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月影映る・海  作者: 林伯林
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22


 エイディスの目の前に、突然それは現れた。



 切り立った崖と思われたが、よく見ると、巨大な氷壁だった。

 青い氷の厚い壁が目の前にそそり立っていた。


 透明な氷の中には、魔物が閉じ込められていた。


 エイディスは周囲を見回した。


 四方の壁に、何体も魔物が氷づけにされている。

 中には竜さえもいた。


 前方にまたふわふわと光が現れた。

 追っていくと、氷壁の一部に魔法陣が浮かんでいた。

 光はその中心へすっと入り込んで消えた。


 エイディスは周囲をもう一度見まわした。


 一体ここはどこなのだ。


 上を見上げると、青い空が見えた。

 あの雲が湧いて真っ白な山の頂にいたはずなのに。


 知らぬ間に一度、転移したのだと理解した。


 魔法陣はぴかぴかと存在を主張し、急かすように点滅する。


 それでも躊躇っていると、四方の氷壁にびしびしと音を立ててひびが入り始めた。


 特に、竜がいる右側の氷壁はひときわ大きな音を立てて亀裂を入れた。

 思わず竜を見上げる。


 竜は目を開いていた。


 紫に光る。


 息をのんだ。



 ---早く移動を。



 頭に直接、声が響いた。


 驚いて周囲を見回すが、目が合うのは竜の紫に光る瞳。



 ---ここを「維持」する魔力で道を開いた。早く。



 氷壁は崩れ始めた。


 どのみちここにいては埋まってしまう。


 仕方なく、エイディスは魔法陣の中心へ手を伸ばした。



 何の抵抗もなくするりと腕が入った。

 そのまま、魔法陣の方が近づいてきて、身体を飲み込んだ。

 あっという間に、氷壁の中へ入り込んだ。

 背後を振り向くと、崩れ落ちた氷壁の中から竜がゆっくりとこちらへ出てきていた。

 氷壁を挟んで、竜と見合う。

 先ほどとは逆に、こちらが氷の中から。



 ---道はその先にある。



 竜が首を伸ばしてエイディスの後方を示す。

 そちらを見やると、氷の階段が下へ向かって続いていた。


 竜が翼を振った。

 はっと気づくと、竜は飛び立つ所だった。


 「どこへ行くんだ」


 エイディスは呼び止めるために声をかけた。


 ---好きな所へ行くよ。


 竜は答えた。

 止まらず、空の彼方へと昇ってしまった。


 「どうしろと言うんだ」


 呆然と見送る。


 ---見るべきものを見るがいい。望みどおりに。


 返ってくるとは思わなかった返事が返ってはきたが、それきり、声は途絶えた。


 エイディスは溜息をつき、振り返ると階段を降りはじめた。


 延々と続く階段は、恐らく途中で空間魔法による踊り場があり、その度細かく転移しているようだった。

 更に下へ、なのか、どこか別の場所へ移動しているのか、エイディスには判らなかった。

 判らないままでも、進まなければならなかった。

 通り過ぎてきた道が次々と閉ざされていくのを振りかえらなくとも感じられた。

 何者かの意志は、エイディス以外の者を通す気が無いのだ。


 不思議に薄青い光に満ちた、氷だけで出来た空間。


 替わり映えのしない眺めに、普通の人間であれば叫びだしたかもしれない。

 だがエイディスは訓練された人間であるが故に、恐慌を来すこともなく、ひたすら歩き続けた。


 永遠に続くかと思われた道行だったが、やがて水の流れる音が聞こえてきた。

 同時に、壁の中からふわふわと、光の玉が幾つか漂い出てきた。


 足を止め、見ていると、光はやがて一列になって奥へと漂っていった。


 その後を追うと、氷の底を流れる川にいきついた。


 光は川の上を流れを遡るように移動していく。

 さやさやと水はほのかに光っている。

 夢幻の世界に迷い込んだ心地で、エイディスは川のほとりを歩いた。

 岸と水面が近い場所で、足を止めて水をすくってみた。

 冷たく、清浄な気に満ちていた。

 この空間と同じように。

 惹かれるように舌先にわずか、口を付ける。

 冷やりとした感触が、清涼感を持って喉元をするりと通っていった。


 ぱっと手の平から光が散った。


