116. 領主連合軍【イスタニア北部の地図画像あり】
ジンの話に諸手を打って賛同の意を示したエーハブだった。すぐに領主連合会議に諮るとして、手はずを整え始めた。
しかしながら、イスタニアでは伝達手段が限られている。なにをするにも移動に数日、会議に少なくとも一日、意思決定にまた数日、と時間が取られてしまう。これを危惧したジンは協力を申し出た。
「我が隊にはラスター帝国より出向している竜騎士が二名います。書状を頂ければ、各領主に瞬時に通達が可能です」
そう言ってはみたものの、やはり、それでも時間がかかる。領主連合会議の徴集連絡は一日で済んだが、領主たちがこのフィッツバーン領に集まって来るには少なくとも三日かかる。兵が実際にここに集まるのは更に時間を要するだろう。
移動には時間がかかるのだ。
先行していた兵たちを結局フィッツバーン領に呼び戻すことにした。鈍足の歩兵が領主連合から集まって来ることになるだろう。先行していても仕方がないからだった。幸いさほど遠くにはまだ行っていなかったため、竜騎士の一人がほんの数十ミティックほどで呼び戻しに行ってくれた。
それで、フィッツバーン領主館のすぐそばの休耕地を借りて、兵たちは野営することになった。森での野営では輜重隊がいない中、酒類がまったく楽しめなかったが、ここ、フィッツバーン領ではエーハブのもてなしにより、エールとワインが樽で持ち込まれた。
兵たちは、まだ残っていた森で狩った鹿や猪、それにウサギの肉を焚火の日であぶって、久しぶりのお酒と一緒に楽しんだ。
そんな楽しい時間を過ごす兵たちの気持ちは分かりながらも、ジンの焦りはどんどん大きくなっていた。
(こんなことをしているなら、自分一人で潜入して、ノーラを助けた方がいいんじゃないか……)
しかし、ジンは十分にわかっている。一人で行ったって、ファルハナを取り囲んでいるだろう無数の魔物を倒して、街に入るなんてことはとても無理だってことに。ただ、どうしても時間が無為に流れているように感じてしまうのだ。
(いかんな……焦りで考えがおかしくなっている)
「ジン? 大丈夫?」
ニケがそばに来た。
「ああ、うん、大丈夫だ。ただ、どうしても焦ってしまってな」
「わかるよ。こうしている間にも、ノーラさんは……」
ニケは言いかけて、やめた。こんなことを言えば、ジンは更に焦ってしまうだけだ。
「ノーラが死んじゃう、か……ニケ、もう信じるしかない。彼女は生きている。強い女だ、彼女は」
「そうだよ、ジン! ノーラさんがそんな簡単にやられるわけがない!」
そんな二人を少し離れたところでツツと一緒に眺めていたマルティナがやってきた。
「ジン、魔法を習わない?」
突然、マルティナがそう言った。
「なんだ、マルティナ、急だな。と言うか、俺はサムライ……というか、剣士だぞ」
「洞穴の村の長老の話を聞いてて、私、思ったんだよ。自慢じゃないけど、私の魔力量は相当だよ。その私を無視して、長老はジンの魔力に驚いたんだ。で、ジン、ジンって魔力をちゃんと使ったことないよね?」
「そんなことないぞ。懐中魔灯とか、会津兼定を使う時にはしっかり魔力を注いでいるぞ?」
「うーん、なんていうか、そういうんじゃないんだよね、ちゃんと使うっていうのは。例えばさ、その、アイズカネサダ? それで十ミノル先の魔物を一刀両断出来る、っていえば、ジンはちょっとはそれに惹かれる?」
「それはすごいな! そんなことが出来るのか?」
「それは、正直、分からない。けど、魔剣使いは魔剣を通して魔導士と同じようなことが出来るよ。それ、もう魔剣になったんだから、使い方次第だと思うんだけどな」
「興味がある。うん、それは。あるぞ」
