14. 襲撃――前編
そんな日々が二十日も過ぎた、夜のことだった。
夜目の利くアシュレイが見張り櫓の上にいて、村の周囲を見張っていた。
アシュレイでなくとも、それは見えたであろう。暗闇で松明を掲げているのだから、遠くにあっては昼間より視認しやすい。
もしかしたら、新領主であるノオルズ公爵家の騎士団かもしれない。ようやく重い腰を上げて、野盗対策に乗り出してくれたのかもしれない。アシュレイはそう期待してしまった。しかし、そんな期待はしばらくすると完全に裏切られた。
近づいてくる集団が半ノルより近くなるとその姿がアシュレイには確認できるようになった。結果として、距離が半ノルになるまで、村に警告をできなかったという意味で、夜襲なのに松明を掲げるという愚行がむしろ野盗たちにとっては有利に働いた。
騎士団かもしれない、と疑ってしまったアシュレイはようやく櫓に取り付けられた鐘を鳴らした。
野盗から見ても村が近付いてきて、柵や櫓が見えてきた。
◇
野盗の一人が仲間に話しかけた。
「お、あいつら、なんかちょっと狡くなってねえか?」
「そうだな、なんだ、あいつら、柵を作ってるぜ」
馬防柵を視認できる距離に迫って、野盗たちはその存在を認識した。
「あんな柵で何ができるってんだ。おい、てめえら、仇だ。一挙に踏みつぶしてしまえ!」
野盗の一人がそう叫んだあと、急に下卑た表情になり声を落とすと「いや、若い女は殺すんじゃねーぞ」と付け加えた。
静寂の中、そんな男たちの会話ははっきりではなくともよく聞こえて、アシュレイは叫んだ。
「子供たちを中に! 戦闘員は前に!」
ジンはちょうど寝入ったところだった。ツツはアシュレイが鐘を鳴らす前に妙な気配を感じて、すでに起きていた。鐘が鳴ったことでジンもツツも敵襲を確信した。
「ツツ! 行くぞ!」
ツツはすぐにジンの前に来ると、野盗が向かってくる方向にうなり声をあげる。
「ツツ、ツツはニケと子供たち、それに老人たちを守るんだ」
そうツツに言い残すや否や、ジンは街道に接する馬防柵に駆けだした。
五人の戦闘員たち、アシュレイ、クオン夫妻、サミー、そして村長ラガバンがすぐにジンのもとに駆け付けた。
「いいか、みんなは柵の内側にいてここを守るんだ。俺は突出して柵の外でやつらをかく乱する」
屈強な農夫、サミーが反対した。
「ジン、それはいくらジンでもやばいよ!」
「いや、サミー、恐れていたことが起きている。まさか二十騎もいるとは思いもしなかった。戦力を分散させる。できれば、数騎でも俺が柵の外で葬る」
ジンは馬防柵の格子に体を突っ込み、柵の向こう側に出た。内側にいる五人に振り返り告げた。
「弓が使える子供たちにも弓を打たせろ! いいか、これに失敗したら皆殺しに遭うぞ! 今回のは略奪じゃない。明らかに前回の報復だ。村全員で立ち向かうんだ!」
松明を掲げながらこっちに向かってくる騎馬の一群。夜襲を狙っていたはずなのに、真っ暗闇で進むのが困難になり、結局松明を点けてしまったというなんとも間抜けな集団ではあるが、数が馬鹿にならない。
その二十騎に向かってジンは駆けて行った。
「お、サイをやったあいつじゃないか!」
「俺がやる!」
「サイの仇だ!」
松明を掲げ、そんなことを口にしながら、一番前にいた三騎が集団を離れてジンに向かって駆けだした。
「馬鹿が」
ジンはそう日本語で小さく呟いた。数的圧倒的有利を自ら捨てて、三騎のみ突出するという愚を勝手にやってくれているのだから、ジンにとってはありがたかったのだ。
三騎との距離が縮まると、ジンも三騎に向かって駆けだした。
一騎目の槍がジンに届く寸前にジンは低くスライディングしながら馬の脚を刀で横なぎにないだ。
両前足を一瞬で切断された馬が嘶き、前のめりに倒れて、馬上だった野盗が慣性に従って宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。
スライディングから起き上がると二騎目。突っ込んでくる馬を左に躱すと、目の前には三騎目が正面になった。
(まずい!)
一瞬、どう体を動かすべきか逡巡したジンだったが、思い切ってそのままさらに左側に転がった。
(一騎しか葬れていない。このまま柵に行かせられない)
そう考えて、ジンは自分をやり損ねて柵の方に向かって通り過ぎてしまった二騎を挑発した。
「お前たちの馬の扱いは実に下手だな。降りて、俺と勝負する方がうまくいくんじゃないか?」
「よっぽど死にてえらしいな」
「いや、うれしいねぇ。仇が面倒くさい柵の外に出てきてくれて」
あくまでもジンを倒す気でいることが分かってジンは安心した。
「来いよ!」
ジンは一喝したが、内心思っていた。
(いや、これはまずい!)
なぜなら、先に突出した二騎は問題ではない。反対側に、ジンの背後に、本体である十数騎がジンに向かって駆け始めたからだった。
二十騎のうち、ジンは一騎しか倒していない。すなわち、十九騎が今、ジンに向かって殺到していた。
「これは……詰んだか」
将棋好きジンは思わず呟いた。
もはや、開き直って本能のままに動くしかった。
「にーっ!」
そう叫びながら、野盗本隊である十七騎の先頭の馬を自分の右に躱しながら、その馬の額に刀をたたきつけた。
馬は嘶きもせず、ただもんどりを打って地面に倒れこむ。馬上の野盗がどうなったかなど見る暇もなく、槍を自分に向かって突き出してくる二騎目の槍の柄を左から叩いてそらし、大きく飛び上がった。
「さーん!」
飛び上がったあと、重力に従い、落ちながら、右から袈裟懸けに通り過ぎざまに馬上の野盗を一刀両断にした。
地面に着地すると、もうこれはどうしようもない。十数騎が固まりになってジンに殺到してきたのだ。
「うおおおおお!」
力の限り左に飛び、転がった。
受け身を取りながら立ち上がろうとしたところで、地面についていた左手を走り抜ける馬の蹄に踏まれてしまった。
(っ!!!)
