122. 解放される者のいないファルハナの解放
ファルハナ奪還部隊は南大門より三〇〇ミノル離れた街道沿いに陣取った。
「城門に何の反応もないな……」
ジンが呟いた。
「ジン、何かおかしいぞ。フィンドレイ戦でやられた城壁の仮補修の柵がなくなっている。それに、魔物がとっくにファルハナを取り囲んでいるかと思っていたけど、それもない。魔物は時々俺たちを襲いに来る程度だ」
マイルズが言っていることは正しい。それにアジィスの部隊はどこにいるというのだ?
「メルカド殿、頼まれてくれるか?」
「ジン殿、承知した」
メルカドはすぐに相棒のワイバーンに跨ると、空に舞い上がった。
「いつ見ても、不思議な感じがするな。マイルズ」
「ああ、お前のような異世界人でなくとも、あれは不思議な感じがするよ。人が空を飛ぶなんてな」
帝国人でないマイルズにとっても、竜騎士はなかなか見慣れないのだ。
見る間にファルハナの上空に出たメルカドは上空で大きな円を描きながら、街の様子を確認すると、戻って来た。その間、ほんの数ミティックだ。
「ジン殿、街には人がいません。人かと思って目を凝らすとゴブリンでした。領主館の外塀の前には数十の魔物が集結していますが、戦闘は起こっていませんでした」
「誠か……街はすでに魔物に落ちたということか……」
「領主館の外塀の内側には入り込んでいる形跡は見られませんでした。ジン殿。あの程度の魔物なら、蹴散らしながら領主館を目指せますが、どうしますか?」
「考えるまでもない。そのために我々は長い時間をかけてここまで来たんだ……ドゥアルテ殿、フィッツバーン男爵、領主連合軍の騎兵隊で街の目抜き通りにうろつく魔物たちを掃討していただけないでしょうか」
フィッツバーン男爵が率いる領主連合軍のおよそ半数、五〇人程度が貴族の子弟を主体にした騎兵だった。彼らを使って、およそ四ノル、南大門から領主館を直線で結ぶ目抜き通りの掃除していく、というわけだ。
「ああ、ジン殿、了解だ……騎兵隊! 前に!」
フィッツバーン男爵家筆頭騎士ルセロや件の〈ブレーヴィンズ男爵家のラケッシュ〉を含む騎兵に、街の様子をよく知っているはずのドゥアルテが同道した。
南大門に近づくと、ドゥアルテは異臭を感じた。
南大門は完全に閉ざされていたが、守る兵は誰もいない。フィンドレイ戦で壊された城壁の大穴から、ドゥアルテは十騎率いて、街の中に入った。中から門を開けるのだ。
大穴をくぐると、南大門前の広場だ。ドゥアルテは異臭の理由が分かった。
ここまで入ってくるとそれは異臭などと言うものではなく、腐臭になった。
「なんという……」
ドゥアルテは言葉を失った。
広場には数人の遺骸が散らばっていた。遺骸は魔物の食い残しらしく損壊が激しい。季節が夏になって、そんな遺骸の腐敗が激しくなっているのだろう。
ドゥアルテは南大門に入り、内側から門を開いた。
「ジン、ファルハナはもうない」
門の前までたどり着いていたジンと残りの部隊を前にして、ドゥアルテは呟いた。
「ドゥアルテ殿? どういうことですか?」
「入ればわかる」
南大門をくぐると、ジンにも状況が分かって来た。さっきからしていた異臭の正体も、ドゥアルテが言った「もうない」という言葉の意味も。
(カーラ! カーラの宿はどうなった!?)
ジンは即座にあの老婆のことを思い出した。南大門をくぐると、大通りだ。かつてニケとこの街に到着したばかりの時、最初に目に入ったカーラの宿は、今ジンが立つ位置からほんの一ノルしかない。
しかし、ジンは今は三四〇人の部隊を抱える責任者だ。自分の都合では動けない。
「フィッツバーン男爵とドゥアルテ殿は当初の予定通り、魔物を掃討してください。銃騎兵たちは東地区の鍛冶屋街、弓兵隊は西地区の住宅街の残敵を掃討。鉄砲隊は十人が南大門に残って、外部から魔物の侵入に備えよ。十人が弓兵隊に同行、残り二十人の鉄砲隊は歩兵隊と共にこのまま徒歩で領主館に向かう」
ジンが指示を出すと弓兵隊はガズマン、銃騎兵はマイルズがそれぞれ率いて動き始めた。鉄砲隊を弓兵隊や南大門に分散させたのはもちろん、トロルがいたときの場合の対処だ。
フィッツバーン男爵とドゥアルテに騎兵を先行させたジンたち歩兵と鉄砲兵は、魔物を掃討しながら、目抜き通りを領主館の鐘楼に向けて進んだ。
彼らは目抜き通りの至る所で損壊した遺骸を目にした。子供や女性の遺骸、もう元の形が分からなくなってしまった遺骸、時々、魔物の死体も転がっている。
ジンの部隊は〈レディカーラの瀟洒な宿〉の前に近づいてきた。すぐにでもドアをくぐって彼女の無事を確認したかった。しかし、そうもいかない。辻々から突然襲ってくる数体の魔物との交戦が実際に起こっている。まだ油断はできないのだ。そんなことを考えながら、ジンはカーラの宿の出入り口のドアを見ていた。
その時、そのドアが内側から開いた。
「ジン!」
シャヒードだった。
「シャヒード!」
シャヒードの後ろから、アラムやマリアム、ビーティ、それにカーラが出てきた。
老婆もアラムたちも無事だった。
ジンは両手でシャヒードの右手を握って再会を祝した。
「みんな無事だったか」
