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147. エルロッドの民

 マグノ砦は帝国が対魔物用に建設した強固な砦だった。砦の西、魔の森のほとりの森に面して建っている。


 しかし、今、砦を守るのは人間ではなく魔物たちだった。西からの敵に備えるのではなく、東から迫る第二軍に相対していた。


「メルカド、頼めるか?」


 ベラスケスが短くそうメルカドに言うと、竜騎士はすぐに砦に向かって飛んで行った。



 ◇



「殿下、砦は第一軍の鉄砲隊によって守られています。あまり近づけませんでした。しかし、空の魔物たちもいつでも出撃できるように砦内で多数待機していることまでは確認できました。地上戦力はトロルもかなりいるようです。……あと、信じられないようなものも見ました」


「なんだ?」


「……いいえ、その、見間違いかもしれません」


「いい。言え」


「……地上待機する大型のワイバーンを見間違えた可能性が高いです」


「二度も言わせるな、メルカド! 言え!」


「はっ! ……竜です。ワイバーンではない竜。伝説上の地竜と呼ばれる翼のない竜に見えました」


 それを見た当人が見間違えの可能性を否定できないとして、言い淀んでいたのを無理やり言わせたこともあって、ベラスケスは『馬鹿を言うな』と言いそうになってその言葉を飲み込んだ。


「……確かか?」


「いいえ、殿下、申し上げた通り、大型のワイバーンを見間違えただけの可能性もあります。もう少し近づけば確認できるのですが……あれ以上は接近できませんでした」


(ガーゴイルがすでに現れているのだ。伝説上の他の魔物が現れたって不思議ではない。しかし、よりによって地竜などと……)


 地竜。伝え聞くところによれば、それが吐く炎は遠く二〇〇ミノルまでの敵をことごとく消し炭に変える。硬い鱗は剣を寄せ付けず、矢は目や口の中など鱗がないところに命中させないことには何らダメージを与えることができない。


(だが、今は鉄砲がある。矢は通らなくとも、鉄砲なら)


 ベラスケスの考えは希望観測にすぎない。


「うむ。分かった、メルカド。しばし、休め」


「はっ」


 メルカドが退出すると、ローデスに対して、話し始めた。


「やはり、兄上と一部の第一軍の兵は魔物たちと合流したか」


「残念ながら、そのようです」


「いや、残念ではない。むしろ安心した。つまり奴らはもう人であることを止めた、ということだ。なら、我らもそのように扱ってやろうではないか」


「殿下、それはそうとして、やはりマグノ砦は強固です。落とすとなればかなりの犠牲が必要です」


「分かっておる。しかし、マグノ砦奪還はこの第二軍の第一目標だ。『強固なのでやめました』では、陛下に申し開きが立たんだろう」


「し、しかし、殿下、今の話では……」


 そう話すローデスを護衛兵の声が遮った。


「殿下、ローデス様、申し訳ありませんが、火急の要件です!」 


「なんだ!?」


 ローデスも思わず声を荒げてしまった。この重要な話を遮るほどのことがあるとは思えなかったのだ。


「ローデス様、シャイファー殿下と護衛の兵二名がこちらに来ると、マグノ砦からの軍使が伝えに参りました!」


「誠か! あ、兄上が!?」



 ◇



 報告は確かだった。


 マグノ砦から出てきた三騎の影が遠くに見える。この距離ではそれが確かにシャイファーであるかどうかは確認のしようがなかったが、ベラスケスは周囲を護衛で固めたうえで、天幕の外に出て到着を待った。


 距離が一〇〇ミノルを割ると、ベラスケスの目にもそれがシャイファーであることが見て取れるようになった。


(あれは姿かたちのみならず、本当に、本物の兄上なのではないか……)


 ベラスケスに希望が湧いてきた。ベラスケスが思いつきもしないような何らかの理由と手段で魔物たちを糾合し、地獄に落とす、そんな策を兄は考えているのかもしれない。そうでなければ、敵とみなす自分たちの陣に護衛をたった二人だけをともなって来るなど自殺行為だ。良くて捕まる、悪くて殺される、そう判断してしかるべきだ。なのに、彼らはここに向かっている。


(兄上が、生きている!)