ジンの左手は形がないほどに粉砕されてしまった。
(まずいっ!)
痛みをこらえながら、駆け抜けた野盗の騎馬隊を見ると、十騎ほどが柵に向かい、残り七騎が手綱を回してこっちに戻ってきていた。
(くそっ!)
右手一本で愛刀、〈会津兼定〉を構え、突進してくる七騎を迎え撃とうとするジン。
そこに物凄い速さで村の中からツツが駆けてきた。
◇
「ジーン! ポーション!」
柵の向こう、村の中からニケの声が聞こえた。
ツツが柵を飛び越えたあと、物凄い速さでこっちに向かって駆けてきていた。
そして、ツツの口には何かが咥えられているようだった。
ジンは叫んだ。
「ツツ!」
野盗集団の先頭が槍を振るってジンに襲い掛かってきた。
ジンが槍の一撃をまだ使える右腕に握られた刀で下から上に撥ね上げたその瞬間、ツツは咥えていた物を放した。放されたそれはジンに向かって飛んできた。
咥えていた物を口から放すやいなや、ツツの顎は強力な武器に変わった。
ツツは、大きく飛び上がって、迫りくる馬上の野盗の首をすさまじい顎の力で粉砕する。
(ポーションの瓶!)
ボロボロに粉砕された左手でジンはそれを受けた。受けた、というより、止めた。
ジンの右手には刀が握られており、このすでに粉砕された左手を使うしかなかったのだが、それが幸いした。
ツツの放った瓶は勢いよく飛んできていたため、ジンの左手に当たると瓶は割れてしまったのだ。
そうしてポーションはジンの左手の平の上で効力を発揮した。
蒸気を発しながら、馬に踏まれて粉々に砕けたはずのジンの骨や肉から筋繊維や骨繊維が伸び、絡み、さらに血管が網の目が張り巡らされるように伸びていく。
瞬く間に血肉がそれらを覆い、皮膚が元の姿に戻っていく。
(……これこそ魔法だ。ありがとう、ニケ! ツツ!)
左手が元に戻ると同時に痛みもなくなった。残り十六騎をどうにかして柵に向かって殺到させないようにこっちに注意を引いておく必要があった。
ツツは一騎倒して、さらに残る敵に向かって行った。
「この犬っころが!」
馬上の敵が低い位置のツツに槍を繰り出した。
ツツはそれをジャンプして躱し、繰り出されたその槍の柄を踏み台にしてさらにジャンプ。敵の首に噛みついて、のどの肉ごと引きちぎった。
引きちぎられ、あらわになった気道から、ひゅーひゅー呼吸音をさせながら、血潮を噴出しつつ、十ミノルほどそのまま進んでから落馬した。
(よし、五騎目!)
それを見ていたジンが心の中で叫ぶ。
残り十五騎。十騎は柵に向かってしまった。残る五騎をジンとツツで相手している状態だ。
ジンとツツが背中合わせで、いや実際にはツツの背中はジンの背中に合うわけがない。もしツツが人なら背中合わせとも言えるように背後をお互いに任せるようにして、一人と一匹は身構えた。
残る五騎はその周りをぐるぐると騎馬で回りながら、時折槍を突き出して威嚇する。
そうするうちに柵でも戦いが始まった。
訓練を受けた五人、アシュレイ、クオン夫妻、サミー、そして村長ラガバンが長槍を柵の間から繰り出したりして柵越しに防衛に努めていた。
槍が長いため、下手に近づくと馬がやられてしまう。野盗たちも簡単には柵に近づけないでいた。
ただ、村人五人に対して野盗は十騎だ。一人で二騎の担当をするのには無理があった。
野盗の一人が馬防柵を騎馬のままでは突破できないと見るや、馬を飛び降り、徒歩になり、馬房柵の格子に体をねじ込んで侵入を試み始めた。
アシュレイはすぐにそれに気づいたが、柵に迫る目の前の二騎を放っておけない。
その時、見張り櫓から放たれた矢が馬防柵を超えて侵入しつつあった野盗の喉に突き刺さった。
アシュレイがハッとして、櫓を見るとそこにはリアとエノクがいた。
リアの矢が当たったようでリアが一瞬固まっているようだった。エノクは次の矢を番えている。
のどに矢は刺さったが、それは致命傷にはならず、馬防柵の格子に胴がくぐった状態、上半身は馬防柵の内側、下半身は外側、でバタバタと野盗はもがいていた。
すると、家屋の陰の暗がりから小さな影が飛び出し、それがもがく野盗に向かっていくのが見えた。
アシュレイの子、ベイロンだった。
「ベイロン!! やめなさい!」
アシュレイが叫ぶ方が早かったのか、ベイロンが野盗にとりつくのが早かったのか、いずれにしてもアシュレイの制止は間に合わなかった。
ベイロンの手には短剣が握られており、走ってきた勢いのまま、リアの矢が突き刺さった喉にさらにその短刀の先を沈めていった。
勢いよく血潮が噴き出し、幼いベイロンの顔に吹きかかった。
「ベイロン!」
アシュレイは叫んだ。