「私に弟子入りする?」
このマルティナの質問にはジンは一瞬、口ごもった。
「……弟子入りしなきゃダメなのか?」
「何? ジン、私に弟子入りは嫌なの? なんか、むかつくんだけど」
「いや、決してそう言うわけじゃないんだけど、弟子だと、お前の態度が今以上にデカくなると思うとどうも気が引けてな」
「なによ、それ。もういい!」
◇
領主館の傍での野営も三日目。
暇を持て余した鉄砲兵たちが、自主的に弓矢の訓練をし始めた。
さすがに訓練で鉄砲の実弾を打つ物資的な余裕はない。輜重隊をサルミエント将軍に預けたので、弾薬はそれぞれの鉄砲兵が自身で持てるだけしか持っていないのだ。だとすると、鉄砲の練習はできない。出来ることと言えば、弓矢の訓練ぐらいだった。
弓兵上がりの鉄砲兵が意外と多い。そんな鉄砲兵にも負けないのがリアとエノクだった。命中精度もすごいが、動体に対する射撃が群を抜いていた。
動体を演じるのは歩兵の連中だ。腰に縄を巻きつけ、その縄の先に標的となる小さな木箱を括り付けて、走り回るわけだ。もはや一種のリクリエーションだ。兵たちはゲラゲラ笑いながら、訓練に励んでいる。
「ジン、私たちもやるよ」
「はい、師匠!」
即席の子弟関係も二日目だ。マルティナはジンに魔剣を通して行う魔力の投射方法を教えていた。
ジンは気合を入れて、会津兼定で空を切る。
「ふんっ!」
振り下ろす瞬間、魔力を剣に放出する。これは魔法攻撃を防御するときと同じだ。ただ、マルティナによるとそれらは大きく異なる、らしい。
魔法攻撃を会津兼定で跳ね返したり相殺したりする際には、魔力を少しの間、持続的に放出する。しかし、会津兼定で魔法を放出するときは、刀を振るうその瞬間に圧力を高めて、一瞬だけ放出する。
これが、まだできない。
ぼわーんとした防御の光が会津兼定を包み込みつつ、衝撃波のような、それに当たっても相手は後ろによろめく程度の力の放出は出来た。
「ジン、それじゃだめだよ。こう、なんていうのかな、バン! って一撃に魔力を込めるの」
マルティナは典型的なダメなタイプの指導者だった。
まず、自身の持つ感覚を言語化できない。ジンならこういう感覚で行けるんじゃないか、のような想像力もない。自分の感覚をへたくそな伝え方で言うだけが精いっぱいだった。
しかし、不思議なことが起こった。
「こう……か?」
自身の中で圧力を高めた魔力を、一瞬だけ弁を開いて放出する、というイメージをマルティナの『バン』という言葉から想像したジンは、その通りにやってみた。
すると、上段から振り下げた会津兼定の刃渡り全身が閃光を放って、その閃光が刀を振り下げた方向に五ミノルほど鋭く伸びた。
「それ!」
マルティナが叫んだ。
「やっぱり師匠の教え方で弟子は伸びるんだね!」
◇
そんな練習に励むジン別動隊に、一番先に到着した隣の領の兵たちが合流した。
たった十二人だった。隣のハラウェイ子爵が派遣してくれた。十二人と言えど、子爵からすると自身が持つ半分の兵力だ。ジン別動隊の皆は大いに歓迎した。
領主連合の会議で結論が出る前に兵を送ったらしい。他の領主たちに子爵とは言えども遅れは取りたくなかったのであろう。
休耕地での野営が九泊目になった。兵たちにとって最初はありがたかった酒付きの野営も飽きて来た。もともとジンやエディスを助けたいと思って集まって来たオーサークの兵たちだ。ジンたちを心配し始めた。
「なあ、これではジン隊長やドゥアルテ様が慕うラオ男爵様も危ないのではないか」
「お前、絶対それを口に出すなよ」
「分かってるさ、ジン隊長やドゥアルテ様の前では言うもんか。でも、隊長も最近は表情が危ないもんな。このままだと、一人で飛び出しかねない。……はやく出発したいもんだ」
