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「いえ、いいタイミングでしたよ」
「え、セラどうしたの。大丈夫?」
地にへたりこんだ静音を見て学者が慌ててかけてくる。
が、静音が顔を上げるとあからさまに顔をしかめた。
それで、初めて静音は自分の口元や手が血まみれである事に気が付いた。
着ている物は定番の黒のワンピースなので目立たず済んでいるが、恐らく他の色ならとんでもない事になっていただろう。
静音は冷静に「洗浄」を唱えた。浄化の簡易版だ。
瞬く間に綺麗になったはずだ。
少なくとも両手の血は消えた。
「セラ、今の魔法何」
学者が目を輝かせて迫ってくる。相変わらずである。
「洗浄です。浄化を簡略化して作りました」
「ええ。じゃあ僕には無理かなあ」
「考え方次第では?水魔法や風魔法を組み合わせて工夫したら出来るような気もしますよ」
「ああ、そっか。適性なくても魔核使えば、魔導具化できるかもしれないよね」
「アディ」
ガイキが学者の名を呼び、脱線しかけた話を止める。
「あ、ごめん。えっと、まず傷は……ないんだよね?」
我に返ったように学者は静音に気遣わしげな目を向ける。
「ええ」
静音は青白い顔で息をつく。
「造血剤あるけど飲む?」
「いえ」
静音は首を振った。
この世界に、色々と魔法薬があるのは知っているが、あまり飲みたいとは思わなかった。
「じゃあ、これ食べる?」
学者が取り出したのは、濃い紫色の果実だった。李に似ている。
「水分と糖分は補えるよ」
頷いで静音はそれを受け取った。恐らく鉄分も豊富だろう。即効性があるわけではないだろうが、果物は今有難い食べ物だった。
再び洗浄魔法をかけ、一口かじると甘酸っぱい果汁が溢れて美味しかった。喉も乾いていたらしい。
「さてと」
李のおかげか座り込んだせいか、多少は顔色が良くなった静音を見て学者は立ち上がる。
「初めまして」
竜を見上げて挨拶する。
「僕はアディトリウス。アルトナミの塔所属の学者だよ」
「ふむ……」
竜はじっと学者を見、それから隣に立つガイキを見た。
「俺はガイキ。剣士だ」
竜は探るような眼差しで何度か瞬きした。
「我の名はない。単なる竜だ」
「『飛来する嵐』」
学者の言葉に竜はまた瞬きした。
「でしょう?」
笑って言う学者に、竜はふんと鼻息を吹く。
「嵐など呼ばぬがな」
「雷はばんばん落とされたけど」
かすれた声で静音が余計な事を言う。
そして周囲を見回し、この空間の特殊な床は一つも乱れていない事に気が付く。
静音が吐きまくった血反吐の他は。
静音は口を曲げて辺りにも洗浄を施した。
「すごい出血だけど、本当に怪我してないんだね?」
学者が意外なほど心配の声をかけてくる。
「ええ。全部外傷ではなく、吐きだした物ですから」
お目汚し、失礼しました、と見渡す限り隅々まで綺麗にする。
「こんなに血を吐くなんて、一体何があったんだい」
静音はにっと口角を上げた。
「『飛来する嵐』に転がされました」
「は?」
「爪で嬲られて転がされて、アルトナミ王に埋め込まれた得体のしれない闇魔術の玉を吐きださせられました。その時一緒に吐きだした血反吐です」
「そ……そう……」
若干顔色を悪くして学者は答えた。それを見て、静音はおやと思う。
「あら、あれのことご存じでしたの」
「あるのは知ってたよ。まさか実際使ったとは思わなかった」
慌てて学者は胸の前で手を振った。
「アルトナミ王家に代々伝わる事物は闇が深いんだ。僕の家は特殊な家系で、それらにまつわる記録がどういうわけか伝わっている。書庫の一番奥に封じられているけれども」
当然のように、開封して閲覧したのだろうな、とその場にいる全員が思った。
「全部で三個、作られたそうですよ。ご存知でした?」
「いや。そうなの?」
「ええ。そのうち二個は使用され、一個が王家に残されているそうです」
「使われたあと一個は誰に?」
「トーヤだそうですよ」
「は……」
学者は固まった。
「いや、あれって、王の執着の塊じゃなかったの……?」
「良くご存じで」
「禁書にはそう書いてあったんだよ」
ばつが悪そうな顔をして学者は頭をかいた。
「トーヤも旅の途中で吐きだしたそうですよ」
「そうか」
ガイキの方を向いて言うと、微妙な顔をしていたガイキは頷いた。
「で、闇魔術の玉とは何だ?」
この中で自分だけがその知識が無い事を全員に知らしめて説明を求めた。




