114. 洞穴の集落
ドゥアルテはサルミエント将軍と固く握手を交わした。
ドゥアルテやマイルズは縁あって共同作戦を取って来た、サワント公国の将軍に戦友にも似た感情を抱くようになっていた。サルミエント将軍にとってもそれは同じであっただろう。
魔物軍との距離に余裕が出来て、しっかりと暇を告げることが出来た。ドゥアルテはようやく本来の職分――ラオ男爵の騎士――に戻れる。とにかく、ラオ男爵の状況が気にかかっていた。
それはジンやマイルズ、それにニケも同じ気持ちだ。
◇
すでに、魔物の先鋒を十ノルほど西に押し込んだ。矢や弾薬がふんだんに使えるし、弓兵や鉄砲兵、それに銃騎兵も合わせると、遠距離攻撃が出来る兵の数は千人を超えている。その上、鉄砲が使えるようになったことでトロルの排除が容易になり、サワントの騎兵隊が活躍できるようになったことも大きかった。
「サルミエント将軍、スカリオンの兵をよろしくお願いいたします。オーサークに無事に返してあげてください。スカリオンの公王陛下はサワント公国の王族の方々が無事なことをきっと喜んでくださるはずです。どうかご無事で」
「ああ、ドゥアルテ殿、それは任せてほしい。共に戦ったこと、私は忘れない。そして、ジン殿、よくぞ、物資を間に合わせてくれた。貴公たちはサワント公国の恩人である」
「サルミエント将軍、どうか、感謝はスカリオンの公王陛下になさってください。私の別動隊はこのまま道なき道を南に進みます。街道ではないので、輜重隊は我々のこれからの任務に着いてこれません。輜重隊も置いて行きます。我々は物資として、弾薬や食糧など、それぞれの兵が持てるだけしか持っていけませんので、ほとんどの物資は輜重隊に残してまいります」
「そうか、輜重隊のことは心配するな。ジン殿、武運を!」
「将軍、ありがとうございます。では、ジン別動隊、輜重隊から物資の調達が完了し次第、出立いたします」
◇
ジンたち――ドゥアルテ、マイルズ、ニケ、マルティナ、リア、エノク、エディス、銃騎兵三十名、鉄砲兵四十名、歩兵三十名、竜騎兵二名――総勢一一〇名はアンダロス辺境北部、ファルハナに向かって出発した。
国境街道を南下すると、すぐに大きな森が見えてきた。この針葉樹林を超えたあたりが北部領主たちの穀倉地帯になっている。森は手つかずで、鉄砲隊を抱える別動隊にとっては、食料には困らないはずだ。
野営の場所を定めると、日が落ちるまでの短い時間を狩りに費やすことにした。
「弾薬がもったいない」とマルティナが主張して、軽い電撃魔法でウサギを捕まえると、それに対抗意識を燃やしたリアとエノクが弓矢で数羽捕まえてきた。
ジンとツツはニケの小屋の森でやっていたように、弓矢を使って追い込み猟でウサギや大物のイノシシも狩った。
竜騎兵たちも、大喰らいのワイバーンの食料確保に余念がない。空に上がると空中で鳥を捕まえてはバリバリと食べていくワイバーンに乗りながら、自分は干し肉をかじっている。
地上では火を起こしたり、ウサギやイノシシを捌いたり、と大勢の兵たちが楽しそうに食事の用意をしていた。
「隊長、なんだかピクニックみたいですね」
オーサーク駐屯兵だったのに、なぜかジンとマイルズを気に入り、「隊長が行くんなら、お供しますよ」との軽いノリでついてきたベイリーがジンに話しかけてきた。
ジンは一瞬考えた。(楽しい? これが?)ジンには焦る気持ちを抑えるのに精一杯だった。(早くいかなければ、ノーラが危ない)そう思うと、今、ここに漂う暢気さを恨めしくさえ思ってしまう。
(かといって、俺の気持ちを共有できるのはドゥアルテ殿、マイルズ、それにニケぐらいだ。ことさら、それを兵たちに強調しても仕方がないか……)
兵たちは、ラオ男爵になにか恩があったり、ファルハナという街に何か思い入れがあるわけではないのだ。ただ単に、ドゥアルテやエディス、それにジンを助けたい、その一心で志願してくれているのだ。
彼らが楽しそうにしているときに水を差すのは無粋と言うものだった。
「ああ、森はいいだろ、ベイリー」
「ええ、魔物もいないし、ウサギもうまい。ここまで、ホント、つらかったですからね。帝国軍との戦いが終わったと思ったら、今度は魔物っすからね」
「鉄砲の弾は使うなよ。マルティナが珍しく正しい。なんなら、お前も弓矢を練習しておくか?」
「あ、隊長、知らないんすか? 俺、元々弓兵ですよ!?」
「なら、お前もさっさと狩りに行ってこい!」
「……なんだか藪蛇だったみたいっすね。ちょっくら行って、鳥でも狩ってきますよ」
◇
魔の森のほとり森と違い、この森は安全だ。魔物は獲物である人間が多くいる街道を東に向かって進出してきているが、森には入ってきていないようだった。ただ、街道と違い、進む速度がどうしても遅くなる。焦るジンにとっては、こればかりはきつかった。一日せいぜい十ノル。これではファルハナまで一カ月弱もかかってしまう。
