提となっているのが、魔物たち、いや、今や敵側に着いた人間たちも敵の一部になるだろう。そんな敵を排しつつこのコースを回って行くことだ。


 これでは夏にメドゥリンに到着できるか、と言えば、戦況次第、となってしまう。


(ジンをこの軍団に組み込んだのはそもそもの俺の間違いだったのかもしれん)


「殿下、まかり越しました」


 ジンが来た。


「ジン、この砦がすぐに抜けるかどうかわからなくなってきた。お前たちは一度ゲトバールに帰れ。春になってから、そこから中部街道を通って直接北に向かうんだ。そうすれば夏が来る前にはメドゥリンに着くはずだ」


「殿下?」


「お前も知っておろう。敵は魔物だけではない。第一軍の兵士や鉄砲持ちもいる。今、陛下にお伺いを立てているところだが、第二軍を失えば帝国はお終いだ。この軍団をむやみやたらに損失できなくなったのだ。マグノ砦を今すぐには落とせない。だとすれば、答えは自ずから決まって来よう?」


 ここに来て大幅な計画変更にジンは何も考えられなくなってしまった。だとしたら、そもそもなぜ自分たちは第二軍に帯同して西進したというのだ。最初からゲトバールで春まで待って、直接北進すればよかった話だ。しかし、ジンはそうとは口にしなかった。


「殿下、このおはなし、少し持ち帰って考えてもよろしいでしょうか?」


「ああ。なに、時間がないのはお前たちであって、余や第二軍ではない。余たちは今のところ、ここで防衛線を張って、マグノ砦と睨み合う他、何も出来ないのだからな。皆とよく話せ」


「ありがとうございます」


 ジンは退出しようと(きびす)を回した。


「ああ、ジン、待て」


 ベラスケスがそれを止めた。


「ジン、余はこれで陛下の裁可を、ライナスが持って帰って来るのを待つしかなくなった。何もすることがない。ジン、お前も自分の天幕に戻ってこの話を相談するぐらいしかやることはないのだろう?」


「はい、まあ、そうですが」


「なら、少し余と付き合え。出会いは最悪な形であったが、ジン、お前は余が信頼できる数少ない男の一人だ。すこし酒に付き合え」


「……光栄に存じます」


 正直、一度ゲトバールに戻れと言ったベラスケスの言葉がまだ頭を巡っていて、ジンはすぐにでもノーラやナッシュマン、それにファウラーと相談したいと考えていたのだが、ラスター帝国第二王子、いや、今や第一王子、つまり次期皇帝に『酒に付き合え』と言われて断れる者などいようか。ジンも例外ではなかった。


「まあ、そう、(いぶか)しがるな」


「なんだか恐ろしゅうございます。殿下」


「ははは。……ジンよ。お前が思うほど、この皇族と言う人種は浮世離れしているのではないぞ。特に帝国は実力主義の国家だ。余などは俗人よりむしろ俗人に近いかもしれん。余はな、剣術では結構な出来損ないでな。よく爺や……ガルナーに叩きのめされたものだ。その時、いつも兄上がこっそり優しく『ベル、次はこうやって見ろ』とか言いながら、慰めてくれた。どうだ? 普通の兄弟愛であろう?」


 そう言いながら、ベラスケスの目は充血している。人前で涙は流さないが、家族を思う気持ちは街の人と変わらないのだろうか。


 ジンはふと遠くの妹を思い出したが、口には出さず、衛兵によって、杯になみなみと注がれたワインを掲げた。


「殿下のお優しいお兄様に」


「兄上に」


 二人はそう言って献杯した。


「余はな、皇帝などになりたくない。もう覆せない運命となってしまったが、本当は冒険者になって南のアンダロスや、魔の森を超えて西のアスカに行ってみたかった。……ジン、せめてアンダロスの話をしてくれ」


