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月影映る・海  作者: 林伯林
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38


 「清らな少女は月神の巫女となりて」


 静音は口ずさみながら歩く。

 今日は島の中央へ向かっていた。

 思えば『街』の跡地以外、足を踏み入れたことが無かった。

 今までは、守護者であるルーに気を使っていたのと、何より大して興味が無かったという事もあるのだが、不意に気が向いたのだった。

 そうすると、何故興味が無かったのかが不思議に思えた。

 これもまた、思考誘導だったのだろうか。

 根拠はないが、いささかむっとしながら、先日己自身をスキャンした時の事を思い出す。

 制約の紋などとというようなあからさまなものはなかったが、そんなものが無くとも、神官ならどうにでもしてしまえるだろうと思ったのだった。


 「静音、その歌気に入ったの?」


 ふわふわと傍を漂いながらリルが尋ねてきた。

 我に返った。


 「妙にキャッチーなメロディーよね。気が付くと頭の中をぐるぐるしているのよ」


 「きゃっち……」


 どうやら自動翻訳が、そのままパスしてしまったようだ。


 「印象深い旋律だから、ずっと頭に残ってるってこと」


 「そうなのね」


 「歌手の歌声も素晴らしかったわ。彼って有名な吟遊詩人なのかしらね」


 「そうね」


 リルは、あの情景を静音の背後から見ていた。

 歌い手は艶やかなテノールの持ち主で、声には魔力が乗っていた。

 歌声に魔力を混ぜられる人間は少ない。彼はその上、竪琴の音にも魔力を乗せていた。そういう音楽家は昔から「希代の名手」と言われて聴衆から愛されてきた。

 一歩間違うと、人の心を軽く操作する事も出来るのだったが。

 本人は無意識で、悪意を持ってそれらを行使することはほぼないが、稀に悲劇を生むこともある。

 多くは恋愛沙汰の場面に於いて。


 などと言う事を静音に話して聞かせた。

 静音は「へえ」と気の抜けた返事をした。

 リルは、あの歌い手が、いささか熱のこもった視線を静音に注いでいたような気がしたため、注意しようとしたのだったが、静音の方は全くそちら方面には関心がなさそうだった。


 「静音、一回であの歌憶えたのね」


 「そうね。憶えやすい歌だったのかしら」


 「そう、かしら」


 リルには、そうは思えなかった。むしろ、移調や転調が多く、音域も広く、普通の人間には憶えにくいのではないか。しかも、


 「静音、歌ってる時はこっちの言葉になってるわ」


 「え……」


 言われて気づいたように、静音は立ち止まった。


 そして、確認するように冒頭を歌う。


 「……うそでしょ」


 顔を青くして静音は呟いた。

 これもまた、魔歌の効果なのだろうか、と、リルは思った。


 「何でも歌で憶えると憶えやすいっていうのはあるけどね……」


 静音は溜息をついた。


 「静音って、音楽経験はあるの?」


 「全くないわけではないけど……楽器のレッスンとか、学校の合唱部とか」


 「その辺の影響もあるのかもね」


 「その程度で……?」


 「その程度で。魔力がそれらを増幅させるわ」


 つまり、静音が、無意識にあの歌を憶えたいと思ったということか。


 「ふうん……」


 前を向いて再び歩きはじめながら、静音は眉間にしわを寄せた。

 何とも言えない感情が心中に渦巻いていて、言葉に出来ない。


 舗装された道が現れた所で、以前ルーに渡された腕輪を出す。

 金と銀の両方だ。

 大丈夫と言われてはいたが、念のため左腕に通す。

 相変わらず、歌のフレーズは脳内を駆け巡っていたが、口に出さずに歩き続ける。


 山の麓に、白い建物が建っていた。


 アルトナミで見た中世的な建物ではなく、静音の感覚では現代的というか、近未来的なフォルムだった。一万年前の文明からすれば、これがむしろ当たり前なのかもしれない。何故アルトナミはああなのだろう。


