110. 後退戦
「このままぶつかってもただやられるだけだ。数が違い過ぎる」
サルミエント将軍はドゥアルテの横に立って、迫る魔物の大軍を見ていた。
連中は行き倒れの避難民や逃げ遅れた住民たちを襲いつつやって来るので、魔物の進撃スピードは連合軍の逃げ足より遅い。ナンス丘陵を撤退してからというもの、兵たちはキャンプも張らず、丸一日、干し肉をかじりながら逃げて、少し魔物軍からの距離を稼げた。
「将軍、弾薬も無限ではありません。まだ何とか足りていますが、兵一人当たり百発を切りましたので、一発一殺を繰り返しながらの後退戦を行うしかありません」
「兵種の比率は弓兵、おおよそ二に対して鉄砲兵、一。それに対して、歩兵が一、騎兵が二だ。これをどう使うか、アクグールでは騎兵はまるで使えなかった」
「はい。将軍、騎兵の運用は魔物戦ではかなり難しいと言わざるを得ません。ゴブリンやオーガ程度の魔物なら騎兵突撃で何とかなりますが、トロルがいることで、騎兵突撃は自殺行為になりますからな」
「ドゥアルテ殿、先日、魔導士と鉄砲は相性がいいと言っておったな」
「ええ、鉄砲は二〇〇ミノルもの射程距離を持ちますが、近接戦闘はからっきしだめです。二〇〇ミノル先で第一射、撃ち漏らした魔物を魔導士が仕留める、という連合攻撃が効率がいいはずです」
「はず?」
「お恥ずかしいことですが、これまでは魔導士がいませんでしたので、あくまで理論上のことです」
「なるほどな、だが、たしかにドゥアルテ殿の言うことには一理あるな。よし、後退戦前提の戦い方を作ろうではないか」
「将軍、私に一つ案がありますが、お聞きいただけますか?」
「もちろんだ。言ってみろ」
「さきほど、将軍がおっしゃっていた兵の比率で組を作ります。鉄砲射手一名に対して、弓兵二名、歩兵一名、といった具合です。騎兵だけは小隊単位、十騎の班に分かれて、遊軍とします」
「ふむ」
「全隊横隊で後退しながら、鉄砲射手は魔物が二〇〇ミノルのポイントで射撃、射撃後すぐに装填、近づく敵がいれば、弓兵と魔導士が対応、さらにそれも突き破った魔物に対しては歩兵が対応します。これを繰り返しながら、全隊横隊のまま、後退していきつつ、敵の勢力を減殺していきます。戦線が崩れそうになったポイントに騎兵が急行してそれを助ける、という作戦です」
「良い作戦だ。それで行こうではないか」
実際のところ、サルミエントは一字一句違うことなく同じことを考えていた。その上で、何かもっといい作戦はないかと考えていたので、ドゥアルテの提案には賛同はすれども、感動はなかった。
◇
竜騎士メルカドがドゥアルテ大隊の元に戻ってきていた。
これまで、何度も戻ってきてはオーサークの状況を伝えてくれていた。ドゥアルテからも戦線の状況をオーサークに伝えるように依頼してきていた。
「メルカド殿、オーサークのことを聞く前に、まず、教えてほしい。こちらの状況はオーサークに伝わっておるのか?」
「はい、ドゥアルテ殿、それは間違いありません。ただ、オーサークも動けません。鉄砲や弾薬の数もまだ足りません。我が帝国に輸出する分も確保しなければならない中で、必死になっているようですが、時間がかかっているようです」
「少しでも援軍が来ると、こちらも士気が上がるのだが……」
「セイラン卿も十分それを分かっていらっしゃいます。ただ、小出しにしてそれが破られればオーサークが終わります。オーサークが終われば、イスタニアが終わります。これは私も同じ考えです。なんとか、サワント・スカリオン連合軍に粘ってもらうしかありません」
◇
後退戦を繰り返しつつ、すでに三日が経過していた、兵の体力は限界。弾薬も残り少なくなっていた。
それにしても、この作戦はそれなりに機能した。疲弊はしているが、人的被害はほんの数十人だった。
しかし、殺せども殺せども魔物は後ろから後ろからやって来るのだ。連合軍全体に悲壮感が漂い出していた。何かあれば、すぐにでも西に潰走しそうな雰囲気が漂っていた。
「ドゥアルテ殿、この辺りが潮時かと思う」
「将軍、私も同じことを考えておりました。いずれにしても鉄砲隊の一人当たりの手持ち弾薬は十発以下です。弾薬が尽きれば、鉄砲隊は完全に無力ですから、尽きたとたんに潰走しても不思議ではありません」
「弓兵の矢ももう残り少ない。逃げる、か……」