「拙者が話せるのは拙者が見た物だけです。大したことはございません」


「それでもだ。話せ」


「グプタ村、という辺境の村をご存じでしょうか?」


「聞いたこともない。有名な村か?」


「いいえ。拙者がそこにたどり着いたときの村の人口はせいぜい二十人ほど。働き手も少なく、貧しい村でしたが、それが拙者が初めて出会ったこの世界の人々でした」


「ほう。それまでは一人だったのか?」


「いいえ、殿下にも一度お話したことがあると思いますが、ニケと一緒に暮らしておりました」


 ジンはニケの小屋でのこと、グプタ村で起こった野盗の襲撃のこと、グプタ村脱出のことなどを話した。


「殿下。拙者は正直、この世界は地獄なのではないかと思いました」


「ああ、この世界は地獄だ」


「いいえ、拙者は今、過去形で言いました。今はそうは思っておりません」


「ん?」


「ノーラの存在が大きかったです。それに魔物を防ぐウォデルやパディーヤの街の領主様たち、それに従って必死に戦う兵士に出会ったからです。そして拙者にとって殿下もその内の一人です」


「なんだ、戦のことは水に流してくれるのか?」


「あれですら、殿下は帝国の食糧安保のためやむなく行ったことなんだろうと拙者は理解しています。守るべき者を守る、騎士道がこのイスタニアにはまだ生きています」


「ジン、ありがとう。そう言ってもらえるだけで、余は戦ってきたかいがあった。帝国の嗣子(しし)というのはな、基本的にはその半生をひたすら戦に費やすことになっている。それが帝国の強さでもあるし、帝国がどうしても好戦的な国家になる原因でもある。余はな……」


 ベラスケスは言いかけてやめた。この話をすればジンに弱みを見せることになると思ったからだ。


「殿下、お話辛い話を他国人である拙者に話す必要はございません」


「……いや、いい。余は、余や帝国の臣民皆がエルロッドの民とやらになれば、戦のない世の中になる、と聞いたとき、一瞬、それが希望のように感じてしまったのだ」


「殿下でも戦はお辛いのですか?」


「戦が辛くない者がおれば教えてほしい。余は、焦土作戦でオーサーク郊外の村々を焼いた。無辜の民たちの泣き叫ぶ顔が忘れられん。そして、兄を失い、アティエンザを失い、多くの兵を失った」


「そんなことが起きない世の中が理想だとすれば、エルロッドの民になるのも選択肢の一つだ。殿下はそうお感じになっているということですか?」


「ああ。だが、そう考えたのは一瞬だ。ジン、人の人たる所以(ゆえん)とはなんだ?」


 すぐに答えを見いだせないジンは、杯に残ったワインを煽った。


「何でしょうね、殿下。……人と人の結合、ではないでしょうか?」


「人と人の結合、か。それで行くなら究極の結合がエルロッドの民になることではないか?」


「確かにその通りと拙者も思います。でも、あれは結合ではありません。あれは同化。……自己を失い、集合体の意志か、あるいは神のように全体を操る意志かは分かりませんが、そんな意志との同化に思えます。個を保った人間として、別の個と結合する。それが人と人の結合だと考えます。個のなくなった者。それは人なのでしょうか? 人でないものが結びついても結合とはいいがたいと拙者は思います」


「そうだな。……『個であり全だ』などとは詭弁だ。個のない者たちがただ一つの意志を持っているにすぎん。『これが新しい世界の人間だ。その一部となれ。そうすれば戦はなくなる!』そう言われれば、それもそうだろう、とも思う。だが、余は答えよう。『そんなものはまっぴらごめんだ』とな」


「人であることを辞めてまで、平和や平穏を求めるより、時に結び付き、時に猛々しくも醜い殺し合いをする人であることを選ぶ。殿下はそうおっしゃりたいのですか?」


「ジン、お前はなかなか考えを纏めるのがうまいではないか。そうだ。戦は嫌だ。だからと言って人以外の存在になりたいとは思わない」


「ならば、それは拙者も同じです。醜い人間のままでありたいと思います。そのために、殿下、エルロッドの民を討ち果たしましょう」


 ベラスケスは衛兵がワインを注ごうとしたのを手で制して、手酌でワインを自分とジンの杯になみなみと注いで、ジンの顔を見た。


「ああ、そうだな。……と、言いたいところだが、どうやら地竜まで砦に控えているとするならそうもいかんようだ。だから、ジン、さっきも言ったが余と余の軍をここに置いて、先に行け。アスカに。そして、この〈意志〉の在処を見つけるのだ」


