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140. ノーラの願い

 ジンの一閃は、まだ帆にたどり着かない急降下中のワイバーンに届いた。


 届いたが、一撃で倒すほどもなく、鱗を辛うじて突き破り、ワイバーンの血肉にダメージを与えたに過ぎなかった。


 しかし、ワイバーンの苦痛は、それが帆を破る目的を失うには十分すぎる攻撃だった。ワイバーンは宙でもんどりを打った。


 そもそも、なぜこうも的確にこの船のゲトバール到着を阻むように帆に対する攻撃を仕掛けているのか。ジンは一瞬その考えに気を取られそうになったが、目の前の敵を倒す方に集中すべく、会津兼定を握りなおした。


 その瞬間、ほぼ同時に発砲された五丁の鉄砲が見事に宙でもんどりを打つワイバーンに命中した。うち何発かが跳弾して、何発かが、内臓にめり込むと、ワイバーンはそのまま海面に落ちて行った。


「まだ、来るぞ!」


 ジンは宙を睨んで、他のワイバーンの動きに警戒した。


 ジンの警戒に反して、のこり二頭のワイバーンは帝国方面に飛び去って行った。


「ふう。まるでこの船のゲトバール到着を阻むかのような攻撃だった」


 ジンが呟くと、ノーラが応えた。


「ああ、ジン、やはり五千丁の鉄砲の存在まで敵は知っていて、意図的にこれを阻害してきたように思えるな」


「ノーラ、もはや疑いようもない。敵は人間だ。しかし、なぜ?」


「それは知りようもない。ただ、オーサークからの大量の武器の輸出を知っていた連中から何らかの形で情報を知り得た者、と言うことだけは分かった」


「……考えたくもない。だが、そうなのだろう」


「ああ、いやな状況になって来た」


「お嬢様、当面は大丈夫かと。この寒い中にいる必要はありません。船室に戻りましょう」


 ナッシュマンのひとことで、皆は甲板から船室に動き始めた。



 ◇



 船室に明りが灯った。この船には魔灯が備わっている。そんな魔灯の下に十二人と一匹が集まっていた。


「ねぇ、ジン、ゲトバールに着いたら何がしたい?」


 魔物との戦いの直後だというのに、妙に間の抜けた質問をニケがした。


「私はみんなでおいしいご飯!」


 ジンが答える前に、問われてもいないのに、マルティナがそう宣言した。


「俺はうまい酒が飲みたいかな」


 カルデナスはやはり(おか)に上がれば酒、となるのだろうか。


「あんまり考えてもみなかったな。確かにゲトバールはこれまで見たどの街より栄えているらしいからな…‥俺は、街で買い食いをして歩きながら食べたいかな」


「買い食いって。ジン、それ好きだよね」


 マルティナが突っ込んだ。


「ああ、ずいぶん前になるが、一度、ルッケルトの街でニケと街をぶらぶらしながら、露店の串焼きやなんかを食べながら歩いたことがあった。あれは楽しかった」


「うん、ジン、あれは楽しかったよね!」


「私も貴族とかいう要らぬ属性のせいで、そのような経験は一度もない。やってみたいぞ!」


 ノーラも目を輝かせた。


「お嬢様、それは多少、行儀が悪いかと」


「ナッシュマン、そなたは私のお目付け役で来たわけではなかろう?」


「確かにそうですが……うーん」


 やはり若かりし頃からノーラの教育係も兼ねていたナッシュマンには承服しかねる内容だった。


「ナッシュマン殿、拙者も会津にいたころはそんなことは絶対に出来ませんでした。町民の皆は普通にやっておりましたが、ブシ階級の私はいつも羨ましそうにそれを見ておりました。やってみると、楽しいもんです」


「うん、それをしよう!」


 目を輝かせて聞いていたエノクが元気に言った。エノクもグプタ村でそんな経験など出来たはずもなく、街に出てからと言うもの、お金の節約の意味もあって、兵舎で出る飯を食べるぐらいしかできなかったし、彼にとってはそれでも十分にありがたかった。


「ただ、もう、ゲトバールは暢気に歩き食べするには、ちょっと寒すぎるかもな」


 ジンがまた要らぬことを言って、この会話は終了した。


「……ジン、ひとつ私に誓ってほしいことがある」


「なんだか恐ろしいな。ノーラ、なんだ?」


「はは、そう怯えるな。いや、大した話ではない。……うん。そうだな、道中、今日の戦闘みたいなことが何度も起こるだろう。ファルハナやオーサークでもいろんなことが起きると思う。そしてその情報はゲトバールでメルカド殿と合流すれば、いやでも入ってくることになるだろう。それでも、ジンには前に進んでほしい。それを誓ってほしいのだ」


「前に進む?」


「ああ。もうファルハナにもオーサークにも戻ってほしくない。アスカへの道を進んでほしい、と言っているのだ。……ジン、ジンが戻れば何かしらの助けにはなるだろう。しかし、それは、言わば対症療法だ。根治にはつながらない。魔物をいくら倒そうが、本来的な解決には程遠いということだ。根源を断たなければ、この地獄は続く」


