135. ツツの異変
「サ、サルミエント将軍!?」
王家の紋章が青い生地に織り込まれた軍旗をはためかせて、森の中から現れたのは二千騎の旧サワント公国軍だった。〈旧〉と付けざるを得ないのはその国が今は存在しないも同様だからだ。ジンは思わぬ人との邂逅に驚くしかなかった。
「ジン殿! 間に合ったか?」
「将軍……いいえ、残念ながら、間に合ったかと聞かれれば、否、と答えるしかありません」
「魔物たちは?」
「すでに穀倉地帯に散って行きました」
「ならば、我々は索敵殲滅の任に着こう。そのためにオーサークを出たのだ」
「サルミエント将軍、オーサークは?」
「もちろん無事だ。それどころか、サワント公国軍をに汚名返上の機会を与えてくれた」
「……とは?」
「魔物がオーサークに襲ってこなくなった。インゴ殿が異変にすぐ気が付き、竜騎兵ライナス殿に北部大森林の偵察を依頼した。それで我々はこの新生サワント銃騎兵隊を率いてやってきたわけだ」
「サワント銃騎兵隊?」
ジンはまるで話が読めないでいた。なにしろ、サルミエント将軍の取り巻き、およそ中隊規模は誰も鉄砲を持っていないのだ。皆、ランサー装備だ。
「ああ、オーサークでのただ飯ぐらいはまっぴらだ。必死の訓練を経て、サワント公国軍の生き残りは銃騎兵隊となった。装備もオーサーク駐屯兵と変わらない。今回はオーサークに一切魔物が襲ってこなくなったと同時にライナス殿の情報があったので昼夜を問わず、ここまで森を駆けてきた」
「しかし、誰も鉄砲を持っていないではないですか?」
「それはこの中央中隊だけだ。中央中隊は敵との遭遇戦の可能性があるからな。近接戦闘に合わせたランサー隊になっているが、残り一九〇〇人はすべてモレノ式突撃銃装備だ」
ジンがファルハナに行ったり穀倉地帯の街で戦っている間に、オーサークはすでにジンが元居た世界の近代国家並みの軍事力を付けていた。
「では、その索敵殲滅の任をサルミエント将軍にお願いしてもいいのですか?」
「ああ、もちろんだ。そのために我々は来た。この北部穀倉地帯を魔物から守らなければ、オーサークの民が飢え死にする。オーサークがつぶれれば、我々の故国回復は不可能になる」
「では、将軍、よろしくお願いします!」
「心得た。者ども、今こそサワント公国の旗を掲げ、我らの力を皆に見せるときぞ!」
「「「「「「おおおおおーーーーー!!!!!!!」」」」」
士気の高いサワント公国軍二千騎が鬨の声を上げると、フィッツバーン男爵領の農村地帯に向けて駆け始めた。
ジンはそれを眺めつつ、この戦での自分の役回りの終焉を感じ取っていた。
◇
サワント公国軍に付いて行く形で、ジンたちの中隊もフィッツバーン男爵領の領主館に向かった。ニケも待っている。それに、そこでノーラやナッシュマンと落ち合うことになっていた。
(皆、無事だといいが)
ジンは心配せざるを得ない。最初の動物型の魔物の襲来はまさに青天のへきれきだった。かなりの広範囲をマルティナが防いでくれていたが、それでも、ノーラが加わった中隊の状況は定かではなかった。
「ノーラ!!」
「ジン!」
フィッツバーン男爵領が近づくにつれて、他の隊との距離が詰まって来た。
ジンはその別の中隊の集団の中にノーラを見た。なにしろ彼女は目立つ。男ばかりの軍の中にあって、美しい赤毛をたなびかせて馬を駆る彼女が目立たぬわけはかった。
両中隊が合流すると、フィッツバーン男爵の領主館に急いだ。
ニケの無事は二人ともが祈るところだ。防衛線を潜り抜けた魔物たちに襲撃された可能性も否定できない。
すると、先行するサワント公国軍の銃騎兵隊の発砲音が領主館の近くでした。
「ニケ!」
ジンは愛馬マイルに気合を入れて、領主館に急いだ。並走しているツツも速度を上げていく。ノーラもそれに続いた。
(頼む、ニケ、無事でいてくれ!)