「殿下は拙者たちの助けはもう必要ないのですか?」


 ジンは自分たちが集団として戦力になる自信があった。それがもういらないと言っているようにも聞こえたのだ。


(うつ)けが、逆だ! お前の運命に余の助けが要るのだ。今の状況を考えてみろ。余の第二軍はここマグノ砦に敵を釘付けにする以上の働きが出来ない。根本解決とは程遠い。だからこそ、お前たちに行かせるのではないか!」


「殿下、殿下の御期待は誇りに思います。ですが、正直に申しまして、アスカに何があるかなど拙者には分かりません。何の確証もない話なのです」


「ふん! それについては余は何の心配もしておらん。お前はそういう運命の元におるのだ。お前の意図がどうであろうが、お前たちは勝手にそういう渦に巻き込まれていくだろう。要するにな、ジン、余が言っているのは、余が欲をかいてお前を余の元に留めたのがこの失態の原因だ。ただ、お前たちを前に進めてやればよかった。余は今となってはそう後悔しておるのだ」


「殿下……」


「明日、マグノ砦に何の動きもなければ、ゲトバールに帰れ。帰って、春まで待て。なに、もう三、四十日もすれば雪が解け始める。それを見計らって北に向かえばよい」



 ◇



 日が明けた。第二軍はマグノ砦を前に動かない。動けなくなった、と言う方が正確だろう。三十万の常備軍は対魔物戦に各地に散っていて、今、どうなっているかも定かではない。連絡の途絶えた軍が多い。ゲトバール周辺ではこの第二軍しか健在な軍はなかった。帝国はこれを失えなかった。


 昼頃になって、皇帝の正式な命が達せられた。


 曰く『マグノ砦に敵を釘付けにして待機。兵を失ってはならない』

 皇帝の意志はベラスケスの予想通りだった。


「アティエンザ……、いや、ローデス、ジンたち一行、全員を集めてくれ」


「はっ」


 ベラスケスは思わず今はいない自分の副官の名を口にしてしまった。習慣と言うものは一朝一夕では改められない。ベラスケスはいかに自分がこの副官たちに頼ってきていたかを思い知らされた。


(アティエンザの後任も考えなければな。ローデスに負担が行き過ぎる)


「ジン殿たちが参りました」


「外は寒い。すぐに天幕に入るように言え」


 ローデスは天幕の外に揃ったジンたちを招き入れた。


「ジン、昨晩の余の話をおぼえておろうな」


「はい、殿下、もちろんです」


「余の予想通りとなった。第二軍はここから動かない。お前たちだけでメドゥリンに行くのだ。メルカドは連れて行け。余が出来る最大のこととして、まだ用意はできておらんが、余の手紙を持たせよう。帝都に着けばその手紙を渡すとよい。万事、出発の準備が整うはずだ」


「殿下、ありがとうございます」


「なに、感謝をするのはこちらだ。旅の準備などは些細な問題だ。まあ、現状、その程度しか余に出来ることがない、というのも事実だが」


「それでも、心強く感じます。殿下、どうかご無事で。メルカド殿に時々報告に飛んでもらいます」


「ああ、そうしてくれ」



 ◇



 ジンの気持ちは前に向いていたが、この第二軍の行く末も心配ではあった。


 ウォデルのミルザ伯爵軍、この帝国第二軍、オーサークのスカリオン公国軍、これらの軍が人類最後の砦とも呼べる状況になっていた。


(もし、第二軍が負ければ、帝都ゲトバールに魔物たちは攻めてくるだろう。ゲトバールの人々がエルロッドの民に同化された場合、イスタニアは終わる)


 ジンはかと言って、自分たちがこの第二軍に残ったとしても、大きく戦況に影響を与えるとも思えなかった。


(俺たちは俺たちのできることをやるしかない……か)


 後ろ髪を引かれる思いを持ちながら、ジンたちは第二軍の陣を後に、東へ、元来た道をゲトバールに向かって歩き始めた。


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