134. 最も長い防衛線
オーサークより西側、およそ三〇〇ノルに渡る長大な国境街道を、オーサーク攻めのために東に向かっていた魔物たちが急に南下を開始した。その数、数万、いや十数万にも及ぶかもわからなかった。
一方、北部穀倉地帯を守ろうとする兵の数、およそ三万。新アンダロス王国軍が二万、ウォデルを進発したリヨン伯爵の軍が一万。
北部大森林と穀倉地帯の境目に、新アンダロス王国軍は東側に展開、リヨン伯爵軍は西側に展開という様相だ。あくまで平均的に、という条件が付くが、三万の兵が三〇〇ノルに渡って展開するということは、一ノル当たり一〇〇人、一人で幅一〇ミノルの範囲をカバーしなければならない。
これほど長い防衛線を構築した記録はイスタニアの長い戦史においてもなかった。
対して、攻める魔物たちも、同じ条件だ。数万いようが十数万いようが、それがひとところに固まっているわけではない。まばらに森から出て来てはまばらな兵と交戦する、という状況だ。しかし、やはり魔物の数の方が多い。
ジンとは別の小隊にいたノーラとナッシュマンもすでに交戦中だった。マルティナの脅威の広範囲魔法で最初の動物型の魔物の強襲から逃れることが出来たのは幸いだった。
しかし、いよいよ通常の魔物たちが森から出てきた。近くにトロルの姿は見当たらない。ノーラは少しでも敵を減らそうとオーガに対して発砲していた。
「お嬢様は下がっていてください!」
ナッシュマンが敵前面に飛び出した。
「ナッシュマン、無茶はするな!」
「これしき!」
そう言いながら、長い両刃の剣を横薙ぎに振るうと、オーガの腹を切り裂いた。
この辺りには敵の密度が高い。しばらくすると、ノーラの辺りに周りから兵が集まり始めた。
「自分の持ち場にはほとんど魔物は来ません。二人ほど残して、こちらに来ました!」
新アンダロス王国軍の兵が、距離が少し離れているため、そう大声で言いながら、ノーラたちが魔物たちを防いでいるあたりにやって来た。
「かたじけない!」
ノーラも大声で礼を言ったとき、森の木をかき分け、トロルの巨体が現れた。
「お嬢様、弾はまだあるでしょうな!?」
「当然だ!」
ノーラはそう言いながら、右に飛び出した雷管に、もう一発弾を詰めてから、トロルの眉間に狙いを定める。これで外したとしてもすぐにもう一発撃てる。
トロルまでの距離はおよそ二〇〇ミノル。かなり難しい射撃だ。
バン!
側頭部に当たって跳弾した。
(くそ!)
ノーラは内心で罵った。すぐに右に飛び出した雷管を鉄砲本体に叩きこみ、照準を合わせる。しかし、側頭部の肉をえぐられたトロルは怒って猛然とノーラたちに向かって走り始めた。
(落ち着け。近づけばそれだけ当たりやすいはずだ)
しかし、実際は走るトロルの頭部が上下するため、さっきより難しくなっていた。
(先読み……しなきゃ)
トロルの頭部が沈んだ瞬間の予測位置に照準を合わせた。
バン!
