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学者が言うには、ここは古代のアルトナミだという。
魔力暴走の数百年後程度の。
にわかには信じられないが、この緑深い山が、現在の北方山脈の一部であると言われれば、自分の転移元が同じ場所である事を鑑みて、そうなのかもしれないと、ぼんやりとは思った。
時を遡る転移を果たした。
あの魔法陣は一体どういう作用を刻まれていたのか。
他の魔物たちはどこへ移動したのか。
自分と同じところへ転移したとはとても思えない。
「僕たちと一緒にいる?暫くはこっちにいる予定なんで、付き合ってもらうことになっちゃうけど」
学者は暢気に尋ねてきた。
学者と行動を共にしていたのは、なんと剣士ガイキだった。遺跡調査の護衛を依頼しているのだと言う。
「戻れる術をお持ちなのか?」
エイディスは尋ね返した。
「うん。可愛い精霊がね、遺物の正確な使い方を伝授してくれたよ」
つまり、遺物で転移が可能、という話だった。
「私が一緒では、困ることもおありでしょう」
学者が人には秘密にしている魔導具を駆使しているのは周知の事実であった。
それを使って打ち捨てられた遺跡を調査し、更に遺物を手にしているのでは、とも噂されていた。
「そうだねえ。まあでも、「一緒にいるだけ」なら何とでもなるから」
学者は不思議な笑みを浮かべた。
「「見なかったこと」にしてくれるならそれでいいよ」
ふわりと何かの「力」に包まれたのを感じた。一瞬、光ったかもしれない。
「今、何かの制約を?」
エイディスが尋ねると、学者は少し目を見開いた。
「まだかけてないよ。君が了承すれば効果を発揮する」
「では、先ほどのものは?」
「スキャンしたの」
学者は肩をすくめて答えた。
「君の肩にある制約の紋を消すことも出来るよ?」
エイディスは息をのんだ。
盗賊に襲われた後、宰相の家で目覚めた時には刻まれていた制約の紋。任務で見たこと聞いたことだけではなく、己の過去も王と宰相に定められた者以外に語ることを禁じられた。
「それはこの上から、あなたの制約の紋を上書きするだけのことではないのか」
エイディスの声は、自分でも驚くくらい冷やかだった。
「そうすることもできるけど」
学者は小首をかしげた。
「僕のは「制約」ではなくて「契約」だから、君が了承してサインしてくれればそれで終了だよ?君の「制約」に触れれば、多分そっちの方が負けて焼けちゃうから君の肩を火傷させるなら消しちゃった方がいいかなと思ったんだけど」
「この「制約」より強いとおっしゃるのか」
「うん。だってそれ、王家の「制約の紋」でしょ?心配しなくても実績はあるから大丈夫だよ」
学者は片眼を瞑った。
「実績、とは……」
「僕」
見る?と言うなり、学者は上着を脱いで、シャツのボタンをはずし、痩せぎすな両肩をむき出しにするとエイディスに背中を向けた。
右肩に、エイディスのものと同じ制約の紋があった。
「これ、目くらまし」
言うなり、紋は溶けるように消えた。
「僕が遺跡調査するようになってから、つけられたんだよね。何か見つけても隠匿する事が無いようにってさ。後、僕の開発した魔導具の情報とか王家のあれこれとか他に漏らさないように。まあ常に何をしているか包み隠さず報告しろって命令書でもあったわけ」
するりとシャツを上げて、学者は向き直る。
「僕が色々開発して秘匿しているって噂があっても、王家が何も言わなかったのは、「そんなこと出来るはずがない」と思っていたからだよ。でも、こんなものくっつけてて開発なんて出来るはずないじゃない。自由に出来ないならそもそもやる気が湧かないよ。機械的な作業を延々続ける人にしか効果ないと思うんだよね」
にっこり笑う。
「で、どうする?」
「私にそんな事を聞かせて、報告されると思わなかったんですか」
「ここから?どうやって?」
両手を広げて上向かせる。
「私が帰る術を持っているとは思わなかったので?」
「だったら「帰れる術をお持ちか」とは聞かないよね」
まあ別に、君が一人で帰れるとしても、構いはしなかったけれども、と学者は続けた。
どこで何があったのか、シャツの右袖は肘から先がなくなっていて、学者はそれを気にすることなく上着を羽織りなおす。
「君、窮屈そうなんだよね」
「窮屈、ですか?」
「そう。なんだかずっと狭い所に閉じ込められてもがいているように見えていたよ」
浄化の旅の間中、と。
学者とはそれ以前にも面識はあったが、長時間行動を共にしたのはあれが初めてだった。
とはいえ、何を考えているか見透かされる程、密に接した覚えはなかったが。
「で、どうする?ここなら解除はなお容易いよ。時間に隔てられているから、解除の報告も行き場がないしね」
制約の紋を解除すると、施術者に解除の通知が返る事になっている。
学者はそれにどう対処したのか。
「僕?抗魔法障壁の下にある地下古代迷宮に入って更に強力結界を三重にして自分を囲ってから解除した。解除のリターンは飛ぼうとして結界の中を跳ね回ったけど、捕まえて焼いちゃった」
ぺろりと舌を出す。
「君のも焼く?」
「焼く……そうですね」
エイディスはぼんやりと答えた。
制約の紋がなくなる、などと考えたこともなかった。
自分は一生、王家になんらかの制限をかけられたまま生きていくのだろうと思っていたから。
「じゃ、やっちゃおう」
学者はぱちんと両手を合わせた。
それと同時にエイディスは見えないが結界に包まれるのを感じた。
学者の合わせた手の間からぱっと光が散ったかと思うと、エイディスは右肩が熱を持ったのを感じたが一瞬の事だった。
するっとその熱が身体から抜け出し、結界の見えない壁に張り付いた。
はっと気が付いた時には、白い炎が「それ」を焼いていた。
瞬きひとつの出来事だった。
「はい、じゃ、これ読んでサインして」
顔を向けると、宙に文書が浮かんでいた。
アディトリウスとガイキに関して、古代アルトナミで見聞きした事は他言しない事。
ガイキ、と言われて、初めて、後方の木立ちに、剣士の姿がある事に気が付いた。
促されるままにほのかに光るペンで宙にサインをした。
すっと文書は消えて光の帯になり、二つに分かれてエイディスと学者の身体に入った。
「終わり。後は自由にしてていいよ。僕は調査に戻るし、ガイキは僕の護衛だから。あ、でもその前に何か食べる?食事にしようか」
学者は後方のガイキに向かって手を振った。
ガイキは猪を狩ってきたようだった。
「人数増えたから丁度良かったね」と学者は無邪気に笑った。




