1. 巨大な犬と伏見の戦い
ざらっとした、湿った、暖かい何かで何度も頬をこすられる感覚に萱野甚兵衛時敬は意識を取り戻した。
(はっはっはっはっはっ……)
目の前には大きな犬の顔があって、口を半開きにして息を荒くしている。
(い、いぬっ!?)
横たわっていた甚兵衛は上半身をガバっと起こした。
あたりを見渡すと自分がうっそうとした森の中にいることがわかった。
そして目の前には犬がいる。
いや、犬にしては大きすぎる。胴の長さは、どうだろう、六尺(一尺は約三〇センチメートル)ほどか。体高も優に四尺はありそうだ。柴犬の四倍弱と言ってもいい。
ジンは刹那の混乱の後、自分の無防備な状態に気付いて、はっとした。
武器を探すと、幸いにしてさっきまで振るっていた刀、〈会津兼定〉が目の前に転がっていた。
犬だか狼だかはわからないが、この動物に刺激を与えないようにしながら、そっと刀を引き寄せた。
(ハイイロオオカミとか言ったか。西洋のオオカミはこんな大きさだと聞いていたが、まさかな)
犬なのか狼なのかはさておいて、この動物は甚兵衛の前でお座りの姿勢で座っていて敵意や害意は全く感じられなかった。
よくよく考えてみれば、そもそも意識なく横たわっていたのだから、もし、この犬――いやもうこの際犬でいいだろう――に害意があれば顔を舐める前にかじりついていたに違いない。
(……犬のことはまあ、いい。ここはどこだ?)
犬はお座りで首をかしげるようにして、甚兵衛の顔を覗き込んでいた。
見渡す限りの木々。そのうっそうと茂る木々の合間にほんの四畳程ひらけた場所があり、甚兵衛と犬はそこに座っていた。
(何だって俺はこんなところにいるんだ?)
◇
甚兵衛が気楽な会津での国元暮らしを離れて、伏見奉行所に詰めるようになったのは昨年末のことだった。
薩摩藩の横暴は日に日に目に余るものになっていた。それに対抗するため伏見の兵力を厚くしなければならなかった藩主松平容保は甚兵衛ら藩士を伏見に追加で派遣した。
遠く会津から伏見に赴任してみると、京から落ちてきた新選組の連中、永倉新八や斎藤一がいたりして、武芸に秀でた甚兵衛は稽古がはかどり、充実した日々が送れた。
そんな日々も年が明けて正月の三日になると、大坂城を進発した幕府陸軍が鳥羽伏見まで上ってきて、伏見奉行所に駐屯する甚兵衛の隊にも合流せよ、と命じてきた。
最初は状況がよくわかない甚兵衛だったが、桂川や鳥羽街道の方から砲撃音は聞こえてきて、ついに戦が始まったことを否応なく知ることになった。
甚兵衛は会津藩士を主力とする白刃突撃部隊の隊長を任されたが、戦の様相は完全に砲撃戦、少し接近すれば銃撃戦になる、刀を振りかざして突撃するなど想像もできないものになっていた。
白刃突撃など行う機会は全く訪れないまま、ただ、むなしく軍に付いて行くしかなかった。
それが、伏見街道を北上すると、御香宮神社に設けられている薩摩藩の砲撃陣地がやっかいだ、ということになって、そこへの白刃突撃が命じられた。
薩摩軍の砲撃はやむことがなかった。その中を新選組隊士や会津から一緒にやってきた自分の部下や仲間たちが遮二無二に突撃していく。
頭上から砲弾の雨が降り注ぎ、彼らが甚兵衛の目の前で命を散らしていく。
その時甚兵衛が考えていたのは、どうして自分の上には落ちないのだろう?だった。完全に狂気が恐怖を麻痺させていた。
それでも、気が狂ったように右手に刀を振りかざして走っていくと、御香宮神社が見えた。なぜか神社の門が開いていた。
本来なら後方から援護射撃をするはずの幕府陸軍の射撃が途絶えて久しい。
攻めているはずの甚兵衛たちは、むしろ砲撃から逃げ込むように御香宮神社の門になだれ込んでいった。その時点では甚兵衛の隊には六人がまだ生き残っていた。
神社の門に駆けこんで、最初に目に入ったのが、薩摩藩兵の槍衾だった。
謀られた、とも思わなかった。敵の砲撃陣地に飛び込んだのだから。
当然、敵は槍衾の間からミニエー銃で狙い撃ちをかけるだろう。
いや、銃撃が外れれば、甚兵衛たちを円状に取り囲んでいる向かい側の薩摩兵に弾は当たってしまう。そんな同士討ちになるかもしれない攻撃を、そもそも元から有利な彼らがするだろうか?