 無言で先導していたルーが、入口脇のスキャン装置のようなものに視線を合わせた。


 音もなく、扉が中央から分かれて両脇へスライドした。


 引き戸を、この世界の建物で初めて見た。


 エントランスは上部に設けられた窓からの光で明るく、床は艶のある建材が敷き詰められていた。大理石に見えた。

 柔らかなクリーム色の建材は壁も同じ物で覆われていた。

 吹き抜けで開放感のあるエントランスを抜け、奥のエレベーター……と呼ぶべきか静音は迷った、魔法陣が中央に描かれた小部屋に入り、地下へ移動した。


 地下は実用一点張りのような真っ白で無機質な空間だった。

 廊下の突き当りの部屋に、『維持漕』が設置されているという。

 その部屋も、スキャン装置にルーが視線を合わせると、するりとドアがスライドした。


 そこもまた真っ白な部屋だった。

 清潔感だけはあり、病室のようでもあった。

 床には、ガラスの箱が、十程並んでいた。


 ルーはその中の一つに近づいて、指先でこつんとガラス面を叩いた。


 「これが維持漕だ。中に入って横たわると、維持液に満たされる」


 静音は近づいて中を覗き込んだが、つるんとした壁面があるばかり。

 下の方にメカニックな物が見えはしないかと目を凝らしたが何もない。


 「維持液ってなんでできてるの?」


 「私の血液を見た事があるだろう」


 「ああ、あの青いの」


 「大体あれと同じものだ」


 なんとなく理解した。


 「血液に浸かって回復かあ……」


 中世の頃の伯爵夫人にそういう人物がいた事をなんとなく思い出した。


 「どうかしたか?」


 ルーが顔を上げる。


 「昔の貴族のご婦人がね、美貌を保つために、若い娘の血液風呂に入ってたって話があってね」


 「そんなことをして効果があるのか?」


 「いや、多分ないと思うけど。むしろ、衛生的に却って健康に悪そうだけど。なんか妄執にとらわれてたのかしらね。伝承によるとその過程も楽しんでたらしいから」


 ルーは眉をひそめた。

   

 「『そういう人』だった、という事ね」


 「気持ち悪いからやめて」


 リルが横から声を出す。

 不機嫌そうな顔を青ざめさせている。


 「ああ、ごめん」


 「静音の世界ってそういう人いるのね」


 リルは涙目だ。


 「ああ、うん。歴史上沢山いるわね」


 こっちだっているだろうに。


 「精霊には毒な話だ、その辺で」


 ルーがとりなした。


 後で聞いたが、実際毒になるそうだ。

 人の悪意や残酷さは精霊を遠ざけると言われているが、弱るらしい。

 負の感情には怒りもあるのではないか。

 リルに聞いてみようと思って、思いとどまっている。


 「で、静音は、この周辺の調査をしたいんだったな」


 話を方向転換させたルーに頷いた。


 「そう。残っている施設はここだけ?」


 「中心地は沈んでしまったからな。ここが残ったのは奇跡だ。他にも埋まっている施設がないわけではないが、もう長い事手入れしていないのでどうなっているのかは不明だ」


 そもそも街外れに建てられたここはいざという時の為の補助的施設だったらしい。


 「警備隊の詰所みたいなもの?」


 「まあそうだ」


 そのほかにも役所の出張所も兼ねていたそうだ。

 エレベーターホールの反対側に長いカウンターがあった。

 後で覗いてみようと思った。


 「この島の山って、魔力変動の後隆起したのよね?」


 建物の裏にそびえる山は、形は富士山に似ていた。

 高さはだいぶ違うが。

 それでも、この大洋の島に存在するにしては高すぎる気がした。


 「マグマが吹き上がって暫くおさまらなかった。ここは結界と維持のおかげで保たれたが、一時溶岩と土砂に埋もれた」


 「掘り出したの?」


 「まだあの時は、仲間がいたので地道に。暫くは魔力脈も乱れていて、あの時はたまたま魔力が通りやすく、発動しやすかったので楽だった。僅かながら生き残った人間もいたし、人命を優先させるためには必要な施設でもあったし」


