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何故、そのうち消えたであろうものをわざわざ吐きださせたのか、と静音は顔を上げた。
竜はひゅうと息を吐きだした。
「忘れたままで良かったのか?」
静音は魔力糸の束を瞬時に作りだし、竜へ向かって繰り出した。
竜は素早く飛び退った。
「ほれ、力も倍増したではないか」
竜の雷撃が襲ってきたが、静音の魔力糸の束が受け止めた。魔力粒子の結合は緩まず、こゆるぎもしない。
雷撃は雨あられと降り注ぐが、シールドは傷一つつかなかった。
先ほどと力加減は全く同じにもかかわらず。
「その石はな、力を奪うのだ」
今度は爪の斬撃が矢継ぎ早に襲ってくる。
静音は身体が軽く、それらを易々と躱せる事にも気が付いた。
「そういう作用の石を核にして、あの闇の玉は出来ていた。作ったのはアルケ・アルトナミ。アルトナミ初代王だ」
先ほどまでは翻弄され、転がされるばかりだった斬撃を次々避けながら、静音は魔力糸を蜘蛛の巣のように編んだ。そうする余裕があったのだ。驚くべきことに。
投げ網のように竜へ向かって放った。
空間に素早く、広がった。
避けるように飛び上がった竜の予測をはるかに超えて。
竜の羽に触れたそれは、瞬く間にくるりと竜を包み込み、地へと引きずり落とした。
「おお……」
竜は吐息のような声を出した。
「この核になっていた石、契約精霊に作らせたのね?」
静音は掌の中にある石を竜へ示しながら問うた。
「その通りだ。周囲に真珠を育むように闇の魔法をまとわせ、魂を縛る魔導具にしてしまったのはアルケだがな。あれは希代の闇魔導士だった」
手の平に転がるそれは、先だって静音がオウナの大国の街角で売った屑石と同じような大きさだった。
比べ物にならないほどの高濃度魔力を秘めてはいるが。
「こんな物を作らされたら、それは弱りもするでしょうね」
「そうだな。アルケにとって精霊とは、無尽蔵に魔力を生み出す装置だったのだろう」
静音はそれを聞いて首をかしげた。
「魔力なんてその辺にいくらでもあるじゃない」
竜は紫の目を見開いた。
「私、変な事言ったかしら?」
「いや……そうだな」
嘗ては人も静音と同じようにその魔力を取り込んで魔法を行使していた筈ではないのか?
「人では無尽蔵というわけにはいかぬよ」
竜は苦笑いするように言った。
「人それぞれ、持っている桶の大きさは違う。一度に汲める水の量は決まっている」
それは、優れた魔導士と言われたアルトナミ初代王とて例外ではなかったという事か。
「精霊との契約が尊ばれるのはそのせいもある。駆使できる魔力量がぐんと増えるからだ」
そこは無尽蔵とはいかないらしい。
「おのずと「制御できるだけの量」という事になる。後は訓練しだいだが」
つまり、アルトナミ初代王はそれだけの魔法技能を培っていたという事らしい。
「で、私を転がしてこれを取り出した理由は?」
「楽になったであろ?」
「そのためだったとは思えない」
伴う諸々を思い出すと、また吐き気が襲ってくる。
静音は余計な事は考えの外へ押し出した。
「その中には精霊の一部が入っている」
言われて静音は手の中の小さな石へ目を移す。
ゆらゆらと高濃度魔力の影響で周囲が揺れている。素手で持っているのもどうかと思って宙へ浮かせた。
こんなものが知らずずっと身体の中にあって、何故気が付かずにいられたのか。
「そなたの中には、もともと魔力がなかったからの。奪う物が無ければ、反応もそれなりだ」
その上、魔力とはまた違う、浄化の力には常にさらされ続けていた。
それは小さくもなるはずだ。
