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「あれは確かにセラだった」
王子は後ろに控えていた侍従や、一緒に移動していた騎士や側近に言った。
一瞬にして姿を消してしまった渡り人だったが、その姿を見た者は何人かいたのだった。
「見たところ、幽霊のように実体がないようにも見えましたが」
「火の魔獣の出現に何か関係があるのでしょうか」
「判らん。塔のアディトリウスを呼んでくれ」
「アディトリウス様は、現在遺跡の調査中で王都にはいらっしゃいません」
「連絡は取れないのか」
「伝書の鳥は飛ばしてみますが、地下などにいらっしゃる場合は無理です」
過去、そういった事が何度もあった学者だった。
「肝心な時に……」
王子は歯噛みしたが、どうしようもない。
火魔獣は何処へか去ってしまったので、当座の危機は去ったが、再び現れないとも限らない。
「ガイキは王都にいるのか」
「いえ、ガイキ殿は浄化の旅の後は王都を去られました」
「あの魔獣には火魔法も普通の剣も通じない。ガイキを呼び寄せろ」
「では傭兵ギルドへ連絡を取ります」
ガイキは護衛依頼中で大陸の南端へ向かい、現在連絡が取れないと報告が来るのだが、この時の王子は知る由もなかった。
更に言えば塔のアディトリウスに同行しているのだがそれは報告されることもなかった。
神殿の魔導士筆頭の公爵令嬢の胸元からペンダントが魔獣に奪い取られたとの報告もなされた。
浄化の旅に同行していた下位貴族の娘の証言によると、それは元々魔獣の眉間から出た魔核だったという。
どういうわけで公爵令嬢が持っていたのか、事情聴取したくとも、令嬢は恐怖の為か自失状態でまともに話など出来ないという。
当時、一部始終を見ていたという娘の話では、「使い終わって」「地面に落ちた」魔核を、何故かついて回っていた公爵令嬢が拾い上げたのだという。
そして、それを見ていた学者は、何も言わなかったと。
それどころではなかったと言われればその通りで、貴族令嬢が使い終わった魔核を拾って持ち去っても大した問題があるわけでもない。
だが、他でもないあの公爵令嬢が、そんなものを「拾って」「持ち去る」事があり得なかった。
気位が高く、渡り人を「下賤な平民」と蔑んではばからなかったあの令嬢が。
証言した娘によれば、あの時の公爵令嬢は「魅入られたような」目をして石を追っていたという。
それは解体現場からあの石が見つかった時からだったとも。
本人から話がきけない以上、もう一人の当事者である学者にも話を聞きたい所だったが、伝書の鳥は相変わらず手紙を届けられぬまま帰ってくるばかり。
「浄化は終わったというのに、何故こう問題が起こるのだ」
王子は呟いた。
神器も壊されてしまった。
火魔獣が放った炎弾を受けでもしたのかかけらも残っていなかった。
今後、また魔沼が発生しても、新たな渡り人を呼ぶ手段はもうない。
***
今日も静音は遠浅の海を泳ぐ。
シールドで全身を覆ってはいるが、流石にルーに咎められ、最近は水着を着用している。それでもアルトナミの人間には悲鳴を上げられそうだが。
息継ぎの必要もないが、水面に上がったり潜ったりしていると、リルが楽しそうに飛び回る。水しぶきを浴びても平気そうだ。実体がないのだからそれも道理か、と思う。
あの後、キシュキナへ戻るなり、リルにねだられてサラダを作った。
ルーも喜んで食べていたので、良しとする。
静音は、格納空間からおにぎりを出してかぶりついた。
長閑で平穏な時間。
きらきらと陽光を反射するエメラルドグリーンの海。
理不尽な浄化の旅を思えば、天国のようだった。
「絶対関わりたくないわ……」
静音は呟く。
あのハブ中継部屋には、シェルターを通していつでも行けるようにはしてあるが、静音は足を向けようとはしなかった。
ただ、ルーが、元々警備の為の存在であった為か、あの部屋に入り浸っている。
そして、知りたくもないのに、色々と報告してくるのだ。
アルトナミ王城の事や、学者と剣士の古代アルトナミ漫遊記、何処の氷河かは知らねど、深い氷の底の出来事。
もう寿命が来るまで、この島にいてもいいとさえ思っているし、そう言ってもいるにも関わらず。
「ルーは私に何をさせたいのかしらね」
仰向けにひっくり返って、ぷかぷか水面に浮かびながら言う。
