131. 新アンダロス王国
朝早くにジンたちは出発した。昨夕の内にミルザ伯爵の手紙は祐筆の手によって書き上げられ、伯爵の確認を経て、夜遅くにジンに渡された。
パディーヤまでは途中宿場町で二泊すれば到着できる。ウォデルで余計に一泊したことで、ジンたちが付くころにはメルカドはすでにパディーヤで待っていることだろう。
特に何もなく、穏やかな街道の旅だったが、パディーヤに近づくにつれて、パディーヤからウォデルに向かう、つまりジンたちと反対方向に向かう、商隊の馬車が増え始めた。怪訝に思ったジンは、一つの商隊を捕まえて訊ねることにした。
「すまぬが教えてくれぬか?」
「なんでございましょう、騎士様」
商人は幕軍の制服に袴姿と言うこの異装の男を何と呼ぶか一瞬迷ったが、帯剣はしているし、後ろにいる貴族や騎士っぽい人たちもいる。無難に『騎士様』と呼びかけた。
「俺たちはパディーヤに向かっているが、近づくにつれて、反対方向に向かう商隊が増えた気がするのだが」
「騎士様、それはパディーヤが戦になりそうだからです」
「何!? 戦だと? 魔物が北から来ておるのか?」
「魔物ではございません。ウェストファル侯爵の軍です」
「ウェストファル侯爵……?」
ジンはそれが誰だかパッと頭には浮かばなかった。
「腰ぎんちゃく侯爵が王を僭称したって話と繋がるな」
傍で商人とジンの会話を聞いていたノーラはウェストファル侯爵が誰だかよく知っていた。港町イルマスを領地とする旧アンダロス王国の高位貴族だ。
「実際に戦闘が行われておるのか?」
「いいえ、私どももよく分かっていないのですが、大軍でパディーヤを東から圧迫している、という話です」
ジンは言葉を失った。この対魔物戦で旧アンダロス王国の勢力も、辺境公国軍も、ひいては帝国までもが手を結び、人類の生存圏を確保しようとしている折に、王を僭称して勝手に王国ごっこを続けるだけなら目を瞑っておられるが、実力行使まで始めたというのか。
ノーラが口を開いた。
「商人殿、パディーヤには入れるのか?」
「今はどうなっているかは分かりませんが、私どもが街を出た時には、西門ではまだ何も制限などありませんでした」
「そうか、ありがとう。して、商人殿、運んでいるのは何か聞いてもよいか?」
「芋です。パディーヤで少し卸して、そのままウォデルに向かう予定でしたので、ある意味予定通りですが、戦の話を聞いた商人たちが一度にパディーヤを飛び出したので、こんな状況になっているのかと思います」
「なるほど、よくわかった」
◇
十数個もの商隊とすれ違いながら、ジンたちにパディーヤの城塞都市が見えてきた。
どうやら、ウェストファル侯爵は芋の道のパディーヤから見て東側に陣を敷き、パディーヤを取り囲んでいるわけではなさそうだった。街道の西側に繋がる西門は、通常通り機能しているようで、ジンたちは難なく門をくぐって、街に入ることが出来た。
「まずは、ポルターダ様に会いに行かなくてはな」
ジンがそう言うと、一行は皆頷いた。ツツだけ、ただ首をかしげてジンの顔を見ている。
「ツツは領主館の前で少し待っていてくれないか」
返事はないが、了承してくれたはずだ。
領主館が近付いてきた。外塀の入り口に衛兵が十名ほども立っている。警戒が高まっているせいだろうか。
「ジンと申します。こちらはノーラ・アンドレア・ラオ。その一行七人が来たと、リヨン伯爵にお伝え願いたい」
衛兵の一人が応えた。
「ジン? ラオ? 来客の予定はない。今、伯爵は忙しいのだ」
「はい。状況は聞いておりますが、それだからこそ、お伝えしたいことがございます」
ジンもこういった対応が慣れてきている。
「まあ、分かった。会えるかどうかは別だぞ? 伝えるだけ伝えてくる。おい、ペテル、お前、走って行って伯爵の傍仕えに伝えてきてくれ」
「ああ、分かった」
こんな様子で衛兵たちが一応動いてくれている。ジンたちは領主館の外塀の門の前で、ただ待つことにした。
