104. 帝国の異変
ジンが下した命令は五〇〇ミノル離れていても撃て、だった。
敵陣は五〇〇ミノル先だ。敵がまだ陣にいて、編成や陣形を整える準備を始めたときには既に発砲を始めていた。
ベラスケスは驚いた。五〇〇ミノルも離れているのに、自分の至近にいた兵が急に落馬したのだ。
「ここまで届くというのか!」
ベラスケスはこれではここに留まる時間を多くすればするほど、兵が損耗していくことを即座に理解した。
「もたもたするな! 突撃だ!」
◇
「当たった……」
一人の鉄砲兵が呟いた。
「ああ、お前の弾かどうかは分からんがな。呟く暇があれば、撃って撃って撃ちまくれ!」
ジンは大声で兵たちを煽った。一騎でも村に突入する兵力を減らしたいのだ。
間断なく、五〇丁の鉄砲が火を噴く。二人一組で、一人が撃っている間、もう一人は弾を装填している。
「至近になればもっと弾は当たる。だが、あの連中が近付くということは、お前たちの死が迫るということだ。わかったか! だから、また同じことを言うが……撃って撃って撃ちまくれ!」
ジンには何の作戦もない。一騎倒せば、自分と部下の命が救われる可能性が上がる。だから、何ミノル離れていようと、当たる可能性がある限り、撃つべきなのだ。
さすがに五〇〇ミノルも離れていれば、五十丁もの鉄砲に火を噴かせても、敵集団の中で倒れる人数は二人か三人程度だ。しかし、そんな敵兵でも倒さなければ、その連中が最終的には自分の首を刎ねることになるかもしれないのだ。
おおよそ二千騎にも及ぶ二個騎馬大隊による突撃が、たった百人の一個鉄砲集団に対して行われていた。
(皮肉な話じゃないか……伏見では白刃突撃部隊の隊長。オーサークでは逆に鉄砲中隊の隊長か……しかし、立場が逆転しても、不利な側の部隊長ってところが泣けてくるじゃないか)
ジンは自虐的にそんなことを考えていると、敵騎馬隊を挟んで反対側の空に二体のワイバーンが見えた。敵後方に降下している。
(援軍? まあ、今更竜騎兵が二体程度追加されたところで、大して影響はなかろう……)
騎馬が五〇〇ミノルを走破するなど、ほんの数ミティックのことだ。
ジンたちは必死に射撃を繰り返していて、それも効果を上げていた。敵が近づけば近づくほど命中精度は高くなって、五十発撃つ度に倒れる敵騎兵の数は増えてきていた。
ここまで近くなると五十丁の鉄砲が火を噴く度に、三十騎程が仰け反って落馬し、地面に叩きつけられている。だが、相手は二千騎、いや、少し減って一八〇〇騎程度にはなっているかもしれない。
彼我の差はまだまだ埋まらないというのに、敵はもうあっという間に用水路近くまで到達してきている。
突然、炎や氷、それに得体のしれない見えない力――たぶん風なのかもしれない
――による魔法攻撃で十数人の鉄砲射手が同時に倒された。
敵の渡河、いや渡用水路が始まった。魔導騎士団は最初から優先目標にされていたせいもあって、かなり数を減らしていたが、それでも健在で用水路から五〇ミノルほど離れた場所で用水路と平行に馬を走らせながら、魔法攻撃を行っている。
「目標、渡河中の騎兵!」
ついに敵は目の前の用水路の中だ。射撃目標を魔導騎士団から渡河しようとする騎馬隊に変えた。弾は撃てば必ず当たるほどに至近距離だ。しかし、数がどうしようもなく違い過ぎる。
至る所で渡河を成功させた騎馬が村側に上がり始めた。
「後退しつつ、射撃を続行!」
ジンは指示しつつ、抜刀した。目の前の用水路から村側に上がり切った騎兵の腰の辺りを兼定で一閃した。
「後退! 後退! 村の家屋を遮蔽物にして、各自射撃を!」
すでに村側に渡りきった騎馬によって、十数人ほどがやられている。敵兵や馬の骸が用水路に累々としているが、多くても数百人だろう。用水路を流れる水が真っ赤に染まっている。
それでも、敵はまだまだ優に千数百騎以上いるはずだ。
(終わった、か……)
内心そう思いながらも、ジンは必死に兼定を振るう。マイルズも横にいて槍で敵を牽制している。
ジンたちの周りには既に渡河を終えた騎馬たちが集まってきていた。鉄砲兵たちは分散して後退したはずだ。ジンとマイルズがいる用水路の縁には味方兵の姿は見当たらないが、まだ銃声が聞こえるので、村のどこかでは戦っているのだろう。だが、その銃声がする頻度も少なくなってきた。
そして、ついに村のどこからも銃声は聞こえなくなった。
ジンとマイルズは完全に騎馬隊に包囲された。
