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二つに折れ曲がり千切れかけていた魔導人形の身体は、綺麗な細工を施した雪花石膏の棺にきちんと指を組んで納められ、花で埋められていた。
最後に吟遊詩人が心配していた悪鬼の形相ではなく、目を閉じ口を閉じた美貌のまま。
そして、どういうわけか、月神の棺の隣に安置されている。
月神の棺は今日も花に溢れていた。
絶世の美貌は相変わらず青白い顔で横たわっていたが、金色の影がそのそばに佇んでいた。
「もうその姿でふわふわ動き回る事にしたんですか?」
開き直ったのか?と静音が尋ねると、月神が笑うように肩を揺らした。
「今のあなたと一緒じゃない。身体は休めておくしかないけど、意識はそうじゃない。少し前までは朦朧としていたけど、ここまではっきり覚醒しちゃうとただ寝てるだけって退屈なのよね」
臆面もなく言い放つ月神の性格が、以前想像していたものとは違っていて静音は多少面食らっていた。
「身体がいつ回復するのかもわからないし」
精霊たちが前とは全く異なる陽の気を振りまいてきらきらしている。
イェルキラは笑顔がデフォルトだ。
初対面の時を思い出して静音は思わず遠くを見てしまった。
精霊たちが笑いあうたびに舞う金の粉はふんだんに棺の中の人形に降り注いでいる。
月神の金の波動に揺れながら。
「で、どう返すのです?」
静音は冷ややかに箱の中の人形を見下ろしながら尋ねた。
この人形から受けたダメージは多分に精神的なものが主だった。
最後に受けた傷はともかく、ホラーじみた攻撃はなかなかに強烈であった。
月神は背中の翼を揺らめかせた。
金色の波動が一瞬にして空間中に広がり、棺の中の人形の全身が包まれそれもまた金色に光った。
光は人形の眉間と心臓の二か所に集約され、ぎゅっとエネルギーが圧をかけるような感覚にとらわれる。
ふわりと翼が一つ羽ばたくと、宙に二つの魔核が浮かび上がった。
一つは緑に輝き、一つは無色透明な中に虹色の反射を見せていた。
それこそがこの自動人形の力の源であると静音は既に知っていた。
以前それを抉り出したのは自分である。
月神が右手を軽く上げると、小さな魔方陣が出現した。
その中に折りこまれた文言を読んで、静音はそれがアルトナミ王都の空に浮かぶ魔法陣と同じであることに気が付いた。
「長い事ご苦労様だったわね。ゆっくりお眠りなさい」
月神の言葉とともに、その中へ二つの石は吸い込まれていった。
「この子は本当は王都の魔法陣へ向かっていたのだけれど、類まれな吟遊詩人の歌声に惹かれて脇道に逸れてしまったのね」
「はあ」
静音は変わらず金の光にうっすらと包まれている人形を見下ろす。
「素体を残した理由は?」
「判っているのではなくて?」
静音は眉間にしわを寄せた。
「暫く私の身体になってもらおうと思って」
予想通りの答えに溜息をつく。
「まあ、私が色々言う権利もありませんし」
「権利があれば色々言うの?」
ますます渋面を作って静音は息をつく。
「この人形、苦手なんですよ」
「まあ。どんなところが?」
「とびきりの美貌がひっくり返って悪鬼の顔になる所が。ホラー人形じゃないですか」
「ほらー、にんぎょう……」
翻訳がそのまま伝えてしまったのか月神は復唱するように呟いた。
「ああ……恐怖人形って言うんでしょうかね。生首が飛んできて肩に食いついた時はひっくり返るかと思いました」
「まあ」
月神は手を口元へ持って行った。シルエットだけなので表情は判らない。
「立ち直るのに丸一日かかりました。暁の神官は前の渡り人程の反応が無かったとか言って残念そうでした。流石にどうなのかと思いました」
不愉快そうに静音は眉をひそめた。
月神は肩を震わせた。
どうやら笑っているらしい。