それでも街道にでれば、魔物軍との戦闘は避けられないのだから、この状況は甘受せざるを得ないのだろう。
すでに野営を三泊繰り返していたが、なんら敵対勢力や魔物が現れる気配もない。
他に選択肢がないなかで森を進むジン別動隊だったが、ジンにとっても森は焦る気持ちを少しは癒してくれた。ニケやツツと森を歩いていると、ニケの小屋での生活が思い出して、ジンは思わずあの日々が恋しくなった。
(そう言えば、最近、恋しくなるのはあの小屋での日々やノーラの顔で、全然会津やチズのことを思い出さなくなってきてしまった。チズも大きくなったろうな)
ジンにはチズの顔がすぐに思い出せなくなってきていた。ジンは、ふいに胸がギュッと締め付けられるような思いがした。
「ジン?」
横を歩くニケにとって、ジンのこの表情には見覚えがあった。
「ん? どうした、ニケ?」
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ニケも大丈夫か?」
「私、この森、好き。平和だったころの小屋の周りを思い出す」
「ああ、だな……」
ジンは、そう言って、そのあとに(なぁ、ニケ、そもそも俺たちはなんであの小屋を出たんだっけ?)と続けそうになって、その言葉を飲み込んだ。
「ん? ジン、なんか今言おうとしてなかった?」
「いや、そんなことは……」
ジンはこれ以上続けられなかった。自分の髪の毛が文字通り、総毛だったからだ。
「マ・ル・ティ・ナーーー!」
マルティナが悪戯でジンの頭上に静電気を発生させたのだ。最近、彼女はこういうちょっかいをジンにかけてくる。
「アハハ! ごめんごめん! だって、ニケがジンを独り占めしてるんだもん」
ジンは、正直、初めて会ったときのマルティナは、少し擦れている感じの子だな、と思っていた。でも、オーサークでのクオン一家との生活を経て、素直にジンに甘えてくるようになった。
「マルティナ、魔力を無駄に使って、いざという時に困るぞ!?」
ジンは一応叱っておく。
「へへへ、あの程度の魔力なら一万回使ったって、強大な私の魔力は尽きないよ」
そんな会話をしながら、苔むした針葉樹林の美しい森を別動隊は進んでいた。
すると、一緒に歩くツツが急に身構えて、低く、唸り始めた。
「ツツ、どうした?」
ジンは視線をツツが睨む方向に向けた。
森の灌木の茂みをかき分けて何かがガサゴソと出てこようとしている。
まるで、ニケの小屋の周りでゴブリンと出くわした状況のデジャヴの様であったが、出てきたのはゴブリンなどではなく、小さな男の子とその母親らしき女性だった。
身構える巨大な狼、それに鉄砲を構える兵たちに怯える二人にジンは声をかけた。
「すまない、少し驚いたものでな。この森に入って初めて人に出会うものだから」
ジンが話しかけると、ツツも兵も警戒を解いた。
「い、いえ、大丈夫です」
母親らしき女が応えた。
見た感じ、二十代前半、ノーラに似た赤い髪をしたこの女性はトゥーイと名乗った。子供の方は五、六歳、と言ったところだろうか。身格好は服が汚れていて、髪に艶がない。長い間、身を清めることが出来なかったように見えた。
「トゥーイさんはこの森に住んでいるのか?」
ジンが問うた。
「ええ、ここにほど近い洞穴の集落で暮らしています。元々王都に近い村に住んでいたのですが、津波で……被災地を逃れて、いろんな街で保護を求めたのですが、どこも受け入れてくれなくて、この森に流れ着いたのです」
「そうか、大変だったな。お前たちのような人々はほかにもいるのか?」
「ええ。いっぱいいます! ここは食料には困らないので」
「たしかにな。豊かな森だ……」
ジンはそう言いながら、「食料には」のニュアンスが気になったが、それは見格好の汚さと関係があるのかもしれない。そんなことよりも自分たちの状況の助けになる情報を優先した。
「我々は多少、水の補給に悩んでいてな。この辺りに小川などないか?」
「それなら、洞穴の集落の近くに小川が流れています。私たちもそこから水を頂いています」
「我々がその水を頂いてもいいのか?」
「ええ、もちろんです。それで減るわけでもありませんし。ついてきてください」
トゥーイを先頭に灌木の合間に出来た獣道を進むと、小高い岩山が見えてきた。
「あそこです」
遠くから、子供たちの戯れる声が静かな森に響き渡った。
「ああ、小さい子供もいるようだな」
「ええ、この子、ジョイのお友達がたくさんいます」
◇
ジンの別動隊がたどり着いた森の中の集落。それは小高い岩山の側面に開いた大きな洞穴を中心に、掘っ立て小屋のような急造の家屋が十戸ほどひしめく様に立てられていて、三十人程度が住んでいるようなところだった。
