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静音は、勢いよく砂浜から走り、転移で中空に飛び出した。
そのまま、頭から水面へどぼんと潜り込む。
あの場で考えるのが面倒になって、静音は「一人にしてくれ」と言い置いて海へ戻ってきた。
勿論リルとルーはハブ中継部屋へ移動させたし、セイには残るかついてくるかきちんと尋ねた(残ると言うので置いてきた)。
アルトナミ王都へ飛ばした魔力蛍からは、壊れた聖堂に魔法陣を出現させ、その中へ消えた水蛇の様子が伝えられてきた。
大した感慨もなく、空に浮かぶ魔法陣を「上から」眺めて、静音は溜息をついた。
あの魔法陣に刻まれた術式から浮かぶのは「転移」と「循環」だ。
水蛇は「返って」いった。
恐らく、姿を消した火魔獣も。
今起こっている事態は、滅びの魔法の発動に対する副反応、或いは抵抗と思われる。
最初に暁の神官から魔力脈について聞いた時、魔沼はまるで、傷に集まる細菌か膿のように感じたのだった。或いは、病巣そのものか。
「神」がこの事態を招いたのであれば、滅そうとしているのは、人や世界というよりは魔力脈ではないか、とも。
皆まで言うな、と神官は言った。
いずれすべては明らかになろうから、と。
そも、魔力脈とは何であろうか。
静音の世界には無いもの。
魔力粒子が湧き出る場所。
この世界の魔力の大元。
それを滅すれば、人の世から魔法が消えていく。
魔法が消えてしまえば、それのみに頼って一向進化しない文明が方向を変える……?
いや、そんな単純な話でもあるまい。
そして、この世界の人間は、何故こんなに魔法の発動が非効率になったのか。
外部魔力を一切取りこめない事態はなぜ起こったのか。
一万年前の魔力変動とは一体何だったのか。
調べてみるしかないだろう、とは思う。
そして現在、この世界でそれが可能なのは静音くらいのものなのだろう。
「めんどくさい」
静音はぷかりと水面に浮かび上がり、いつものように仰向けにひっくり返った。
空はどこまでも青く広い。
眩しすぎて目を眇めた。
いつもの上部をグレーにした結界を張って日の光を遮ろうとすると、良いタイミングで雲が一塊流れてきて太陽にかかった。
大きく息をついて目を閉じる。
水平線近くに、濃い雲が湧いているので、スコールが降るのかもしれない。
それなりの大きさの島ではあるが、雨が降らなければ干上がってしまうので、鬱陶しがるのも申し訳ない、と天候に手を合わせてみたりする。
『どこかの国の王に』と言われた時、ここの存在を知っていたら、キシュキナの王を望んだかもしれない。
一人の国民もいない、大洋の中にぽつんと浮かぶ島。
---……
はっと目を開けた。
ここの所、全く接触の無かった暁の神官の声が聞こえた気がしたのだ。
雲は相変わらず太陽を隠していて、辺りは少し暗くなっている。
眼球だけを上下左右に動かして、周囲を探る。
雲の端に、黒い小さな点が現れた。
見ているうちに、それはどんどん大きくなる。
静音は、結界球を久しぶりに発動させ、水中から浮き上がった。
落ちてきたのは、静音にとって二度目の岩のゴーレムだった。
巨体のゴーレムが水面を叩き、轟音が響き渡り、海は逆巻き水柱が立ち上がった。
背後を伺うと、小さな津波が砂浜を襲い、普段は海水が上がらない木立ちの方へと走り抜けて行った。
人騒がせな事だ。
ゴーレムは黄色の一つ目を動かし、静音の姿をとらえる。
と、瞬間移動でもしたかのように目の前に迫り、両手で叩き潰すように結界球を挟み込んだ。
「うわあ……」
静音は緊張感のない声を出して結界球を魔力で補強する。
潰れないと判ると、ゴーレムは拳で結界球を殴りつけた。
「何で疑いもなく敵認定するかな」
結界はびくともせず、静音は呆れたように言った。
中空を滑るようにゴーレムからすっと離れて距離を取る。
「前の個体とは別なのでしょう?それとも、戻してあげた魔核に記憶が刷り込まれているの?」
素早く寄ってきたゴーレムが再び結界球を殴るタイミングで、黄色い一つ目の中を覗き込む。
暁の神官が静音に与えたシェルターと同じものの筈で、更にはその中に黄色い魔核がおさめられている。
暁の神官に、「出来れば確保して、次の個体に戻してほしい」と言われたものだ。
障害の魔物たちの魔核は、静音が持っている例のオパールと同じく、「魔結晶」なのだと言われた。
換えが利かないわけではないが、同レベルの物を用立てるのは手間がかかるので、出来れば、という話だったので、その程度にしか受け止めていなかったが、代々同じ石を受け継いできているのなら、過去の記憶も刷り込まれていても不思議ではない、と思われた。
何度も、何度も、戦っては打ち壊されてきた記憶。
確かに、目の前に現れるものは全て敵と考えても不思議ではない。
わざと倒されてやればどうなるのか……
ふと静音は思った。
目の前の敵を倒すことだけが使命のようなこの魔物が、その使命を達成したら?
