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105. 和平交渉

 ジンは騎馬でベラスケスの元に戻って来て、朝八つに領主シュッヒ伯爵とパーネルから派遣された全権代表セイラン元侯爵が来ると伝えた。すると、ベラスケスは、少し顔をしかめたが、すぐにジンに答えた。


「よかろう。では、ジン、お前はオーサークに一度戻って、朝出直すとよい。余の兵の返り血が付いたその服で会談に出られてもな」


 ジンはこの時点で初めて自分も会談に参加させられることを知った。


 家に戻ると、心配していたニケやマルティナ、それにクオン一家に戦の顛末を話す羽目になったのは言うまでもない。ツツに至っては、その晩、ジンの傍について離れなかった。


 ジンは不思議な感じがしていた。あの時、確かに死ぬ覚悟をしていた。助かりようのない状況に追い込まれたのだ。なのに、今、みんなと夕食を食べて、家の(とこ)で寝転がっている。なにか現実感がなかった。



 ◇



 翌朝、シュッヒ伯爵とインゴ、それにジンは敵陣内に(こしら)えられた仮設の大きな円形の天幕の中にいた。敵大将、ラスター帝国第二王子ベラスケスの本陣だった。


 入り口から見て、一番奥に豪華な椅子が備えられており、ベラスケスはそこに腰掛けていたが、インゴたちが到着するとすぐに立ち上がり、オーサークの領主たちを迎え入れた。


「伯爵、それに侯爵、よく参られた。余はラスター帝国第二王子、ベラスケスである」


 インゴが口を開いた。


「殿下、おおまかな話はこのジンから聞きました。私はすでに侯爵はございません。公国では隠居すると同時に爵位も譲り渡すのが慣例となっておりますので、私はただのインゴ、でございます。……それで、早速本題ですが、私たちは今こうして殿下の元にやってきました。捕虜の解放はこれでなされると思っていいのでしょうか」


「ああ、余に二言はない。ローデス、捕虜たちを解放せよ」


 インゴは驚いた。まだ戦争は終わっていない。停戦すら正式なものではなかった。ここで捕虜を解放すれば、オーサーク側の戦力になるのだから、帝国側は会談が成立した時点で解放すると言っていたが、実際は何か条件を引き出してから解放するものだとインゴは思っていた。


 ローデスはすぐに天幕を出て行った。


「殿下、寛大な措置に感謝いたします」


 シュッヒ伯爵は攻め込んできた帝国に思うところはたくさんあったが、ひとまず、この件に関しては礼を述べた。


「約束は約束だからな。して、これからが交渉だ。我が軍はほとんどが健在だ。再度戦を行うというのであれば、今度こそ容赦はしない。オーサークを踏みつぶしてやろう。だが、状況が変わった。弱みを見せるようで癪ではあるが、これはその方たちにも関わることだ」


『我が軍はほとんどが健在だ』とベラスケスは言ったが、実のところ、一万人弱の兵を失っていたが、その事実を伏せた。シュッヒ伯爵の興味は別にあった。


「状況が変わった、とは、いったいどういうことでしょうか?」


「ああ、本国では魔物の侵入で大変なことになっている。これは推測でしかないが、辺境公国群でも再西にあるサワント公国などすでに全滅しているかもしれない。同じことがアンダロス王国でも起こっているとするなら、アンダロスの辺境も無事ではないだろうな」


 聞いていたジンは衝撃を受けた。辺境のファルハナはどうなってしまうのだろうか? ラオ男爵は無事なのか? しかし、ここにいるシュッヒ伯爵もインゴもその心配を共有する相手ではない。


 インゴが口を開いた。


「で、殿下は停戦、いや和平と私は行きたいところですが、それに何を望むというのでしょうか?」


「分かっておろう。テッポウだ」


「すでに数千丁を鹵獲された、と聞きましたが」


「あの程度では足りぬのだ。数万の魔物が東へ東へと迫ってきているらしい。テッポウとダンガンの製法を大人しく我らに渡してほしいのだ」


 初めて明かされる情報にジンたち三人は驚愕するしかなかった。


「「「数万!」」」


「ああ、大げさではないそうだ。魔物に国境はない。あれらがここスカリオン公国に来ないという保証はない。お前たち自身を守ることにもなるのだ」


 インゴはまだ魔物の数については半信半疑ではあったが、スカリオン創世記にもあるように、過去、魔物があふれたことは実際にあったことは確かだ。そして、魔物はスカリオンにも押し寄せてきたからこそ、あの創世記、コヅカの伝説があるのだ。創世記にある〈災厄の時代〉が始まったのだろうか? 