「ポルターダ様は一万もの兵を自費でウォデルに救援に送っている。それもこれもこの北部穀倉地帯を守って、人々の命を守るためだ。そんな伯爵に兵を差し向ける、なんとか侯爵は気でも狂っておるのか」
ジンは、待つ間、ノーラに話しかけた。
「ジン、気なんぞ狂っておらん。そうやって爵位を上げてきた貴族のやり方を今もただ貫いているだけなんだろう。魔物は西からやって来る。東のイルマスには危機感がないのだろうな。まだこんな王国ごっこを続けようというのだから」
「害悪、だな。そ奴を引っ捕まえて、トロルの前に立たせてやりたい」
「ははは、ジン、それは少々悪趣味と言うものだぞ」
「だが、そうすれば今のイスタニアの状況が理解できるはずだ」
そんな話をしていると、なんと、リヨン伯爵自ら、息を切らせて門までやって来た。
「隊長! それに男爵も! よくぞ参られた!」
「ポルターダ様! 何も走らずとも」
「リヨン伯爵、お久しゅうございます」
ノーラは深くは関わることはなかったが、面識のあったリヨン伯爵にそう言った。
「隊長、それに男爵、いいところに参られた」
「ポルターダ様、拙者はもう隊長ではござらぬ。ただのジンでございます」
「そうか、ジン、状況は聞いておるか?」
「はい、なんとなくではございますが」
「これではウォデルに派遣しておる兵を呼び戻すか、侯爵に恭順を示すかの二択だ」
「先方は何と言っておるのですか?」
「ジン、まずは館に上がってくれまいか。皆も。大変な状況だが、今すぐに戦になるといった状況ではない。時間も時間だ。夕食の用意をさせよう」
◇
「衛兵たちもいたのでな、あまり細かな話は出来なかった」
伯爵の居城としては、さほど大きくないダイニングルームにジンたち七人が招かれた。伯爵と家老らしき高官、それにメルカドが同席している。
案の定、メルカドはすでにパディーヤに到着していて、ジンたちを待っていた。リヨン伯爵に請われて、領主館で一泊したところにジンたちが到着した、という次第だ。
「ポルターダ様はどこまで現状を理解しておられるか、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「だいたいのことは理解しておる。メルカドがジンたちが到着する前に来てくれたからな。魔物の変化の件も聞いておる」
「で、あれば、拙者が思うに人間同士の争いなぞ、絶対にしている場合ではないかと」
「それは、あの、腰ぎんちゃく侯爵に言ってくれ……と言いたいところだが、確かにな。私の返答次第で戦になる。つまり私次第、と言うわけか」
「なんとか時間稼ぎはできないでしょうか? イルマスは北部穀倉地帯に依存しています。北部穀倉地帯もイルマスに依存しています。この相互依存の形がある限り、向こうも簡単に戦にはしないはずです」
北部穀倉地帯で作られた芋や小麦はイルマスを通じて帝都ゲトバールやスカリオン公国のパーネルに運ばれる。イルマスも食料が北部穀倉地帯から入ってこなければ、利ザヤを取れないし、イルマスで消費する食料も確保できない。
「確かにな。東門の向こう、一ノルほどに陣立てしているが、まるでやつらに戦意が見えない。脅せば落ちる、とでも思っておるのだろう。確かに戦はしたくないはずだ。かと言って、ジン、そなたはこのパディーヤの軍の規模を知っておるのか?」
「ええ、正確には分かりませんが、千人ぐらいかと」
「ああ、その通りだ。一万弱をウォデルに派遣しておるからな。ちなみにイルマスの兵力は二万以上だ。メルカドに頼んで見に行ってもらった」
「ポルターダ様、ひとまず、使者を立てて、向こうの指揮官と会談なさってはいかがでしょうか?」
「それしかないのだろうが、それにしても、そこで何を話すか、いや、向こうが何を言ってくるか、これによって大きく状況が変わる。こちらの腹積もりを固めておく必要があるのだ」
「腹積もりはポルターダ様が今考えていることでいいのではないでしょうか?」
「ん? なんだ、ジン、ははは。私の考えていることが分かるのか?」
