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「ここはどういった所ですの?」
公爵夫人はいっそ無邪気に案内人に尋ねる。
全身白い人物は、アルデシオン、と名乗った。
「公爵夫人は、私が何の精霊かご存じでしょう」
なんと白い人物は精霊だという。
男はただ驚いて、聞いていることしかできなかった。
「冷気、雪、あ、氷……?」
アルデシオンはにっこりを笑った。
「まあ冬の精霊ですね」
「では、ここは冬の神殿ですの……?」
「ええ。私の住処です」
「でも寒くないのね」
ふわふわと舞う白い光は、雪ではなく精霊か。それに指先を伸ばして軽く触れながら公爵夫人は不思議そうだった。
「招かれざる者には極寒の地となりますよ」
「まあそうなの」
アルデシオンの美貌が凄みを帯び、僅かには脅しの意図もあったと思われるが、公爵夫人はにこにこしたままだ。
いささか毒気を抜かれた気味の冬の精霊は数度瞬きし、容貌から凄みは去った。
「こちらです」
気を取り直したように、アルデシオンはある部屋の扉を開けた。
中は、はるか遠くまで氷の花が咲き乱れる冬の花園だった。
そして中ほどに見えるのは……
横たわる真っ白な竜。
不思議なことに、数歩歩くとすいすいと進み、竜の元へ辿り着いた。
竜は目を閉じ静かに眠っている。
鱗は白銀のようにきらめき、巨体は威風堂々としていた。
「立派な竜ですのね」
公爵夫人は相変わらず無邪気で恐怖など何も感じていないようだった。
アルデシオンはふふと笑う。
「あなたは相変わらずだ」
ふと、公爵夫人の隣にいた娘がそろりと手を伸ばした。
「あらあら」
そのまま白銀の鱗に触れる。
指先から粉雪がぱっと散る。
「まあ」
公爵夫人は娘の指先を見つめた。
娘もまた己の手を見つめる。
白い冷気をまとって、凍らずきらめいている。
「……綺麗、ですわね……」
暫くぶりに聞く娘の声だった。
娘の発声も久しぶりだったためか、か細く掠れていた。
***
「火の石に中てられておいでだったようですから、これが一番でしたかね」
アルデシオンが言うが、娘は首をかしげた。
「戻って来る気はないと、一度申し上げたはずですが」
そう言って、アルデシオン、母である公爵夫人、そして周囲をゆっくりと見る。
氷の花園と、雪のように舞う精霊たち。
「こちらも美しいですわね」
ふっと息を吐く。
「でも、紅蔓薔薇と一緒にいたかった」
「ああ……あれが気に入りましたか」
アルデシオンが笑みを深めた。
公爵夫人は周囲を舞う雪の一粒に手を伸ばして受け止める。
「あなたは火と惹かれあうのね。やはり性格が多少は影響するのかしら」
娘は周囲の精霊たちを見回した。
「どうでしょう。ただ紅蔓薔薇は、私に対しては随分と辛辣でしたよ。あれを惹かれていると言うのでしょうか」
横たわる竜は、ぴくりとも動かず瞳を閉じている。
娘は白銀の鱗を何度も撫で、その冷ややかさを確かめる。
「精霊は従順なわけではないわ。それでも傍にいてくれたのなら、そういうことなのでしょう」
母の言葉にそうなのだろうか、と思いつつもうなずく。
思えば、母と話をするのも随分と久しぶりだ。むしろ、母はこんなに流暢に話す人だったのか。
娘は何度か瞬きし、母の顔を見る。
娘が生まれた時には既に、奥庭の離れに閉じこもり、心を壊して「ここにいない」状態であった母は、その瞳に現実を映し出す事は稀にしかなかった。
だが、その「稀」が、自分といる時には多かったように記憶している。
不思議な事だった。
母と離され、常に侍女の監視の下に生活していた娘は、本来なら、母と対面する事などあるはずがなかったのだ。
あの頃は何一つ理解していなかったが故、不思議に思ってはいなかった。
庭で、子供部屋で、誰に邪魔されることもなく、母と過ごした思い出がある。
「お母様、もしや力を隠しておいででした?」
娘の今更の疑問に母は微笑む。