さっきまではジンやマイルズに攻撃していたのに、なぜか、ただ囲むだけ囲んで、もう攻撃を仕掛けてこなくなった。
「抵抗をやめよ」
囲む騎馬隊の向こうから声が聞こえた。ジンたちを囲む騎馬兵の数騎が馬を器用に操り、ジンとマイルズの前まで声の主が通れるように道を空けた。
「抵抗をやめよ。武器を捨てて投降しろ。村は焼かない」
ベラスケスだった。
◇
時を遡ること、ベラスケスがこの騎馬突撃を命じた直後のことだ。
竜騎兵二騎がベラスケスの真ん前に降り立った。
「なんだ! ここは敵の攻撃範囲だぞ! 何を考えている!?」
ベラスケスも突撃を命じた直後に味方竜騎兵に邪魔されて、昂った気持ちが抑えられずにいた。
「殿下! 我々は本国からの伝令です。軍を本国に戻せ、との陛下のお言葉を伝えに参りました」
「どういうことだ!? いずれにしても騎馬隊はこのまま突撃を敢行だ。軍を本国に戻すにしても、この場は収めなければなるまい」
ベラスケスは竜騎士の伝令にそう告げると、騎馬隊に顔を向けて、大声で再度命令に変更がないことを告げた。
「突撃命令に変更はない。敵を蹴散らせ!」
「殿下、私たちにオーサーク北の平野に分散する兵たちをオーサーク西ニノルのキャンプに再集合させる権限をお与えください。竜騎兵なら上空から各部隊が見えますので、すぐに命令して回れます」
「ちょっと待て……いったい何が起きている?」
「魔物です。帝国の西側の森から魔物があふれて、帝国の辺境街道の都市や街は今、防衛戦を強いられています」
にわかには信じられない事情を聞いたベラスケスは考えた。
いまこの瞬間に発生している戦闘と、それを終えた後の行動と、帝国辺境で起こっている事態。これらをどう御していくのが最善なのか。
「……分かった。お前たちは各部隊に、焦土作戦の中止とオーサーク西の街道に再参集するように伝令して回れ。皇帝の命だ、と言えばよい。兵が浮足立ってもいけないから、魔物のことは伏せておけ。西側出身の兵もいるのだからな」
こんな話をしている間にも、既に騎馬隊は用水路に突入し始めた。
(敵の新兵器、対魔物戦に使えるといいのだが)
ベラスケスは銃声が聞こえなくなってくると、自身も村の方に駆けだして、騎馬隊に合流した。
「急ぎ、負傷者をポーションで治療せよ。そして、無力化した敵兵から、敵の新兵器をすべて鹵獲しろ」
既に騎馬隊は何丁もの鉄砲を鹵獲していたが、この命令によって、念入りに鉄砲の鹵獲が始まった。
◇
「抵抗をやめよ。武器を捨てて投降しろ。村は焼かない」
この敵の大将はジンの前に立つと、そう言った。
ジンは一瞬マイルズの顔を見て、同意を得ると、二人は同時にそれぞれ刀と槍を手放した。そのとたん、二人は後ろから敵兵に組み敷かれて、両手を後ろに縛られた。
「その方ら、名を何という」
敵の大将、ベラスケスがジンにそう訊いた。
ジンもマイルズも地面にうつ伏せ状態、背中を敵兵に膝で押さえつけられている状態だ。
「「……」」
ベラスケスは押さえつける敵兵に命じた。
「起こしてやれ」
「はっ」
起こされて、ジンは真正面にベラスケスの顔を見た。
「ジン、と申す」
「ジン、お前たちのこの武器はなんだ」
ベラスケスの手にはいつの間にか鉄砲が握られていた。
「……」
ジンは何も話す気はなかった。
「そうか、何も言わない、か。では、こちらのことを少し明かすとしよう。村ももう焼かないし、オーサークから撤収することになった」
ジンはただベラスケスを睨んで何も話さないが、ただ彼の言うことには興味を示した。
「そうだ。戦争はお終いだ。我らは一度、オーサークの西のキャンプに戻る。道すがら、訊きたいことが山ほどあるが、まあ、話してはくれなさそうだな……この者たちを連れて行け」
ベラスケスがそう部下に命じたところで、ジンが口を開いた。
「まだ息がある者もいます。停戦と言うのなら、彼らを治療させてください」
「よかろう。だが、条件がある。余の……私の部下がそれを行う。その方は部下について回ってくれ。治療後に抵抗しないように説明せよ。そして、こっちが条件の方だが、この武器についての私の疑問に応えよ。これに応じないというのなら、私もその方、いや、ジンと言ったか、ジン、お前の要求には応えられない」
何もこちらからベラベラと話す必要はない。訊かれたことに答えればいいだけだ。ジンはベラスケスのこの要求に応じることにした。それにしても一度『余』と言ってから『私』と言いなおしたのは何だったのか?