成仏して「返る」だろうか、後に続くはずの鳥と竜は?
静音は少し離れて、おもむろに結界を解いた。
ゴーレムは虚をつかれたような挙動も見せたが、直ぐに気を取り直して拳を振り下ろしてきた。
前を向いて進めとだけ命令された可哀想な巨人。
静音は目を閉じた。
衝撃を待ったが、誰かの声が悲鳴のように自分の名を呼び、同時に目を開くと空が歪んで見える場所に立っていた。
見回すと、上下左右が空だった。雲一つない。太陽も見えない。
下まで青いとはどういうわけだろう、と思う。
しかも像は全て亀裂の入ったガラス越しに見ているように歪んでいる。
手を伸ばしてみたが、壁は無い。
足元にも。
静音は、魔力糸を伸ばして探ろうとしたが、やはり障害物には当たらなかった。
想像するに、ここは次元の狭間の空間で、誰かが、巨人の拳を受ける前にここへ移動させたのだろう。
そんなことが出来るのは、静音が知っている限り、暁の神官しかいなかったが。
『外側』から微かに、静音を必死に呼ぶ声が聞こえる。
リルだろう。静音が死ねば契約が消えるが、それ以外に影響は特になかったと思う。
いや、彼女からは確実に親愛の情を向けられていて、いなくなれば悲しんではくれるだろう。それくらいは認めよう。いくらこの世界に敵意しか無くても。
ふっと静音は息を吐き出した。
「自死もさせませんか。まあ判ってはいましたが」
静音が必要なのだろう。まだ……
「念の為申し上げておきますけど、死ぬつもりはありませんでしたよ」
あの拳を受けても、何故か死ぬ気はしなかった。
ただ、どうにかなるなら、どうにかしたい、と思っただけだった。
結果としてこうなることをどこかで感じ取っていたのかもしれない。業腹な事に。
深呼吸すると、リルの微かな呼び声に向かって魔力糸を伸ばした。
再び、海の上へ現れた。
静音へ向かって振りぬいた拳は当たらず、巨人はバランスを崩して海へ落ちている最中だった。
素早くその肩へ移動すると、頭へ向かって電流を発生させた。
巨人の視界が人間と同じなら、光が散ったかもしれない。
ぼしゅ、っと不思議な音を上げて、頭部から黒煙が上がった。
巨体はそのまま、海面を叩いて再び轟音と水柱が上がった。
「『返る』なら、送ってあげる」
静音は結界球を展開し、ゆっくりと海に半分浸かって横たわる巨体の傍へ降りてきた。
頭部の一つ目がくるりと回って静音を見る。他はぴくりとも動かないが、眼球だけはまだ生きているようだった。
「どうする?」
尋ねると、眼球はじっと静音を見つめた。
一つ頷くと、静音は巨人の肩に移動し、魔力糸で触れた。
アルトナミ王都の上空に、それは突然現れた。
出現は予測されていたが為、騎士や兵士が要所要所に配置されてはいたが、出現場所が空であるというのは予想外過ぎた。
岩の巨人は、横たわった姿のままゆっくりと降りてきた。
そして、先だって破壊された中心部の聖堂の上に浮かぶ魔法陣の中へ静かに消えて行った。
残ったのは、一人宙に浮かぶ、黒いワンピースを着た女だったが、それもまた皆が見ている前でするりと空気に溶けるように消えた。




