141. 帝都ゲトバール
ゲトバールの大きさは他のどの街とも例えようもなかった。船は波止場に進んで行くが、いったいどの波止場に停泊することになるのか分からないほどの無数の波止場がある。巨大な港の向こうに、巨大な街が見える。ゲトバール湾と言われる半月状の陸のへこみがある。湾と言うには陸に囲まれている感じでもないが、一応その名がある。その湾がびっしり波止場になるほどの巨大な港だった。
当然、船がどの波止場に着くべきかなどと迷うことはなかった。指定の波止場があって、船は無事にそこに停泊した。
一行は久しぶりの陸地、しかもイスタニア最大の都市に降り立つ興奮をこらえきれずにいた。
「ジン! 着いたよ!」
ニケが第一声を発した。
「ああ、やっと陸に上がれるな」
ジンがそう応えると、カルデナスが横槍を入れた。
「そうか? 俺なんかはずっと船でもいいんだがな……」
カルデナスがそう言った時、突然ジンがしゃがんだ。
「カルデナス殿! みんな! 身をかがめて!」
下船を始めようかと動き始めた皆も、何が何だか分からないが、一応ジンの言葉に従った。
「どういうことだ? ジン?」
ナッシュマンが怪訝そうにそう訊いた。
甲板上の舷側の影にしゃがみ込んでジンとナッシュマンは話し始めた。
「王子が……、ベラスケス殿下がおられます」
「お、王族が港に来ているのか?」
「はい、俺は面が割れておりますので、掴まると不味いです」
「どう、不味い?」
「まず、城に連れて行かれます」
「ふむ、それで?」
「仕事をさせられます」
そう、ジンはナッシュマンに答えたが、ナッシュマンの視線はしゃがみこむジンの背後に立つ人物に向いていた。
「よくわかっているではないか、ジン。久しいのう」
ベラスケスはジンが隠れる舷側にまで上がってきていた。
「で、殿下! なぜ、船にまで!?」
「当たり前ではないか。帝国の命運を握る今回の積み荷が無事についたかどうか、それを確認する。皇族でありながら、将軍である余がやらずして誰がやる?」
「お、おっしゃるとおりにございます」
「紹介せよ」
「ジンです」
「お前ではない! 未だに舷側に隠れておるお前の連れの話だ」
そうして、ようやくジン一行が立ち上がり、ジンは皆の紹介を終えた。
「しかしな、ジン、余はがっかりだ」
「と、おっしゃられますと?」
「お前が余に見つからぬようにメドゥリンまで行けると思ったことだ。お間の浅はかな見識にがっかりしておる。何の為にメルカドを付けていると思っている?」
「……おっしゃる通りにございます」
考えてみれば当たり前のことだった。ジン一行の動きはこの皇子に筒抜けだった。
「ジン殿~!」
メルカドもこっちに走って来た。
「メルカド殿、ようやく合流出来ましたな」
「ええ、殿下も引き続き、ジン殿に合力せよとの仰せですので、引き続き、宜しくお願い致します」
「と、いうわけだから、メルカドを頼んだぞ。あと、積み荷の搬入が終われば余も城に戻る。城で待っておるぞ」
「お、お城ですか?」
「他のどこで晩さん会をするというのだ? 皆は余の客である。そうだな、まだ時間がある。昼後六つ、城門の衛兵には伝えておくので、来るのだ。待っておるからな」
◇
「オーサークの勇者諸君、よくぞゲトバールに参られた。余は歓迎する!」
別に全員がオーサーク出身というわけではない。それどころかオーサーク出身者はこの中に一人もいない。しかしそれをだれ一人としてわざわざ否定しようとも思わなかった。
「お招きに預かり、恐悦至極にございます」
ノーラが代表して返礼した。
「うむ。皆、硬くなる必要はないぞ。ここにいるのはだいたい実務方の余の気心の知れた連中だ」
