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月影映る・海  作者: 林伯林
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 湖の水は澄んでいた。


 流れ込んでくる小川の水もあるが、湖底から湧きだす水量の方が豊富なのだろう。

 水温も低く、鱒や鮭に似た魚が泳いでいるのが水面からよく見えた。

 天敵と言う天敵もおらず、警戒心も薄いらしく、月神の垂らす釣り針に適度に引っかかる。

 リルもカエンもやってきて、精霊たちは楽しそうに水面を飛び交っていた。

 曰く、「綺麗な気が溢れている」らしい。

 精霊たちが陽光を弾いてきらきらと光っているので、楽しげな様子はうかがえる。

 月神をはじめとした精霊たちは、ここで精気のようなものを充填しているようにも見えた。



 「見て。静音の今晩のおかずにどう?」


 月神は無邪気に静音の方へ向かって魚を掲げる。

 静音は苦笑する。


 「目が覚めたら頂きますよ」


 そうすると月神は考え込むような顔をした。


 「どうしました」


 「私も食べてみたい」


 「は?」


 静音だけでなく、周囲にいた精霊たちも月神の顔をまじまじと見た。

 月神は口をとがらせた。


 「駄目っていうの?」


 「いや、食べられるんですか?」


 月神は不思議そうに首をかしげた。


 「食べられるわよ。味もちゃんと判るわ」


 それはもう、人形ではないのではないか。


 そう思ったが、同じような変化を見せた存在が傍にいることに思い至る。


 ルーだけが当たり前のような顔をしていた。


 「料理お願いできる?あ、教えてくれるなら私がするわ」


 更に驚くようなことを言い出す。



 折角なので、焚火を起こしてその場で調理する事にした。

 料理というより、鱗を取ったり内臓を取ったりする処理が必要で、面倒に思った静音は風魔法で済ませた。

 月神は目をぱちくりさせてそれを見ていた。


 「魔法を料理に使うってあまり見たことが無いわ」


 「そうですか?便利じゃないですか。何故使わないんです?」


 「そうねえ」


 月神は曖昧に笑う。

 魔法を自在に使うには訓練が必要であり、また豊富な魔力を持って魔法を行使するのは貴族に多い為、料理に使うなどと言う考えがそもそもないのだ。

 その上、貴族は魔法を攻撃にのみ使おうと鍛える為、繊細なコントロールは二の次になる事が多かった。


 だが、その昔は、誰もがそこそこの魔法を使えたし、素朴な人々は火を起こしたり、畑を耕したり水を撒いたり、そういった事を魔法で日常的に行っていた。そういう時代もあった事を月神は思い出した。


 それを聞いて、静音はアディトリウスを思い出した。


 彼は火魔法以外の適性もあり、それらをきちんと鍛えていたし、だからこそあの火砕流から麓の村を守る事も出来たのだった。

 恐らくそんな魔法の使い方をしたのは、少なくともここ数百年では彼以外いないのではないか。アルトナミでは。


 「ああ、そうね。彼は今、時の向こうにいるのだったかしら」


 月神は頷いた。


 「彼はねえ、周囲から貴族家の突然変異のように思われているのでしょうけど、発想やなんかは遺伝というか、家風なのよ」


 「変り者の家系なんですか」


 月神は笑う。


 「そうね。リルに聞いてるでしょ?「神の恩寵」」


 忠実な臣下を得たいが為、アルトナミ開祖が望んだ術。


 「精霊と契約した人間が王だけとは限らないでしょ?学者の先祖も精霊の友がいたのよ。自分の主が誰かほかの人間に縛られる事態を黙って見ているわけもなく、当然抵抗したのよ」


