112. ドゥアルテと鉄砲
「……トロル。そう時間も残されてなさそうだな。こうしているうちにこの宿場町の魔物はどんどん増えてきている。さ、判断だ」
ファウラーがそう言ったとき、地響きの様に多数の馬蹄の響く音が遠くから聞こえると、その音が瞬く間に近くなった。
オーノとファウラーが二階の窓から顔を出して外を見た。
西日に照らされて、東からおよそ千騎の騎馬隊が街道沿いに突撃してきたのだ。
トロルがいることで、サワント公国軍騎馬隊の突撃はまるで使えなかったが、トロルの数がこれまでの鉄砲隊の活躍でずいぶん減った――いや、少なくともこの辺りでは減った。
騎馬隊は宿場街には入らず、歩兵や弓兵、鉄砲隊を宿場町に立てこもらせて、それを盾に、宿場街よりおよそ三ノル、東に先行したところで陣を張っていた。
騎馬大隊隊長ハッサンは今回の魔物戦では悔しい思いをずっとしてきていた。トロルが多くいたことで、騎馬突撃は自殺行為だったのだ。トロルが丸太のこん棒を横に凪ぐだけで、馬ごと文字通り潰されるわけだから、突撃が無効であることは十分に理解していた。しかし、それでも、だ、まるで腫れ物に触るように騎馬隊は温存され、活躍の機会は全く訪れなかった。
ハッサンはこの状況に至って、トロルがいようがいまいが、突撃を決めていた。するとどうだ。宿場街に来ると、トロルはたった二体しかいないではないか。
「騎兵たちよ! 聞け! 今こそ、我らの活躍の場だ。これまでよく耐えた。魔物どもを蹴散らすのだ!」
「「「「「オオオーーーー!!!」」」」」
鬨の声を上げると、馬たちが加速した。宿場の建物群が近くなってきた。
建物に群がるオーガやゴブリンたちを走り抜けながら串刺しにしていく。
宿に立て籠っていた歩兵や弓兵も最後の力を振り絞って、表に飛び出すと、残り少ない矢を射ったり、剣を振るったりして手近のゴブリンやオーガに攻撃を加え始めた。
◇
「チャンスだ。ロッティ、スィニード、あのトロルをやるぞ! さっきと同じ作戦だ!」
ファウラーは弓使い姉妹の返事も待たずに、宿を飛び出した。
一〇〇ミノルほど先にいるトロルめがけて、走って行く。走りながら、オーガの首を刎ね、ゴブリンを蹴倒す。騎馬隊がそんなファウラーに並走しながら、ファウラーに大声で伝えた。
「待たせたな!」
「ああ! だが、いいタイミングだ! あのトロルは俺の獲物だ。お前たちはトロルに近寄るな」
「承知!」
騎馬兵はそう応えると、オーガやゴブリンの掃討に注力し始めた。
走れば一〇〇ミノルはあっという間だ。巨大なトロルが近くなることで、更にその巨大さが際立ってきた。
「ロッティ、スィニード、頼んだぞ!」
ちゃんと後ろから走ってついてきていた、姉妹が応えた。
「「任せて!」」
巨大なだけにトロルは足元への攻撃に弱い。ファウラーはトロルの足元を駆け抜けながら、剣を横薙ぎに一閃した。
「ふんっ!」
うまくアキレス腱を一撃で切断できた。トロルはドウっと倒れ込んだ。
そこからはまるでさっきのトロルを倒したときと同じ展開だ。弓使い姉妹が両目をやって、ファウラーがとどめを刺した。
その攻撃をする間、騎兵隊のおかげで小物たち――オーガは決して小物とは言えないが――の存在に気を使わなくて済んだのは幸いだった。
ちょうどその時、ドゥアルテとマイルズが兵たちを伴って、ファウラーが戦っている辻のすぐそばの建物から飛び出して来た。そして、手近にいたゴブリンたちを葬り始めた。
「ドゥアルテ殿! マイルズ!」
ファウラーは大きな声で呼んだ。
「ファウラー! 無事だったか!」
ドゥアルテも喜んだ。
「ドゥアルテ殿、あと一体、トロルがいます! あれさえ倒せば、一帯のトロルはたぶんもういなくなる。一晩この宿場街で休めるかもしれません」
ファウラーがそう言ったとき、ドゥアルテの目に件のもう一体のトロルが映った。
「あれか」
「ええ、ちょっとロッティとスィニードと一緒に行って、サクッと倒してきますよ」
「いや、待て」
ドゥアルテはそう言うと、傍にいた鉄砲兵に何か言うと、彼から鉄砲を受け取った。
「弾が一発、床に転がっていてな。誰が落としたのかは知らんが、俺に使わせてくれ。大隊長権限だ」
ドゥアルテはそう言うと鉄砲を構えた。トロルはまだこちらを見ずに、宿場街の辻々で暴れまくる騎馬隊を目で追っている。
狙いを定めた。
「俺はずっとこれを撃ちたかったんだ」
ドゥアルテは小さくそう呟きつつ、引き金に指をかけた。
その瞬間、トロルがドゥアルテに気が付いて、彼を見た。
バン!