「地獄、か」


「ああ、元の形がもう分からなくなったような骸が、そこここに散らばる今の状態を地獄と呼ばずして何と呼ぶ。ジン、私はな、お主が好きだ」


 今更ながらの告白ではあったが、ジンは意表を突かれた。

 周りで聞いていた皆もそれは同じだった。


「の、のーら……」


「そう、驚くな。そんなことはお主は百も承知だっただろう。でも、私にはお主と結ばれて幸せに生きていくという未来像が全く見えない。まあ、しかし、それは、今のイスタニアにいるどんな男と女にも言えることだ。男と女が添い遂げることもできない世を、地獄と言うのだと思う」


「考えたこともなかった。ノーラ、でもお前の言うとおりだ。そんな世では、子も生まれても、その子を待つのは修羅の道だ。誰がそんな世に子を残そうと思うのか、ということぐらいは俺にもわかる」


「だから、ジン、根治が必要なのだ。私はそれをお主に期待しているんだ」


「ノーラ、言ってこなかったことがある。聞いてくれるか?」


「ああ、なんだ?」


「俺は何も特別な人間ではない。会津にいた時からそうだ。俺は……本当はそんな自信など、そんな、イスタニアを救うなどという自信など、微塵ももっていない。ただただ、ずっと、会津に帰りたかった。そのためには目の前にあることをこなすしかない、と、それをひたすらやって来たに過ぎないんだ」


「今も会津に帰りたいからお主は動いておるのか?」


「……今は、違う」


「どう、違う?」


「今は、ノーラ、お前を幸せにしたい。ニケやマルティナ、それにここにいるみんな、俺の手が届く範囲の人々のことしか考えられない」


 十人の外野が居る中でこの会話が成立していることこそ、驚くべき状況だ。皆、ただ、顔を赤らめて、俯いている。


「ジン、想像力を働かせてほしいんだ」


「想像力?」


「帝国にも、津波で失われた南アンダロスにも……私やニケ、マルティナ、リアたち……ジンが大切に思う人と大層変わらない人々が住んでいる、ってことだ」


「どういうことだ?」


「人は誰かの大切な人だ」


「みんなの大切な人を俺が守るのか?」


「……それは確かに難しいだろうな。だが、私にはお前がその存在に見える。だから、アスカに行くのはそのためなんだろう?」


「いや、ノーラ、アスカに行くのは俺と異世界の謎を解くためだ。大見えを切って世界を救う一助になれば、なんてことを言ったのは、不覚だった。正直、どう考えても俺にはそんな力はない」


「まあ、いい。ジン、お主が進む道に世界を救う道が横たわっていたとすれば、お前は迷わずその道を進む、それさえ分かっていればいい」


 ジンには返す言葉がなかった。


(イスタニアを救う? そんな大それたことが一介の武士である自分に出来るはずがないじゃないか)


 ジンは心の中でそう叫んだ。



 ◇



 日が明けた。吹雪のような雪は止み、幾分天気が穏やかになった。魔物と戦った昨日以外はほとんど外に出ることもなかった皆は、甲板に上がることにした。


 気温は低いが風は強くない。その上、朝日の暖かさを少し感じることが出来る。


「ジン、昨日の話」


 マルティナが急に話しかけてきた。


「ん? なんだ、マルティナ?」


「昨日の話。ノーラさんはすごく期待しているみたいだけど、ジンは気にする必要ないと思う」


「それは、どういうことだ?」


「うん。ジンはジンの思うとおりに動けばいいと思うんだよね。私はそんなジンを助けるために一緒に来たんだ。ジンが世界を救うのをこの目に! とか、そんなことは、ホント、考えてないんだよ。ただ、ジンは思うまま、やって行けばいいと思うよ。私はそれを助けてあげる」


「マ、マルティナ」


 幼い幼いと思っていたマルティナだったが、それはジンの考え違いだったのだろうか。


「ジン!」


 突然、甲板の上の、ジンやマルティナからは少し離れたところでチャゴと一緒に水面(みなも)を見ながらあーだこーだ言い合っていたニケがジンを呼んだ。


「ん? どうした、ニケ」


「ジンの髪の毛!」


「俺の髪の毛?」


「横に伸びてる……」


 ジンの元々剃髪だった髪はイスタニアに来てから長髪になっていた。

 が、その髪の毛のほんの数本ずつだけ横に伸びて、海の湿った冷気で固まって凍り付いていた。それはまるで耳の上から長い角が横に伸びている格好だ。


「まーるーてぃーなー」


 ジンはマルティナを見た。つい、さっき思っていたことは何だったのだろうか。あんな話をしながら、マルティナは微細な静電気を発する魔法を用いて、ジンの髪の毛を本人に気づかれないように横に引っ張って、凍るまで待っていたのだ。


「あは! ばれちゃった!」


「なんだそれ、ジン!」

「ジン殿、なかなかの新機軸の髪型ではないですか」

「うはは! ジンさん、それ、新しすぎます!」


 などと皆がからかう中、ジンとマルティナの追いかけっこが甲板中で繰り広げられた。



 ◇



 二日後、船で進む一行に巨大な港町、帝都ゲトバールが見えてきた。

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