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123. ノーラの救出

「ノーラ!!」


 アジィスの兵が地下牢にシャヒードとジンを案内していたが、ジンは、兵舎の地下に降りる階段が見えたとたん、その兵の歩く速度に焦れて走り始めた。


 兵舎の地下、それが地下牢であることは分かっていた。ここまで案内してくれれば、その先はわかる。ジンは走った。


「ノーラ!」


 暗い地下牢はいくつもの独房が連なっていて、どれにノーラが入っているのかは分からなかった。


「ジン、か?」


 聞いたことのある声が聞こえた。暗い地下牢の通路から目を凝らすと、鉄格子越しにスリット状の採光口から得られた光にかろうじてファニングスの姿が浮かび上がった。


「ファニングス!?」


「ああ、ジン、俺だ。ラオ男爵はこの先だ。行ってやってくれ」


「ファニングス、すぐに戻ってくる」


 ジンはそう言い残すと暗闇の中、地下牢の房が連なる通路を奥に進んで行った。


「ノーラ!」


 ジンはただひたすらその名を呼び続けた。


「……ジン」


 懐かしい、求める人の声がジンの耳に届いた。


「ノーラ! どこだ?」


「……来るな、ジン」


 ジンははたと立ち止まった。



 ◇



 来るな、とジンは言われた。それでも、ジンは行かなければならい。ここまで、何百ノルの旅をこのためにやって来たのだ。


 いまや、ジンの中で〈役目〉などと言うものはすっかりと抜け落ちていた。ただ、ノーラを救う、それだけが目的でここまでやってきていたのだ。


「ノーラ、来るな、と言われても俺は……俺は助けに来たんだ! それ以外、何もないんだ!」


 ジンは地下牢の房が連なる、暗い通路でそう言った。大きな声ではなかったが、声は響く。


「ジン、お前に今の私の姿を見られたくない。見てほしくない」


 ジンはそれに何も答えずに進む。


「ジン! 娘を、ノーラを!」


 ガネッシュの声が聞こえた。ガネッシュは声で通路を歩くのがジンだと認識していた。


 ジンはノーラの独房の前に来ていた。


 暗くて様子は良く見えない。

 異臭がする。美しい彼女からこんな匂いがするとは考えられないが、これが現実だ。人が生きる、ということはそう言うことだ。皮膚は再生を繰り返し、古い皮膚は垢となる。物を食べれば汚物が出る。ただ、人が人らしい生活をするということは、そう言った老廃物を常に身の回りから取り除きながら、人としての尊厳を保つということでもある。ただ、長い時間地下牢に閉じ込められていたノーラには、その尊厳を保つ余裕は与えられなかった。


「ノーラ……ノーラ! 俺を信じろ。この日を信じて俺はここまで来たんだ」


「ジン! 女に恥を……」


 ノーラの独房の前にジンは立っていた。ノーラはそれ以上続けられなくなった。ジンは少しの間、涙がにじむ目で鉄格子越しにノーラを見ていたが、急にアジィスの兵の方を向いた。


「今すぐ、全員の牢の鍵を開けろ! すぐ、だ! もたもたすれば俺が叩き斬る!」


 怒髪天を衝く。ジンの様相はまさにそれだった。ジンとシャヒードを案内した兵は、額に汗しながら、牢の扉の鍵を次々に開けて行った。


 ノーラの牢の扉が開くとジンはノーラに駆け寄った。もうノーラもそれを拒まなかった。ジンは正面からノーラに抱きついた。ノーラはそんなジンに腕を回すこともなく、かといって拒絶するわけでもなく、ただ、ジンのそうするがままになっていた。


「……ジン、来てくれたのだな」


「ああ、ああ、そうさ!」


「すまぬ。ファルハナを守れなかった」


「俺に謝る必要なんてない。生きていてくれて、ありがとう」


「……その、臭いだろ?」


「そんなもの、構うことあるか」


「……お主、否定はしないのだな」


 ラオ夫妻、ナッシュマン、ファニングスもすでに牢から出て、ノーラの牢の前まで来ていた。彼らから苦笑が漏れた。



 ◇



 残敵の掃討を終えたガズマンらが西地区から、マイルズが東地区から、すでに領主館にやってきていた。弓兵隊の内、一〇〇名、鉄砲隊の内一〇名が南大門の防衛に残った。外には魔物たちがうろついているのだ。街の中の掃討を終えたと言っても、外からどんどん入ってくるなら、意味がない。


 領主館も解放されたことで、地下牢から救出されたノーラたちは湯あみをしたり、食事をしたり、が出来た。シャヒードが食料を調達してビーティに届けさせていたことで、幸い皆の健康状態は、弱ってはいたが、さほど悪くはなかった。


