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月影映る・海  作者: 林伯林
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 「魔力変動の頃、よく信仰されていた神です」


 用心深く、イェルキラが答えた。

 静音は笑う。


 「知ってるわ。あちこちで神像も見てきたし。見事に叩き壊されて砕かれていたわ」


 イェルキラの表情が歪んだ。


 「どうして人は……」


 唇をかんで言葉を止める。


 「罪や責任を他者になすりつけるわね」


 イェルキラはきっと顔を上げた。


 「救おうとしてくれた者に対してのそれが返礼なのですか」


 静音は肩をすくめた。


 「そうなんでしょうね。「人」に期待しては駄目よ」


 「あなたも人ではないですか」


 イェルキラは怒りを込めて声を荒げた。


 「人だから言うのよ」


 静音は苦笑しながら答えた。


 「さっきあなたが言った通りよ。己を犠牲にしてまで救わなくてもいいのよ。そんな価値はないわ。恐らくそれが判っていても救わずにいられなかったのが月神で、そしてそれは、「そのように作られているから」だと思うわ」


 イェルキラは眉を寄せて首をかしげた。


 「そんなような事を、暁の神官、恐らくはシリル・バトゥが言っていたわ」


 「は……」


 イェルキラは目を吊り上げた。


 「シリル・バトゥがいつあなたにそんな事を言ったのです。あなたが一万年以上生き続けているのでない限り、そんなことをシリル・バトゥから聞けるはずがない」


 静音は収納空間からあるものを取り出し、それをイェルキラに差し出した。

 イェルキラはそれを見て息をのんだ。


 「あ、やはり見覚えがあるのね」


 それは水晶の腕輪だった。


 イェルキラは首を振った。


 「腕輪に見覚えがあるわけでは」


 「判っているわよ」


 材質と、腕輪が発する魔力の波長。


 「あなたが知っているシリル・バトゥと「同じ」かしら?」


 「同じ、と言えば、同じ、です」


 イェルキラは微妙な言い回しで即答を避けた。


 「全く同じではないということ?」


 「……そう、ですね。「ほぼ同じ」です」


 なるほど、と静音は溜息をつき、ちらりとリルを見る。

 リルは複雑な顔をして腕輪を見ていた。


 「私にこれを渡したのは「暁の神官」と呼ばれる、恐らくは人ならざる者だったわ。私の前には実体で現れなかったけれど、はっきりと人の形を取っていて、その顔が、あちこちに残っているシリル・バトゥの神像の顔と同じだったので、同一の存在かなとも思っていたけれど、私もなんとなく「ぴったりは一致しない」感じがしているのよね」


 「だって、シリル・バトゥは……」


 イェルキラは何かを確認するかのようにリルを見やったが、リルは困惑の表情を返した。


 「最後は自ら暁光へその身を捧げて「返った」のです。そうやって荒れ狂う魔力変動を鎮めた」


 静音は小首をかしげた。


 「どういうこと?」


 イェルキラは躊躇いがちにもう一度リルを見る。


 「あなたは、憶えていないの?」


 問われて、リルは顔をしかめた。


 「私は一度「返った」身で、最近生まれたばかりなの。魔力変動の頃の記憶は朧で歯抜けよ」


 イェルキラは次にカエンを見る。が、カエンも首を横に振った。


 「私はつい最近まで、あまり考えることをせずに暮らしていたので、リルより記憶は薄いわ」


 「そう」


 イェルキラは深く息をついた。


 「アルトナミは、暁光へ至ろうとしたのです」


 静音は、アルトナミの北で、埋もれた神殿から手に入れた魔導書を思い出す。

 魔力脈の源は暁光である、とあった。


 「暁光というのは、アルトナミの地下深くにあるとされていますが、実際はそこにあるわけではなく、次元を隔てた場所にあるのです」


 例えどれほど地下深くを掘っても、人が手を触れられる物ではない。

 そう「人」に告げたのはシリル・バトゥだった、とイェルキラは言う。


 「暁光は、太陽神の分身とも現身とも魂とも言われていますが、真実は私たちには判りません。しかし、人があれに手を出しても破滅するだけ。シリル・バトゥはそれを何度も人に説いていたように思いますが無駄だったようです」


 イェルキラは溜息をついた。


 「そもそもシリル・バトゥが人と関わり始めたのは、アルトナミの研究者を止める為でした。魔力脈を研究し、暁光について考察する分には構わないけれど、近づき触れるというのは危険極まりない。そう何度も説得し、彼らの知識欲を満たす為、暁光について話して聞かせもしたのです。ですが、人はそれでは満足しなかったようですね」