「殿下、お話は分かりました。しかし、このインゴにもここにいるシュッヒ伯爵にも火薬の製法は分からないのです。いや、厳密にいえば、火焔石を削るのに必要な触媒液の製法が分からないのです」


「誰が分かるのだ?」


 ジンは心臓が飛び出そうになったが、ただ、平静を装い、インゴもシュッヒ伯爵もニケのことだけは話さないでくれ、と祈っていると、シュッヒ伯爵が口を開いた。


「それが我々にも分からないのです。ただ、触媒液は何度も何度も使えるため、ほとんど減らないのです。だから触媒液を一定量を確保できれば、火薬の製造はどこだって可能です。ある商人が定期的に納入してくれますので、それを使っている状態です」


「そのようにおかしな話があるか? なぜ商人を問いただして、製造法を明かさないのだ?」


「はい。商人自身も知らないのです。そして、われわれがもしそれを問いただそうとすれば、商人は二度とオーサークには触媒液を卸さない、と言っておりまして。逆に言えば、知らずにおけば納入には困らない状況がオーサークにはありました」


「なんだか煙に巻かれるような話だが、まあよい」


 シュッヒ伯爵とインゴもニケを何とか守ろうとしていてくれた。この回答は二人で昨晩用意したものだった。


 ベラスケスも実のところ、鉄砲を自国で製造したいのもやまやまであったが、今、すでに始まっている魔物の侵攻に、国内生産体制を整えてから対応していたのでは間に合わないと思っていた。だから、落としどころとしては、鉄砲と弾薬の輸入だった。オーサークで製造し、パーネルから船で帝都ゲトバールには、陸路も含めて一週間もあれば南風の吹く今の季節なら運び込める。


「落としどころだ。余が要求するのは二つ。ひとつはパーネルからゲトバールに大量のテッポウを送ってほしい。テッポウ操作、訓練の技術員も数名付けてほしい。もう一つは魔物討伐が終わったら、帝国軍にイルマスまでの無害通行権を与えてほしい。これだけだ」


(やはりイルマスだったか。だが、現時点では帝国から見れば魔物の方が脅威だ。だから、鉄砲が欲しい。しかも急いでいるはずだ。なるほど、即時停戦に応じるわけだ。ここオーサークで戦争を継続する時間がないから、攻め落としてまで製造法を手に入れることにもこだわらない。だとすると確かにここが落としどころだ)


 インゴはそこまで考えてから、口を開いた。


「で、あれば、殿下、こちらからの要求も二点になります」


「言ってくれ」


「まずは無害通行権についてです。通行できるのはバハティア街道と国境街道に限定し、スカリオン入国後一か月以内に退去する。つまり、一カ月以上はスカリオン内に滞在できない、ということです。速やかに、バハティア街道と国境街道をアンダロス側に抜けてください、と。そして、滞在中の帝国兵の犯罪等に際してはスカリオンの法で裁かせてください」


「帝国の軍事法廷はスカリオンの国内法よりよっぽど厳しいぞ。それでもそっちの方が良いのか?」


「ええ、国が国として機能する、とはそういうことです。スカリオンに入って来た帝国兵がまるで自国にいるかのようにふるまうのであれば、それは公国が帝国の属国になった、ということです」


 インゴはこのラインを譲れない。だからこそ戦端を開いたのだ。シュッヒ伯爵などは全く別の考え方を持っていたがそれは領主と言う立場があってのことだろう。


「なるほどな。バハティアなどはすぐに無害通行権を寄こしたのだが、スカリオンは違う、というわけか。もう一つはなんだ」


「和平条約と不可侵条約の締結です。帝国が欲しいのは不凍港でしょう。イルマスを取るならどうかそうしてください。帝国の飛び地領になるでしょうが、イスタニア湾でつながっていますし、バハティアとスカリオンの無害通行権を得たなら、陸上兵力も回せるはずです。われわれにとっても商隊が活発に街道を行き来することはマイナスになりません」


