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137. 役目

 洞穴の集落を出て十日後のことだった。ジンの目の前には懐かしいオーサークが見えてきた。ジンたちがオーサークを離れたのは五カ月前だったが、いろいろなことがありすぎて、懐かしい、という感情が出てきたのは無理のない事だった。


 それにしても、北部大森林でも国境街道でも一度も魔物との遭遇戦はなかった。本当に魔物は総勢でもって国境街道から北部大森林を抜けて、穀倉地帯を奪いに来たのだろう。

 

「ニケ、マルティナ、リア、帰って来たぞ」


「うん」

「……母さん、父さん」

「トマ、喜ぶかな」


 少女三人がそれぞれの思いを口にした。


「私が言い出して始まったことだが、オーサークも皆の家になっていたのだな」


 聞いていたノーラもそんな感想を口にした。


「ああ、ノーラ。ノーラもオーサークをそう思ってくれればうれしい。ウチで数日は泊って行ってほしいが、まあ、そうもいかないだろうな」


「ん? なぜだ?」


「インゴさんがノーラを放してくれそうにないからさ。根掘り葉掘り聞かれるぞ」


「インゴさんとは誰だ?」


「インゴ・パブロ・セイラン元侯爵、スカリオン公国軍の事実上の最高指揮官さ。公王陛下から全権を委任されている」


 そんな話をしながら進む一行は魔物の死体が累々とするオーサークの西門前に到着した。


「ジン殿?」


 西門の向こうで衛兵が門の鉄格子越しにジンの顔を確認した。オーサークの西門は今や商隊の検問を行うような業務は全くない。西から来る商隊など事実上存在しない。食料や物資はパーネルを通じて東から入ってくる。西から来るのは魔物しかいない。それが現状だった。


 その西門に魔物以外の訪問があったのは本当に久しぶりのことだった。それも衛兵にとっては見覚えのあるジン隊長だった。


「ただいま」


 ジンは彼の顔には見覚えがあったが、名前は思い出せなかったので、思わずその言葉が口をついた。


「お、お帰りなさい!」


 衛兵も妙な感じがしたが、そう応えて、急いで門を開けた。



 ◇



 ジンは何はともあれ家に行きたかった。が、そうもいかない。シュッヒ伯爵やインゴに復命しなければならないのだ。


「リア、マルティナ、ニケ、ああ、それにエノク、お前たちは家に帰るといい。クオン達が喜ぶ」


「「「うん!」」」


「ツツもみんなと一緒に行きな。俺とノーラ、それにナッシュマン殿はインゴさんに挨拶に行かないといけないものでな」


 ジンは横を歩く皆の顔を見ながら、そんな話をしていた。


「その必要はないぞ、ジン」


 突然、正面からそんな声が聞こえた。


「インゴさん!」


「ジン、よく戻った。報告を聞きたいのはやまやまだが、今日はもう遅いし、お前も家に帰れ。明日、ゆっくり報告を聞くから領主館に来てくれ」


 インゴはジンにそこまで言ってから、ノーラの方に顔を向きなおした。


「インゴと申す。そなたはラオ男爵ですな?」


「はい、セイラン侯爵閣下。ですが、男爵位はおいてまいりました。ここにいるのは単なるノーラです」


「奇遇だな。儂も単なるインゴじゃ。わっはっは……失礼した。で、そこもとは?」


「ナッシュマンと申します。お嬢様の護衛です」


「ラオ家の騎士殿か。ぜひ、明日はナッシュマン殿も領主館に来てほしい」


「はい。お伺いいたします!」


 

 ◇



「ツツーーーーー!」


 トマは幾分大きくなったようだった。五カ月も空けると幼児の成長には目を見張るものがある。そんなトマは姉の帰還にも目もくれず、ツツに向かって走り始めた。


「リア、エノク、マルティナ、よく戻ったね」


 シアは目に涙を浮かべている。


「ジン様、無事に帰ってきてくれてホッとしました」


 クオンも嬉しそうだ。


「クオン、ありがとう。帰って来た、と言いたいところだが……まあ、それは置いておいて、紹介しよう、ラオ、いや、ノーラだ。そして、この強そうな老騎士はナッシュマン殿だ。しばらく滞在するので良しなに頼む」


「ノーラだ」

「ナッシュマンと申す。よろしく頼む」


「も、もしやラオ男爵様ではないですか?」


「いや、私はもう……」


「やはり、ラオ男爵様! ずっとジン様から話を聞いておりました。私たちはラオ男爵様のオーサーク移民計画がなければ今頃グプタ村で飢え死にするかオーガに食われて死んでおりました……ありがとうございます。ただ、それだけをずっと言いたくて、お会いしたく思っておりました」


