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107. 鉄砲大隊出撃

 昼後七つになる少し前に、馬車がジンたちの家の前に停まり、シュッヒ伯爵とインゴが馬車から降りてきた。


「インゴさん、シュッヒ伯爵、ようこそ」


 ジンは馬車の音を察知すると、すぐに玄関を出て彼らを出迎えた。


「ジン、世話になるな」


 インゴがそうジンに言うころには二代目の馬車が到着して、料理人や配膳係がぞろぞろと降りてきた。


 シアは目を丸くして、玄関口からその様子を見ている。

 丁度、クオンが薬莢製造工場の仕事を終えて、家に帰って来た。


「シア、ジン様、これはいったい!?」


「クオン、とりあえず、いつものように家に入ってもらえぬか?」


 ジンは説明するより、皆が食卓に着く方が早いと思ったのだ。


「え、ええ、ジン様がそう言うのであれば……」


 クオンは訳も分からず、自分の家に入って行った。

 シュッヒ伯爵もインゴもそんな様子を微笑みながら見ている。



 ◇



 シュッヒ伯爵が連れてきた料理人たちがバタバタと厨房に入って行った。シアはなんだか自分の領域が荒らされるような気がして、一緒に入って行った。この家はその昔、大商人が建てた。造りが良く、厨房の設備も整っており、湯あみが出来る風呂だってあるお屋敷と言ってもいいような家だった。とりわけ、厨房はシアにとってはグプタ村の地獄から這い出てようやく手に入れた夢の厨房だった。見知らぬ料理人たちにまかせっきりにはできない。


 しかし、料理人たちはさすがにプロだった。辺境の寒村で乏しい素材を何とか料理に仕立て上げていたシアの出る幕はなかった。気が付けば彼女は配膳担当の一人となってしまっていた。


「シア、今日はお前もホストの一人だ。配膳はシュッヒ伯爵が連れてこられた人たちに任せて座っていたらどうだ?」


 ジンはシアが配膳係に混じって配膳しているのを見ると、そう彼女に言った。


「だって、ジン、放っておけば私の厨房があの人たちの物になりそうで……」


 会話を聞いていたインゴが笑った。


「アッハッハッハ……シアさんや、心配するでない。今日はあの連中に任せて、ゆるりと我らと話そうじゃないか」


「セイラン様、恐れ多いことです」


 シアがかしこまった。


「グプタ村のことは前にジンから聞いておる。大変な苦難だったな。それに今回の魔物の動きの発端でもある。お主らの話を聞きたいのだ」


 インゴはそのためにシュッヒ伯爵に頼んで領主館の料理人や配膳係を選りすぐって連れてこさせたのだ。グプタ村の生き残りがバタバタと配膳していては困るというものだ。



 ◇



 この家には椅子が十脚も備えられる大きなダイニングテーブルがある。その七つをいつも使って夕食を囲んでいたが、今晩はそこに領主と公国国王全権代官、それに騎士ドゥアルテが加わっていた。


 インゴはまず急な訪問を詫びた。


「クオン殿、シア殿、今日は突然の訪問、お詫びいたす」


「もったいないお言葉です、セイラン様」


 クオンは額に汗しながらもしっかりと返答した。


「グプタ村に襲ってきた魔物はオーガだと聞いたが、それで間違いはないか?」


「ええ、私はそれでこの左腕を失ってしまいました」


「難儀じゃったのう。オーガ、と言うことはやはり魔の森しか考えられんな」


 魔の森のほとりの森にも魔物はいるが、それらはゴブリンやキバイノシシなどの弱い魔物たちで、魔物の数より動物の数の方が圧倒的に多い。普段なら、オーガのような強力な魔物がほとりの森で目撃されることはまずない。そんなオーガが森の切れたところにまで出てきていたことが、クオンの証言で確認できた。


「いいえ、私などは左腕で済みましたが、オーガの襲撃で何人も亡くなりました」


「辛いのう。やはり、〈災厄の時代〉が始まっておるのかもしれん……まあ、今日のところは、どうか夕食を楽しんでほしい。領主館の料理人を連れてきた。招かれながら、振舞うというのも変だがの。そして、ざっくばらんに、身分の差など忘れて、情勢を語り合いたい」


 インゴはここまで話した後、ジンの方を向いた。


「ジン、帝国からローデスと言う男が遣わされただろう。あ奴は以外と話しやすい男だった。話を総合すると、帝国の撤退は策なんかではない。本当に帝国西部は魔物に襲われておる。幸いにしてオーサークもパーネルも魔の森からは遠い。お前はどう考える?」


「オーサークもパーネルも無縁ではないと考えます。スカリオン公国創世記の伝承はもちろん伯爵もインゴさんもご存じのはずです。オーサークも危険ですが、ファルハナは辺境の都市です。今頃……拙者は、ファルハナに行きたい。行って何ができるかは分かりません。しかし、ここにいても……」