 フィッツバーン男爵やガズマンら、ファルハナから見て外部の人々と会う前に身綺麗にしたノーラ、ラオ夫妻、ラオ家の騎士たち、ジン、マイルズらがバンケットルームに集まった。この後のことを話し合うためだ。


 まず、マイルズが口を開いた。


「キノ山の鉱山の入り口を銃騎兵五人で封鎖してきたが、あまり効率が良くない。銃騎兵の仕事じゃない。鉄砲兵数名と弓兵数名、それに歩兵数名で輪番制を……」


「待て待て、マイルズ。何の話だ?」


 ジンがマイルズを遮った。ジンはマイルズが何の話をしているか分からなかった。


「鉱山だよ。あそこにかなりの魔物が入り込んでいる。かと言って、まるで迷宮の様になった鉱山に入って、魔物たちを掃討する余裕はなかった。だから、現状、銃騎兵で入り口をふさいだってわけさ」


「わかった。ガズマン殿、弓兵を二十人、フィッツバーン男爵、歩兵二十人貸していただけるか? 鉄砲兵は十人出す。輪番制で鉱山を封鎖する」


 フィッツバーン男爵とガズマンが頷いた。ガズマンは頷いたあと、口を開いた。


「ジン殿。俺もいいか? 西地区だがな、ほとんどが住居で無人だ。魔物が中に残っていても不思議ではない。物音を立てると襲ってくるので、魔物は全部出てきてくれたと信じたいが、保証はない。家の中まで全部調べる人的時間的余裕はなかった」


「ジン、それは東地区も同じだ。住居ではないが、鍛冶屋街や産業地区の建物内にまだ魔物が残っていないという保証はない。辻にいた魔物は全部倒してきたが、建物の中までは調べられていない」


 マイルズにも同様の心配があった。ジンが考えていると、ドゥアルテが口を開いた。


「では、二日間ほど、小隊単位での警らを実施してはどうか? 弓兵、歩兵、鉄砲兵を混成部隊にした小隊の編成が最適だ」


 ドゥアルテには対魔物戦で距離に応じた臨機応変な対応が出来る混成小隊が有効なことを後退戦で学んでいた。


「鉄砲兵が圧倒的に足りないが……」


 ジンが呟くと、ドゥアルテは補足した。


「鉄砲兵は基本的には対トロル戦の切り札だ。小隊に一人いれば十分だ。それに小物相手にバンバン弾を撃っていては、いざという時に、弾丸が足りなくなる。ファルハナで弾丸が作れるようになるにはまだ時間がかかるからな」


 ジンは頷くと、続けた。


「では、ファルハナの当面の安全確保についてはその方向で行こう。問題は山積している。まず、人がいなければ、鉄砲、弾薬の生産は出来ない。人がこの街に住めるようにするには、食料を確保しなければならない。それにはここからウォデルまでの街道を行き来する輜重隊の安全を確保しなければならない。来るときは渡河作戦を行ったが、ウォデルから食料を持ってくるとなると、街道を使わざるを得ない」


 ファルハナで鉄砲の生産を復活させるためのロードマップが提示された。


 当面の街の安全確保、フィンドレイ戦で壊された城壁の本格的補修、キノ山の鉱山内に潜む魔物の掃討、ウォデルまでの食料輸入路として街道の安全の確保などなどだ。


 西地区の一部住居を撤去して、開墾して食糧の自給を始めることも話し合われた。人がいないのにこんなたくさんの住居は無用だ。


 そして、最も重要なこととして、職人、技術者をオーサークからファルハナに呼び戻す必要があった。


 ノーラや彼女の両親、ナッシュマンとファニングスはまるで浦島太郎のような心持でこの話し合いをただ見ていた。彼女たちは地下牢にいる間、シャヒードからある程度の情報を得ていたが、そのシャヒードもファルハナにあって、世界の情勢はよくわかっていなかったのだ。



 ◇



 アジィスはノーラたちがいた地下牢に入れられた。彼に付き従っていた九〇人の兵たちは、武装解除され、街中の人々の遺骸や魔物の死体の集める仕事が与えられた。人々の遺骸は一か所に集められ、荼毘に付されることになった。このまま腐敗したままにしておけば、はやり病のきっかけになるかもしれない。


 アジィスの兵たちの半分は誇り高き近衛兵たちだった。かと言って、南部アンダロスはすでに津波に飲まれ、今度は魔物だ。誇りでは食えない。今や彼らはジンたちオーサーク軍や領主連合軍、それにウォデル軍の糧食を頂いている存在だった。