 知れば知っただけ「見たくなる」。

 静音もそれはよく判る。

 研究者というのはそういうものなのだろうとも思う。

 アディトリウスを思い出した。

 彼もまた見られるものならば見たいと言うだろう。


 結局、シリル・バトゥもまた、人に消費されるだけで終わった。

 それどころか、暁光について知識を授けたが為、研究は彼の名の元に行われた。

 地下深くを探る為の魔法陣が組まれ、その中心には起動の為の魔結晶を据える装置として彼の像が置かれた。

 魔導士は万能感に酔っていた、とも言える。

 その当時、アルトナミ一の魔導士と謳われた研究者は自身に不可能な事などそうはない、と思い込んでいたのだった。


 「結果はご存じの通りです」


 イェルキラの冷ややかな声。


 装置は正確に動いた。

 地下探索の為の魔法は小さな土竜に似た形を取って、猛烈な早さで地下深く潜って行った。

 魔力脈を遡るように。

 やがて、土竜は暁光へ至った。

 土竜の瞳に映る眩い光は魔導によって地上で待ち受ける研究者へ送られた。

 見ることが出来た。

 次は触れる為に動く。


 「暁光は次元を違えた場所に置かれています。触れようとして触れられるものではありません」


 魔導士が諦めて引けばよかっただけの話だった。

 だが、諦めなかった。


 「空間に干渉する魔法は、当時一般的にありはしましたが、せいぜい短距離を移動する程度の事でしかありませんでした。使用する魔力は膨大ですし、それ以上となると、制御できる魔導士が存在しませんでしたから」


 だが、魔導士は自分には可能と判断した。

 それだけの魔力量を持ち、魔力制御に長け、確証もあったのだろう。

 彼の中では。


 「この事業には、アルトナミの王家も出資し、全面的に後押しもしていました。そういう事情で魔導士の判断が狂ったとも言えますが」


 魔導士は暁光が存在する空間へまずは土竜を移そうとした。

 強固な魔力で閉じられた空間へ。

 何度か弾き飛ばされたが、試行錯誤するうち、するりと入り込むことが出来た。


 凝縮された魔力の逆巻く坩堝の中心へ。


 「恐らくあっと思う間もなかったでしょう。土竜は引き寄せられ瞬く間に坩堝の中で混ぜ込まれた。魔力でつながっていた魔導士に逆流した迸る魔力の圧力は尋常ではなく、魔導士を引き裂き、地上を引き裂いて吹き荒れた」


 それが顛末。


 「はた迷惑……」


 静音は呟いた。


 「異物が混じりこんだ為、反発して荒れ狂う魔力を何とか鎮めようとシリル・バトゥは中和剤として魔力脈へ身を投じました。シリルの浄化の力は優れていて、実際、そのおかげで魔力暴走は静まったのです」


 シリル・バトゥは浄化の核となって魔力脈を漂い続け、やがて消滅した。


 「シリルはそもそも我々と同じく魔力粒子が凝って出来上がった存在でしたから、「返った」と言い換えてもいいかもしれませんね。ただ、暁光に溶けいってしまって、何故か分離不可能な程結びついてしまった為、リルのように「戻る」事はもうないはずなのです」

 

 「じゃあ、暁の神官は、やはりシリル・バトゥではない、という事なのかしらね。とはいえ、シリル・バトゥの意思が内在しているのは間違いないと思うのだけれども」


 腕輪をくるりと指先で回した。


 「これ、月神に使ってみる?何か色々効果があるみたいよ?」


 傷を治したり、体力消費を押さえたり、「どこかから」力を吸い寄せたり。


 「いえ……」


 イェルキラは首を振った。


 「月神には効果がないと思いますし、あってもシリルの力と混ざり合うのはあまりよくないかと思われます」


 「よくないの?」


 「実際、暁光がもたらす魔力はシリル・バトゥが溶け込んで変容しました」


 「どんなふうに?」


 魔力は魔力ではないか、と静音は思う。


 だがイェルキラは首を振る。


 「前とは確実に違います。暁光とは苛烈で制御できぬものでした。太陽神そのものです。ですが今は」


 腕輪は薄闇にきらめいて微かな虹色を弾けさせた。


 「もしかすると、今、あの時の魔導士が暁光に手を出したら、どうにかできてしまうかもしれません」


 「力が落ちているという事?」


 「いえ、こちらの世界により馴染むように変わってしまったと言うべきでしょう。今、人間にあの頃のような魔導士がいないのは幸いです」


 そこまで言って、はっとしたようにイェルキラは静音を見た。

 察して、静音は渋い顔をした。


 「いや、私は魔導士じゃないし、暁光とやらにも興味はないわよ」


 誤解されては堪らないとばかりに首を振る。


 「ですが、今暁光に至る力を持つ人間はあなたしかいません」


 「それやって私に何か得でもあるの?」


 イェルキラは口ごもった。


 おや、と静音は首をかしげる。


 「力が、手に入る、かもしれません」


 渋々と言った体でイェルキラは言った。


 「かも?」


 静音はなんとなく面白くなってつついてみた。イェルキラは何とも言えない表情を浮かべた。


 「苛めちゃだめよ、静音」


 ふわふわとリルが目の前に降りてきた。


 「苛めてないわよ。かもって何よ」


 「かもとしか言いようがないわ。だって暁光が実際のところどういう動きをするか予測がつかないんだもの」


 つまり、そもそも「手におえない力」という事か。

 現状は単なる魔力供給装置が。


 「私そんなにとんでもない奴に見える?」


 静音はリルに尋ねた。


 「見えないわよ」


 リルは腰に手を当てて溜息をついた。


 「静音は平穏に日々を過ごせればそれ以上は望まない人間よ。この世界に愛着もないから、行く末に興味もない。人も精霊も妖精も懐に入れた者以外はどうでもいい。ある意味無害で、ある意味とても有害」