「結果的にはそなたの中にあってその闇玉は弱体化されたのだ。人間界にあって良いものではなかったしの。まあ……」
「都合が良かったということか」
静音の言葉に竜は黙り込む。
また気持ち悪くなって口の中に溢れたものを吐き捨てる。
「で、精霊の一部が入っていて、それが何」
石の芯にある物、静音の記憶を呼び覚ました物、取り巻く魔力を歪めている物。
「精霊の「目」だ」
「は?」
「闇精霊の「目」が核になっている」
静音は数度瞬いた。
「これを作った事によって、王の精霊は視力を片方失った。ああ、「人」の視力ではないよ。闇精霊特有の他者の魔力を見分けて吸い上げる能力の事だ」
「物騒な能力ね」
「滅多におらぬよ。闇精霊など。それに吸い上げる量もそもそもはささやかなものだった。あれは本来は鑑定の為の力なのだよ。相手の属性等を測る為にサンプルとして少々採取するのだ。元はただそれだけの力だったのだ。それに目をつけて闇の力を増幅させた……。物騒なのはアルケだ。
それにそなたも知っているだろう。あれらは基本人には近寄らぬ」
精霊は……。
そうだろうか。
知っているだけでも精霊と契約しているのは、カエンの主、南方諸島の魔導士、ロウスウ初代王、学者の先祖、アルトナミ初代王、静音本人。
「故人は除け。そなたもだ。まだ普通の人間のつもりなのか」
「ええ……」
指折って数えていると、呆れた声でそう言われ、唇を尖らせながらもその言に従うと、現状南方諸島の魔導士くらいしか心当たりがない。
「普段月神様とか、花畑一杯の精霊とか見慣れているので、実感がわかない」
「普通の人間にはありえん話だ。自覚しろ」
言われてみればその通りではある。
「まあとにかく、滅多に現れない闇精霊の力を、アルケは存分に利用し尽くしてアルトナミを大国にしたのだ。そして、人間界が合わず弱る様を見て、その稀有な力だけでも残そうとしたのだ」
「精霊がそれを承諾したの?……ああ、そうか、精霊の愛って……」
リルが何度も語って聞かせたそれ。
契約者の為ならば命まで差し出しかねない。
「アルケは、再び精霊を見つけたら、今度はその黒玉で完全に支配しようと考えていたようだが、あれの精霊に対する扱いは他の精霊を寄せ付けず、結局その負の魔導具を残したまま死んでしまった」
月神の怒りもかっていたようだし、それは精霊も寄りつくまい。
「歴代のアルトナミ王は、殆どが初代王に似た精神性の持ち主でな。ま、それが故、国はどんどん大きくなったが精霊は寄り付かず、黒玉は残り続けた。だが、王家も代を経るにしたがって変質してきたようでな。より短絡的になったとでもいうか」
ふわりと気配がした。
離れていたリルが静音の肩へとまった。
まだきちんと殴り合いが終わったわけではないのだが。
「昔ほどの力を持たぬ王家は、常に力を欲している。より強大な力を。それ故、渡り人の異次元の力はとても魅力的だったようだ」
静音は深く深く溜息をつく。
「浄化の力って、この世界の人が使う魔法とは違うのよね」
「その通りだ。それを使う静音本人には明らかな事なのだが、傍の人間にはそれは判らぬのでな」
「あと、まあこれは、闇の力というか、そうね、執念が凝り固まってある種魔沼に似てたわね。多分」
静音が目を落とす手の平の上の石は今や透明で闇の名残りは無い。
芯の揺らぎを除けば。
「そんなの二つ合わせれば、どうなるかなんてわかりそうなものじゃない?」
「その通りだな。そして我々には手の出しようもなかったその「執念」を取り除いてもらったのでな」
「ああ……今も月神の棺で眠っているという精霊の?」
「そう。「目」の一部が戻る」
「一部?」
竜は地に頭をおろした。
「黒玉は三個作られたのだ」