 何の監視もない中、街を飛び出そうと思えば、それも出来たが、武器も持たずにファルハナの城壁の向こうに行く無謀さも分かっていた。



 ◇



 ジンはノーラやラオ夫妻、それにラオ家の騎士たちに戦いの成り行き、オーサークやウォデルの状況の説明をした。


 オーサークに移民団が向かう、という案がうまく進んだことにノーラは喜んだが、その先にあった帝国との戦いを聞いて驚いた。


「ジン、帝国の目的は何だったのだ?」


「イルマスの不凍港です。津波の混乱に乗じて、攻めてきたところに、帝国本土が魔物に襲われて、急遽和議を結んだ、というのが状況でした」


 ジンは皆が揃うこういう席では、ノーラに対してしっかりと敬語を使っている。


「ということは、イルマスは健在なのか?」


「ええ。今や、新アンダロス王国を名乗っているらしいです」


「まだそんなことをやっておるのか……」


「はい。愛想をつかした北部穀倉地帯の領主様たちがこちらの味方になったのはそういう背景もありました」


「なるほどな。しかし、ジン、魔物の話はいささか妙だぞ。〈ドーザ倒し〉だったか、そんな理屈でこの数の魔物は人間界に出てこない」


 ノーラに言われて、ジンはそれは確かにそうだ、と思った。二年も暮らした魔の森のほとりの森でさえ、魔物の数は高々しれていた。



 ◇



 ノーラは牢を出て二日も経つと体調がずいぶん戻ってきて、ニケがいるという〈レディカーラの瀟洒な宿〉に出向いた。


 ニケはノーラとの再会を喜んだ。ニケは遠慮なくノーラに抱き着くと、しばらく何も言わずに、ただそうしていた。まるで、ノーラが本当にそこにいるのを実感しようとしているかのようだった。


「ごめんよ、ニケ。心配させて、無茶をさせて。私はこうして無事だ。ニケが無事で本当にうれしい」


 顔を下にしてノーラの腰に抱き着くニケの目から安どの涙がぽろぽろと湧き出た。


 ノーラと一緒にカーラの宿に戻って来たジンは、カーラが無事だった顛末も聞いた。それはつまり、シャヒードが反乱軍を率いて戦っていた時、カーラの宿は反乱軍諸氏の連絡所になっていた。


 その関係もあって、魔物が街に侵入してきたとき、カーラはシャヒードたちにすぐに保護されたのだ。


 ツツもカーラとの再会を大いに喜んだ。カーラに頭を押し付けて、しばらく彼女から離れなかった。


 ファルハナ奪還後の二日間、人々は再会を通して、共通認識が進んだ。



 ◇



 竜騎士ライナスはオーサークにいて、ファルハナ奪還の報を届けていた。メルカドは既にウォデルのミルザ伯爵に報告を終え、ファルハナに戻ってきていた。


「ファルハナの南、街道沿いの魔物の数はたかが知れています。芋の道に入ってもさほどではありませんが、やはり、チョプラ川沿いにはかなり魔物が溜まっています。特にウォデル大橋の周囲には二千体ほどの魔物がひしめいています」


 報告を聞くジンだが、どこか上の空だった。ジンはずっとこれまでいろいろな理屈――北部穀倉地帯を守ること、ファルハナで鉄砲の生産体制を復活させること――をこねて、人々を巻き込んできたが、実のところ、ただノーラを救出したいだけだっだ。そして、それが達成された今、他の問題にはどうしても興味が向かないでいたのだ。


 ジンはそんな自分の状況に気が付いてハッとした。三中隊も率いて、ファルハナを解放したジンは自然といろいろな判断を任されていた。しかし、自分の気持ちはそこにはない。ただ、最低限のけじめはつけてこの任を退く必要があった。


 ジンは少なくとも分かっている状況――つまり、食料が圧倒的に足りない状況――から手を付けた。


「メルカド殿、ありがとう。だが、状況がどうあっても、食料をウォデルから持ってこないことにはファルハナの復興は不可能だ。最低限の守りだけをここに残して、ファルハナから最大兵力で食料をここに持ってくる」


 竜騎兵のメルカドを付けた銃騎兵隊を主力とする騎兵隊をファルハナから出撃させて、ウォデルに向わせ、ウォデルからファルハナに食料を満載した輜重隊をそれらの部隊で守りつつ、持って帰る、ということが決められた。


 こう言ったことを決めながらも、ジンの頭には、他から見ればかなり突飛のない事が浮かんでいた。


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