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月影映る・海  作者: 林伯林
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 地に着くほどの長髪は白銀で、深淵を覗かせる瞳は紫。


 竜を思わせる特徴はそのままに。


 年齢不詳の美貌で、その人物は立っていた。


 「まあ、変化へんげなさるとは珍しい」


 アルデシオンがほんの少し驚きに目を見開いてそう言った。


 「でも、お茶をご一緒できますわね。こちらへどうぞ。あなた方も」


 そう言って指し示した先には、東屋が出現していた。


 「いただこう」


 竜は頷いて、そちらへゆっくりと歩きだした。


 呆然としながら、娘は母親とその後に続いた。




 東屋には丸テーブルが置かれ、その傍らのワゴンに茶器が用意されていた。


 アルデシオンは皆に適当に席に着くよう言うと、手ずから茶を入れ始めた。


 茶葉を入れたポットに湯が注がれると、花の香気が満ちた。


 それを深く吸い込んで、娘はほっと肩の力を抜いた。


 ずっと緊張していたのだと気が付いて、また驚いた。




 「所であなた、夢は見ましたか」



 アルデシオンが公爵夫人に不意に尋ねた。


 公爵夫人はそれを予想していたのか驚きもせず、だが困ったように眉を寄せた。


 「見たと言えば見たのですが、今回に限っては……」


 「見たままを話してくださいな」


 公爵夫人は困った顔のまま、二呼吸程間をとった。


 「私が見たのは、まずは白銀の竜。おそらくこちらにおいでの方だろうとは思うのですが、その……」


 「遠慮はいりません。見たままを」


 アルデシオンが促し、公爵夫人は頷いた。


 「その、鋭い爪で、乙女を嬲っておいででした。のみならず、いかずちを幾つも落とし、乙女は転げまわり、どういった方法でかそれらを避けてはいましたが、身体を震わせては苦しげに血を吐いて……」