「暇なんじゃないかしら」
リルは静音の顔の真上で羽ばたきながら答える。
「自動人形が?」
呆れて問うと頷く。
「ルーはもう、私と殆ど同質。静音の魔力に満たされて、あの姿の元になった海洋の妖精と言ってもいいわ」
「いやいや……」
最近、表情を緩ませ、微笑んだりするルーを見て、人間臭くなったなとしみじみ思いはしていた。
だが、一度その身体をスキャンしている静音にしてみれば、納得できることではなかった。
「妖精って身体の構造どうなってるの?内臓あるの?」
「え、何言ってるの。妖精は魔力が凝って出来た存在よ。いきものじゃないわよ」
「精霊と違って触れるわけでしょ?」
「でもいきものじゃないってば」
リルに逐一聞いていると、どうやら妖精とは、有機的存在ではなさそうである。
「ルーには人工とはいえ、骨も内臓も血もあるんだけど」
「だから変質しているんだってば。もう維持漕に戻ったりしてないでしょ」
そう言われて、気が付いた。
ルーは最近、ずっとこの浜辺にいて、静音達と離れることがない。
「わかった?だからルーは私たちと同じ。退屈を感じたり、興味をもったりするの。そもそも変質する前からルーはあなたに興味を持っていたじゃない。そういう素地はあったのよ」
「ああ……なるほどね」
異質な警護の為の自動人形。
長い時を、ただただ一人で生き続けた。
「あの部屋であちこち見るのが面白いのも道理か」
世界中に魔法陣はあるそうだ。
ルーは世界地図にその魔法陣のありかを記す作業もしていた。
勤勉である。
ルーに聞くと、昔は、世界中の情勢を「見る」為の装置が何機も打ち上げられていたそうだ。
その機能を利用して、ルーはここから動かず世界を眺めていたらしい。
だがそれも、一万年の時を過ごすうち、一つ消え、二つ消え、今では機能している物は皆無らしい。
動力源が魔核だったらしいので、魔力が尽きたらそれでおしまいである。
「つまり情報にも飢えているという事か」
額の上にリルが舞い降りてきた。
「海の中見たい」
「はいはい」
どういうわけかリルは静音のシールドに包まれて一緒に海の中を泳ぐのが好きらしい。
肩や背中、あるいは髪の中を居所にして南国のカラフルな魚の群れなど見て喜んでいる。
「海洋の妖精がいるなら、海洋の精霊もいるの?そういえばリルって何の精霊なの?」
「海の精霊って殆ど南の大陸に住んでたの。海洋の妖精ってちょっと特別で光で橋をかけるの」
「橋、大昔にあったって魔導橋のような?」
「魔法の橋じゃなくてね、そうね、人は渡れない橋よ。実体はないもの」
虹のようなものか。
「あの子たちは、人の住む所が好きだったらしくて、よく人の住む土地から土地へと光の橋を渡していたわ。その上を行き来するのは私たちのような存在だけよ。精霊や妖精は土地を肥やしたり、恵みをもたらすと言われているので、それを見て有難がる人間が沢山いたのよ。海洋の妖精って要するに見ると縁起が良い妖精って事」
「そして私は、以前は緑の精霊だったわ」
「へえ」
薄緑の髪からしてそうだろうとは思っていたが。
「今は違うの?」
「自分でも何だかわかんない」
「え、何故また」
「だって……」
静音の髪に腕をうずめてすねた声を出した。
「静音の魔力が特別過ぎて、変わっちゃったんだもの」
「ええ、私のせいなの?」
「そうよ。静音の魔力はね、特殊なの。属性がわかんないの。色々まじりあっててどれって言えないの。しかも強烈で異質。それを目いっぱい受け取った私もルーも、影響受けてなんだかわかんない属性になっちゃったの。ルーは海洋の妖精に近づいたって言ったけど、そもそも海洋の妖精って海の妖精ではないのよ。あれは、やっぱり属性が謎の妖精だったの」
「へええ……」
どう反応して良いか判らず、静音は海面に浮かび上がった。
目の端に、食べごろの大きさの魚がちらりと映り、さっと魔力糸で捕獲する。
「真剣に聞いてないわね」
リルがむっとした声で言う。
「いや聞いてるけど、私じゃどうしようもないし。何か不都合あるの?」
「……別に無い」
「それじゃいいでしょ?」
「……まあね」
リルはむうっと唇をとがらせた。
「緑の能力って植物に作用するの?」
「そうよ」
「木や草の成長を制御したり?」
「ええ」
静音は浜へ泳ぎ戻り、魚を引き上げた。
「それじゃ、あの神器の補修って出来る?」