ドゥアルテの撃った弾丸はきれいにトロルの眉間にめり込んだ。
ニケの火薬が爆発し、モレノ達が鋳造した弾丸をすさまじい速度にまで加速させた。加速しつつ、ヤダフ達職人が彫った螺旋が弾丸に回転を与える。
弾丸はトロルの頭蓋骨を眉間の辺りで貫き、トロルの巨体には似つかわしくないほどの小さい脳をその回転でかき回した。
トロルは仰向けざまに倒れて、息絶えた。
ドゥアルテ自身も結果に驚いた。まさか、一撃で命中するとは思ってもいなかった。練習すらしたことはなかったのだ。ただ、これまで、照準器の合わせ方や構え方の会話はずっと聞いて来た。そして、その通りにやった。
「おみごと」
弓の名手、スィニードの誉め言葉を聞いて、ドゥアルテは若干照れつつ、言った。
「さ、これで、今晩、皆が寝られればいいのだがな」
実際問題としては、夜中にトロルが西から数体更にやってきて、宿の家屋をこん棒で叩き壊し始める可能性がなくもない。そう、安心して寝られたものではなかったが、もはや、兵たちの体力を考えるならば、そうするしかなかった。
それぞれの兵が、元居た宿に戻って行く中、ファウラー、ロッティ、スィニードはドゥアルテについて、ドゥアルテやマイルズがいた宿に入って行った。
◇
ファウラーは後悔した。
そこにいたのは公王エバルレ、それにサワント公国の高官たちだった。
エバルレの妻や子たちと見られる身格好の人たちもいた。
「その方たちの戦いぶり、見事だった」
エバルレはすべてを見ていたわけではないが、ついさきほど、ファウラーたちがトロルを倒した戦いは窓から見ていた。
「ありがとうございます。自分は冒険者で高貴な方に対する礼儀を知りません。無礼になってはいけませんので、少し、ドゥアルテ殿と話をしたかったのですが、自分の宿に戻ります」
「待て、その方、礼儀など気にするな。陣中である。ドゥアルテと話すことがあるのであれば、余の前で話すがよい」
ファウラーは正に墓穴を掘ってしまった。この事態を避けようと思って、逆に招いてしまっている。
「陛下、その、いろいろと陛下の前では都合の悪い話もありますので……」
馬鹿正直とはこのことだろう。ファウラーの墓穴はさらに深くなっていく。
「余に聞かれると不味い話でもあるのか、その方?」
「いえ、決してそう言うわけでは……」
ファウラーが話したかったのは、この高貴な連中、王とその家族、そして側近をどう脱出させるか、だった。トロルが何とかなった今、健在の騎馬隊を前面に押し立てて、東に逃れる。問題は非戦闘員たち、つまり、この〈高貴なお方〉たちだ。その話をしたかったのだ。
ファウラーは腹をくくった。
「では、お言葉に甘えて。……ドゥアルテ殿、今晩、付近のトロルを殲滅できたことで、なんとか兵たちを休ませることが出来るかもしれません。それでも魔物は相当数がまだ宿場街にいますので、何人かは寝ているところを襲われてしまうでしょう。それでも、一時は全滅かと思われた状況に比べれば、ずいぶんましになりました」
「俺もそう思っていた。仮に今晩中に一割の兵がやられても、一時の状況を考えれば、これは僥倖だと言えるな」
「はい。明朝、睡眠と食事をしっかりとらせた兵に、ある程度は動きが戻ってくるはずです。騎兵隊を使って、追い縋る魔物を打撃しつつ、東に逃げる。あまりにも当たり前すぎて、策とも言えませんが、これが策になるはずです」