だからといって、もし甚兵衛たちがじっとしていれば、それはそれでやはり狙い撃ちされるだろう。
甚兵衛の推測は正しかった。敵の銃歩兵たちは装填が終わると門外に出ていき、後続の白刃突撃部隊対して銃撃を行っている。
そうして、甚兵衛たちが槍兵を牽制しながら動き回っていると、突然槍衾の一角を押し分けるようにして異様な敵兵が一人現れた。
その敵兵は全身銀色の甲冑、といっても日本の甲冑ではない。西洋甲冑だ。
それがようやく高くなってきた陽の光をギラリと反射していた。
(鉄砲の戦に西洋騎士だと?)
機動力、遠距離戦が重んじられる現代の戦にあって、時代錯誤の重装甲。しかもそれは日本のものですらない、西洋甲冑だ。
(いや、まて、西洋人はそもそもこんなに大きいのか?)
江戸で何度か見たことのある仏人は確かに大きかったが、七尺(二一〇センチメートル)はみたことがなかった。
そんな巨躯の西洋甲冑剣士が前に立ちはだかる。そして甚兵衛の持つ〈会津兼定〉に比べ、倍以上に長い両手持ちの剣を構えているのだ。
西洋甲冑はその巨躯に似合わない速さで甚兵衛の間合いに入ると、両手に持った長剣を上段に振りかぶり、これまたその巨躯に似合わない鋭さで振り下ろしてきた。
振り下ろされる肉厚の剣と、甚兵衛の持つ刀の重量差は五倍、いや十倍以上にもなるかもしれない。
まともに受けたならば、刃こぼれで済めば上々、悪くするといかに〈会津兼定〉とはいえ折れてしまうだろう。
甚兵衛は、まともに受けずに右斜め上から刀を振り下ろし、剣士の真正面からの攻撃に斜めに合わせる。
右斜め上から袈裟懸けに振り下ろしながら、体を右に躱す。相手の剣勢を左にそらすためだ。
剣と刀が交錯し、擦れあい、パっと火花を散らす。まだ夜明けで薄暗い中、煌々と火花が散ったその瞬間――それは本当に一瞬のことだった――囲んでいるはずの敵の槍兵も、神社の境内も甚兵衛の目の前からフッと消えたのだ。
同時に周囲の音も消えた。囲む敵の槍兵たちは甚兵衛と西洋甲冑の一騎打ちをひゅーひゅーはやし立てていたが、その声も全く聞こえなくなった。
味方の息遣いも、遠くから聞こえていた四斤山砲の砲撃音も、それらすべての音が消えたのだ。
【四斤山砲――幕末から明治初期にかけて主力野戦砲として用いられた。砲弾が四キロであることから四斤山砲と呼ばれた】
まるで自分とこの目の前にいる異様な剣士だけ別の場所に瞬間移動したかのように思えるほど、それは奇妙だった。
ただ、それは本当に一瞬のことで、剣士の剣と甚兵衛の刀が擦れあう、その瞬間にだけ起こった。
二人の剣と刀が離れると、景色や周りの音が戻ってきた。
(なに?)
目がくらむ。
甚兵衛は強烈な違和感を打ち払うために、首を左右に振り、目前の敵に集中しようとする。そしてまた一合、二合、とまた打ち合う。
(なんだ!?)
