124. 異常
ファルハナ復興のためのロードマップ。
自分が主になって掲げたこのプランに、ジンは打ち込んだ。
ノーラを救出した際には、まるで自分の目的がすべて達成されて、燃え尽き症候群とでも言われるような状況になったが、ノーラの一言でジンには新たな目的が出来た。
ノーラの一言、それは『ジン、魔物の話はいささか妙だぞ。〈ドーザ倒し〉だったか、そんな理屈でこの数の魔物は人間界に出てこない』だった。
何かがおかしい。スカリオン創世記の話に重ねて納得していたが、それにしてもこの数の魔物は異常だ。異常、と言う点では異世界から転移してきた自分自身も異常だ。つまり、この二つの異常さは何らかの関係性があるのではないか、とジンは思ったのだ。
(それには、アスカだ。そもそもなぜ俺は転移したのか。アスカの人たちはなぜ誰かが転移してくることを知っていたのか)
ジンは、このイスタニア世界の形がようやく見えてきていた。その理解を通して、自分自身と、この魔物の人間界への侵入、この二つの事象が結びついていると確信した。それを言葉にして、理屈立てて、説明するにはまだ至らないが、それでも、ジンは確信と言えるほどまで、この二つの事象が結びついている、そしてそのカギはアスカにある、と結論付けていたのだ。
一カ月半ほど、ジンは軍を率いてきた責任者として、ロードマップに沿って、本来的にはど素人であるところの政治的なことに打ち込んだ。そして、食料がいよいよひっ迫して、これ以上の猶予がない、という段になって、ウォデルへ街道を通って行くことを決心した。
◇
ジンはマルティナとマイルズ、それにツツと並走しながらウォデルへと向かっていた。ニケはファルハナに残してきた。彼らの後ろには銃騎兵隊三〇名、フィッツバーン男爵家の騎士ルセロが率いる領主連合軍の騎馬隊五〇人。総勢八三人の騎馬隊だ。上空には竜騎士メルカドが先行しては戻ってくるのを繰り返している。騎馬隊の前方を空中から確認しているのだ。
徒歩の兵力は今回、参入させなかった。それは時間がかかるからだ。それほどまでにファルハナの食糧問題はひっ迫していた。
マイルズとはウォデルでお別れだ。マイルズはミルザ伯爵に仕えることにした。ファルハナを出発する際、ニケが寂しがったのは言うまでもない。ただ、全く冒険者らしいことをしていないのに、自分は冒険者だと言い切って来たマイルズが縁あって騎士となることは喜ばしいことだった。
とまれ、上空を旋回していたメルカドが急に降下を開始すると、先頭を行くジンの前に着地した。
「ジン殿、前方三から四ノル、魔物の集団です! 百体ほどが廃集落にかたまっています!」
メルカドの報告を受けて、ジンは最も気になる点を訊ねた。
「トロルはいるか?」
「トロルも三体います」
「よし。銃騎兵隊を先頭に、騎馬隊突撃。銃騎兵隊はトロルのみを標的にして、倒せ。トロルを倒したら、すぐに騎馬隊の後ろに回って、援護に徹して、弾を無駄にするな」
トロル以外の敵は槍が主体のこの騎馬隊で十分対応可能だ。弾薬を小物相手に使う必要はない。
銃騎兵隊はそもそもここのところ、発砲許可が全然下りないので、若干ではあるが欲求不満気味だったので、喜び勇んで騎馬隊の前に出た。
率いるのはマイルズだ。
「セス小隊は一番右をやれ! ラナム小隊は中央、ハルマン小隊は左だ! いいか、出来るだけ近づいて二射して離脱。倒せなければ、両側に装填して再突撃だ!」
マイルズの指揮も最近は的確かつ明瞭、これまで間違った采配で兵を苦しめたことがないので、銃騎兵の間では評判が良い。
ただ、銃騎兵は馬を走らせながらの射撃になるため、小さな的への命中率は低い。それでも、一個小隊十名、二連発で二十発。一発ぐらいはトロルの眉間を貫くだろう、という計算だ。
セス小隊とラナム小隊が一回目の射撃で目標トロルを撃破したが、ハルマン小隊が失敗してしまった。失敗後、馬を左に旋回させながら魔物の群れから遠ざかろうとするが、魔物の群れに突撃していた馬が急に方向転換が出来るわけではない。
魔物の群れの先頭を掠めるようにして、左に逸れて行く、そこにハルマン小隊に攻撃されたばかりであちこちから出血しているトロルが追い縋りだした。
「やばい!」
ジンが叫んだ。
すると、マルティナは詠唱を終えて、準備していた強力な電撃魔法をそのトロルの脳天にはなった。すさまじい轟音を放って、雷がそれを貫いた。
雷はトロルの頭頂部から顎にかけて、大穴を穿つと、地面まで届いた。
一瞬で命を絶たれたトロルが地響きを立てて、俯けざまに倒れた。
「マルティナーー! 助かったぜ!」
引き返してくる銃騎兵隊の先頭で、マイルズが大きな声で礼を言った。