「私の力ではなく、精霊の力よ。奥庭には、綺麗な花畑があって、そこに住んでくれていたの」
「まあ、では契約をなさっていたの?」
母は首を横に振った。
「契約はおいそれとなされるものではないわ。私たちは友達だったの。ただそれだけ」
娘は、アルデシオンを見やる。アルデシオンも頷く。
「あなたのお母様は精霊に愛されておいでではあるのですよ。ですが契約は魔力をそれなりに頂くことになりますから」
魔力量に対する割合はあるのだろうが、それでも元々の魔力量が少なければ、一瞬にしてごっそりと魔力を奪われる事になる。場合によっては命の危険もあるのかもしれない。
「そうなの」
「幼いころに現れた先見の力も精霊と接していたからこそ増幅されたのです。それを他者の為に使っていた事があのような事態を招くとは……」
アルデシオンは美貌を歪めた。
「己の先見を後回しにしろとは我々は言わなかったはずですが……」
神殿に通って、自己犠牲と愛他精神を刷り込まれたのか。
母らしいと言えば言えた。
「その結果あなたが生まれたわけですが」
アルデシオンは娘を見る。
娘は視線にわずかにたじろいだ。
そのことに驚く。
滅多にたじろぐことなどないのに。
「紅蔓薔薇は、あなたを気に入っているようです」
薄紅色の羽を持つ、小さくて辛辣な精霊。
彼女は突然、夢に揺蕩う娘の前に現れた。
火の石、薔薇の石に魅入られて、朦朧としていた意識の中に鋭い刃を差し込まれた心地がした。
彼女は己を紅蔓薔薇と名乗った。
名乗った瞬間に、娘の揺蕩う世界は一面の花畑に変じた。
様々な花に彩られ、遠くからは精霊の歌声が微かに響く、天上の国。
だが、精霊たちは紅蔓薔薇を除き、誰も姿を見せなかった。
「あの方に対するあなたの仕打ちをみんな知っているのよ」
歌声はすれども姿が見えない事を不思議に思って問うと紅蔓薔薇は答えた。
「怒っているという事?」
「怒るという言葉では言い表せないわ」
紅蔓薔薇が言うには、あの渡り人は、精霊たちが長らく待ち望んだ存在であったらしい。
「あなたは自分が何者であるか、今一度考えてみるべきなのよ」
紅蔓薔薇は言い放った。
きつい言葉と声ではあった。
その程度でひるむような心の装甲ではなかったが、それ以来ずっと考えてはいる。
「私には、気が付いた時から常に傍に精霊がいたのだけれど」
母によると、窓辺に置いた鉢植えの花に潜んでいたそうだ。
その時は、小さな儚い陽炎のような存在としか思えなかったが、公爵邸の奥庭に移り住んでよりしっかりとした存在に変じたと。
「あなたにだっていたのよ。どうして気が付かないのかしらとずっと思っていたわ」
それが紅蔓薔薇だったのだろう。
「あれに、何を言われました?」
アルデシオンは問う。
「己が何者であるか、今一度考えてみよと」
アルデシオンは頷いた。
「答えは出ましたか?」
娘は俯き、そして顔を上げた。
「私は人です。心臓を一突きされれば即息絶えてしまう、か弱い存在です」
「そうですね」
「それでも「役割」はある」
母を見る。
母は微笑んだ。
「ということなのですよね」
「無理強いはしませんよ」
アルデシオンも微笑みながら言った。
「あなたが望まぬなら、それもまた道。未来は決まっていませんから」
先見をする母の前でそんな事を言う。
だが、アルデシオンの言う通り、未来は常に不確定なものなのだろう。
それ故、母の力もまた揺れ動く。
「あの男に時折夢見を告げていたのは……」
母は指先からそっと雪のひとひらに見える精霊を放す。
「そうすることで、最悪を避けられたからです」
決して父の為ではなかった、と。
「そういうやり方もありますよ」
悪戯っぽく笑う母の顔は、年齢よりもはるかに幼く無邪気に見えながら、どこか老成しているようにも見えた。
「どうするかはあなた次第です。我々はそれを受け入れるのみ」
娘はゆっくり息を吐きながら、頷いた。
その時、竜が静かに瞳を開いた。
驚いて見たそれは、綺麗なアメシストだった。