それを聞いて、眩暈がした。
「一つは既に取り戻しておる」
「あら……」
「渡り人にこれを呑ませた事は過去にもあってな」
静音は眉を寄せた。
「そなたの前の……トーヤと言ったか」
「……一度失敗したのに、またやったという事?」
「失敗……とも言い切れぬ。どうにも中途半端な術のかかりようだった」
「どういうこと?」
「一度は王に忠誠を誓ったのだよ」
トーヤ---文献によれば、暁の神官にまみえ、「鳥」の導きにより、浄化をなし、神殿に入ったと、それだけ記されている。
暁の神官によれば、多少気が弱い所もあったようだが……いや、あれは、静音だとて気を失いそうになったのだ。気が弱いとも言えない。
「旅の中でそなたのように魔力制御を鍛え、膨大な魔力の使い方を憶えた時、闇ははらわれた」
「私みたいに、血反吐と一緒に吐きだしたのかしら」
「ああ。その後三日三晩昏倒していた」
思い出したくもないので記憶の端に寄せて見ないようにしているが、トーヤも同じ方法で闇玉を埋め込まれたのだろうか。
再び襲ってきた吐き気に逆らわず、横に吐き捨てながら考える。
同時に、己の身に起こった事でありながら、嘔吐は別にして驚くほど冷静でいる自分に今更ながら驚いている。
本来の己であるならば、半狂乱でわめき散らしているような気がする。
これもまた、例の水晶の腕輪の効果なのだろうか。
「あと一個は、まだ王が持っているのかしら?」
「ああ……トーヤの時は諦めたが、そなたなら」
「やめて、また吐きそう」
静音はまた口を押えた。
「それより門は開いてもらえるの?」
それまで黙っていたリルが静音の肩から声をかけた。
おや、と竜は頭を上げた。
「開いてほしいのか」
「ええ」
「渡り人はどうなのだ」
静音に視線を向ける。
「それを餌にもう一個をなんとかしろという条件なら遠慮する」
静音は顔色を青くしたまま手を振った。
「別に私にはどうだっていい事だし」
「おや、そうなのか。では何故わざわざこんなところへまで来たのだ」
「あなたと話す必要を感じたからよ」
「ほほう」
「それ以上でも以下でもないわ。門はついでよ。来たくて来たわけでもないし」
「我と話して、それでどうなのだ」
「……まあ、「そういうこと」なんだろうなと納得したわ」
静音の言葉に、竜は不可思議な表情を浮かべた。
「何?」
「いや。止めはせんのだなと思っただけだ」
ちらりとリルを見やる。
「精霊はあからさまに止めようとしているのにな」
静音は青ざめた顔のまま笑った。
「死にたい竜を止めてもどうしようもないじゃない。終わりにしたいのでしょ?」
「ああ……」
「どうにかしたいならリルがなさいな」
肩のリルに向かって言うと、リルは困ったような顔をした。
「静音……」
「でもあなたたちおせっかいな所がよく似ているわよ」
「え……」
「私の中の黒玉なんて放っておけばよかったじゃない。方法はどうかと思うけど、今このタイミングで取り出した方が良かったという事なんでしょ?死にたい竜を止めに来るのと同じくらいおせっかいよ」
ふうと息をつく。視界が暗くなったような気がする。
「そろそろ限界」
「え、静音」
リルは慌てたように声を出す。
「帰る……わけにもいかないわね」
顔を上げて門の反対側を見る。
なんとそちらにも新たな門が出現していた。
「え、どういうこと」
リルが呆然と零す。
門の中に、うっすらとした人影が二つ。
それは見る間に明瞭になり、学者とガイキが現れた。
「おや……」
竜は興味深げに二人を見た。
「あれ、なんか間が悪かった?」
学者の暢気な声に、ついに静音はその場にへたりこんだ。
ウィンブルドン男子決勝をつい最後まで見てしまいました。