「ああ、誰が考えてもその結論になる。で、陛下を前にして言いにくそうにしていたのはなんだ?」
「ええ、つまり、その、問題は陛下と側近たちです。鉄砲が使えない今、歩兵たちは魔物と接近戦を行うしかありません。弓兵の矢ももうほとんど残っていませんし。そうなると、どうしても陛下の周りに兵がかたまります。ドゥアルテ殿、気づいておられますか?」
「ああ。言わんとしていることは分かるぞ。魔物の行動パターンだな?」
「ええ、その通りです。奴らはどうやら一番大きな集団に対して、集団で襲う行動を繰り返しています。だからこそ、この宿場街に入って、それぞれが宿屋に散ると、魔物たちの攻撃も分散して我々は死なずに済んだ、と言うのが状況だと思うのです」
「だとすると、陛下の周りに兵を固めるのは得策ではない、と」
「ええ、でもそうすると、万が一、陛下が襲われるようなことがあると……」
ここで、エバルレはファウラーの言を遮った。
「侮るでないぞ! 余も王族として、剣術を磨いてきた。自分と家族の身ぐらい守れるわ!」
「ファウラー殿、お主の心配はかたじけない。しかしな、陛下にはこの私がついておる。万が一はない。陛下もこうおっしゃられておる。私に任せてくれ。兵をまんべんなく分散させ、この撤退戦を成功させようではないか」
サルミエント将軍がファウラーをフォローしつつ、この場を纏めてくれた。ファウラーは安心した。
「では、その策にて。私はこの弓使いたちとここから西の宿に伝令をしてきます。日が昇れば、皆で東に向かって、走れ、と命じてきます。現状、トロルが宿場街には見られません。強敵と言えばオーガ程度ですので、私とこの二人がいれば全部回っていけます。ここから東の宿には誰かが行ってほしいのですが」
「私が行こう」
サルミエント将軍がそう応じた。
◇
翌朝五つを半刻ほど過ぎたころ、命に係わる寝坊は誰もすることがなく、兵たちは宿を飛び出して、まだ辻々にうろつくゴブリンやオーガを葬ったり躱したりしながら、東に走り始めていた。宿場町を東に抜けた街道に生き残りの連合軍が集まり始めた。
比較的体力の残っていた騎馬隊は、兵たちに追い縋る魔物たちに突撃と離脱を繰り返しながら、歩兵や、すでに矢玉が尽きて無力化した鉄砲兵と弓兵を守っていた。
サルミエント将軍は公王エバルレたちを宿から脱出させる際に、案の定かなりの魔物たちが襲ってきて、撃退に手こずった。兵たちも遠目にそれが見えたが、そこに支援に行くわけにはいかない。そうすれば、そこに魔物が集中するからだ。公王自ら剣を振るい、公王の家族たちを守り、マイルズやドゥアルテは主に脱出集団の血路を開いた。
エバルレが、街道上の集合地に到着した時にはすでに全員が公王たちのグループの到着を待っている状態だった。
「私たちが最後のようです……揃ったようです」
ドゥアルテがサルミエント将軍にそう伝えると、将軍は頷いて、エバルレの方に頭を向けた。
「陛下。後退戦を再開させます。こちらが集団になったことで、また魔物を固まって追撃を始めるでしょう。矢玉が尽きましたので騎馬隊の一撃離脱で敵の先鋒を叩きつつ、東進します」
その時だった、兵の一部が、東の空を指さして、何事か話し始めた。
ドゥアルテがその方向を見ると、竜騎士らしきワイバーンが一頭、こちらに迫ってきているのが見えた。