 クオンはただ話に聞く命の恩人、ラオ男爵が目の前にいると思うと、堰を切るように感謝の言葉があふれ出た。


「いや、私は何もしていない。すべてジンが……」


「それでもです! ジン様にはもちろん感謝してもしきれませんが、ジン様の話から、元をたどればラオ男爵様のお考えに……」


「もう、よい、クオン殿と言われたか? クオン殿、これ以上感謝されるとどんな顔をすればいいのかわからなくなってくる」


 ノーラは嬉しかった。ずっと失敗したと思っていた、一連の判断の中には、正しい判断もあったのだ、とクオンが教えてくれているように思えた。


「ははは、ノーラは本当に多くの人を救ってきたのにその認識がないんだな」


「たまにはいいことを言うではないか、ジン」


 ナッシュマンが茶々を入れた。


「よせ、ジン、ナッシュマン」


 そんな大人たちの玄関先での立ち話をよそに、ニケ、リア、エノク、それにマルティナはすでに家に入ってツツとじゃれたりトマを抱っこして、「おお、重くなってる!」とか言いながら、子供たちなりの再会を喜んでいた。



 ◇



 クオン家一家四人が久しぶりに揃った。エノクはこのオーサークに家という家はない。兵舎に一室を与えられて住んでいたので、別にそこに帰っても仕方がないという状況だった。


「エノクもオーサークにいる間はこの家にいなよ」


 リアがそう言ってくれたのにエノクはとてつもなくうれしくなった。


「え、いいのか?」


「ん? なんで? いいに決まってるじゃない。エノクはグプタから一緒に出てきた数少ない姉弟みたいなもんなんだし」


(姉弟かよ)


 エノクはそう思わざるを得なかったがそれでも嬉しかった。


 ツツは久しぶりにトマを背中に乗せてあげれて満足そうだった。トマもツツのふわふわの灰色の毛に顔をうずめて、嬉しそうだ。


 そんなトマの様子をシアは嬉しそうに見ていた。変な話だが、やっと家族が皆揃った感じがしていた。


 この家の大きさは客であるノーラとナッシュマンに用意する部屋にも事欠かないほどの大きさだった。


「ジン、良い家じゃないか」


「ああ、俺やニケには少し贅沢かもしれないが、クオンたちも住んでくれているのでな、この大きさは無駄にはならないさ。ノーラ、先に湯あみでもしてきたらどうだ」


「ああ、そうさせてもらおう」



 ◇



 ノーラが湯あみをしている間、疲れていたのか子供たちは居間でツツにもたれたり絡まったりしながら寝落ちしていた。


「しょうがない子たちだね」


 シアはそう呟くと、オーサークはすでに寒くなって来ていたので、毛布を持ってきて皆にかけてあげた。ツツだけそれに反応して目を開けたが、シアはツツに動かないように目で合図すると、ツツもそのままお腹を上にして我が家にいる間にだけできる無防備な体制を晒した。


 そうしているうちに、居間に湯あみを済ませたノーラが戻って来た。


「ジン、お前はいいのか?」


「いや、俺は朝でいい」


「そうか。シア殿、ありがとう」


「いいえ、ノーラ様、お茶でも淹れて来ましょう。お口に合うかどうかはわかりませんが」


「シア殿、気を遣わないでほしい」


「いえいえ、こんなのは大したことではありません」


 そう言うとシアは立ち上がり、自分の城である厨房に入って行った。


「なあ、ノーラ、ノーラのおかげで始まったここでの生活だったが、皆、気に入ってな。ノーラがファルハナで苦しい思いをしている間、ここで人間らしい生活をしていた。何と言うか、その、すまない」


「ジン、何を謝る。私があそこであんな状態になってしまったのはお前のせいではない。私の判断間違いのせいだ。気に病む必要はない」


「それでも、だ。俺たちはノーラのおかげでこんな生活が出来て、その間、ノーラがあの地下牢で……」


「もう、いい!」


 ノーラはジンを遮って悲鳴のようにそう言った。


「ノーラ?」


 ジンはノーラの突然の豹変に驚くしかなかった。


「……いや、すまない、あの地下牢の話は、あまりしたくないのだ」


「すまない、気がつかなかった……」


 丁度そのタイミングで自室としてあてがわれた二階の客間からナッシュマンが居間に下りてきた。


「お、邪魔だったか?」


「ナッシュマン、変な気を遣うな」

「ナッシュマン殿、子供たちが寝たのでただお茶を頂くところです」


 シアもジンとノーラにお茶を持ってきたところでナッシュマンが目に入った。


「あ、ナッシュマン様にもお茶を淹れて来ましょうね」


「ああ、お構いなく」


 ナッシュマンはそう言ったが、シアはまた厨房に戻って行った。


「ジン、このオーサークはすごいな」


「ナッシュマン殿、どういうことですか?」


「魔物を撃退しつつ、人々がこんなにも豊かな生活が出来ておる」


「はい。それもこれもヤダフやモレノ、それにパーネルから来た鍛冶屋や細工師、それに魔道具師のおかげです。ナッシュマン殿、時代は我々武人から技術をもった職人や学者の時代になって来ると思います。いえ、そうでなければなりません」


「ん? ジン、どういうことだ?」


「はい。我々武人は何かから人々を守るのが仕事です。しかし、守るために使う鎧や剣、なに一つとっても我々武人は作れません。鉄砲などその最たるものです。そして、鉄砲。これは素人でも使えます。ナッシュマン殿、我々武人は不必要な存在になって行くのでしょうか?」