「小川はあそこです」
女が教えてくれた。小川とすら呼べないような、幅半ミノルほどの水流があった。水は澄んでいた。女の話によると、このすぐ南の方で水が湧き出ているらしい。ここで取水しても全く濁りもないので、皆ここから、生活用水を取水しているらしい。
ジンや兵たちは思い思いに手ですくって飲んだり、直接顔を付けて飲んだり、水筒の口を流れに入れて取水したりしていると、そこに、トゥーイが手を引いて、集落の長なのだろうか、老人を連れてきた。
「ご挨拶もなく、水を頂いておりました。ジンと申します」
ジンは彼が村長か長老かは分からないが、村を纏めている存在だとすぐに気が付いた。
「ああ、それは構わない」
老人は顔を上げたが、目はつぶったままだった。着古した、黒だか濃紺だかのローブを纏った背の低い老人だ。白く、長い顎髭がまるで仙人のように見える。
「儂は目が見えんでのう、お主の顔は分からんが……この国の者ではないな?」
「ええ、遠くからアンダロスに来ました」
「アンダロスどころか、イスタニアの者でもないな。何と言うか、この世の人ではないように見受ける。と言っても、儂の目は見えないのだがな」
ジンにはこの老人の言っていることが理解できないでいた。
「ご老体、どういうことでしょうか?」
「儂は目が見えぬ。だが、人や生物はその魔力を通して見えるのじゃ。魔力の色が見える、と言えばいいかのう。皆いろんな魔力の色をしておるが、いま、儂に見えるのは、強い強い魔力だ。そして、それが見たこともない色を発しておる」
(イスタニアに来たばかりの時、そう言えばニケがそんなことを言っていたな)
ジンはニケの言葉を思い出していた。それでもニケは色の話なんかはしなかった。
「色、ですか。拙者はそんなに変わった魔力を発しておりますか?」
「ああ、変わっている、といえば変わっておるのう。まあ、よい。皆、村で少し休んでいくと良い」
◇
ジンやニケ、それにドゥアルテたちは村民から貴重な話が聞けた。
もともと、ここには村などなかった。洞穴にはもともとこの村長と二家族が静かに住んでいた。
ここをもう少し南に下ると森を抜けて、フィッツバーン男爵領の穀倉地帯になる。フィッツバーン男爵は時々森で狩りをする程度で、森を放置してくれていた。というより、開拓する資力がない、との話だ。
そんなわけで、この森はほぼ手つかずで、時節によっては野盗の住処になったりもした。老人たちは、その時々にフィッツバーン男爵に森の情報を提供することで、男爵に森での自給自足の生活を許されていた。
そこに、津波の被害や魔物の襲来があって、偶然ここにたどり着いた人たちが住み着いたらしい。洞穴のすぐそばにある掘っ立て小屋たちはその人たちの住居と言うわけだった。
ジンたちに有り難かったのは、その中にファルハナから逃げてきた家族がいたことだった。
「ええ、ファルハナはラオ男爵さまが牢に閉じ込められてからというもの、本当に大変でした。そこに魔物の襲来があって、千人ぐらいでしょうか、みんなでファルハナから命からがら逃げました。途中で別の方向に行った人たちや魔物に殺された人たちがいて、結局ここにたどり着いたのは私と私の家族だけでした」
「それは難儀だったな。ラオ男爵がどうしているか、何か聞いてはおらぬか?」
ジンは一応の同情を示したが、それ以上に知りたいのはノーラの置かれている状況だった。
「それは全く分かりません。ノオルズ公爵さまが男爵さまと騎士さまたちを捕らえた後、一揆がおきました。それで公爵さまがお亡くなりになって、なんという名前だったか忘れましたが、ダロスのえらい貴族の方がファルハナを支配するようになって、街は余計にひどくなりました。公爵さまよりよっぽどその方の方がひどかったので、住民はどんどんファルハナを離れました」
ジンにフラストレーションがたまって行く。街の状況が知りたいのはやまやまだが、それ以上にノーラの安否が知りたかったのだ。
「男爵の情報が分からないのは分かったが、ほかに何か出来事はなかったか?」
「いろいろありましたが、私たちが街を離れるころ、反乱軍、って言われている人たちがそのダロスの貴族に抵抗を始めました。んんん、なんて名前だったかな……」
女が思い出そうとしていると、横にいた、彼女の息子が口を開いた。
「かーさん、それはシャヒードさまだよ。かっこいいんだ、シャヒードさまは!」
驚いたのはドゥアルテだった。
「シャヒードだと!」
この魔物騒ぎの中、どうにかファルハナにたどり着いて、ノーラを助け出そうと奮戦しているのだろうか? しかも、ファルハナを逃げ出したこの家族の子供のヒーローでもあるほどに、その名は知れているようだ。
ジンたちの希望は膨らんだ。シャヒードがまだ奮戦しているのだとすれば、それはノーラがまだ生きているからに違いないのだ。