◇
「みんな、聞け! 戦闘は終わった。村も焼かれない。まだ、どこかに隠れているのなら、武器を捨てて出てこい」
ジンは大声でそう呼びかけながら、帝国兵を伴って、村の家々の間を歩いた。
無用な混乱は避けたかった。農家の納屋などで鉄砲を構えながら、怯えている部下がいるかもしれなかった。そんな連中が発砲などすれば、無用な人死に発生する。
結局、そんな状況で無傷で生き残っていたのはたった三名だった。十二名が肢体欠損や出血多量による重症。百名いた鉄砲中隊の生き残りはたったの十五人だった。
◇
「ジン、聞かせてもらおう。あの武器はなんだ?」
「あれは鉄砲と言います」
「余の副官……いや、もういい。余はベラスケスという、帝国皇室に連なる者だ。余の副官、アティエンザがこのテッポウの攻撃を受けてな。ポーションで治療したが、体の中に何かが残っていると訴えた。その何か、というのを余は取りだして見たのだ。これほどに小さいナッツのような形をした金属片だった。あれが武器の本体か?」
ジンはベラスケスをかなり上の立場の者だと思っていたが、まさか帝国皇室の者だとは思っていなかった。しかし、それには触れず、出来るだけ短く尋問に答えた。
「はい。弾丸と言います」
「では、このテッポウは弓で、ダンガンは矢のようなものか?」
「はい。その通りです」
「なぜ五〇〇ミノル先にまで届く。矢でもよく届いて三〇〇ミノルが精いっぱいだ。普通せいぜい二〇〇ミノルだ」
「私は技師ではないので、分かりません」
「ふん。そうやって適当に躱しておればよいと思っておるのだろう。お前の部下の命はまだ余に握られていることを忘れるな」
「はい。決して適当に申しておるのではありません。私は技師ではないので分かりません」
「では、質問を変えよう。弦を引く力によって、たわんだ弓の復元力が矢を飛ばす。ではこのテッポウはどうだ。復元力ではなければ何の力だ? 魔法か?」
ジンはこのベラスケスという皇族がかなりの切れ者であることを今、認識した。この男は物の道理を知っている。火薬を説明せざるを得ない。ごまかしは効きそうにもなかった。とても焦土作戦などという野蛮な作戦を行う大将には見えないようになってきた。
「魔法ではありません。……火薬と言う爆発する粉の力です」
「カヤク、とな。聞いたことがない。帝国にはなくて、オーサーク、いや、スカリオン公国にはある。アンダロスにもあるのか?」
「アンダロス王国にもありません」
「何からできている?」
ジンは答えるべきか一瞬迷った。が、結局のところ、薬莢も多くが鹵獲されているのだから、ばらせばすぐに材料は分かるはずだ。それに、材料が問題なのではなく、製法が問題なのだから、素直に答えることにした。
「……火焔石です」
「馬鹿を言うな。火焔石は加工できない。加工しようと思えば、発火するではないか」
「それが、出来るのです。この加工法は一部の者しか知りません。私も知りません」
「都合がよいな、それは。だが、嘘は言っていなさそうだ。ジン、一つ教えておいてやろう。オーサークの兵はほぼ全滅だ。いや、それは大げさか。ただ、少なくとも半数以下にはなっておろう。オーサークにはもう抗う力は残っていない。で、だ。余の要求はオーサークの領主と話をしたいのだ」
ジンはこの皇族が何かを企んでいることがわかった。しかもそれは鉄砲がらみだ。