「作ったのは太陽神の愛し子たちなんですかね」
悪趣味にも程がある、と静音は思う。憮然とした顔を見て月神は笑いをおさめた。
「精霊であることは間違いないわ」
月神は「こほんと咳払いする」ような仕草で答えた。
「太陽神の眷属だった事も間違いないわ」
「愛し子ではないと」
「まあね」
月神はそれ以上答える様子はなく、ふわふわと二、三度翼をはためかせる。
そこから生まれた波動が人形を薄く包む金の光をなおの事輝かせた。
「なるべくあなたの心に負荷をかけないように作り変えましょう」
そう言って、さっと手を振ると、一際強く輝きが増し、一瞬の後には消えた。
棺の中の人形は金色の豊かな髪をそのままに、姿を隣の月神の姿に変えた。
「うわあ……」
静音の棒読みのような声に応えるように、金色の輪郭が人形に重なり、人形は目を開いた。
瞳の色は、明け方のような瑠璃色だった。
「どうかしら」
ゆっくりと身を起こし、人形は声を発した。
初めて月神の声を耳から聞いた。
花をまといながら、そろりと棺の中から出てくる。
「人に見える?」
静音は苦笑いする。
「神々しくて人には見えないですね」
「まあ、ちょっと困るわね」
大して困ったようにも見えないが、人形は眉を寄せて小首をかしげた。
決まった表情しかなかった「鳥」とは違ってそこは人間っぽくもある、と静音は思った。
「人に見える必要があるんですか?」
「だって、街にお買い物に行ってみたりしたいんだもの」
「……は?」
この神様は何を言い出すのかと静音は思う。
「人に紛れてみたいのよ」
静音はゆっくりと、月神の後ろにいる眷属の精霊を見やる。
精霊はにこにこしていた。
「あなたたちは文句ないわけ?」
「……様がそうしたいとおっしゃるなら」
否やはないらしい。
あれほど「人」に嫌悪と怒りを剥き出しにしていたのは何だったのか。
一万年ぶりに目覚めた月神への喜びが全てを凌駕したらしい。
「やめた方がいいんじゃないですか。その姿じゃ否応なく人目を引くでしょうし。まあ隠匿や姿変えを使うとしても、相手が神と認識していない人間と交流して良い事があるとも思えない」
召喚されてからのあれこれを思い出し、静音は言った。
碌でもない思い出が殆どだった。
「静音の場合は特殊じゃない。ごく普通の人間は傍にいなかったでしょ」
むっと唇をとがらせて月神が宿った人形が言う。
確かにこれは元の人形と同じとは思えないなと静音は再度思った。
「遠征中、街や村に滞在した事もありましたから、市井の人間との交流も多少はありましたよ。都市部は物騒だし、村は排他的です。そもそも人に紛れて何をどうするおつもりなんです」
「何をどうするつもりもないわ。私はそもそも、人里で過ごすのが好きだったのよ」
そういえば、頻繁に人里に現れる神だったか。
「今と昔では人の無邪気さも違う……」
言いかけて、何を必死に止めているのだろうと我に返る。
相手は神だ。自分ごときが心配せずとも自分で何とかするだろう。
「失礼。出過ぎたことを言いました」
「あら、心配してくれないの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて月神は言う。
静音は首を振った。
「私ごときがあれこれ言う事でもなかった」
ルーを振り返る。
ひっそりと気配を消して佇んでいたルーは頷く。
「帰ります」
実体ではない筈の静音はするりとルーの腕を取る。
魔力糸は既に伸ばされていた。
「待って」
月神の声が、静音の身体を止める。
静音は眉をひそめて振り返った。
彼女の声には力が乗っていて、袈裟懸けに切られた洞窟での出来事を思い出し、傷のあった場所が痛んだ。
「ねえ、まずはあなたの所へ遊びに行ってもいい?」
月神が何を言い出したのか、静音は理解する事を放棄した。