 ベラスケスの希望はさらに膨らんだ。


 そして、今、懐かしい顔がベラスケスの前にまで来た。


「久しいな、ベル」


「兄上! これはいったい!?」


「今日はな、お前を説得にやって来た」


「説得、ですか?」


「シャイファー殿下! それ以上、ベラスケス殿下にお近づきになられないように!」


 老騎士ガルナーがベラスケスの前に立った。


「ガルナー、案じるではない。余はシャイファーだ」


「しかし!」


「ベルよ、もう、この無益な戦いをやめるのだ。我々はそれを説得に来た」


「我々?」


 ベラスケスはシャイファーの口調が以前の自分の兄そのものであることに安心したが、同時に『我々』という言葉で急に不安になった。


「ああ、我々は全であり個だ。全く新しい存在になった。ベルもその一部なればわかる。もはや国など意味がない。すべての存在が一つになるのだ。そこには諍いも生まれようがない」


「兄上、いったい何の話をしているのですか?」


「全であり個……余の言う意味が分からぬか?」


「分かりませぬ!」


「余はお前たちが殺したあのサグバードという男でもあったし、お前が抱えているジンと言う男に北部穀倉地帯で殺された動物たちでもあったのだ。その思考と記憶を共有しつつ、私シャイファーという個を保っているのだ」


「しかし、兄上、兄上が本当に兄上であれば、アティエンザを殺したりはしなかったはずです!」


「アティエンザ……アティエンザ……ああ、あの男か。確かに殺したな。余はそれを覚えておるぞ。だが、アティエンザが死んだとて、全としては影響はない。ベル、余はお前に殺されてもお前を恨んだりはしない。余は全の中で生き続けるのだ」


「意味が分かりません。アティエンザの死に、兄上はもう何も感じないのですか!?」


「いや、理解するぞ。個が失われた寂しさ、悲しさ、を。だが、ベルよ、そんな寂しさを、お前はもう感じることはなくなるだろう。余や、全てのエルロッドの民と同一になれば」


「エルロッドの民? ……いや、もういい。お前は兄上なんかではない。兄上の身体を乗っ取った敵だ!」


「落ち着け、ベル。余はお前の兄だ。覚えておろう。お前が母上にプレゼントするのだと言って、庭の花をすべて刈り取ってしまって母上を大いに怒らせたことを。お前は母上に叱られたことより、母上を悲しませたことを嘆いていた。余はそれを好ましい事と感じたのだ」


「余と母上との思い出を汚すのではない。バケモノ。なぜそれを好ましい事と感じたのか、お前にはそれはもうわからないのだろ?」


「ベル、お前を愛称で呼べる余がお前の兄でなくて何だというのだ? 母上が嘆いたことをおぼえておるここにいる人間がお前の兄でなくて何だというのだ?」


「……口調まで兄のまんまだな。もう一度聞く。なぜお前はそれを好ましい事と思ったのだ?」


「ベル、お前を愛称で呼べる余がお前の兄でなくて何だというのだ? 母上が嘆いたことをおぼえておるここにいる人間がお前の兄でなくて何だというのだ?」


 一字一句異なることなくシャイファーはそう繰り返した。その不気味さにベラスケスの皮膚は泡立った。


「もう良い」


 そう言って、ベラスケスが腰の剣に手をかけたその瞬間、ガルナーは剣を抜くや否や、シャイファーの首を跳ね飛ばした。


「ガ、ガルナー!」


 ベラスケスがガルナーがまさかシャイファーを殺してしまうとは考えてもみなかった。敵だと断定しつつも、まだどこかに迷いがあったのだ。


 首を跳ね飛ばされたシャイファーがどさりと前のめりに倒れた時、シャイファーが連れてきた護衛の兵の一人が、まるで、彼がシャイファーであるかのように声を上げた。


「ベル! お前は相変わらずむちゃくちゃだな!」


「死んだことも気づかぬ有様か」


 ベラスケスは地に横たわる、首のない自分に兄に向かってそう言った。


「ああ、これはしくじったな。お前には少し刺激が強すぎたか」


 自分の兄に全く似てもいない、シャイファーの護衛の話す口調はシャイファーその人だった。


「やめろっ!」


「ベル、言ったではないか。余は死なん。ただ、お前が慣れしたんだ、お前と血を分けたその躰はもうおしまいだがな。なあ、ベル、考えるのだ。この世界の民、動物、魔物、そこを隔てる垣根はすべてなくなる。全であり個、個であり全たる存在、エルロッドの民と同化するのだ」


 ガルナーは無言でその兵の首を飛ばしてしまった。


「ベル、よせ。止めるん……」


 最後に残ったシャイファーの衛兵が、シャイファーの口調で話し始めるや否や、ベラスケスは抜剣して、衛兵の首に深々とそれを突き入れた。


「もう、しゃべるな」


 ベラスケスはそう言うと、剣を鞘に収め、マントを翻して自分の天幕に戻りながら、兵たちに命じた。


「遺体を焼いておけ。あの白い生き物がまた出て来るやも知れんから、気を付けろ」


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