そのタイミングで、配膳が始まった。港町だけあって、海の幸がメインの豪華な料理の数々だった。
「帝国としての心づくしだ。それにいろんな掛け違いもあって戦になったことも余は今となっては詫びたいと思っている」
ここにインゴがいれば、こんな軽い詫びに対しては激怒していたことだろう。
「殿下、先ほど、オーサークの勇者、とおっしゃられましたが、ここにはオーサーク出身の者はだれ一人おりませぬ。この少年と少女、リアとエノクと申しますが、この二人だけがアンダロス王国出身のスカリオン公国臣民です。我々は殿下の謝罪の対象としてはふさわしくありません」
「そうか、まあ、なら良い。ただ、ジンとは戦場で戦った関係だからな。余がジンたちをオーサークの者たちと見ることに不思議はあるまい?」
「確かにその通りにございます」
「うむ。メルカドから大方訊いておるが、この帝国への入国の目的を述べよ」
「それは、私から」
ノーラが口を開いた。
「ノーラ、だったな? 構わぬ。述べよ」
「はい。我々は北部穀倉地帯の守りの要であるウォデルで魔物の組織的な攻撃に会いました。それで……」
「待て。魔物はずっと組織的であったぞ」
「いえ、そう言うことではなく、陣形を用いてきたのです。ただ、食欲に任せて人を襲うのではなく、人から逃げたり固まったり、陣形を変化して突撃をしてきたり、とまるで人間の軍隊と戦うかのような戦闘がウォデルでありました」
「やはりか。ここ帝国ではそれほど明瞭には分からなかったが、敵の意図を感じることが多かった。ウォデルではすでにそうなっていたのでな」
「はい。それでジンたちはその意図の出元を探ろうと考えたのです。それはジン自身が異世界の出身であることも関係しております」
「待て待て。バカバカしい話をあたかも真実のように話すな。余もジンを見た時、帝国の伝承になぞらえて見たこともあった。だが、そんなことがあり得る確証はどこにもないのだぞ!?」
「ジン自身も、そんな確証は持てないとは疑っております。しかし、ジンは自分の国がこの世界のどこにあるのか分からないのです。そして、ジンの世界ではイスタニアなどと言う大陸は存在しなかったと言っています。……そうだな? ジン」
「ああ、イスタニアなどという大陸はなかった。しかし、俺は今そこにいる。……殿下、何かこれに合理的な説明は出来るでしょうか?」
「ジン、この世界には未発見の大陸などいくらでもあるだろう」
「私の国のあった世界では、数百年前には偉大な冒険家たちが、世界の海を制覇して、すべての大陸の存在が明らかになっておりました。その中に、イスタニアなどという大陸はありませんでした」
「では、航海技術はイスタニアより上だった、と言うことか……いや、話が逸れた。うむ。分かった。話を戻せ」
そう、話を振られて、ノーラがまた話し始めた。
「はい。意図、の話です。明確な意図が魔物たちの攻撃に見えるようになってきました。それは殿下もご存じのことだと思料いたします。その意図の根元を断つ。これしかこの世界を救う術はない、と我々は考えたのです」
「……なんとも、いや、皇族たる余が言うべき言葉ではないのは分かっておる。しかし……余は……」
「殿下、それ以上は」
副官のアティエンザがすぐにベラスケスを遮った。ジンたちはベラスケスが言い淀んだ内容を察することもできなかったが、アティエンザはすぐにそれが分かった。ベラスケスはジンらと共にその目的に向かって、一緒に旅をしたいとすら思ってしまったのだ。
「……うむ。すまない。皇族としてできないことも多いが、出来ることも多い。ひとつ、余が約束しよう。帝国は余の目が届く限り、そなたらの後押しをしようぞ」