「感謝してるなら、ジンと一緒に居てやってーーー!」
マルティナは、ジンがマイルズが去ることを知って寂しがっているのを知っていた。
「マルティナ、ジンやお前とは俺はずっと友だ。何かあれば駆け付けるさ。だから、奴の元に気持ち良く行かせてほしい」
すでにマルティナの傍まで駆け付けたマイルズはふざけたり、大げさに言ったりすることなく、思いを口にした。
「……うん。また、会えるよね」
マルティナも、こんなタイミングで行ってしまったことに少し反省しながら、呟いた。
「ああ、マルティナ。マイルズはずっと俺たちのマイルズだ」
ジンは分かったような分からないようなことを口にして、まだ戦場にあるこの場をごまかした。実際は彼に一緒にいてほしかったのだ。特にジンがこれからやろうとしていることを考えると、マイルズに自分やニケ、それにマルティナを支えてほしかったのだ。
「……ジン、訳の分からんことを言う前に、指示を出せ」
と、マイルズから帰って来たのはそっけない返事だった。
「あ、ああ。……騎馬隊! 前に! 残敵を蹴散らせ!」
気を取り直して、指示を出したジンに、貴族の子弟中心が構成する領主連合軍騎馬隊がパーネルの銃騎兵にいいところを持っていかれてはたまらないとばかりに鬨の声を上げて、残ったオーガやゴブリンに突撃していった。
◇
街道沿いにはこういった魔物の大集団が散見したが、八〇騎からなる通常の騎馬隊と銃騎兵の混成部隊は、ほぼ無敵だった。それに、強力な魔導士が同道しているのが大きかった。
ジンが刀を振るったのは、ウォデルが見えるようになるまで、たったの一回だった。
しかし、ウォデルに近づくとその様相はずいぶん異なった。
ウォデル大橋の周りにはチョプラ川に沿って、視認できるだけでも千体、戦闘が始まれば、今はチョプラ川に張り付いていて、対岸を睨んでいる魔物たちも集まって来るだろう。そうなれば、メルカドの上空から見た感じでは二千体は下回らないだろう魔物たちを相手にすることになるかもしれない。
それを打ち破らなければ、ウォデルに入城できないことが分かって来た。
強力な騎馬隊ではあったが、二千体はさすがに荷が重い。
「ジン殿、献策、よろしいか?」
騎馬隊隊長のルセロが口を開いた。
「ルセロ殿、何なりと。なかなか難しい状況ですから」
「自分が思いますに、要は街に入れればいいわけです。西門のウォデルの弓兵隊が協力してくれれば、ウォデル大橋の上の小物を殲滅可能です。我々は騎馬ですからスピードで門をくぐりさえすればいいのです」
「しかし、ルセロ殿、その後は? 食料を満載した輜重隊を西門から出してそれを護衛してファルハナに戻るわけですよ。単に我々が街に逃げ込んでも、今度出るときにこれだけ魔物が多ければ……」
「だからです。一度、街に入れば銃騎兵の鉄砲を城壁上に展開できます。そうなれば、橋の上はもとより、チョプラ川沿いに群がる敵は掃討できるはずです」
ルセロの言う案は悪くない。楽観視しすぎているきらいもあるが、現状、ジンにもそれしか思いつかなかった。
◇
「敵全てを倒す必要はない。ウォデル大橋を中心に、自分たちの進路上の敵にだけ集中。一点突破で門をくぐる!」
ジンは指示を出した。メルカドがウォデルに上空から入って、すでにミルザ伯爵に作戦の概要を伝えてある。弓兵隊を城壁上に展開し、ウォデル大橋の上の敵を出来るだけ減らしてほしい、そして、ジンたちが突撃でウォデル大橋を突破するので、たどり着けばすぐに門を開けてほしい、と。
「全隊! 突撃!」
銃騎兵と普通の騎馬兵を混然一体として並走させた。銃騎兵が遠距離攻撃で打ち漏らした敵を接近戦で騎兵が倒すという、作戦ともいえないほどシンプルな作戦だ。
ジンが会津兼定を振るうと一撃で数体のゴブリンの首が宙を舞ったかと思えば、馬を駆りながらずっと詠唱していたのだろう、マルティナが強力な範囲電撃魔法を放って、一撃で百体ほども葬った。これで、全隊の進路が開いた。
ウォデル大橋の中ほどまで来ると、まだ魔物が橋の上に十数体残っていたのにもかかわらず、西門が開いた。ジンの部隊がミルザ伯爵の信頼を勝ち取っていることの証左だ。
ジンの騎馬隊はそのまま門を駆け抜けて、街に入って行った。追い縋る魔物たちは城壁からの精密射撃で、一匹一匹と葬られている。エディスだ。
「ジン! 無事でよかった!」
エディスは銃撃の間に、門に近い城壁の上から大声でジンを呼ばわった。ジンは無言で会津兼定を宙に突き上げて、それに応えた。
◇
城門をくぐると、ミルザ伯爵たちがジンたちを出迎えた。
ミルザ伯爵の背後から、懐かしい顔ぶれが現れた。