「ええ、分かりますよ。ポルターダ様はこの北部穀倉地帯を馬鹿に支配されたくない。かと言って、魔物との戦いが熾烈を極める中、人間同士の戦は是が非でも避けたい。そう言うことでしょう」
「そういうことだ。かと言って、ジン、それをそのまま言うわけにはいくまい」
「ええ、だから、会談でこの北部穀倉地帯を魔物から守ってくれるというのであれば、恭順する、と言えばいいのです」
「なるほど。だが、相手がそれに否と言えば。ただ、新アンダロス王国に恭順を示せ、でなければ踏みつぶす、と」
「その場合は、民をよろしくお願いします、と言って、いっそ、残りの兵と共にウォデルに引越しされてはいかがですか? 新アンダロス王国を名乗る連中が旧アンダロス王国の民であるリヨン伯爵領の民を虐げるとは思いません。そんなことをするのであれば、何のための征西なのか、という話です」
「なるほどな。多分そこまでの話にならないだろう。分かった。ペイズリー、使者を送れ。会談を申し出よ。会談は明日。時刻と場所を設定してまいれ」
リヨン伯爵は自身の隣に座る高官らしき人をペイズリーと呼び、そう命じた。
◇
会談は翌日、リヨン伯爵がペイズリー、ジンを伴って〈新アンダロス王国軍〉陣内の大きな天幕の中で行われた。昼後二つ。日が西に傾きかけたころで、外の気温は低いが、天幕に当たる陽光が、中を温めてくれていた。
リヨン伯爵もジンたちも跪かない。ただ礼をして、敵将を見た。
十二歳位の幼い男の子が、旧アンダロス王国の王族たちよりも煌びやかな衣装で着飾って、首座に座っている。彼の後ろには武人らしき中年の武骨に見える男、それにローブを着た文官か魔導士と思える二十代後半に見える男が立っている。
「余はディーパックだ。この軍団の総大将だ」
まだ声変わり前の甲高い声でそう高らかに言った。『余』、つまりイスタニア世界での王族の一人称を使ったことから、ウェストファル侯爵の子供なのだろう。
リヨン伯爵は一瞬、反射的に『殿下』と言いそうになったが、思いとどまった。
「では、ディーパック様がこの会談の当事者と言うことでよろしいでしょうか?」
すると、ディーパックの後ろに立つ、ローブを着た男が口を開いた。
「リヨン伯爵。殿下を『殿下』と呼んでくださらぬ、とそう言うことか」
つまり恭順は示さない、新しく出来た〈新アンダロス王国〉を認めない、ということか、と彼は聞いている。
リヨン伯爵はまだ自己紹介のない彼の方をゆっくり向いた。
「貴公は?」
「申し遅れた。宰相のハーシュ・ブリスコーンと申す。幼い殿下に代わって、この軍団の差配を振るっている」
「ブリスコーン殿、恭順を示すかどうかはこの会談次第。まだ会談が始まらぬうちにはもちろんそうお呼びするわけにはいかんだろう」
「あいわかった。ではそうしてもらえる可能性はある、と考えてもよいのだな」
「はい」
「では、何が今すぐ『殿下』と呼ばない理由になっておる?」
つまり、恭順を今すぐ示さないのはなぜか? とブリスコーンは訊いている。
「ブリスコーン殿は現在の西部の状況、帝国西部の状況、それに北部穀倉地帯の意味を理解しておられるか?」
リヨン伯爵は質問を質問で返したが、同じ問題認識を持っているかどうか確認しないわけにはいかない。それがなければ、話が通じないのだ。
「魔物のことか。ああ、ウォデルで魔物と戦いになっておるのは承知しておる」
「その魔物が先般、人間の軍隊のように陣形を操作しながら、ウォデル西門を落とす直前まで行ったこともご存じか?」
「馬鹿なことを申すな。魔物は魔物だ。知能など、ないに近い。それがそんな軍事行動まがいのことをするわけがない」
ブリスコーンは魔物との戦いは各地に散っていた情報員から聞いていた。しかし、その情報は古い。
「……やはりな。ウェストファル侯爵閣下は東の一番安全なところにいて、状況を理解しておられない。だからこんなお遊びに興じておられるのだ」
突然、ディーパックが立ち上がった。
「聞き捨てならん! 父上を愚弄するか!?」
「殿下、お座りになってください。王族として物事には鷹揚に対応するようにいつも申し上げているではありませんか」