「そろそろじゃないか? いい加減、一〇〇人以上は集まって来たっぽいし」
この兵の勘は当たっていた。ジン別動隊と領主連合の連合軍は明朝、出発することになる。
◇
休耕地での野営も十日目の朝、ジン別動隊と領主連合の連合軍は出発した。
総勢、二四〇人。領主連合は合計一三〇人の兵を出してくれた。加えて、領主連合代表として、フィッツバーン男爵が同道することになった。
領主連合の兵の特徴と言えば、オーサーク駐屯兵やフィンドレイ将軍の手下、そんな連中とは大きく異なる特徴があった。
それは、やたらと貴族が多いことであった。弱小貴族たちが互いに競い合って、次男坊や三男坊を入れてきていた。今はすでに滅んだと言ってもいい、アンダロス王国の決まりとして、男爵や子爵の称号は家督を継がないと与えられない。それでも、家の名をちゃんと持つというところで平民とは一線を画している。
やたらと気位の高い者もいるが、ほとんどは家督を継ぐこともない次男三男、はたまた四男坊であることから、貴族であることを鼻にかけて振舞う者はほとんどいなかった。一部の例外を除いて、だが。
その一部の例外が、今、ジンに馬を並べてきた。
「中隊長殿、私はブレーヴィンズ男爵家のラケッシュと申します。良しなに」
「この隊を預かるジンと申す。こちらこそよろしく御頼み申す」
(ん? 領主連合軍の配置は前のはずだぞ? なんでこんなところにいるんだ?)
ジンはなぜこの男が馬を並べて来たか、よくわからなかった。フィッツバーン領を出発する際に、歩兵、騎兵戦力が中心の領主連合軍を前に、後ろにジンたち別動隊が続く、とちゃんと打ち合わせしていたはずなのだ。
「ジン殿、御家名は?」
「家名ですか……ない事もないですが、イスタニアでは名乗らないことにしております」
「ほう、それは奇特な。家名はその者の身分を示す大切なものではありますまいか? ジン殿にも異国の家名があるのなら、アンダロスにおいても相応しい扱いを受けるために名乗った方が良いのではないか?」
「身分は……そうですな、今のイスタニアにあっては糞ほどの意味もござらんな」
ジンは突然面倒くさくなって、敢えて苛烈な言葉を使ってこの男を遠ざけようとした。すると、ジンの意図通り、このラケッシュと言う男は態度を豹変させた。
「な、なんと、……平民風情が家名があるなどと匂わせておいて、その言い草。全隊の指揮権をフィッツバーン男爵に移譲しろ。お主のような平民に領主連合の貴重な戦力が顎で使われるなどあってはならぬことだ」
「拙者からは何とも申し上げられぬ。そう言うことであれば、男爵にまず相談されてはいかがか?」
「ふん、あとで吠え面かくなよ」
ラケッシュと名乗った男はそう言い捨てると、先行する領主連合軍を率いるフィッツバーン男爵の元に駆けて行った。
「ジン、また面倒を抱え込んだな」
すぐ後ろで愛馬ノーラを進めていたマイルズが言った。
「ふん。あんな御仁に何が出来る」
ジンはこんなしょうもない事に神経を使うのが腹立たしかったのだ。
◇
連合軍、と言う名の二個中隊ほどの軍勢は、領主連合に加盟する領主の内、最南端の領地を持つボルケ子爵領に着いた。子爵は斥候を放ってまで、連合軍の到着を事前に察知出るようにしていたようだ。
ジンたちが到着すると、恭しく頭を下げて、二四〇人の軍隊を領地に迎え入れた。
「フィッツバーン男爵、それに、ジン殿、よくぞ参られた。今晩の野営の手配はどうか私に任せていただきたいのです。我が家からはたったの五人しか今回の遠征に参加させることが出来ませんでした。せめて、皆さんが疲れを癒せるもてなしを、と一生懸命考えておりましたので」
