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「あなたの名前を教えてくれないか」
「静音よ。発音できる?」
吟遊詩人は割合上手に「静音」と呟いた。
訓練されている人間とも言えるので、当たり前か、と思った。
「私は吟遊詩人のギレディウスと呼ばれている」
静音は首をかしげた。
本名は別にあるような口ぶりだった。芸名ででもあるのだろう。
「ギレディウス」
「適当に呼んでくれていいよ」
思い入れもなさそうだ。
「ギィ」
そう呼ぶと微かに目を見開いた。
静音が首をかしげる。
彼は笑った。
「懐かしい呼び名だ。子供の頃の」
「あら、そうなのね」
静音にとっても懐かしい呼び名だった。
幼いころ近所に住んでいた同じ歳の男の子の愛称だったのだ。
親の仕事の関係で日本で暮らしていたが、数年して帰国した。それ以来会う事は無かったが、仲良くしていた思い出は残っている。
金茶の髪とグレーの瞳で、日本人とは違う顔立ちが不思議で、幼いころはよく瞳の奥を覗き込んだものだ。
そういえば、この吟遊詩人の髪色と瞳の色もあの子に似ている、と静音は思う。
「幽霊の静音に尋ねたい。あなたは常ならぬ存在として、この国の未来が見えているだろうか」
ふと顔つきを真面目にして吟遊詩人が問うてきた。
「未来など見えないわ」
静音も真面目な顔になって答えた。
「常に揺らいで確定していないのが未来よ」
そうだろうな、と吟遊詩人は溜息をついた。
「先が不安なのかしら?魔は祓われたはずでしょう?」
静音が笑うと吟遊詩人は首を振った。
「その通り。私たちは渡り人を選ばれし者と呼び、浄化の旅に向かわせた。渡り人は魔沼を全て浄化して、北の地で大元を断つ事さえしてくれたと言う」
「何かご不満?」
「渡り人は帰ってこなかった」
吟遊詩人は弦を弾く。
「それがどうかして?」
「渡り人は神子として、浄化の後は神殿に入るのが通例だ。民は皆そのつもりで待ち構えていたが、神子は遠征隊から離れて一人で浄化を始めてしまい、そのままどこかへ行ってしまった」
「皆の期待に応えなくてがっかりした?」
「そうではなく」
吟遊詩人は語気を強めた。
「神子はこの国を選ばなかった。我々は、神子に要求し、与えられるばかりで、何一つ返せていない」
「それでいいという事なのでしょう。何か問題が?」
「それでは我々があまりに恩知らずという事になってしまう」
静音は笑った。
「渡り人があなた方に恩を返させてあげる義理もないわよね?行きたい所へ行っただけよ。別にそれで不都合もないのだし、気にする必要もないでしょう」
「居心地悪くさせてしまったのは我々だ。王都に相次いで現れた魔物や変異に、ますます民の罪悪感が増している」
静音は首をひねった。
「渡り人に謝ったら変異が止まるとでも?全く関係ないわよ多分」
それで謝られても、と静音は思う。
「戻ってきて、皆に消費されるだけの存在になるのを厭ったのでしょうし、恩を返したいのならそっとしておくのが一番よ」
そもそも戻ってきてどうしろと言うのだ。
神殿に入った所で、神子として大切に扱われはするのだろうが、政治利用されるのは明白だし、神殿入りを拒めば今度は王家が手を伸ばしてくるだろう。
「彼女は本来なら、この世界に存在するはずではなかった人間なのだから、当初の目的が叶ったのなら、後はこの世界の人間が解決すべきでしょう?彼女もそう言って姿を消したはずよ」
ガイキもそう言っていた。
この世界の事はこの世界の人間が解決すべきだ。
「それで彼女は幸せなのか?」
吟遊詩人は悲しげな顔で問う。
「戻って来るよりは遥かに」
静音は微笑む。
「元いた世界から無理やり連れてきた人達が、彼女の幸せを願う……冗談のような話ね」
「……判っている」
「この国の人たちが皆、そんな風に思っているのなら、彼女は帰ってこなくて正解だったわ」
「何故……」
「余計なお世話という事よ」
静音は腹の底に不愉快な感情が湧きだすのを感じながらも、溜息で押さえつけた。
「この世界の人が、彼女をどう幸せにするというの?彼女は何も望まなかったわ。聞いてないの?」
帰ってくれば、褒美の話は当然あっただろうが、彼女が出立する際、そんな話は一つもなされなかったと吟遊詩人は聞いている。
当然褒賞は用意していた、出来るだけのことはするつもりだった、と王家は言っているらしいが。
「心配しなくても、彼女はそれなりに楽しく暮らしているわよ」
あまりに暗い顔をするので、そう言ってやった。
「もう神器も壊されたし、何の関係もない異世界の人間が呼びつけられる事もないわ。あなた方も楽しく暮らすのが良いと思うわ」
「……そうか」
吟遊詩人も溜息をついた。
忘れて過ごせ……そう言われたような気がしたが、それをしてしまえば、本当の恩知らずになってしまう、と思う。
渡り人はそれを望んでいるのかもしれないが。
歌を作ろう、と思った。