 「ああ、暫くは人がいたのね」


 「いたな……」


 ルーは無表情だったが、静音はそこに何かの感情の揺れを見た。

 何があってどうなったのか、あまり良い思い出でもないのかもしれない。


 「その人達、どこに住んだの?」


 「半分以上埋もれたが、住宅地エリアがあって、そこに集まって暮らしていた。親を亡くした子供もいたので、そういう子はこちらで保護した」


 室内の壁は維持漕同様どこもつるんとしていて、見る所もなさそうだったので出る事にした。


 「子供が過ごせるような場所あるの?」


 「二階から上には会議室などがある。そこを整えた」


 案内されて二階へ上がってみたが、どこもがらんとしていた。

 もう片付けてしまった後のようだ。


 「人ってどのくらいまでいたの?」


 「百年」


 「短くない?」


 「ただでさえ少ない人数がどんどん減っていってな。生まれる子供もいたが、それより死亡者数が多かった。特に魔力変動の余波が激しかったのはその百年で、自暴自棄になる人間もいたし、無気力になる人間もいたしで。

 この島は、『橋』がなければどこへもいけない場所だ。その閉塞感もあったのだろう」


 「もしかして、出て行った人が多かった?」


 「その頃はまだ魔導衛星がなんとか生きていて、アルトナミの様子等もある程度判っていたからな。なんとか船を仕立てて出て行ったよ。外洋には魔物もいるし、危険だと忠告はしたんだが、我々は人に奉仕する為に作られていたし、望まれれば、出ていくための船も用意せねばならなかった」


 「いくら魔導人形でもそんなこと可能なの?」


 「いくつか近距離用の高速船が残っていたので、それらを改造した」


 建造用の施設があったわけではないが、何体か残っていた魔導人形達が蓄えていたメモリーの知識と魔導具を駆使してなんとかしたそうだ。


 魔導人形の随伴を望んだ者たちもいたが、そもそも魔導人形はキシュキナを守る為に作られており、離れてしまうと機能停止してしまう。


 「打ち壊して当時貴重になっていた魔核だけ取り出して持って行こうという話になったんだが」


 「げ」


 静音は顔をしかめた。


 「我々は人命を優先するようプログラムされているが、己の存在を脅かす者に対してはその限りではない」


 「どうしたの?」


 「全員で姿を隠した。ここと同じような施設が何か所か埋もれているのだが、それらを人間に知られぬように稼働可能にしておいた」


 「そうなる事態を予想していたのね」


 「そういう事を言い出して、人々を扇動しそうな人間がいたので、前もって準備しておいた」


 ルーは淡々と述べる。

 人の行動について、特別な思いはないらしい。


 「ひと月もせず諦めて旅立って行った。念のため我々は一年隠れて過ごした」


 静音は笑いが込み上げてきた。

 何故笑うのか訳が分からずルーは首をかしげた。


 「なんでもないわ」


 静音は笑いをこらえながら首を振った。


 「それで出て行った人達は無事にどこかへ辿り着いたのかしら」


 「一隻だけ奇跡的にアルトナミ南岸に到着した。魔力変動でめちゃくちゃになってから放置されていた土地だったので何もない。ここにいるより不便を託つ生活だったようだが、まあ、好んで出て行ったのだし」


 南岸というと、あの神殿サークル遺跡に近いあたりだろうか。

 今ではあの辺りの国はアルトナミ・シュデというそうだ。

 そのまま「南のアルトナミ」という意味らしい。


 「多分、それなりに満足してたんじゃないかしらね」


 静音は言った。


 「やれるだけのことはやった達成感はあったんじゃないかしら」


 「そうか。まあ、大陸に子孫は残せたようだし、出て行った意味はあったのだろうと思っている」


 「こちらに残った人達は?」


 「老人ばかりだったので、それから二十年程度で皆亡くなった」


 「あなたは出て行きたいって思わなかったの?」


 ルーは不思議そうな顔をした。


 「先ほども言った通り、我々はキシュキナと住人に奉仕する為に存在している」


 「そうね。でも「余白」があったのでしょう?」


 ああ、そういえば、とルーは呟いた。


 「そうだな。だが、私の余白が反応したのは、静音だけだった。キシュキナから出たいと思った事はなかったよ」


 ルーの青の瞳が一瞬だけ遠くを見たように思えた。

 長く生きていれば、魔導人形と言えど、色々とあるのだろう、と静音は思った。 


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