 精霊の術を精霊は避けられるのか。


 「そこは力の問題ね」


 月神は静音に指示された通り、木の枝を削って作った串に魚をぐりぐりと刺す。


 「学者の先祖についていた精霊の方が力が強かった?」


 「いえ、同等、といった所だったわね」


 塩を塗して焚火の周りに作った土壁に串の手元を突き刺す。

 土壁は静音が魔法で作った特別製だ。

 大振りな魚は切り身にして、小麦粉をまぶしてバターで焼く。


 「その場合どうなるんです?」


 「中途半端になるから、王は術がかかったと思い込んだわ。学者の先祖は術をかけられた自覚があるから当然それを解こうとするわね」


 精霊は学者の先祖の研究心やのめりこむ性分を気に入っていた。それ故その部分に加護も強く、精霊の助けもあり、術の解除に成功する。


 「精霊はオウナへいざなって、「魔を断つ層」の下、埋もれた神殿で、解除の通知が王の元へ届くのを防いだの。なので王は術が解けた事には気づかなかったわ。でもその術を授けた精霊は気づいたでしょうね」


 その時は気づかなくとも、実際に本人を見れば、目や行動で判るという。操られているようなものなのか。


 「勿論学者の先祖はそれを危惧したけれど、契約した精霊は大丈夫と請け負った。実際、王の精霊からは何の沙汰もなかったわ」


 「それはまた何故」


 月神はふふふと笑った。

 美しいのにどこか暗い笑みだった。


 「ねえ静音、あなたの身体が作り出す強大で甘い魔力に精霊たちがどうしようもなく吸い寄せられる事は判っているかしら」


 突然、おかしなことを言いだした月神に静音は眉を寄せる。


 「いや全然」


 リルやルーの反応を大袈裟だとは思うが。


 「では自覚してほしいわ。あなたの作りだす魔力はね、精霊にとっては得難い甘露よ」


 へえ、と静音は何の感慨もなく間抜けた返事をし、フライパンを揺すった。


 「学者の先祖の魔力はそうだったと」


 月神は肩をすくめた。


 「王もね」


 それは興味深い。


 静音は漸く月神の方を見た。


 「美味しい魔力の持ち主が二人いて、反目した場合、精霊はどうするんです?」


 当然、好みの方に着くのだろうが。


 月神は逆に静音から目をそらし、燃える炎を見やった。


 「精霊同士は仲違いをしないわ。そういう風には出来ていないの。だから争いごとに巻き込むのは極力避けるべきだし、契約者はそういう事は理解しているはずなのだけれど、王はね、美しく傲慢だったから、誰もが己にかしずいて当たり前だと思っていたのよ」


 己はリルと契約しているが、そういった事は事前に何の説明もなかったし、今でも理解などしていない。


 「ああ……そうですか」


 若干口ごもる静音に月神は笑う。


 「静音の場合は、リルが押しかけ契約したのだから気にしなくていいわ。あなたは精霊を使役するわけではないし、その必要もないし」


 本来なら精霊特有の魔法を使って何事かなすのだろうが、静音は自前の魔法で事足りているし、誰かを使役するという考えもない。

 リルは楽しそうに暮らしているし、精霊に近くなったルーはやることが少なくて(人に奉仕するという意味で)若干不満そうではあるが、ハブ部屋での監視作業と島の環境維持を仕事として日々過ごし、こちらもそれなりに楽しそうではある。

 交換条件として与えられる筈の魔力は、茶や料理として日常的にふんだんに振る舞われ、通常の契約とは全く異なる形態になっているのだが、静音はそれに気づかず過ごしていた。


 「王の精霊は病んだわ」


 月神は遠くを見た。


 「長くを生きた力のある精霊だったけれど、王の闘争心と城での権謀術数に疲弊していった。王の望みで受肉していたのも良くなかった。霊体のままであれば私たちにもなんとかしようがあったのだけれど、肉体の制限に引きずられて弱るだけ弱ってしまったの。瀕死の状態になるまであっという間だったわ」


 「精霊との契約は書面に記されるものではないけれど、それなりに制約もあるのよ」


 切り身に焼き目がついたので、蓋をして火から少し遠ざける。


 「精霊に危害を加える事は契約違反。それは精神的虐待であってもよ」


 「つまり?」


 「私たちは王の元から精霊を取り返した」


 ある朝、王妃の寝室を覗くと、寝台に横たわるもう息をしない肉体のみがあった。

 それを持って王は精霊との契約が切れた事を知り、だが最初に心配をしたのは「神の恩寵」の効力だった。効力は維持されており、また施術も可能である事をすぐに確かめ安堵したという。


