108. モレノ式
ジンとニケはなんだか変なわだかまりを作ってしまったようだった。
ニケは自分がジンの〈役目〉に必要だと思ってここまでやって来た。その〈役目〉を果たす機会に最も近いと思われる〈災厄の時代〉の始まりにおいて、ジンはニケを置いて行くと言ったのだ。
ジンにとっては、ニケはこの世界での唯一の家族だと思っていた。家族を放って行くわけがない。一時的に離れることは、それはあるだろう。でも、それは一時的な話だ。なぜ彼女がこれほど強い拒否感を示したのかよく理解できなかったのだ。
(一度、ニケと二人っきりでちゃんと話をしなきゃな)
ドゥアルテ大隊が西に向かって出発して二日が経っていた。触媒液生産に忙しいニケに比べて、暇なジンはモレノの工房に向かっていた。
(モレノに元込め式の話をしたままになっていたしな。一度顔を出しておくか)
オーサークには尖った屋根の建物が多い。街並みの見た目はずいぶんとファルハナとは違う。ファルハナにいた期間は短かったが、よくニケとツツと一緒に歩いたものだった。ジンはそれを思い出していた。
◇
「モレノはおらぬか?」
工房の奥でごそごそと物音がしたと思うと、モレノが出てきた。
「おう、ジンではないか。丁度よかった。セイラン卿からいろんな兵器の設計依頼を受けておってな。これを見てくれ」
モレノがジンを奥の設計室に誘った。
「モレノ、新しい兵器もいいが、元込め式はどうなった?」
「ああ、それも含めてだ。見てほしい」
ジンがモレノについて設計室に入ると、モレノは大量の設計書らしき紙の山から目的の紙を一枚取り出した。
「まずはこれだ」
「弓、か?」
「まあ、弓だな。ただ大きさと材料が違う。弦の長さで言うと、一〇ミノルほどある」
「一〇ミノルだと!?」
「ああ。ネジ巻き式で数人がかりで弓を引くんだ。弦は金属製、弓幹も金属と木の複合素材だ。矢は軽量化するために木製だが先端には火薬を取り付ける」
「なんだか恐ろしい武器だな」
「いや、これはバリスタと言ってな、昔からあった攻城兵器だ。ただ飛距離が出ない。一〇〇ミノルも飛ばない。これは少し強化してあって、一四〇ミノルほどは飛ばせるはずだ。それに、飛んで当たったところでの破壊力は従来の物とは比較にならない」
「なるほど、敵が我々に対しては使えなかったわけだ。一〇〇ミノルだと鉄砲や魔法に負けてしまうからな」
「そういうことだ。だが、対魔物戦なら十分に使えると思うぞ」
「一度、オオヅツ、いや、タイホウの話をしたことがあったと思ったが、そっちはどうなのだ?」
「タイホウ?」
「ああ、鉄砲のデカい奴だ」
「ああ、大鉄砲のことだな。それも作ってみて、すでに実験を行ったが、うまく行かなかった。やはり、鍛造でそんなに大きい砲身を作れない、というのが問題になった。鋳造なら俺だってことで、鋳造で砲身を作ってみたが、大きな火薬の爆発に耐えられなかった」
(この世界では正式呼称が大鉄砲になったのか……それにしても、おかしい話だ。青銅製の大筒が日本には昔からあった。もしかすると鉄で作るからダメなのかもしれない)
「なあ、モレノ、鉄じゃない材料で思いつくものはないか?」
「ああ、それだとブロンズかな。銅と錫の合金になる」
「それだ! それで一度作ってみてはくれぬか?」
「鋳造でいいのか?」
「ああ。鋳造でいい……と、俺は何を聞きに来たのだっけ……そうだ、元込め式だ」
「それなら試作品がもうあるぞ。撃てないがな」
ジンは見せてもらって驚いた。何とも奇妙な機構がミニエー銃に付け加えられていた。ミニエー銃の雷管部分に右側に飛び出した部分があり、そこに薬莢が嵌るようになっている。そこに、薬莢を嵌めて、飛び出した部分を鉄砲に押し込むと装填される。そうすると、今度は左側に雷管部分が飛び出してくるので、今度はそっちに装填する。左右交互に飛び出す雷管に弾を込める、という仕組みだ。まったく、異世界人の発想には驚かされる。
「よくできているな。撃てない、とはどういうことだ?」
「安全確認が出来ていないのさ。例の一の強度、二の強度、ってやつさ」
「ああ、あれなら薬莢工場に頼めば喜んでやってくれると思うぞ」
「実は、これ、今出来たところでな、昼から工場に行こうと思っていたところさ」
このスライド式の元込め機構を発展させれば、リボルバーが出来る。まだ安全試験も終えていないし、やっとできたと喜んでいるかもしれないモレノに言うかどうか迷ったが、言ってしまうことにした。
ペリー来航時にペリー総督が幕府に五〇〇丁ものリボルバーを贈った。そして、その一部が容保公にも渡った。ジンはジンの兄からそれをチラッとだが見せてもらったことがあった。
「さすがはモレノだな。行動が早い」
いきなり切り出す前に、まずは褒めてみた。
「なんだ、気持ちの悪い奴だな。お前がそう言う物言いをするときは、何かがある。何だ、言ってみろ」
「このスライド式の部分。これを円形にする。こう、丸く鉄砲全体を回る感じだ。そして、薬莢を六つとか七つとか詰められるようにする。あと、撃てば自動的に次の雷管が中に入る機構があれば、連発鉄砲の完成だ」
モレノはただ目を丸くしている。
「ついでにもう一つ言うと、この銃身を半分か三分の一ほどに短くして、軽くして片手で操作できるようにすれば、接近戦用の鉄砲もできる」