「みんなは無事ではないがな。おい、もうその手を放せ」
「あ、ああ。ノー……ラオ様は?」
「ラオ様は生きているぞ。まだあの領主館に捕らえられたままだ。ファニングスやナッシュマン殿、それにラオ夫妻も生きている」
「なら、なぜ救出しないのだ?」
「俺たちはもう十四人しか残っていない。みんな死んだか逃げたかだ。まだ領主館には九〇人程度の敵が残っている。さすがに六倍以上の敵は倒せない」
シャヒードは冷静にそう答えた。
ジンも落ち着いて考えてみたら、馬鹿な質問をしたものだ、と思った。アラムやマリアム、それにビーティを率いて、近衛兵を排して、ノーラたちを救出するその現実味のなさに気が付いた。それにそれが出来たのであれば、シャヒードはやっていただろう。
「なら、今がその時だ。シャヒード、一緒に行こう」
「ああ!」
◇
すでに先行する騎馬隊五〇人はファルハナ領主館の外塀の門に群がる魔物たちと交戦状態になっていた。魔物の数、およそ三〇。オーガが主体だ。
騎馬隊はランサー(槍騎兵)が主体だ。これは領主連合軍出撃時にジンがフィッツバーン男爵に頼んでいたことだった。剣だと魔物との間合いが取りにくく、死傷者が出やすい。距離のとれる槍を主武装に、と。
騎馬隊は走り抜けながら、槍をオーガたちに突き刺していく。鎧袖一触とはこのことだ。魔物より数が多い騎馬隊は初撃で魔物の半数を葬ってしまった。
駆け抜けて、魔物を倒せなかった騎馬はすぐに鼻を回して再突撃をすると、魔物は更にその半数になった。
すると、領主館の中でも動きがあった。アジィスの兵たちが領主館や兵舎から出て来て、外塀の門の前に集まり始めた。外塀、と言っても格子状の鉄柵だ。外から中の様子はうかがい知れる。
ジンたち、徒歩で進む銃歩兵隊も領主館の外塀の門の前に到着した。
「ベイリー、クルーズ、グラント、アジィスの兵たちが出てきた。あいつらの目の前で銃歩兵の凄さを見せてやれ。残りの魔物を鉄砲で葬ってやれ」
「「「隊長! 了解っす!」」」
ジンは手近にいた鉄砲兵三人に銃撃を命じた。
残敵は一瞬で片が付いた。
すると、外塀の門の前に集まり始めたアジィスの兵をかき分けて、この集団の長らしき男が出てきた。アジィス、その人だろう。
「その者たち、どこから参られた?」
「オーサークだ。ノオルズ公爵閣下にお目通り願いたい」
ジンはもちろんノオルズ公爵がすでに死んでいることを知っていたが、わざととぼけて見せた。
「誠に残念ながら、殿下は愚かな民によって弑逆された。手前はそのあとを継いで、このファルハナを任されたアジィスと申す」
「任された、とな……目抜き通りを通って入ってきたが、任されたにしてはひどい有様だな。南大門の守りもいない。その方は任された街を魔物の手から守る気はあったのか?」
「……貴様ごときに何が分かる! あの魔物の第一波が来た時、千人に満たない手勢でこの街を守れるわけがなかった。だからこうやって領主館だけは守り通してきたのだ」
「民を見捨てて、か。もうよい。武装解除して降伏しろ。なんなら一戦を交えてもこちらは構わないがな」
ジンはここで下手に出る気はなかった。アジィスに付き従った兵には恨みはないが、このアジィスという男だけは許せなかった。
「その方、アンダロス王国に仇なす気か?」
アジィスはもう使える気のしない〈アンダロス王国の威光〉を最後に一度だけ使ってみようとした。
「アンダロス王国? そんなものがどこにある? この領主館がそうだというのか?」
すでに門の前には騎兵五〇人、鉄砲隊二〇人、歩兵一一〇人、総勢二〇〇人弱が集まっていた。西街区や東街区には弓兵や銃騎兵もいるが、それらを別にしても、すでにアジィスの兵の倍以上の兵力が門の前に集まっていた。
アジィスに付き従っていた近衛兵たちも食料配給制限や希望の見えない毎日に疲弊しきっていた。
「俺はもうやめた」
「俺も」
「もう、まっぴらだ」
『アンダロス王国などどこにある?』――その問いに答えられずに口ごもっているアジィスを見て、アジィスの兵の一部が手にしていた武器を地面に放り投げた。
連鎖反応のように次々に武装解除が進んで行く。
「おい! お前ら! 近衛兵の誇りはないのか!?」
アジィスが声を大きくした。
「そんなものはここに閉じこもった時にもう捨てましたよ、団長……」
様子を黙ってみていたジンだったが、シャヒードが口を開いた。
「降伏するのであれば、アジィスを捕らえよ。それでお前たち兵の罪は水に流そう」
すると数人の兵たちが一度捨てた剣を拾うと、アジィスに向かって歩き出した。
「団長、最後は潔くしましょう」
「団長、抵抗はしないでくださいね」
アジィスも、もはや抵抗する気はなかった。なぜか救われた気もしていた。ここ領主館に閉じこもって、減って行く食料だけを気にする毎日だった。何の希望もなく、ただ、ワインを煽っては天井を睨んでいた。そんな日がやっと終わる。刑に処されるかもしれないし、地下牢に放り込まれるかもしれない。だけど、こんな日々が続くのであれば、その方が清々する、と思った。
こうして、ノオルズ公爵のファルハナ到着から始まった彼らの支配は幕を閉じた。
明日一日、休載になります。