「あと少し言ったところに宿場町があるはずです。ひとまずはそこまで後退して、また逆茂木作戦でもやりますか」
ドゥアルテも投げやりになっていた。
「ドゥアルテ殿、矢も弾も尽きているのに逆茂木は役に立たんだろう」
「魔導士はどうですか?」
「連中も疲れ果てて、魔法を放てる力はあまり残っていないだろうな」
「これでは、人類滅亡ですね、将軍。数に限りがないのは卑怯だと思いませんか?」
「はっはっはっはっは。卑怯、か。確かにな。だが、ドゥアルテ殿、魔物とて、数には限りがあると思うぞ。その証拠に我々がこれほど弱っておるのに奴らもこっちを踏みつぶせていないではないか。向こうは向こうで攻めあぐねているのかもしれんぞ?」
「そうであればいいのですがね」
「では、宿場町に入って、一休みと行こうではないか」
もちろん、これはサルミエントが諧謔的に放った言葉だ。休むことなどできるわけがない。
◇
連合軍は逃げに逃げた。十ノルほど西にある名もなき宿場町に向かって、最後の体力を振り絞って、駆けた。
ドゥアルテが鉄砲隊に命を下した。
「鉄砲隊! 残り弾薬はせいぜい十発程度だろう。それを宿場町の宿の窓からトロルの頭にぶち込んでやれ。無駄玉は撃つなよ! 一発一殺だ。撃ち尽くしたらお前たちは用済みだ。都合の良いことに、ここは宿場街だ。ベッドには事欠かない。後は寝て待て!」
サルミエントはサワント公王エバルレに耳打ちした。
「陛下、なかなかに難しい状況でございます。騎兵隊が健在ですので、陛下をオーサークまで逃すことは可能です。いかがいたしますか?」
「馬鹿を言うな、サルミエント。余とてここまで来て、逃げたとあればフィルポット一世陛下に会わす顔がなくなる。最後は公国の兵と一緒に逝く」
権謀術数に長けて、戦などとはずっと無縁で生きてきた公王だったが、ここに来て王たる威厳を放ち始めていた。
「陛下のお覚悟、臣下として嬉しく思います」
サルミエント将軍はこう見えて涙もろかった。両眼には涙が溢れ、こぼれ落ちた。
「馬鹿者! お前が泣くと、いよいよ本当にもうだめなのかと、余も考えざるを得ないではないか! まだ死ぬと決まったわけではないだろう!」
「ええ、陛下、その通りでございます。ただ、私は嬉しかったのです」
「しょうむない事に喜んでいる暇があれば、お前もドゥアルテのように兵に訓示でもたれてこい!」
「はっ!」
◇
サルミエント将軍は上機嫌で兵たちの前に立った。
「近衛兵たちよ! 誉ある近衛兵たちよ!」
サルミエント将軍の言っていることが分からず、兵たちがお互いの顔を見合わせている。サワント兵のほんの一部は確かに近衛兵だが、その大半は様々な部隊の寄せ集めだ。共通項は生き残り、というだけだ。
「陛下を守り奉る。それが近衛兵の仕事である。お前たちは今それをやっておるのだ。お前たちは近衛兵だ。ここまでよくやった。しばしこの宿場町で休め」
既に三〇〇〇人を大きく割り込んだ兵たちは複雑な思いで宿場町の建物に入って行った。
◇
兵たちにとって、これが最期の砦だ。ここで、食事をして、休めるなら休んで、寝れるなら寝る。それで魔物軍に負けるなら、もう仕方がないのだ。彼らは人間だ。何日も何日もまともな睡眠も食事もなしに戦ってきた。休まなければこうこれ以上は動けない。休んでいる間に襲われて、死ぬのであればそれが限界だと諦めるしかなかった。
宿場の二階、小さな部屋に十二人が休んでいた。一人の兵が、重い腰を上げて、窓辺に立った。
「おい、来やがったぞ」
ビィドと言う名の兵が部屋にいる皆に告げた。
大の男、三人が小さなベッドで寝ていたが、うち一人、ラトッドがビィドの言うことに反応した。
「ビィド、もう少し寝かせてくれよ」
「はは……ラトッド、すまん。あと十ミティックは寝られたかもしれないな」
ビィドは苦笑して、謝った。ただ、外を見て気づいたことは皆に言わなければならない。
「おい、でも、聞いてくれ。敵は少し少なくなっているかもだぞ」
確かに魔物たちの数はアクグールで会戦した時に比べると、確かに少しまばらになっているようだった。
「ビィド、鉄砲の弾は残ってるのか?」
「いや、七発だけだ」
「俺の矢もそんな感じだ。まあ、とりあえず撃ち尽くそうや」
「だな」
いよいよ宿場町に入って来た魔物たちの先頭に背の丈五ミノルもあるトロルがいた。
「やっぱり魔物ってのは馬鹿ぞろいだよな」
ビィドは呟くと照準をそのトロルの眉間に合わせた。
バン!
