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古代アルトナミが無理なら、こちらの現代で調査をしてみようか、と静音は思った。
ハブ中継部屋に展開されている沢山の中継画面の中から、興味深い場所をピックアップする。
恐らく鳥や竜もそのうち現れるだろうが、岩ゴーレムを鑑みると火魔獣や水蛇以上の破壊行動をするわけでもなさそうだと判断している。
何をして、「返る」のかは判らないが。
ぼんやりと眺めていると、どこかの都市で開かれている演奏会の様子が目についた。
小規模なホールで、舞台に上がっているのは竪琴弾きだった。
魔力を少し注いでみる。
現れたのは薄暗いホールの片隅。舞台袖の緞帳の影だった。
出来るだけ存在を薄くして、視覚認識を下げる結界を張る。
竪琴弾きは朗々と響く声で歌いあげたり、そよ風のような声で囁いてみたり、自由自在に声を操って物語を歌っていた。
歌の内容はアルトナミの古歌らしく、古の禍がいかにして起こったか、いかにして人はそれを生き延びたか、太陽と月の神の恋など絡めつつ語られる。
とにかく見事な歌い手だった。
竪琴の腕も素晴らしく、客席は水を打ったように静まり返って彼の声に聴き入っていた。
「暁の光が差しますように」
歌の端々にそのフレーズが現れる。
現代のアルトナミではシリル・バトゥの信仰は廃れてしまっていると聞いていたが、こんなところに残っているではないかと思う。
いや、ここは果たして現代なのだろうか。
ルーに聞いた所では、時間を遡った先まで映しているのは、学者たちの所だけだという話だったが。
吟遊詩人や客の服装は現代アルトナミの服装と大差ないように思えるが、アルトナミに関しては数百年前も同じような恰好をしていたので判断材料にはならない。
ふと気づくと、歌は止んでいた。
演奏が終わったのだと思い、顔を上げるが、客席の人影は座ったまま微動だにせず、舞台の照明も落とされていない。
そして目の前には、歌い手が立ち、静音の姿を目を見開いて見つめていた。
「あなたは、妖精か、精霊か……」
ややあって震える声で問いかけてくる。
何と答えたものかと考える。
「近いのは幽霊かしら」
静音は戯れのように答えた。
「ではあなたはもう死んでいるのか?」
瞳にふと悲しみが差した。
「……そうね」
元の世界では死んだようなものだ。
「何故、こんな所に現れたのだ」
静音は微笑んだ。
「あなたの歌に引き寄せられたのよ。素晴らしい歌声だったわ。まあ、幽霊に褒められても嬉しくはないだろうけど」
「そんなことはない」
歌い手は慌てて否定した。
「楽しんでくれたのなら、それに勝ることは無い」
「そう。良かった」
所で、と周囲を見回す。
「一体、何が起こったのかしら」
客席どころか、袖に控えていたスタッフも微動だにしない。
「判らない」
歌い手も困惑したように周囲を見回していた。
「歌い終わって、我に返ったら、こんな風になっていた。動いているのは私とあなただけだ」
「時が止まっているようね」
スタッフは、ステージ中央を見つめて一歩踏み出した所だった。
「私が不用意にここへ来たせいかもしれないけど……」
そう言いながら、静音は一旦、魔力を注ぐのをやめてみた。
ステージ上から姿が消え、歌い手が慌てるのが画像で見えたが、周辺の時が流れ出す様子はなかった。
「違う理由みたいね」
もう一度魔力を注ぎ、姿を現した静音に歌い手は青白い顔のままほっとした様子を見せた。
静音はゆっくりとホールの中を観察した。
ミラノのスカラ座に雰囲気が似ていた。あれよりはだいぶ小さ目かと思われるが。
座席は赤い布張りで、壁際のボックス席はない。
「ここは王都のどこかなのかしら」
静音が呟くと、歌い手は頷いた。
「魔物が立て続けに王都に現れてね。言い伝えを思い出して不安がる人々の為に演奏会を」
「そうなの」