「そうかもしれん。それに、お前が言ったように、もしかするとそうあるべきなのかもしれん」


 黙って聞いていたノーラだったが、口を開いた。


「にしても、現状はそうなってはいない。今はナッシュマンやジンのような武人がいなければ、このオーサークだって魔物から守りきれなかっただろう。なあ、ジン、今はそれでいいじゃないか。結局、人はやれることをやるしかないんだ」


「確かにそうだな。でも、ノーラ、俺は自分がやれることすら最近分からなくなってきている」


「ふん、だからお前は小僧だというんだ。お前はお嬢様や俺までファルハナから引きずり出して、アスカに行こうとしている。その道中でそんな弱気でどうする?」


「そうだぞ、ジン、お前は考えすぎる嫌いがある。とにかく、今はアスカに行って()()()に会うのだろう。それでいいではないか。誰も神にはなれないのだ。それがどう未来につながるなど分からないのだ。だからこそ、やれることをやる、それしかないではないか」


「確かに……」


 そのタイミングでシアがナッシュマンにお茶をもって今に戻ってきた。


「ナッシュマン様、どうぞ」


「ありがとう、シア殿」


「ナッシュマン様、子供たちを見てください」


「ん? ああ、みんな寝ておるな」


 居間の隅でツツにもたれたり絡み合ったりしながら、トマ、リア、マルティナ、ニケが寝ている。エノクだけ、まともに自室としてあてがわれた客間で寝ているようだった。


「可愛いあの子たちが魔物退治の最前線に立つなど、考えもつきません。でも、実際、そうなっています。グプタ村にいたころは世界のことなど考えもしませんでした。でも、生活にゆとりが出てくると、考えるようになりました。あの子たちが、ただ、子供でいられるような世界。それを作るのが大人たちの責務なんじゃないか、と」


「シア殿、本当にその通りだ。マルティナが優秀な魔導士で何度も助けられたが、本来彼女たちを助けるのは大人の仕事だ」


「すみません、生意気なことを言いました」


「いや、シア殿、決してそんなことはないぞ。……ジン、お前の仕事はそれなんだろう?」


 ジンは考え込んでしまった。転移する直前、会津でも白虎隊などと言う子供たちを戦地に送り出すことになるかもしれない予備兵力の準備が進んでいた。子供が子供として過ごせない世界、それは悲しい世界だ。


「ナッシュマン殿、正直、それは拙者には分かりません。ただ、私の故郷でも子供たちが戦争に駆り出されようとしていました。大人が子供たちを守りきれないようになっていた、ということです。大人が負けてしまえば、そうなります。だから、負けない力を持つしかありません」


「ジン、お前の故郷もそんな状況だったのか。ならば、余計にお前の第二の故郷であるファルハナやオーサークを守れ。お嬢様を守れ。その先にお前自身や世界の謎が解けてくるはずだ」


 ジンは分からない。ファルハナやオーサークを守る話と、自分と世界の謎を解く話はまるで別の話に思える。


「ナッシュマン殿、申し訳ない、しかし、拙者にはよく話が見えない。だが、やれることをやる、という意味では拙者は全身全霊、イスタニアの人々を守り、そして誰より、ノーラを守りたいと思っている。それではダメか?」


「まあ、よい。どこかでお嬢様の命とお前の使命が天秤にかけられるような事態にならなければと思うがな」


 ナッシュマンの念頭には、ナッシュマンがノーラについて行くことの許しを得るためガネッシュに頭を下げた日のことがあった。


「ナッシュマン、ジンやニケの使命は私の命などと天秤にかけられるようなものではない。一緒にいてそれも分からなかったのか?」


 ノーラが突然そう口にした。


「お、お嬢様、某はその大切さを十分理解してついてきております。それはあの日、ガネッシュ様……ラオ男爵にお話しした通りです」


「なら、天秤だなんだって話をジンにするのではない。そこに私の命の話が出ればジンに迷いが出る。……ジン、分かっているだろうな? お前はイスタニアを救うのだ。私はそれを助けたいのだ。私がその邪魔になっては本末転倒だ」


「ノーラ、ナッシュマン殿、そんな事態にはならない。だから、今そんな話をする必要があるのか?」


「ああ、あるな。〈役目〉なんだろう?」


 ノーラのその言葉にジンの心臓が大きく脈を打った気がした。そんな言葉がノーラの口に上るとは思ってもいなかったし、ジン自身、会津に帰ることも〈役目〉のことももはや忘れているに近い程、心の奥底に眠りつつあった事柄だったからだ。


「〈役目〉……」


 復唱するようにジンがそう呟くと、居間の隅で皆と寝ていたはずのニケとツツも目覚めてジンを見ていた。


「ジン、〈役目〉は近いよ」


 ニケがそう言った。ツツはもちろん話せるわけもなく、ただ、トマを起こさないように、体を動かさずに、頭だけ起こしてジンを見つめている。


 そのツツの目が魔灯の光を反射して赤く光っている。


 シアが立ち上がった。


「お茶を、皆さんのお茶を、淹れて来ますね」


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