室内に鉄砲の音が大きく響くと、ビィドの狙ったトロルが膝から崩れ落ちた。
「ビィド! やるじゃねぇか!」
ラトッドが興奮気味にそう言うと、近接戦闘担当の歩兵隊所属のオーノが声を殺して注意した。
「ラトッド、声が大きい。この宿が一番に襲われたら、お前のせいだからな」
ラトッドはそれに構うことなく、弓を引き絞った。
(あの、オーガ辺りを頂くか)
宿場町に入って来る魔物軍の内、弓の一撃で倒せそうなオーガを見繕うと、ラトッドは矢を放った。
「めーーーーちゅーーーーー!」
ビィドが声をひそめて注意した。
「やめろ、ラトッド」
「ビィドもオーノも何をビビってんだ。どうせ、お前がバンバン鉄砲を撃ちだしたら、音なんていくらでもするだろうが!」
「そりゃその通りだ。……ただ、バンバンも打てないけどな。もう六発しか残ってないんだ」
歩兵のオーノがそんな会話をする二人を尻目に、誰に聞かせようとするわけでもなく、静かに呟いた。
「俺は下に行って、入り口の扉を警護するよ」
すばしっこいゴブリンなどの小物たちが、いよいよ街の家々の扉を開けて、獲物を物色し始めたのだ。オーノが階段を降り始めると、他の歩兵隊の連中も何も言わずにそれに続いて降りて行った。
「なあ、ビィド、この宿が俺たちの墓場になりそうだ。お前、どうする?」
ラトッドが静かにビィドに訊いた。
「まあ、あと六発しかない。六体トロルをあの世に送ってから、そこのベッドで寝るとするよ。撃ち尽くしたら、もうすることもねぇしな」
すでにスカリオン兵もサワント兵もなかった。いつの間にか両者の垣根はなくなっていた。
◇
バン!
最期の一発をビィドが撃つと、一番近くにいたトロルが膝から崩れて倒れた。
「あーあ、これでお終い! 撃ち尽くしたぜ。ただあと一発あれば、あそこのトロルをられたのにな。あいつがここに来たら、建物ごと俺たちは終わりだな」
皆が立てこもる宿の周りにはすでに大型の魔物と言えば、そのトロルしかいなかった。ここまで、鉄砲隊は全体としてトロルのみを倒すことに集中してきた。それが功を奏したのか、窓から周りを見渡しても、超大型の魔物と言えば、空を遊弋するワイバーンとそのトロルぐらいしか見当たらない。
「歩兵隊もトロル相手じゃ役に立たんだろうしな。逃げるか?」
ラトッドもすでに矢が尽きていた。
「ラトッドはそうしろ。俺はもういい。……寝るわ」
ビィドはそう言うとベッドに横たわった。
「ビィド、冗談じゃねぇ。おい、本気で寝る気じゃなぇだろうな?」
「ん……まじで、もう即落ちしそうだったよ。いや、本気さ。逃げる体力がないんだ。お前に体力が残ってるんだったら、行け。俺は五ミティックでも寝てから死ぬよ……」
「くそ! 見捨てて逃げられるわけがねぇじゃねぇか。おい、オーノいるか?」
階下から返事が来た。
「ラトッド! 降りて来てくれ! ゴブリン連中がドアを押し開けようとしてるんだ」
ラトッドは階段のほうに歩きながら、オーノに返事をした。
「ゴブリンかよ! ドアを開けて招き入れて差し上げろ!」
「ん? ……確かにそうだな。おい、開けるぞ。なだれ込んで来たら、ぶち殺して差し上げろ」
オーノが別の歩兵にそう言うや否や、ドアを開けた。
ドアの向こうにいたのはゴブリンだけではなかった。オーガも一匹、少し離れたところに立っていた。
(しまった!)
オーノは必死になってドアを閉めるが、オーガは猛然とドアに向かって突っ込んできた。
ドアは大きな音を立てて、内側に倒れた。
その物音に、弓兵ラトッドは短剣を構えて、階段を走って下りていくと、踊り場のところ階下の状況が見えた。オーノの二倍ほどの大きさのオーガが、オーノに覆いかぶさって、彼の長剣を持つ右腕に噛みついていた。周りにいる仲間の歩兵も必死になって、オーガに剣を突き立てているが、オーガは死なない。
(オーノ!)
ラトッドは踊り場から階段の手すりを超えて、オーノに襲い掛かるオーガの真上に飛び掛かった。両手には短剣が握られている。
落下の位置エネルギーを短剣の先に込めて、ラトッドはオーガの頭にそれを突き立てた。
短剣がオーガの硬い頭蓋骨を破り、脳髄に達すると、オーガは一瞬痙攣して、動きを止めた。
周りにいたゴブリンがラトッドの気迫に怯えて、四散した。
「ポーション!」
ラトッドが叫んだ。
「もう、ねぇよ。まったく、寝られやしねぇ」
上の階から、ビィドが降りてきた。
オーノの右腕は、強力なオーガの顎に骨ごと粉砕されていた。出血が止まらない。
「ちきしょう!」
ラトッドは俯いた。
「ラトッド、オーノを憐れんでばかりもいられねぇぜ。俺たちにもお迎えが来たようだ」
さっきの二階の窓から見えたトロルが二〇ミノルほど先から、こちらの様子に気がついて、向かってくるのが、ビィドとラトッドにも開け放れた扉越しに見えた。