「ボルケ子爵、それは誠にありがとうございます」
エーハブ・フィッツバーンが礼を言うと、ジンも続いた。
「子爵閣下、ありがとうございます」
「いいえ、情けないことに、こんなことしかできません。ですが、お頼みいたします。なんとしてもファルハナを立て直して、鉄砲を領主連合の元にお届けください。魔物から我が民を守るのが領主の務めだというのに、このままだと、それが出来そうもありません」
ボルケ子爵の後ろには数十人の領民たちが、子爵に倣って頭を下げている。
民の為に頭を下げる子爵に単純なジンはすぐに感銘を受けた。
「微力ながら、尽くさせていただきます。今宵のおもてなし、重ね重ねお礼申し上げます」
◇
小さい領主館には二四〇人もの兵が入れるわけもなく、領主館の庭先に木箱などを並べて椅子にして、樽やどこかから急遽持ってきたであろうテーブルなどを囲んで、ささやかな宴会が催された。
幸い、夜の冷え込みはずいぶんとましになってきていた。
至る所でかがり火が焚かれていて、その明りに皆の顔が照らされて赤い。
ボルケ子爵は軽く酔っているのだろうか、ふらつきながら、さっきまで自分が付いていたテーブルの上に立ち上がった。
「勇敢な兵諸君! 酒は気に入ってくれたかな? これは芋で作った酒だ。当領の特産でな。ほんのり甘く、酒精が強い。あまり飲み過ぎると明日の行軍に障るので適度に楽しんでほしい。……っく……そんな話をするために私はここに立ったのではない! っく……アンダロスは今、未曽有の危機にある。王はもういない。そもそもいても役に立たなかった!」
兵たちがここでゲラゲラと笑う。子爵の長演説はまだ続いた。
「自分たちで自分たちを守る時代が来たのだ。遠く、スカリオンから駆け付けた勇者たちも聞いてほしい。今、君たちが守ろうとしているのはイスタニアだ。国の垣根はもうない。アンダロス南部が滅んだ今、北部穀倉地帯、これを魔物から守らなければ、辺境公国群でも、食料生産に乏しいラスター帝国でも、餓死者が出るほどの状況に陥るだろう。鉱業街ファルハナの復興はそれほどの意味があるのだ! そして……」
まだ続けそうなボルケ子爵は、テーブルの上からフィッツバーン男爵に引き摺り下ろされた。兵たちはその様子に大笑いしていたが、子爵の言うことは間違っていないことは分かった。単にジンやマイルズ、それにエディスを気に入って参加したオーサーク兵たちは、気が付けばイスタニアを守る戦いに身を投じていた。
◇
〈芋の道〉と呼ばれる街道がある。領主連合の最南端、ボルケ子爵領を三〇ノルほど南に進むと、東西に走るこの街道にぶつかる。芋の道の名は、穀倉地帯で採れる作物の代表格が芋で、その芋を西は辺境のファルハナやウォデル、東は港町イルマスまで運んでいくからだ。
イルマスに運ばれた穀物はパーネルや遠く帝都ゲトバールにまで輸出される。
連合軍はボルケ子爵領を明朝出立し、丸一日歩いて、芋の道がいよいよ見えるところまで来た。ここが今日の野営地になる。
芋の道の北も南も大きく穀倉地帯が広がっていて、大量の作物が育てられている。ここだけ見れば、アンダロスは安泰な気もしてくる。しかし、いつここに魔物たちが押し寄せてきてもおかしくはないのだ。
それに北の国境街道の場合を見れば、魔物たちは魔の森から街道沿いに東に向かってきている。芋の道にでれば、魔物と遭遇する可能性もある。街道が近付くにつれて、否応なく兵たちの緊張が高まっていた。
いったん芋の道にでれば、あとは街道を西に向かうだけだ。パディーヤ、ウォデルといった比較的大きな街を超えれば、その先はファルハナの街がある辺境だ。