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竜の瞳に僅かに生気が灯る。
静音は歌いやめたが、後を引き継ぐようにギィの歌が微かに聴こえてくる。
歌の魔力はこの閉じられた空間内に満ち、柔らかく金色の渦を巻いて竜の身体を覆っている結界へと押し寄せた。
---おお、おお……
呻く声が聞こえる。
---我が魂はとっくに終端に至り消滅したはず。何故、在る、のだ……
「文字列をちょっと書き換えたの」
静音が言うと、竜の瞳が漸くそこにいる人間をとらえた。
---何故。
「少し話をしたかったの」
---何故。
「あなたが身体で封じたその門の向こうに用があるの」
竜は黙り込んだ。
「駄目かしら」
---そなたに用があるとは思えん。
静音は大きく溜息をつく。
「まあね。用があるのは別の人」
肩をすくめる。
---その者の為に骨折ってやる必要がそなたにあるとも思えん。
「まあ、ね……」
静音は竜の目から視線を逸らした。
「確かに、そうね」
---その周辺の者に対しても、大した義理もあるまい。何故来た。
「静音は、お人よしなのよ」
ひょこっとリルが再び顔を出す。
---精霊か……
竜は意外なものを見た、とばかりに、初めて僅かな感情の揺れを見せた。
「初めまして……じゃないわよね、多分。リルよ」
リルは不思議な自己紹介をした。
---ああ……
竜は再びじっとリルを見て暫し黙り込んだ。
---そうか。なるほど。
一人納得したようにそう呟いた。
---その名を得たのは偶然か?
「ええ。名付けたのは静音。私の契約主」
さっと小さな手を振ると静音の髪がふわりと揺れた。
---そうか。
---結界を解くには、条件が……鍵が複数必要だ。
一つは歌。これは成った。
一つは竪琴。これも成っている。
消滅した筈の我の意識を再び手繰り寄せるとは……。
そうならぬように位相を変えたというのに。
愚痴のような竜の言葉に静音は苦笑いする。
ただ、全てを終わりにして、幕を引いたつもりになっていたのに、再び引っ張り出すような真似をした事に関しては申し訳なく思った。
自分が同じ目に合ったら、暴れるかもしれない。
---もう幾つかあるが、そうだな……、渡り人よ。
「何かしら」
静音は顔を上げた。
---この身体を動かすのは久しぶりだ。あちこち固まっていてな。
準備運動に付き合ってくれぬか。そなた……
竜の宝石の瞳に、瞼がゆっくりと被さる。
びしびしと何かにひびが入るような音がする。
微かに震える竜の身体から、きらきらと輝く水晶のかけらのようなものが落ちてくる。
同時に、首が上がり、翼が広がり、尾が振るわれ。
一つ大きく身体を震わせると、クリスタルが砕けるような音とともに一気に全身からきらめくしずくのようなかけらが落ちた。
のっそりと、結界から、竜は出てきた。
---我に共感してくれたであろう?
同じ目に合えば暴れる、と思った事か。
瞬きひとつの間もなく、静音がいた場所へ竜の一撃が落ちた。
静音は予測していたかのように少し後方へ飛びのいていた。
竜の瞳が嬉しげに細められる。
---そう、気の巡り具合は上々だ。よく練られてもいる。
静音の身体に張り巡らされた魔力を見て、竜は上機嫌に呟いた。
「それも条件の一つなのかしら」
静音が問うと、竜はふっふと息を吹きだした。笑ったらしい。
---そうだな。そうとしておこう。
静音は傍にいたリルを魔力で押して遠ざけた。一瞬、リルは抵抗したが、静音の有無を言わさぬ力にあらがえるわけもなく、仕方なく後退した。
---ここは閉じられた空間で、いくら暴れても問題はない。広げておこうか。
竜の身体から何かの力が放出された。
見る間に、結界に包まれた門が遠ざかった。
---視覚だけの問題だが、まあ近くにあっても煩わしいし。精霊もあの辺にいるが良い。
竜は滑るように一歩を踏み出した。