眉間には当たらなかった。しかし、右目に当たった弾丸はトロルの眼窩を通り抜け、トロルの脳を破壊してくれたのだろう、トロルは前のめりに走りながら倒れた。
「「「「おおおーーーー!」」」」
近くに来てくれていた兵たちから歓声が上がった。
◇
これより遡ること四日前、『魔物、森を超える』の報はすぐにメルカドによってウォデルにも伝えられた。
ウォデルの若き領主、ミルザ伯爵は驚きと共に対応に追われた。
ウォデルはこれまでチョプラ川の向こう、西からの魔物の対応に当たっていた。もし、東の穀倉地帯に魔物が入ってくるとなる、両面から挟み撃ちになる。それどころか、食料も入ってこなくなるため、事実上、ウォデルを放棄して領民ともども東のイルマス方面に逃れるしか手がなくなる。
「して、メルカド殿、リヨン伯爵は私になんと?」
「リヨン伯爵の軍をすぐにウォデルの北、北部大森林と穀倉地帯が接するところの警戒に当たらせてほしい、それから、急いで、その範囲を東に東に広げてほしい、とのことです」
「分かった至急そのように取り計らう。マイルズ! ムワンギ殿に至急そのように伝えて出撃させてほしい。マイルズもムワンギ殿の補佐に入ってくれ」
「りょーかい!」
ムワンギ殿、とはパディーヤの騎馬隊、歩兵隊、弓兵隊、併せて一万を率いる将軍だ。リヨン伯爵によってここウォデルに派遣されている。
こうして、一万の兵は急いでウォデルを進発し、森の見張りについていたが、ジンたちとは大きく異なることがこの軍にはあった。それは、魔導士がいないことだった。
そして、最初の動物型の魔物の襲来で多くの兵が斃れ、戦線を保てなくなってしまったことだった。
「ムワンギ将軍! 動物型の魔物はもうやり過ごすしかありません!」
「マイルズ殿、そうもいかん、畑が! 領民たちが!」
ムワンギは穀倉地帯唯一の大きな街であるパディーヤの将軍だ。農村の大切さを、そこで働く民の大切さを一番心得ている。
「しかし、すでに駆け抜けていったキバイノシシを追って戦線を放棄したとなれば、後から来るかもしれないオーガやゴブリンにも侵入されてしまいます!」
「……なんということだ」
ムワンギ将軍は歯噛みしながら、それ以上のことは何も言えなかった。
そんなやり取りの間にも、通常の魔物たちが森から現れ始めた。
「ムワンギ将軍、ここからが本番です」
「糞どもめ、思い知らせてくれる!」
◇
やはり、これほどまで長大な防御線の構築は無理があったのだろう。至る所で戦線は崩壊し、魔物の多くが穀倉地帯に放たれた。
それでも、三万の兵は奮戦し、大方の魔物を倒していた。三万の兵の内、およそ三分の一にあたる一万が失われた。魔物は結局どれほどの数が森を超えてきたのかは現時点では定かではなかったが、生き残った兵たちは半分は排除できたと感じていたので、およそ半分の魔物に穀倉地帯への侵入を許してしまったことになる。
◇
ジンはすでに腕が上がらないほどの状態になりながら、必死に会津兼定を振るっていた。恥ずかしさなど既にどこかに置き忘れたようで、ひたすら「カマイタチ!」を連呼しつつ、鬼神の働きで魔物を倒していた。
マルティナの魔力が回復しつつあったので、彼女にも援護に回ってもらった。大型の魔法はもう発動できないが、個別の敵を倒すだけの電撃魔法はまだ撃てた。
しかし、ジンの魔力の底は未だに見えなかった。先に腕の方に限界がきていた。
ついに周囲に魔物が見当たらなくなった時、ジンは会津兼定を鞘にしまおうとしたが、手が震えて、鞘に切っ先を当てるのに苦労した。
会津兼定から右手を放すと、手の震えが止まらなくなった。
ジンの前には数百体の魔物の遺骸が転がっていた。ほぼ一人でこれを倒したのだから、すさまじい。
ジンは震える右手を左手で掴みながら、森の端を見た。
(ああ、新手か……)
森の木々の向こうに多数の影が動くのが見えた。
これ以上戦えるのだろうか? ジンは多少自暴自棄になりながら、一度鞘にしまった会津兼定を震える右手で掴むと、構えなおした。
「ジン殿ーーーーー!」
森から出てきたのは騎馬隊だった。その先頭を率いる男が遠くからジンの名を呼んだ。
投稿が遅くなりました。
明日、もう一稿投稿して、年末年始は休載します。
正月4日から再開の予定です。