 胸を張って言われた。

 静音は苦笑しながら首を振る。


 「ある意味有害ってのは否定したいわ。それ以外はその通りね」


 そしてイェルキラを見る。


 「あなたのお仲間であるリルの私に対する人物評はそんな感じよ。リルがどの程度あなたに信用されるか判らないけど、私よりはマシなんでしょ?」


 「この世界に愛着が無い?」


 イェルキラはそこが気になったらしい。

 静音は苦笑する。


 「存在をかけてまでこの星を救おうとした月神には申し訳ないけれど。無いわね」


 「でも、あなたは、その腕輪を受け取っているじゃない」


 イェルキラが声を荒げる。

 だが静音は笑う。


 「だからもう外しているじゃない」


 ぱっと手を広げて腕輪を投げ上げる。

 腕輪は落ちず、宙にとどまった。


 「そもそもこれを渡された時だって、何の説明もなかったのよ。単なる通信手段かつ情報装置という認識しかなかったわ」


 腕輪はわずかに発光しながらゆっくりとその輪郭をぼやけさせる。


 「慣れない場所に何とか適応するためには必要な腕輪だったわ。最初はね」


 体力を強化したり、魔力制御を向上させたり、といった働き以上に、静音に知識を授け、戦闘能力をもたらした。

 最初に水蛇を切った時に、それを実感した。

 王子が言っていたように、確かに静音には魔物を討伐できるような技術は無かったはずだったのだ。

 召喚の神子である、というただそれだけで誰も不思議には思っていなかったが。 


 「でもなんとなく、自分が変質していくのが判ってきて、依頼が終わった時に外したのよ」


 「依頼……変質?」


 イェルキラが眉を寄せる。


 「私がこちらへ呼ばれたのは、魔をはらう為だったの。すったもんだあったけど、魔沼と呼ばれた物を浄化していくうちに、私自身わずかずつ変わっていくのに気が付いたわ。だいぶ後になってからだったけど」


 腕輪をつけていれば、どういった力をどの程度使って処理すればいいかはすぐに判った。現れる魔物の弱点もその動きさえも一目見るだけで看破できた。

 最初は便利だと思うだけだったが、そのうち、その力を使うが故、自分の思考がわずかずつずれていく事に気が付いた。

 単なる異邦の女から、「力を持つ者」へ。

 ある程度は仕方のない事かと考えていたが、アルトナミの北の広大な荒地がめくれ上がっていく様を見た時、不意に、己が今までとは全く別の存在に変わってしまう未来を見た。


 静音は、己が絶対者になる事は望んでいない。

 それが幸福であるとも思っていなかった。


 「恐らくこれを着け続けていたら、万能感に慣れてしまって、別人になるような気がしたのよね。まあ、そこまで行かなくても、あまり良くない気がしたのよ」


 私、普通の人間なのよ、と、静音は言った。


 それを聞いて、リルをはじめとする精霊たちは絶句した。


 リルにしてみれば、普通の人間からは逸脱しすぎてもう後戻りは不可能に思えたが、黙っていた。

 彼女が腕輪を外すタイミングはとっくに過ぎていて、気が付いた時には手遅れだったのだ。

 本人がそれに気が付いているのかどうかは判らないが。


 「これをつけていると、私はいずれ、暁の神官と似たものに変じてしまう」


 囁くように、静音は続けた。


 「そう思ったの」


 あなた方には、それが幸いか祝福なのだろうけれど、私には呪いにしか思えない。


 静音は更にそう続け、輪郭の滲む腕輪を掴み、ぐっと力を込めた。


 「岩を砕き、鋼鉄も変形するほど力を込めてみたけれど、ヒビ一つ入らない」


 溜息をつく静音に、恐らくは何度も壊そうとしたのだと精霊たちは察した。


 「人のいる場所に放置はできないから、無人島とか火山の火口とか、「どう考えても取り戻せない場所」に捨ててみたけれど、いつの間にか戻ってくる」


 もう一度ぽんと宙に投げ上げた。


 落下を始める寸前にそれはすっと消えた。


 「私が持っているしかないのよ」


 しかたなく、収納空間へ放り込んでいるのだと静音は言った。


 「暁の神官に真意を問いただそうとした時には、接触がなくなっていたわ。結局どういうつもりだったのか判らない」




 「とはいえ、今、あなたと話しているうちに、なんとなく思ったのだけれど、彼は、自分と同類か、それとも新しい神が欲しかったのかしらね」


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