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頂上から降りてくると、温泉の池は拡張されていた。
おかげで多少水温が下がっている。
静音は、一つ溜息をつくと、池の隣に二つ、浅いプールを斜面に沿って少しずらして作った。浴槽を作ったのと同じ按配で土をがちがちに固める。
間に溝を通すと、池から隣のプールへ湯が流れ込み始めた。
二つ目のプールに湯が溜まる頃には丁度良い湯加減になっているだろう。
一番下のプールには排水溝をぐるりとめぐらせ、元の池から流れ落ちている川へ合流させた。
このまま素っ裸で入って開放感を楽しんでもいいが、ルーが良い顔をしないので、周囲を結界で囲い、天井を濃いグレーに、四方をすりガラスのように曇らせた。
一か所にはシェルターの端を引きだした。
「壁作らないの?」
リルがふわふわやってきた。
「私たち以外誰もいないのに、必要ないでしょ?」
「ああ、まあそうね」
見晴らしをよくするために、結界の一部を透明にした。
浴槽につかると、空と海しか目に入らないだろう。
絶景ではなかろうかと思う。
遠く、水平線近くで、巨大な魚が跳ねていた。
水しぶきが上がり、激しく海面が揺れている。
「あれ、鮫?鯨?」
「魔物よ」
リルは笑って答えた。
メガロドンのようなものだろうかと静音は思う。
跳ね上がった巨体に海からにょっきりと飛び出した触手のようなものが絡み付く。
海が白波を立ててかき回される。
魔力視でズームすると、触手と思ったものは吸盤がついていて、イカかタコの腕のようだった。
「ダイオウイカ?」
「魔物よ」
リルはやはり笑う。
何本もの腕が巨大魚を絡め取る、と思った所で、もう一つ水柱が立ち、東洋風の竜が現れた。
それは、巨大な蛇のような尻尾を振り回し、魚とイカの両方を〆て海の中へ引きずり込んだ。
「魔物ね」
「そうね」
海獣大決戦のような一幕を見て、静音は深く息をついた。
海には海の魔物がいる、とガイキは言った。まさしく。
「あれ食べられるの?」
静音が問うと、リルはぎょっとしたような顔をする。
「食べられるなら食べるの?」
「え、まあ、美味しければ」
陸の魔獣は食うではないか、と静音は思う。
リルは信じられないといった顔で首を振った。
「食べる人は見たことないわ」
「じゃああんまりおいしくないのかしらね」
「あんなの普通の人は討伐できないから、そもそも食べる以前の問題よ」
リルは身体を震わせた。
「あ、まあでも、大きい生き物は総じておいしくないって言うものね」
ダイオウイカなどアンモニア臭が酷いと聞いた覚えがある。
「いや、だから大きさの問題じゃなく……」
だが、マグロは魚の中でも大きい方ではなかったかと思う。
では何事も試してみなければ判らないということか。
「静音、あんなのわざわざ食べる必要ないでしょ。大概まずいって判ってるなら」
リルが何故かすがるように言う。
「そうね……」
それより、マグロに似た魚を探した方が良い気がする。
魔物のせいで遠洋漁業など出来ない世界のようだし、ただでさえこの島は大洋の真ん中だ。海産物には期待できるかもしれない。
「お魚好きなの?」
「子供の頃、海の傍に住んでいたのよ。魚が美味しい土地だったわ」
都会に住んで、酒を飲まなくても、時々無性に新鮮な魚が食べたくなったものだ。
そういえば、魚を捌いた事など殆どなかったが、今、平気で捌いている。よく見てはいたが。見よう見まねも侮れないものだ。
この島は、当然ながら海に囲まれ、魚が豊富で、温泉が湧き、市街の跡地で生活物資にも困らない。
自炊の必要はあるが、リゾート地のようだと思う。
元リゾート地ではあるのだが。
「ご褒美だと思えばいいのでは?」
リルが察したように言った。
「浄化の旅の?」
「他にも色々あったのでしょ」
「あったわね。これからもあるんでしょうね」
うんざりする。
静音が召喚されたのは事故のようなものだと聞かされたが、ここまで便利に使われると、実際は違うのだろう、となんとなく思っている。
暁の神官が総じて信用できないと思うのはそのせいだった。
神像の優しげな微笑を思い出すが、胡散臭いとしか感じない。
「受け取ったら、まるで喜んでやったようじゃない。一つも私の意思じゃなかったのに」
「それは判っているのだと思うわよ」
「それでもよ。何かを受け取るって、交渉の余地ありと示すようなものじゃない。シェルターは浄化の旅で噴火を避けたり宿泊施設になったり必要経費かと思って開き直ったけど、ここはそういうわけにもいかないでしょ」
「同じ扱いでいいんじゃないの?勝手に呼びつけた渡り人に住む場所を提供するのは当たり前じゃない」
「納得がいかない……」
リルは笑って肩をすくめた。
「温泉入らないの?」
気が付くと、二つ目のプールも一杯になり、湯は排水溝へ溢れ出していた。湯量豊富なようだ。
「入るわよ」
ワンピースを脱いで、収納空間へ放り込んだ。