 インゴがこんな提案を出来るのはもちろん彼が公王の全権代官だからだ。


「条約は問題ない。オーサークもパーネルもそもそも今回の戦の通り道に過ぎなかった。それを貴公らが抵抗するのでこうなったにすぎん。ただ、締結には皇帝陛下にお目通り願わなければかなわない。時間がかかる。そして、その時間が我々にはあまり残されていない。この問題についてはどうだ?」


「鉄砲と弾薬の第一陣の輸出については条約締結前でもなんとかしましょう。相互信頼の醸成、ってやつです。ただ製造にはある程度の時間がかかります。こればかりはどうしようもございません。当面は殿下がすでに鹵獲してある鉄砲で対応してください。あと、販売価格については、数字に詳しいものと相談して決めとうございます」


「それでよい。ローデスと竜騎士二名を残していく。後の仔細はローデスとやり取りしてほしい」


 まるで占領軍のような言い草にこのままにしてはおけないと思ったインゴがそれに返答した。


「殿下、一つだけ忠告させてください。バハティア街道を北進するのであれば、どうか我が国の民を慰撫して回ってください。こう申しては何ですが、殿下はすでに我が国の民の恨みを買っておいでです。お互い無用の諍いは避けたいではないですか。そして、一つ重要なこととして、我々は今回の戦、負けておりません。そのことを覚えておいてほしいのです」


「その物言い、挑発しておるのか? であれば、今日の話を無かったことにして、オーサークなど踏みつぶしてから行ってもいいのだぞ!?」


「それが出来ないことは殿下が一番ご存じのはずです。私が欲するのは殿下の兵たちの正しき振る舞いです。公国で占領軍のように振舞うことは許されません。それでも、そうなさるのであれば、再戦も辞さない覚悟があります」


 ベラスケスは目を見開いて目の前にいる老境に差し掛かったスカリオンの貴族を見た。


「……よかろう。我々はこれからすぐに出立する。ついてはセイラン卿、相談だがダンガンを一万発ほど都合をつけてはくれぬか」


 つい先ほど、威圧した、と思えばこれである。インゴはこの王子が少し気に入りだしていた。


「一万発は無理ですがその半分なら何とかなりましょう。ですが、殿下、お約束ください。スカリオン領内で一発も発砲しないでいただきたい」


「約束しよう。五千発の代金は一回目の輸出の際に上乗せしてくれ」


「承知いたしました。シュッヒ伯爵、これでいいな?」


「セイラン様の仰せのままに」


 ジンはこれらの会話をほとんど聞いてはいなかった。ファルハナ、いや、ラオ男爵の身に何が起こっていても不思議はない。居ても立っても居られない思いでいた。そんなジンにベラスケスが突然話しかけてきた。


「ジン、その方の剣、魔剣だな」


 ジンは物思いからハッと我に返った。


「はい。うまくは使えておりませぬが」


「アティエンザ、ジンから奪った剣をここに。それに兵に出立の用意をさせておけ」


「はっ」


 アティエンザが天幕から出ていくと、ベラスケスはジンに向き直って、話し始めた。


「余はな、お前からあの剣を取り上げた後、まじまじと見させてもらった。あれはイスタニアの物ではない。余にもそれくらいは分かる。お前がテッポウをイスタニアに持ち込んだのだな」


 ジンは返答が出来ない。この場で何を言い得て、何を言い得ないかが判断できないのだ。


「まあ、よい。お前は余にまた会うだろう。それほどのことは余にもわかる。そして、次に会う時にはお前は余の力になるだろう」


 ジンはベラスケスが何を言っているのか理解できないでいた。ジンから見て、この王子になんら縁らしきものは感じられないのだ。そんなタイミングでアティエンザがジンの会津兼定をもって天幕に戻って来て、それをベラスケスに渡した。


「ジン。これはお前に必要なのだろう。返しておく」


 ベラスケスは、そうとだけ言って、ジンに会津兼定を渡した。ジンには何が何だか分からない。ただ、愛刀が自分の元に戻って来た。


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