「殿下、ありがとうございます!」
ジンは訳が分からないが、協力してくれるというのであれば、断る理由はどこにもない。ただ、頭を下げた。
「ジン、お前にはいつか言ったはずだ。お前は余の力になる、と」
「はい? いえ、今殿下がおっしゃられているのは逆です。殿下が我々のために融通を聞かせてくれると……」
「ジン、お前は虚けか? お前のメドゥリンまでの道のりには何が立ちはだかる? 帝国の兵か?」
「いえ、魔物にございます」
「で、お前はその魔物たちをどうするのだ?」
「当然、斬って捨てます」
「帝国の敵はなんだ?」
「現状、魔物にございます」
「な、もうこれ以上の説明は要らんだろう。余はお前たちに期待しておるのだ」
◇
ジンたちは三日ほど城に滞在することになった。
それはベラスケスが〈北征軍〉と称する軍へ、ジンたちの乗った船で、オーサークから持ち込んだばかりのモレノ式三千丁、旧式先込め銃二千丁の配備と軍編成に最低二、三日は必要ということで、城に留め置かれたからだ。
「殿下、我々だけでも先に行かせてはもらえぬでしょうか?」
ジンは一度ベラスケスに訊いてみた。
「ジン、お前は本当に帝国の置かれている状況を理解していない。お前たち十二人、いや、メルカドも入れれば十三人か、それだけでこのゲトバールを出ようものなら、まあ、持って一週間、二、三日の後は全員が屍を野にさらすことになる。なあ、ジン、どうせ急ぐ旅ではないのだろう? 夏になる前にメドゥリンに着けばいいのだ。お前は黙って余の指揮下に入れ。魔物を倒すのに余の指揮下か、自分たちだけでやるのか、その違いに何の意味もない事はお前だってわかるはずだ」
「まあ、その、……御意にございます」
「ああ、ジン、要するにお前たちは体がなまってたまらないのであろう。余もその辺りは考えた。兵舎前の練習所に行こう。余も視察しようと思っておったところだ。お前の余ったエネルギーなど一瞬で吹き飛ぶはずだ」
◇
練習所では、新たに編成された銃騎兵隊が突撃訓練を行っていた。
「弾は無駄にできないぞー! 殿下ー! 見ていてください!」
「おう! 爺や! オーサークからの客たちにも銃騎兵隊の動きを見せてやれ!」
「かしこまりましたー! 皆、聞いたであろう! 殿下の御前、お客様の前、恥ずかしい働きをするのではないぞ。……かかれ!」
爺やと呼ばれた老騎士が命じた。すると、モレノ式突撃銃、つまり銃身が三分の二の長さの元込め銃を持った騎兵隊が敵魔物の役を演ずる兵たちに発砲を始めた。
「……なんということを! これでは、あの者たちが!」
ナッシュマンは驚いた。帝国では身分の低いものを訓練の標的にする。こんなことが許されるのか! と。
「老騎士殿、よく見ろ。標的の兵どもは綱を腰に結わえて、走っているだけだ。綱の先に標的があるだろう」
「し、しかし、殿下、ああも入り乱れて走っておれば、誤射により負傷する者がいても不思議ではありません!」
「まあ、それはないとはいえん。しかし、兵とは国を守るために命を懸ける存在だ。標的を演ずることで、実際に魔物と遭遇した際により多くの魔物を倒せるとするならば、そのことによって自分や自分の家族がより長く生き永らえる。訓練も命がけなのだ」
しかしよく見ると、騎兵たちは水平射撃は行っていない。射線が下向きなのだ。標的は直径一ミノルほどの干し草を固めてできた玉のような物で、それを三ミノルほどの長さの綱で結び、標的を演じる兵たちの腰に結わえて引っ張りまわしている。そのため、銃騎兵の射線は標的の兵の腰より高くはならない。万が一、弾が標的役の兵に当たったとしてもすぐにポーションで治療できる怪我しかしない。