その度に同じ現象が起きる。剣と刀が接触するたびにその現象が生じるのだ。
苦戦する甚兵衛の横合いから味方が長槍で西洋甲冑剣士に挑みかけた。
長槍の突きは西洋甲冑の胸にぎりぎり届いたが、頑強な装甲はその槍を通さず、槍の穂先は無情にもその表面を滑るだけだった。
その直後振るわれた西洋甲冑剣士の長大な剣が無慈悲に彼の腹を貫いた。
もう助かりはしないだろう部下の名前を叫ぶ甚兵衛。
「嘉平!」
甚兵衛は我に返って、味方を見渡して叫ぶ。
「気をつけろ!かなりの手練れだ!」
甚兵衛は藩校でも道場でも剣術において会津若松で右に出る者がいないほどの腕前の持ち主だった。伏見奉行所では新選組隊士ともさんざんやりあった。しかし、この西洋甲冑の剣士が振るう剣の圧、そして速さ、それらはこれまで見たことのないものだった。
槍衾の向こう、神社の門前では甚兵衛の隊や新選組の隊士たちが突入を始めている。
白兵戦が起こって、双方の兵士が入り乱れ始めている。
こうなると四斤山砲を味方も敵も打ち込めなくなる。薩摩軍も味方の損失を恐れて、この一帯には榴弾を打ち込めないはずだ。
「後退しながら、槍衾を破れ!本体に合流するんだ!」
甚兵衛は味方に指示を出しながら、この西洋甲冑の敵をどう退けるかを考えていた。
全身甲冑とはいえ、可動部にはわずかな隙間がある。その隙間に対しての攻撃は有効なはずだ。
横なぎに払われるようにして振るわれた長剣をぎりぎりで躱し、躱してすぐに鋭く踏み込む。思い切って懐に飛び込み、甲冑剣士の股間、装甲がない部分に対して鋭い突きを入れる。
(いける!)
甚兵衛の突き出した右手に力がこもる。思いっきり横なぎに振るわれた西洋甲冑剣士の重い剣は物理的にどうあっても甚兵衛の突きを払うために戻っては来れないはずだ。
ただ甚兵衛の刀は甲冑剣士の股間に突き刺さることはなかった。
剣士は長大な剣を戻すことはあきらめ、左手のみ甚兵衛の突きに対して戻し、突き出された刀の切っ先を左手の手甲で上から叩いたのだ。
切っ先の方向が変えられ、前のめりになる甚兵衛。
その直後、後頭部に鈍痛が走った……。
(そうだった。それが最後だ。それに今気が付いたが、この森は闘いの最中に見えていたあの景色にそっくりだ)
◇
甚兵衛の前にいた犬はいつの間にか、甚兵衛のすぐそばで丸まって寝転んでいたが、甚兵衛が立ち上がると犬も立ち上がった。
うっそうとした森。時折、鳥の鳴き声や虫の声が聞こえるがそれ以外は全くの静寂だ。砲撃や銃撃の音、剣戟の音などは一切聞こえなかった。
陽は高いようだが、森の木々の葉が光を遮り、薄暗いかった。
手近にあった登りやすそうな木に手をかけて、甚兵衛はすいすいと登っていった。これでも子供の時は『猿の甚兵衛』と呼ばれていたのだ。木登りは得意だ。
子供のころは会津の山深くで父親と猟をしたり、父親の家臣の子弟と合戦ごっこで木刀を振り回して育った。
元服してからは、千五百石の家禄で容保公に仕える兄の補佐をしながら、剣で身を立てようと、数え二十一の歳になるまで剣術に励んできた。
(こんなところで得意だった木登りが活かせるとは思いもしなかった。
青春をかけて鍛えてきた剣術は全く役に立たなかったというのに)
ともあれ、木を登り切った甚兵衛にはようやく地形が見えてきた。そこにあるはずの神社はなく、宇治川も桂川もない。まるで伏見の地形とは異なっていた。
そういえば木々の植生も日本のものとはなんとなく……いや、かなり異なると言っていい。
(ここはいったいどこなんだ。戦はどうなったんだ。俺はなぜこんなところにいる)
そんな疑問が頭を駆け巡るが、それにこたえてくれる人は誰もいない。
木を降りると、犬は甚兵衛が降りてくるのを待っていてくれたようだったが、それらの疑問に答えてくれるはずもなかった。
「お前さん、どっから来た?」
もちろん返事を期待して言ったわけではないが、ともすると知的にもみえる目で木を降りてきた甚兵衛を見つめる犬に思わず話しかけずにはいられなかった。
犬は首を傾げ、「何を言っているの?」とも言っているようなしぐさをして、そして、クンクンクン、と甘えるような、何かを訴えるような声で鳴くと、甚兵衛から離れていった。
甚兵衛はただそれを眺めていたが、五間ほど離れると、犬は甚兵衛を振り返り、そこに座った。
【一間はおおよそ一・八メートル、五間はおよそ九メートル】
「なんだ、ついてこい、ってことか?」
甚兵衛は犬に訊く。もちろん返事があるわけもない。これは近づいた方が早いかと思い、甚兵衛が離れた犬に近付くとまた同じ距離だけ離れて、甚兵衛を振り返った。
まるで「早くおいで」と言わんばかりに。
「わかったよ。ついて行くよ。」
一人と一匹はこうして薄暗い森の中を歩きだしたのだった。