 「期待はしていなかったけれども」


 月神は溜息のように呟いた。


 本来であれば精霊が与える術としてありえない負の力を行使させた反動は大きく、精霊は小さく弱くなっていた。長い年月で得た力は全て術に吸い取られていた。


 学者の先祖が己の精霊を通して連絡をしてきた。

 術の解除が弱った精霊に力を取り戻させるのではないかと。


 「それはその通りでね、実際、彼の術解除が精霊を僅かばかり回復させたのよ。彼は面白いものを作ってくれたわ」


 術を解除した際に、施術者へもたらされる「報告」。

 それを特殊な結界の呪文を刻んだ魔核へ閉じ込める。

 その魔核を弱った精霊に取り込ませた。


 「単なる思い付きだと彼は言ったけれど」


 そもそもが無理をして作りだした術であった為、ほころびはあちこちにあった。

 むしろ精霊はそのように作っていたのだ。

 いかに愛する契約者の為とは言え、精霊にとっては不本意な術であったため。


 「施術された者たちからも徐々に術がほどけて力を薄くしていくような魔導具を作りだして、さりげなく装身具として渡したりもしてくれたわ」


 術そのものも、歳月を経るにしたがって威力が徐々に薄まっていった。

 契約が切れた以上、致し方なしとしつつも、王は最期まで術を行使し続けた。


 精霊の完全な回復は王の死を待たねばならなかった。


 「望んで愛した以上は仕方のない事だったのだけれど、うちの精霊たちが人間をより嫌うようになったわね」


 静音は苦笑した。

 恐らく、学者の先祖が術の解除を行った地下の神殿は月神の神殿だったのだろう。


 「穴だらけの術だったから、脆い筈だったのだけれど、何故か「彼」には血を通して受け継がれてしまって」


 「彼」が誰を差すのか、静音は理解して思い出した。

 彼もまた、だいぶ理不尽な目にあってきたようだ。旅の最中の己の態度を僅かばかり反省したが、そうなるよう促したのは彼の方だったように思う。


 「現在、王家が用いる「制約の紋」は、あれは「神の恩寵」の劣化版で、精霊の術を真似てだいぶ晩年の王が作りだしたものだったのだけれど」


 「彼」のむき出しになった肩に刻まれていた紋。

 学者に解除されて綺麗に無くなっていた。


 「当時の人間にとってはあまり意味のないものだったのよ。魔力行使が今より容易だったし。身体に多くの魔力を取り込む事が出来たから」


 魔力ではねのける事が可能であると。


 「魔力変動によって、あれがまた効力を持ち始めるとは思わなかったわ」


 月神は溜息をついた。

 人間とは業の深い存在である。


 「アディトリウスがあれを解除する方法を編み出した時、ああ、血筋だなあって思ったものよ」


 「彼は、精霊には?」


 好かれないのか、と問うと、月神は笑う。


 「勿論好かれるわよ。先祖とそっくりだもの。でも地上の精霊は少なくなってしまったし、アルトナミは特にね」


 魔力変動の中心地であり、暴走する魔力脈に殆どが飲み込まれてしまった。


 「王家が精霊の血を引いている割には、恩恵が少ないですね」


 「当たり前よ。精霊の愛は一代限りよ。いくら子孫でも、本人が精霊に好かれていなければ恩恵なんてないわ」


 精霊の血を受けたとて、所詮受肉した身体由来の血。かりそめの現世の身体は精霊の魂なくば人形と同じ。

 人形の血を継いだからとてそれが何だ、と月神は笑う。


 「今のアルトナミ王家は?」


 「精霊に好かれるような人間は見当たらないわね」


 にべもない。

 静音は王子と王しか見たことが無いが、双方確かに精霊に好かれるとも思えない。


 「そもそも昔のように、人間も簡単には魔力を扱えなくなってしまったしね」


 「ああ……」


 そういえば、精霊は「美味しそうな魔力」と引き換えに契約を結ぶのだった。




 「静音~」




 湖の中心の方からリルの声が聞こえてきた。




 「サラダ作って~」




 のんびりとした声に気が抜ける。




 月神は楽しそうに笑った。



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