 ジンが言い終わらないうちにインゴが話し始めた。


「ジン、お前が陛下に言っていた言葉を思い出すぞ。民の為なら何でもやるが忠誠は誓えない、とな。……ファルハナ、か」


「はい、インゴさん、拙者はファルハナに、いや、ラオ男爵に恩義があります」


 お偉方とジンの会話をこれまでただ黙って聞いていたニケが突然、声を上げた。


「ジン! 恩義だけ!? ノーラさんはジンにとって恩人なだけ?」


「……ニケ、何を言うんだ、急に」


「だってそうでしょ!? ジンの守るべき人は、ジンの騎士道の先にあるのはノーラさんでしょ?」


 しばらく沈黙がテーブルを支配した後、インゴが笑い出した。


「アッハッハッハ、ご婦人に懸想か! ジンもやるではないか。若い男はそうでないとな。……だが、ジン、お前はちゃんと聞いていたかどうかわからんが、公国は帝国に弾薬の供給を約束した。ニケの触媒液がなければそう簡単にオーサークを去られても困る。その辺りはどうするのだ?」


 ニケもジンに負けないほどノーラのことが心配だった。それに街に残ったアラムやカーラもいる。


「インゴさん、触媒液なら薬莢五十万発の製造に必要なくらいは残して行くよ。だから行かせてほしいです!」


「五十万発とは剛毅じゃな。ただ、この魔物との戦、それとは桁違いの数が必要かもしれん」


 ニケはインゴの言葉を聞き取れているが、理解はできなかった。


「桁違い?」


「ああ、そうじゃ、ニケ。五十万発ではなく、五百万発の製造が必要になる、と言っておるのだ」


「分かった。インゴさん。それなら、ポーリーンに製法を明かしてからファルハナに向かう。ポーリーンならちゃんと理解して、私が作るのと変わらないものを作ってくれるはずだから」


「じゃがニケや、そのポーリーンという人はニケが明かそうとしても断るのではないか? だれも世界一の秘密を持った人になりたくはないと思うのじゃがな」


 ここでずっと黙っていたドゥアルテが話し始めた。


「セイラン閣下、シュッヒ伯爵、すでに聞き及んでおられるかと思いますが、私はアンダロス王国、ラオ男爵の騎士です。魔物の侵攻についてはここオーサークに来て初めて知りました。しかし、その前に私の主はノオルズ公爵の暴虐により、投獄されて、ひと冬を地下牢で過ごしています。このままだと主の命は長くないと思います……情けない話ですが、私一人では自分の主の救出もできずにここまでやってきました。ジンと、鉄砲の力が今こそ必要なのです」


「ドゥアルテ殿、騎士としての苦悩、如何ほどばかりか、儂には計りかねる。だが、もはや今回の戦いは一女性の生き死にを超えたところにある。数十万、いや数百万の民の命の問題なのだ。それをどう考える?」


 インゴの問いはもっともなことだった。為政者としてあるべき姿だ。


「セイラン閣下のお言葉、その通りにございます。一女性の問題と数十万の民の命を秤にかけられるものではございません。しかし、私は騎士なのです!」


「騎士として、主の命を優先する、か。しかし、それはニケが五百万発の製造に必要な触媒液をオーサークに残してからでないと儂は許すことが出来ん」


 会食にしばらく沈黙が続いた。黙って考えていたジンが口を開いた。


「インゴさん、魔物はどこからオーサークにやってきますか?」


「それは西からだろう」


「ええ、西からです。ファルハナは、ここからはるか西にあります」


「ジン、何が言いたい?」


「インゴさん、私に生き残りの鉄砲兵五百人をお貸しください。ファルハナに向かいつつ、オーサークに迫る魔物どもを蹴散らしてまいります」


「ジン、話がむちゃくちゃだ。ニケはどうするというのか?」


 ジンはニケに向き直った。


「ニケ、オーサークに留まってほしい。お前と俺は家族だ。家族は何があってもまた一緒になる。だからここに残って、触媒液を製造して、それをインゴさんに託してほしい」


 ニケはかなりショックを受けていた。これまでニケはジンと離れることはなかった。ニケは自分がジンの〈役目〉を果たすのに必要な人だと考えていたし、ジンもニケを保護の対象と考えて、過保護なほどにニケを守ってきた。ジンは今、それを覆そうとしているようにニケには映った。


「ジン、本気?」


「ニケ、聞いてくれ。俺には俺にしかできない仕事がある。ニケにもそんな仕事がある。それが触媒液だ。製法を明かしてしまえば、鉄砲はイスタニア中に広まるだろう。そうなれば、これまで正しい人々にだけ渡してきた力は、グプタ村を襲った野盗やフィンドレイ将軍、それにノオルズ公爵のような輩にこの力を渡すことになる。だから、この製法だけはニケの頭の中にとどめてきたのはニケも理解していたはずだ」