「確かに、ここまで実戦的でないといざという時には動く標的を捕らえられませんからな。このナッシュマンにも理解できました」
「……だが、やはり、連度はまだまだだな。爺や! ちょっと来てくれ」
ベラスケスがそう大声で呼ぶと爺やと呼ばれた老騎士がベラスケスとジンたちが居並ぶ場所にやって来た。
「爺やはな、余の武術の師匠だ」
ベラスケスがそう簡単に老騎士をジンたちに紹介した。
「ガルナーと申す」
老騎士はそう自ら名乗った。ガルナーの正面にはナッシュマンが立っている。
二人の老騎士はなぜか不思議なライバル心をお互い燃やしているようにも見えた。
「爺や、このジンたちも訓練に混ぜてやってくれ。体がなまって仕方がないそうだ」
「承知いたしました。殿下」
◇
三日間はあっという間に過ぎた。ジンは主にベラスケスと、ナッシュマンはガルナーと、ひたすら模擬戦に打ち込んだ。その間、ノーラ、リア、エノクは銃騎兵隊に混じって、銃騎兵突撃の訓練に明け暮れた。マルティナは一応一緒に練習所にいて、退屈そうにジンたちの模擬戦を見ていた。
その間、ファウラーと弓姉妹、それにカルデナスは三日三晩、街で飲み歩いていた。
「今から嫌でも戦うというのに、あの連中は異常だよ」
ファウラーがそう愚痴ると、ロッティが応じた。
「だね。うちらは最後の平和を楽しもう!」
そう言って、ロッティがエールの入った木製のジョッキを掲げるとスィニードとファウラーがそれに自分のジョッキをぶつけた。
「まあ、旦那たちは少しでもみんなが生き残れる可能性を上げようと必死なんじゃないか?」
カルデナスがそう言って、自分のジョッキからエールを煽った。
「まあ、分からんでもないがな。で、ニケとチャゴはどうしているんだ?」
ファウラーはそう言えば獣人たちの姿を見ないことに気が付いた。
「ニケは城でなんか薬品を作ってるよ。チャゴはその手伝いを頼まれてた」
カルデナスはチャゴは飲めないのは知っていたが、一応誘ってはみて断られていたのだった。
「ふーん。なんだか、俺たちだけに役立たず感が漂っている感じじゃないか」
ファウラーはまたそう愚痴た。
「気にすんなって、ファウラー。また役に立つときはいくらでもあるさ!」
ロッティがそう元気に言うと、ジョッキに残り少なくなったエールを平らげた。
◇
出撃の朝が来た。あくまでも客である十二人と一匹はベラスケスの本隊に加えられた。
横殴りの雪と、寒風が吹きすさぶ中、ゲトバールの巨大な城の前に広がる広大な閲兵広場に整列する二万の帝国兵。その前に、北征軍総司令官ベラスケス第二王子が演台の上に立った。
「待ちわびていた五千丁の鉄砲がついに我が軍に配備された! 敵、魔物たちはゲトバールに迫る勢いである。幸いにして、ここ、ゲトバールは港町であり、海路で食料を調達できていたが、これからは冬になる。食料の調達もままならない。帝国南部の農村を解放し、次の収穫期に収穫があげられなければ、多くの帝国臣民の餓死の危機すら待ち構えている。それを救うのは諸君ら、誉ある帝国兵である! 南部農村を魔物の脅威から解放し、敵を北西部に押し込むのだ!」
「「「「「「うううううーーーーーらああああああーーーーーーー」」」」」」
帝国式の歓呼の声が二万の兵たちから上がった。この寒さの中でも兵の士気は決して低くない。
それに続いて、閲兵広場に面する城のバルコニーに皇帝の姿が現れると、自然に万歳三唱が起こった。
「皇帝陛下ーーーーばんざーーい! ばんざーーい! ばんざーーい!」
「皇国の荒廃は諸君らの活躍にかかっておる! 出撃ーーー!」
最後にベラスケスがそう高らかに言うと、二万の兵たちが整然と動き始めた。