 「血を吐いて……?」


 アルデシオンは眉を寄せた。


 「ええ。あんなに血を吐いて、大丈夫なのかと思うくらいに。最後に、光る小さな石を吐きだして、漸く止まりました」


 「なるほど……」


 アルデシオンは溜息をついて、竜を見やった。


 竜は前に置かれたティーカップを持ち上げると一口そっと口に含んだ。


 「他には?」


 「竜が洞窟の奥に封じられる様を見ました。氷の中であったり、水晶の中であったり、ああ、次元の狭間であったり、不思議な事に」


 公爵夫人は言葉を切って目の前の竜を見る。


 「あれらは全て、あなたでした。あんな見え方をしたのは初めてです。万華鏡のようでした」


 いくら未来が不確定だからといって、何種類も同じ存在のありようを見るなどという事はこれまでなかった事だった。


 「この場所で眠りにつくあなたも見たと思います。一瞬でしたが」


 心持ち顔色を青くして、公爵夫人はティーカップから立ち上る湯気を見る。暖かさを求めるように。


 「衰弱して朽ちていくように亡くなる黒髪の女性、闇に覆われる光、闇を凌駕する光、あなたを……」


 もう一度竜を見やる。


 「あなたを女性にしたような方、いえ、色合いが全く同じ女性を見ました。あの方は」


 竜はすっと手を上げて、それ以上の言葉を止めた。


 公爵夫人は頬の血の気を失ったまま、膝の上で手を重ね、震えを押さえるように右手を左手で握りこんだ。


 「そなたの夢見には、過去見が混ざっているようだ」


 驚いたように、公爵夫人は顔を上げた。


 「色々と酷い物も見たようだが、殆どはもう過ぎ去った事だ。これから起こる事は僅かだ」


 公爵夫人はふっと力を抜いて、長く息を吐きだした。


 「闇の中に、悲鳴と苦悶が押し込められ塗りつぶされる様を見ました。何人もの人間の怨嗟が渦巻いていました。あれらも過去の出来事でしょうか」


 唇も震えていた。


 竜は曖昧に頷いた。


 「過去にあった出来事ではあるが、未来にないとも言えぬ。何しろ、あの男は時空を捻じ曲げた」



 「我は、その歪のせいで時の檻に閉じ込められたようなものだ。ここにいて、ここにいない、どこにでもいて、どこにもいない」



 ふと、気が付いたように、竜は、娘の背後を見やった。


 ひっそりと、存在を消して控える男が立っている。


 「そなた、見たのであろう?シラサギの」


 問われて男は公爵夫人へちらりと目をやった。公爵夫人は微笑で返した。


 溜息をついて口を開いた。


 「私は、今回の役割に関しては付き添いに徹するつもりだったんですが……」


 そう言って、溜息をついた。


 「確かに、「あなた」を見ましたよ。白銀の鱗に、紫水晶の瞳。乙女を嬲って、辺りは血だらけだった」


 「ちなみに聞くが、その乙女はどうした」


 「「門」の封印を解く代わりに竜の依頼を受けることにしたようです」


 「依頼というと、あれか……」


 竜は苦い表情を浮かべた。


 「ええ、闇魔法の呪いを無効化しに」


 男の答えに首を振る。


 「王の妄執は遺伝するのか……」


 そちらの方こそ呪いではないか。


 「艶やかな黒髪、ぱっちりとした印象的な黒瞳」


 歌うように呟いたのは公爵夫人。


 「美しく、この世界の誰も持たない強大な力の持ち主。

  王が執着を見せても仕方ないと思いますわ」


 そして娘を見やる。


 「あなたから見てどうだったかしら」


 促され、娘はもうおぼろげになりつつあるような気がするほんの一年ほど前の記憶を辿る。


 「混じりけのない漆黒の髪は、魔導士の攻撃の巻き添えで常にボロボロでした」


 娘はゆっくりと話しだした。


 「黒い瞳はいつも冷ややかでこちらを睥睨するかのようでした」


 眼差しは常に観察者のようだった。

 何事かを見極めるように。

 心の底まで見通されているような気がした。


 「どんな嫌がらせを受けても泣きもせず、淡々と受け流していました。周囲に全く関心がないようでした」


 王子が近づくと、露骨に迷惑そうな顔をした。

 あなたが近づくと、光魔導士の娘達の嫌がらせが酷くなる、とはっきり言ったそうだ。

 これは王子から直接聞いた。

 王子は「ほどほどに」と娘に釘を刺したつもりだったようだ。

 あの頃は既に、下位貴族の娘達は勝手に動いていて、もう新たに何か指示を出すこともなくなっていた。

 止める事もしなかったが。


 「思えばあの頃、彼女は力を大分抑制して見せていたのでしょう。我々の元から去った後の浄化の速度を思うに」


 確かに、強大な力の持ち主であるのだろう。


 「いつも真っ黒な恰好をして、化粧気もなく、布一枚のテントとも言えないようなテントで過ごしていましたが、不思議なことにいつも清潔でした。私たち貴族仕様のテントでさえ、水を用立てるのは大変でしたのに、何時の間に洗濯したり身を清めたりしていたのか」


 侍女たちが不思議がっていた。


 身に着けた異界渡りの時計や装身具はこちらの技術では到底かなわぬ細工で、それが娘達の一部を歯噛みさせてもいた。


 「今思えば、水魔法や風魔法をうまく使っていたのでしょうね。他者に全く気付かれていなかった所を見ると、制御も相当巧みだったのでしょう。確かに、王が欲しがっても不思議ではない人材です」


 浄化以外も魔導士と言っていい使い手だったのだろう。


 「記憶を辿ってみると、かなりの部分がおぼろげです。私が長く自失状態だったせいもあるのでしょうが、彼女も薄く隠蔽をまとっていたのでしょう。ふと気づくと、姿が消えていたり、移動していたり、侍女たちがそういう話をしていたのを聞いた覚えがあります。私はあまり関心が無かったので、最初の頃はともかく、途中からは殆ど意識を向けてもいませんでした。これも今考えると、隠蔽が働いていたのかもしれませんね」


 いつの頃からか興味が失せていた。

 遠征隊を出て行った時はこれ幸いと思いはしたが、それはあくまでも父や神官長から「どうにかしろ」と言われていたからであって、自身は彼女の存在を路傍の石のように思っていた。


 「そういう事ですので、私から見てどうだったかは、あまりお話しすることがありません」


 出来ません、とも言いかえられる。

 娘は無意識に自分の右手を見る。

 そこに最初に紅蔓薔薇が触れたのだ。いや、実際に触れる事は出来ないが。

 今、無性にあの精霊に会いたかった。

 

 「ではあなたから見てどうですの?」


 公爵夫人はシラサギ伯爵の息子に尋ねる。


 彼は肩をすくめた。


 「最後に見た彼女は、髪も艶やかで整っていましたし、瞳は柔らかく己の精霊を見つめて宥めてもいました。魔力は完璧に制御されていて、ぴっちりと彼女の形で彼女を覆い、輪郭は炎の色に虹色の遊色を弾いていました。美しく、類稀な存在ですよ。王でなくとも魅入られるでしょう」


 「まあ、もう契約精霊までおいでなのね」


 公爵夫人の呟きに頷く。


 「精霊たちは彼女を慕い、彼女のいる所で生まれ、集まってくるでしょう」


 それを聞いて公爵夫人は微笑んだ。

 アルデシオンも剣のある眼差しを緩めた。

 竜は満足げに息をついた。


 「世界にとっては喜ばしい事だ。余計なものも引きつけられるようだが」


 「であればこそ、早急にそれは滅さねばならないでしょう。難儀な事でございますが」


 アルデシオンの眼差しは再び鋭さを帯びた。

 


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