ブリスコーンはディーパックをそうなだめた。どうやら彼は宰相兼王子教育係であるようだ。
憤懣やるかたなしの表情でディーパックは座りなおす。
「リヨン伯爵、殿下の御前だ。言葉を謹んでいただきたい。しかし、それはどういうことだ……」
「ジン、話してやれ。ブリスコーン殿、このジンは先般の対魔物戦で騎馬隊突撃の隊長の任に当たった者だ」
「ジンと申します。ウォデルでの防衛戦での話です……」
ジンは事細かにあの戦いの様相を説明した。
「鉄砲も役に立たなかったと」
ウェストファル侯爵は既に鉄砲を数丁手に入れていた。弾薬の供給がないので、実際には兵器化できていないが、その威力などは理解していた。もちろんこのブリスコーンもそれを見た。
「役に立たない、と言うことではありません。ウォデルには鉄砲も弾薬も数丁しかないのです」
ジンは補足した。
「オーサークから遠いからな。それは分かるぞ。……では、会談としては今日のところはこの程度にしておこう。また、明日。同じ昼後二つに。次はこちらからリヨン伯爵の領主館に赴こうではないか」
突然、ブリスコーンが会談を打ち切ろうとしてきたことに、リヨン伯爵とジンは顔を見合わせたが、何か意図があるかもしれないと、同意した。
「ブリスコーン殿、承知した。ジン、ペイズリー、行くぞ」
三人はディーパックに礼をした後、天幕の中に立ち並ぶ諸官に目礼をしながら、天幕を出た。
しばらく、新アンダロス王国軍の陣内を西の方、パディーヤに向けて歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「リヨン伯爵! リヨン伯爵!」
ブリスコーンだった。
「……あの場では言えることと言えないことがあってな。しばし一緒に歩こうではないか」
「ディーパック様に聞かれたくない、と」
リヨン伯爵は周りにいる兵に聞こえないようにそう小さく訊いた。
「殿下はああ見えて賢い。それに御父上である陛下を心の底から信じている。直截な話をすれば、私も話し方の一つで首が飛ぶのだ」
「お主も苦労するな」
「私の苦労はこの際どうでもいい。リヨン伯爵、実際のところを教えてもらいたい。この魔物との戦い、そんなに不味いのか?」
「ああ、不味いな。帝国はすでに帝都から数百ノルにまで前線を下げておる。向こうはワイバーンなどの空からの攻撃が多いと聞く。竜騎士たちが必死になって支えておるらしい。ウォデルの話はすでにしたはずだ」
「だから陛下には私は申し上げたのです。今や人間同士で争っている場合ではない、と。しかし、陛下は『だからこそ今なのだ。中原を支配して、新アンダロス王国の基礎を作る』とおっしゃられた」
「ブリスコーン殿。私は本当のところ、それでもかまわない、と思っている。民の安寧が守られるのであれば、この北部穀倉地帯が安全にイスタニアの食料庫であり続けられるのであれば。その辺りはどうなのだ?」
四人はすでに新アンダロス王国軍の巨大な陣の端まで来ていた。ブリスコーンは足を止めて、リヨン伯爵を見た。
「私に案がある。その点に関しては私の意思も同じだ。ただ、臣下として、陛下の覇業のお手伝いをしなければならない」
「ブリスコーン殿、明日、ディーパック様は領主館に来られるのか?」
「いや。さっき殿下の後ろに立っていた男がいただろう。フエンテス将軍と言う。彼と私がお伺いすることになる」
「では、ブリスコーン殿、詳しい話はその時に」
こうして一日目の会談は終了した。ジンはこんな時に人間同士の騒乱を招くような行為をするウェストファル侯爵を最初は憎んだ。だが、その行為の裏には無理解というのがあるのだろうと感じた。このイスタニア世界では距離を隔てれば、情報は伝わらない。伝わっても大きな誤謬が含まれるのが常だ。
心の中で、自らノーラに冗談で言った言葉がよみがえって来た。
『そ奴を引っ捕まえて、トロルの前に立たせてやりたい』
なんとか更新できました。
明日も同様に更新できるかどうか不安定です。