「そういったことは私の権限ではありません」
「それはそうだろう。だが、余の方には相当数のテッポウとダンガン、それに捕虜を捕らえてある。テッポウとダンガンがあれば、これを我らが使用して、街を攻め落とすこともできる。ジン、お前は領主を説得して我らのキャンプに連れてくるだけだ。もちろん、テッポウもダンガンも返却しないが、捕虜はすべて解放するし、オーサークも攻め落とさない。これらの条件であれば、領主は話に出てくるぐらいはするのではないか?」
◇
オーサーク城門から西、ニノルの街道上に位置する敵軍キャンプにジンとマイルズ、それに十五人の鉄砲兵の生き残りは到着した。
「では、ジン、お前を解放する。お前の部下たち十六人は捕虜だ。領主がここまでやってきて、会談が成立した時点で、解放すると約束しよう。行け」
ジンは解放された。マイルズや鉄砲兵の生き残りは敵陣内に残された。
ベラスケスの捕虜解放の話を信用してもよいのかまだ分からない。だが、ひとまずそれをインゴとシュッヒ伯爵に伝えるしかなかった。
すでに夕刻になっており、薄暗い中を、ジンは〈会津兼定〉も鉄砲も持たずに、丸腰でとぼとぼとニノルの道を歩いてオーサークに戻っていた。
城壁の上で哨戒にあたる鉄砲兵が、たった一人で両手を挙げながら歩いて来るジンを認識した。
「ジン! ジンが帰って来たぞ!」
ジンは城内に迎え入れられた。
オーサークは悲壮感が漂っていた。城内に残る全く無傷の鉄砲兵は五〇〇人。それに負傷しながらも帝国の焦土作戦からなんとか逃れて戻ったのがたったの三〇〇人ほどだった。六八〇〇人の鉄砲兵がオーサーク北の農村各部に展開したというのに、戻ってこられたのがたったの三〇〇人ということで、もはやオーサーク陥落は免れようもないという認識が広がっていたのだ。
ジンが城門に入るとすぐにインゴがやって来た。
「ジン、無事だったか。丸腰ということは、何か事情がありそうだな」
「インゴさん、申し訳ございません。鉄砲中隊はほぼ全滅です。拙者は敵の大将にとらえられてしまいました」
「それが、丸腰で戻って来た、と。何を頼まれた?」
「会談です。領主様を敵陣まで連れてこい、そうすれば捕虜をすべて解放し、街も攻めないと言っています」
「罠、ではないのか?」
「インゴさん、それは考えにくい、と言わざるを得ません。もはや彼我の兵力差は四〇倍から五〇倍にも及びます。それに連中は鹵獲した鉄砲も弾丸も相当数を持っています。つぶそうと思えばつぶせるのにつぶさない。拙者の勘になりますが、申し上げてもいいですか?」
「ああ、言ってみろ」
「たぶん、何かが本国で起きたのだと思います。拙者が戦ったのは敵の大将率いる二千騎でしたが、敵の突撃が始まった直後、竜騎士が敵陣向こうに降りました。何か敵本国で起きたのだと思います」
「ふむ。ジン、その要求、飲んでみよう。伯爵には儂から話しておく。ジン、ひとまずお前は敵陣に戻ってくれぬか。明日の朝八つに敵陣に行くと伝えてほしい」
◇
ジンは厩から馬を引き出した。家に戻って自分の家から慣れた馬を出す時間も惜しかったので、城門に付属する厩から一頭借りた。
丸腰のまま、馬にまたがり、「はっ」と軽く気合を入れた。
(マイルズも生き残った鉄砲兵たちも家に帰してやりたい。なんとしてもこの会談を成立させねば)
たったニノルのことだ。すぐに敵陣が見え始めた。