ジンは心の中で念じながら馬を駆る。
領主館の建物が近付いてきた。
◇
「ツツ! ジン! ノーラさん! よかった!」
ニケは領主館を飛び出して、皆を迎え入れた。
「ニケ! 銃声が聞こえた。魔物が来たんではなかったのか?」
「うん。ゴブリンが三匹ぐらい。すぐにサルミエント将軍たちがやっつけてくれた」
ジンは安どのため息をついた。
「……なら、よかった」
ツツがニケの顔中を嘗め回す様子を眺めながら、ジンが隣に立つノーラに話し始めた。
「……ノーラ、考えたのだが、この戦いでの我々の役どころはもう終わったのではないか?」
「ああ、そうだな、ジン。私もそれを考えていた」
マルティナ、それにリアとエノクはジンの隊にいたので、ここにファルハナ組七人が揃ったことになる。竜騎士メルカドは忙しく連絡員として飛び回っているが、話が伝わればまたどこかのポイントで合流できるだろう。ジンは決心した。
「フィッツバーン男爵家の誰かにお願いして、今晩はここに泊めてもらおう。そして、明朝、オーサークに向けて出発しようと思う」
「ジン、私はこの中隊の指揮を預かっていたわけではないが、お主は仮にも中隊長だろう。放って行くのか?」
「副隊長に任せる。優秀な男だし、もともとこれは彼の隊だ。それに、ここからまたパディーヤに戻っていては、さすがに時間がかかりすぎる」
「そうできるなら問題はない」
フィッツバーン男爵は領主連合の代表として、まだファルハナにいて、ファルハナ復興の仕事についているため、このフィッツバーン男爵領を預かるのは彼の妻ハンナだった。
「ジン様、ノーラ様、それに皆さん、このフィッツバーン領を守る戦いに尽力してくださった方々をお泊めできるのは光栄です」
ハンナはそう言って、七人を歓迎してくれた。
◇
明朝、ジンの隊の副隊長ドハーティが見送ってくれた。
「ジン隊長、昨日の鬼神の働き、この目に焼き付けました。またいつか、肩を並べて戦える日を待っております」
「ドハーティ殿、隊をよろしく頼んだ。勝手をする形にはなってしまったが、許してほしい。宰相閣下とフエンテス将軍にもよろしく伝えてほしい」
「承知しました。隊長と共に戦えて光栄でした。御武運を!」
「ドハーティ殿にも御武運を!」
◇
魔物が飛び出してきた北部大森林に七人と一匹は入って行く。この森も含めて、フィッツバーン男爵領だ。目指すはかつて水の補給をさせてもらった森の集落。水の補給も必要だが、魔物が森に侵入した後だけに、集落の人々の安否が案じられた。
森の中は静かだ。すでに三日は北に向かって歩き続けているが、魔物はただの一匹も見当たらない。魔物どころか、動物の気配も全くなかった。不気味な静寂の中を七人と一匹は北に進んで行く。
そんな一行に予想だにしなかった問題が起こった。
ツツの様子がおかしいのだ。息が荒く、走れない。いつもなら、森に入ればはしゃいで鹿や猪を狩ったりするツツが、ジンの傍を歩くのが精いっぱいだ。
「ジン、ツツの様子がおかしい」
「ああ、ニケ、どうしちまったんだろう……瘴気! そうだ、ニケ、瘴気じゃないか?」
「だとしたら、ツツが危ない! すぐに森を抜けるか戻らなくちゃ!」
ニケは瘴気によって普通の動物たちが魔物に変わるという話をさんざんアスカで聞かされてきた。ツツがそんなものになることは到底看過できることではなかった。
マルティナもツツがおかしいことに気づいていたが、その原因には全く心当たりがなかった。なので、彼女はただツツの様子を見守りながら森を進んでいた。そこに急に訳の分からない『瘴気』などという話が出てきた。
「瘴気? 何それ?」
ジンは知っている限りの知識でマルティナの質問に答えた。
「魔の森を覆っている、動物たちや人間を魔物化する毒の空気みたいなものって言われているが、正直その正体は分からない。それにこの北部穀倉地帯にそんなものが発生したかもしれない、などと言う話だ。俺もなんの確証も持てないでいる」
「ツツが魔物になるってこと!? ダメ! そんなの絶対にダメ!」
「落ち着け、マルティナ、まだ何もわからないんだ……」
「ジン、もしツツが魔物になっても絶対に殺しちゃだめだよ! もし、ジンがツツを殺したりしたら、私、一生……」
ジンは興奮するマルティナを遮るように、話を続けた。
「だから落ち着けって……見ての通り、現時点ではツツは魔物になったりしてはいない! とにかく、森から逃れよう。……しかし、どこに向かうべきか」
七人はすでに森深くまで入り込んでいた。戻るのにも三日以上かかる。北に抜けるのにも三日かかる。
「なあ、マルティナ、ニケ。もうすでに森のかなり深いところまで来てしまっている。南に行こうが北に行こうが、かかる日数は同じだ。ひとまず、ちょっと北にあるあの集落を目指そう。野営しないわけにもいかないじゃないか?」
ジンがそう言うと、悲壮な表情でニケとマルティナが頷いた。彼女たちとて、何が最上の行動か分からないのだ。
いずれにしても、七人と一匹は北に向けて歩き始めた。集落はさほど離れていないはずだ。
しばらく歩くと、ツツはついに動けなくなって、うずくまってしまった。
ジンはそんなツツを見ると、近づいて行って、ツツの頭をを撫でた。
「ツツ、つらいな。俺がおんぶしてやろう。絶対にお前は大丈夫だ」
ジンはツツの巨体を抱き上げると、背負って歩き出した。
(今、ツツが魔物化すれば、俺の命はないな……)
そんなことを考えながら、重いツツを背負って歩くジンの目に、見覚えのある小高い岩山が見えてきた。
2023年は大変な年でした。
ウクライナ戦争、パレスチナ問題の再燃、物価の高騰……
家計も苦しい中、皆さまも精いっぱい頑張って生活されてきたことだと思います。
お疲れさまでした。
年末年始、休載させていただきます。一月四日に投稿を再開いたします。
皆様、良いお年を!