「いやはや、お前が異世界人だ、って話はなんとなく聞いていて眉唾だと思っていたが、今、確信したよ」
「モレノ、そんな話はどうでもいい。大量の魔物と戦う武器が必要だ。一人の兵が五匹相手に出来る今の鉄砲を二十匹相手に出来る鉄砲に出来れば、オーサークを、いや、……ファルハナだって救えるかもしれないんだ」
「ファルハナの話は俺も聞いた。ラオ男爵が心配だ。……ああ、出来るだけのことはやってみるよ」
◇
ジンが元込め式ミニエー銃の安全試験や大砲の開発の手伝いをしているうちに、一カ月が過ぎて、季節は初夏になり、ジンがイスタニアに転移して三年が経とうとしていた。
この一カ月余りのモレノの活躍は素晴らしかった。左右交互に雷管が飛び出す方式の元込め式鉄砲はモレノ式と呼ばれるようになった。正式化して、生産が始まった。正式化に際し、砲身が三分の二にまで縮められた。敵が大勢の魔物となれば、命中精度より速射性と取り回しの良さが重視されたからだ。それでも実効射程距離は二二〇ミノルもある。
大砲、この世界では大鉄砲と呼ばれるようになっていたが、こちらはなかなか簡単にいかなかったが、銅と錫の合金割合を調整することで、粘り気のある青銅が出来つつあり、初期の一発撃つだけでヒビが入るという状況は脱しつつあった。
港町パーネルから、帝都ゲトバールに向けて、第一陣の弾薬十万発と鉄砲二百丁を乗せた船が出港した、との知らせもオーサークにもたらされた。
可愛そうなニケはずっと自宅の調剤室で寝る食べる以外のほとんどの時間を触媒液生産に費やしていたが、必要量の三分の二ほどが出来上がって、計算上、あと二週間もすれば、ジンたちがオーサークを出発できる見通しが立ってきていた。
ちょうどそんなころ、連絡員である竜騎士メルカドがオーサークに戻って来て、インゴとシュッヒ伯爵の元に通された。
「報告です。ドゥアルテ大隊、そろそろ国境アクグールに到着します。魔物もちょうどアクグールに迫っていることから、アクグールを砦に魔物たちと交戦する計画です」
インゴはもう驚かない。ただ、サワント公国が滅んだ、と言う話が大げさではなく現実なのだ、と認識を示した。
「アクグールまで来たか。サワント公国の民はどうなっている?」
「国境街道を多くの避難民がこちらに向かってきていますが、すでに多くが犠牲になったと思われます。魔物たち、いいえ、統率のとれた行動をするあの連中は、もはや魔物軍です。上空から偵察を行いましたが、野生のワイバーンが魔物軍の上空に遊弋していて、近づけませんでした。そのため、サワント公国内の状況はあくまで推測に過ぎません」
「なんと、竜種まで混じっているのか?」
「はい。魔の森の深くから魔物たちが出てきています。敵の陸上戦力の中心はトロルとオーガ、それに無数のゴブリン。上空にはさほど多くはありませんが、ワイバーンとルフが遊弋しています」
【ルフ:両翼を広げると十ミノルにもなる巨大な鳥型の魔物】
「メルカド殿はゲトバールにはすでに報告に行ったのか?」
「いいえ、それには時間がかかりすぎますので、ライナスに行かせようと思います」
ライナスとはここオーサークに留まったもう一人の連絡員だ。
「状況はおおむね理解できたが、補足してほしい。敵の数、それに、アクグールは持ちこたえそうか?」
「数は……わかりません。申し上げた通り、サワント領内には飛べませんでした。魔物の大群が後方どこまで連なっているかは分からないのです。アクグールがどれくらい持ちこたえるか、ですが、……もう今頃陥落していても不思議ではありません」
「ライナス殿に伝えてほしい。帝国に行ったなら、そうだな、あと五騎ほど竜騎士を貸してほしいと。オーサークが落ちれば、帝国にも弾薬の供給が出来なくなる。そうなれば、帝国もスカリオンもこの戦いに負けるのだ。帝国、それに前線との連絡を密にする必要がある、と伝えてほしい」
「承知いたしました」
メルカドが去ると、この間、ずっと黙っていたシュッヒ伯爵が口を開いた。
「モレノとジンが中心になって作っていた元込めの鉄砲、モレノ式、という鉄砲の生産がようやく始まりました。この鉄砲は強力です。今までの五倍の速度で薬莢の装填ができます。これの生産を急がせます。すでに出来上がった先込めを解体して、モレノ式に換装することも可能です。今、オーサークにある先込め式がおよそ三千丁。これを出来るだけ早くモレノ式に換装していきます」
インゴはそれに頷くと、一番心配な兵員の問題を口にした。
「今のメルカド殿の話では、もはやこのオーサークがスカリオンの最終防衛ラインになるのは間違いなさそうだ。アクグールが落ちれば、アクグールからオーサークまでまともな城塞都市はない。あるのは小さな宿場町と伝馬場だけだ。儂は一度パーネルに行って、陛下から兵を借りてくる。帝国が直接の敵ではなくなったことで、パーネルにさほど兵は要らなくなった。伯爵は鉄砲や新兵器の整備、城壁の強化に至急当たってほしい」
ニケが五百万発の薬莢を作れるだけの触媒液を完成させるのを待って、ジンたちはオーサークを出立しようとしていたのに、ドゥアルテ大隊はファルハナに行くどころか、アクグールすら突破できずに、足止め状態にあることが伝えられた。
魔物たちは、スカリオン公国のすぐ傍まで迫っていた。