無論その魔物は火魔獣に始まるあれらだろうが、そうすると時間的な移動は無かったと見える。
「あなたの歌声は素晴らしいし、歌の内容も興味深いわ。古い歌なのかしら」
「そう。我が国に残る古歌の幾つかだよ」
「『暁の光が差しますように』」
静音が軽く口ずさむと、歌い手は目を見開いた。
「特徴的よね」
静音が笑うと、彼は頷いた。
「よく使われるフレーズだよ。最後の歌はね、月神が地上の荒れ果てた様を見て嘆くんだ。力を求めた人々が神の怒りに触れて滅亡の危機に瀕していて。でもね、少女が歌うんだ。神の怒りが静まりますように。天変地異がおさまりますように。人が許されますように。朝が訪れますように。少女の気持ちがあまりにも純粋で美しかったので、月神はなんとか少女の住む世界を守ろうとしたんだ。創造神に祈り、太陽神に再来を乞うた。その最後の言葉だよ」
大地が引き裂かれたという話だし、大規模な火山の噴火も同時に起こったりしたのだろう。粉塵が舞い上がって暫く日が差さなかったのかもしれない。
静音は浪漫のかけらもない事を考えながら微笑を浮かべ続けた。
「夜が明けた、という事ね」
「そう。夜が明けて、少女は誓うんだ。今度こそ、神の導く優しい世界を作るって。そして、「明日もまた暁の光が差しますように」と歌う」
神の導く優しい世界がこれか……と皮肉を言いたくなって、寸でで止めた。
目の前の純粋に人生を音楽にかけた若者に言う事ではない。
だが、静音の僅かな表情の変化に気が付いたのか彼は苦笑した。
「そうだね。神の導く優しい世界って、難しいね。どういう世界を言うんだろう」
遠くを見る若者は、ふと思い立ったように竪琴を鳴らした。
「君に一曲歌おうか」
そう言って、少し離れて、客席ではなく静音に向かって歌い出した。
歌の内容は、先ほどの続きのようだった。
『清らな少女は月神の巫女となりて』と歌い始められた。
少女は神の声を聞いた者として、各地を「清めて」回った。
月神から特別な力を授かったのだ。
天変地異に伴い、瘴気が満ち、水の汚染が始まり、人の住めない土地が広がり始めていた為だ。
少女は祈り、人々の為に尽くした。
人々は少女に感謝し、神に感謝した。
だが、少女はある日病に倒れる。
長く己を省みず瘴気を清めて回っているうちに、自身がじわじわと瘴気に侵され始めていたのだった。
手足は黒く染まり、逆に美しかった黒髪は色が抜けて白くなった。
力の行使が少女を弱らせ、生命を削り落としていた。
人々はそれでも少女に瘴気を清める事を求めた。
神から特別な力を授けられた者のそれが務めだと言いながら。
地上の瘴気が少しずつ薄まって、少女の力が必要でなくなった時、その肌は真っ黒に染まり、髪は真っ白に色が抜け、痩せ衰えて一人で歩く事さえままならなくなった。
人々はその姿を「神の怒りをかった人間の証左」と言って疎んだ。
そしてある日、子供が石を投げた。
石は少女であった者の額に当たった。
血はこぼれず、少女は砂のように崩れて消えた。
月神は再び嘆いた。
良く使命を果たした少女の魂を地上からすくいあげながら涙を落とした。
地上はまた闇に閉ざされた。
月神は癒しの神であるがため、悲しみはしても怒る事はない。
怒りをもたらすのは太陽神であった。
太陽神は少女の為に怒り、世界を闇に閉じ込めたのだ。
人々は恐れ、嘆き、悔い、空に向かって祈った。
再び、純粋な祈りを捧げる別の少女が現れたが、月神は悲しみが深く、もう二度と人間にかかわろうとは思わなかった。
「滅びるがいい」と言ったのは太陽神だった。
だがその時、月神に抱かれた少女の魂が太陽神へ祈った。
「どうか、暁の光が差しますように」
最期の祈りで、少女は魂までも崩れて消えた。
月神は少女の魂の為に今一度願い、太陽神は、少女の魂に免じて、再び世界に光をもたらした。
歌い手は、ゆっくりと弦から指を離し、瞳を上げた。
幽霊は消え、割れんばかりの拍手が押し寄せてきた。
終わりが見えない……