「違う! 違う! 私、そんな話はしていない!」


「じゃ、なんだというんだ?」


「ジンは、……もう私を置いて行っていいの?」


 ジンがどう応えていいか、一瞬口ごもっていると、インゴが口を挟んだ。


「ニケ、儂が要らぬことを言った。まだポーリーンとやらが引き受けるかどうか分らんわけだ。一度、この話はポーリーンに訊いてからでいいではないか」


 妙な雰囲気なってしまったが、ドゥアルテはそれを気にする男ではなかった。と言うより、妙な雰囲気を感じ取れていなかった。


「セイラン閣下、少し冷静に考えました。私にとっては主の命は何事にも代えがたいものですが、さっきの鉄砲兵の話、もし私に預けてくれるなら、それを率いるのはジンである必要もありません。私が率いてもいいわけです。それはこのオーサークのためになるはずです」


「ふむ……」


 インゴは考え込んだ。ドゥアルテは自分の考えの説明を続けた。


「もし、本当にサワント公国がそんな状態になっているのであれば、アクグールを西に超えたあたりから、きっとそう簡単に前に進めないでしょう。……ジン、ジンはニケとここに残って、触媒液を必要量だけ完成させてから、西に向かえばいい。俺たちとアクグールとルッケルトの間で合流できるはずだ」


 インゴはシュッヒ伯爵を見た。


「伯爵、どう思う?」


「セイラン様、鉄砲の生産は今だって続いております。五百丁ぐらいは対魔物戦の先行投資として供出して問題ありません。しかし、兵力が問題です。今回の帝国との戦いで、兵の損耗率は七割を超えました。八〇〇〇いた兵は今や二四〇〇以下です。ここをどう考えるか、ですね」


「伯爵、今現在、脅威になる勢力はどこだ?」


「帝国、それに、まあ一応イルマスのウェストファル侯爵ぐらいでしょうか」


「帝国は現時点において脅威ではない。今回の戦い、最後まで押し切れば勝っていたのに途中でやめたのは、やはり帝国が置かれた現状というものに偽りはないのであろう。だとすれば、反転してまた攻めてくるというのは考えられない。まあ、ウェストファルがこのどさくさにパーネルを攻めるというシナリオもなくはないが、ジンやアンダロスからの移民の話を総合すると、避難民の対処でそれでころではないはずだ」


「だとすると、やはり〈災厄の時代〉に備えるのが先決、と」


「ああ、そうなる。ドゥアルテ殿、鉄砲隊の指揮は?」


「セイラン閣下、私はその経験がございません」


「ふむ。では、マイルズを連れて行くと良い。マイルズならジンの中隊の副官をしておったので、ドゥアルテ殿の右腕になるだろう」


 話が勝手に進んで行くのを、ジンは茫然としながら聞いていた。ノーラを助けに行きたい。しかし、オーサークで大量の弾丸を作らなければ、対魔物戦に対応するのに必要なだけの弾薬が確保できない。ニケはなぜ、置いて行かれる、と考えてしまったのだろうか? 少しの間、離れるだけだ。そんなことはこれまで何度もあったというのに。


「ジン、それでよいな?」


 ジンはインゴの言葉に我に返った。


「はい。まずはポーリーンに訊いてみます。もし彼女が触媒液を引き受けてくれるのなら、私とニケはドゥアルテ殿と一緒に出立します。もしポーリーンが引き受けてくれないのであれば、ここに残ります」



 ◇



 結局、ポーリーンは引き受けてくれなかった。

 ポーリーンは薬剤師だ。ニケも薬剤師だが、少し毛色が違う。ニケはどちらかと言えば、錬金術師寄りの薬剤師だ。ポーリーンはこれを引き受けたことによって生じる身の危険には無頓着だったが、それよりも、いったん引き受けてしまえば、ひたすら触媒液を作らされて、自身の研究が出来なくなることに抵抗があったのだ。


 そんなわけで、ドゥアルテたちの出立の朝が来た。


 ドゥアルテ、マイルズ、剣士ファウラー、弓使い姉妹、ロッティとスィニードが鉄砲隊五〇〇人と西に向かうことになった。マルティナはジンと共にオーサークに残ることにした。


 少ないとはいえ、五〇〇人の兵を派遣するのだ。スカリオン公国としての公式の目的が必要だった。それは、西側の状況に対する斥候と威力偵察だ。そこに、対魔物戦の橋頭保として、辺境のルッケルトとファルハナを組み込むことが付け加えられた。最後のファルハナの部分はノーラ救出のための体のいい理由づけにすぎない。


 加えて、帝国の竜騎士を一人、連絡員として借りることもできた。メルカドという十代後半の男だ。若いのに竜騎士になったという有能な少年だ。戦況や魔物の状況をオーサークや帝都ゲトバールに伝えたりするのに絶対に必要だと認められたからだ。


 オーサークに連絡員として滞在する竜騎士は二名。うち一人をドゥアルテが借りたわけだが、その許可はメルカド自身が、まだバハティア街道を北進するベラスケスの軍まで、たった一日で飛んで行って、許可を取って、帰って来た。ドゥアルテは竜騎士のスピードに驚いた。


 鉄砲隊は大隊のちょうど半分規模だったが、ドゥアルテ大隊、と名付けられた。

 ドゥアルテ大隊は晩春の淡い緑の景色が広がる国境街道を西に向かって進み始めた。インゴとジンはそれを城壁から見送っていた。


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