 驚いて手を振ると、花弁が舞った。


 文字通り、何かの花の瑞々しい花弁だった。

 見回しても、どこにも花などないのに。


 花弁を指先で捕まえて、しげしげと眺めてみる。

 何の花か、エイディスには判らなかった。

 白っぽい小さな花。何かの果実の花かと思われたが。


 その花弁に誘われるように、小さな光が寄ってきた。


 エイディスは静かにそれを見つめた。


 光の中に、小さな人影が見えた。



 伝承に、妖精や精霊がいた、とされている事は知っている。

 だが、今に至るまでそんな存在が確認されたことはなく、おとぎ話に過ぎないと思われていたし、思っていた。


 では、この小さな人影はなんだろう。


 背中には小さな羽が生えている。



 見ているうちに、輪郭が明瞭になり、細部まで判別できるようになってきた。



 金色の髪をした、稚い顔の子供。



 子供はにこりと笑うと、指先からふわりと浮きあがり、川を遡りはじめた。

 先導するように現れ、先ほど列になっていた光も、もしかしたらこの子どもと同じような存在だったのかもしれない。

 先に進んで、振り返る。「早く来い」とでも言いたげに。


 エイディスは更に歩いた。


 やがて川は、突然開けた場所へ辿り着いた。


 泉と言うべきなのだろうか。底を覗き込むと、確かに水が湧きだしているのが判ったが、静謐な場所であるにも関わらず、辺りは一度破壊されつくしたように、抉れ、壊れ、崩落していた。


 精霊の子供は泉の上をくるくると回っている。


 何を伝えようとしているのか。


 と、泉の中心から、光の玉が飛び出してきた。


 目を凝らすと、それはやはり精霊の子供だった。


 「お前たち、ここから生まれているのか?」


 肯定するように子供はエイディスの周りを回った。


 「一体ここは何だ」


 先ほど列をなして奥へと漂っていった光もここへ来ていたらしく、どこからともなく現れてふわふわと目の前を舞う。


 にこにこしながら最初に顔を見せた子供がエイディスの肩にとまった。


 そして小さな指先を上げ、くるりと回した。


 そこに、丸く鏡のようなものが現れた。



 エイディスは似た物を見たことがあった。



 かつて、浄化の旅の野営地で、渡り人が川のほとりでそれに姿を映して自ら髪を整えていた。

 結界も目くらましも張られていたが、その頃はまだ、最初から「見て」いた者には完全に姿を隠すことが出来ない程度の力だったらしく、輪郭がぼやけてはいたが、はっきりと見えていた。

 躊躇いもせず、着ている物を脱ぎ捨て、川へ飛び込んだ……

 見られていることに気が付いても、顔色一つ変えなかった。

 彼女は何故あんなにも……



 はっと我に返る。

 今目の前に現れた物は鏡ではなく、別の物が映し出されていた。



 先ほどまで考えていた渡り人の姿だった。



 青く光る泉に手を浸していたが、魔力の発現か旅でしょっちゅう見かけていた浄化の力が満ち、ややあって手を上げるとそこには魔力の青い塊が乗っていた。

 渡り人はそれを更に圧縮して小さな玉にすると、なんと飲み込んでしまった。

 浄化したということは、あれは「魔」なのだろうか。

 黒い水も影も見えず、ひたすら清浄に見えたが。


 肩にいた子供が鏡の前で小さな指を差し出すと、その先に、今鏡で見た青い光の玉が現れた。


 見ていると、渡り人と同じように飲み下した。


 子供の輪郭がぱっと強く光り、おさまると、少し成長しているように見えた。


 「お前たちは、魔力を食うのか。……ああ、そうか、精霊なんだな」


 魔力をエネルギーとしているのは伝承にも語られている。


 「そうすると、渡り人も精霊ということになってしまうぞ」


 少なくとも、一緒に旅をしていた時は普通の食事をしていたはずだ。


 鏡の情景はやがて、氷壁を割って現れた竜と渡り人との戦いに移っていった。

 実際、北の荒れ地で起こった事は学者の報告書でしか知る術はなかったので、何が起こったのか映像で見るのは新鮮だった。


 渡り人は魔力の糸のようなものを器用に操っていた。

 いつの間にあんなことができるようになったのだろう。

 浄化や結界が主な習得魔法で、それ以外は、恐らく神子ゆえに全属性が使用できるのではあろうが、軽く水や火が出せる程度だったはず。いや、そういうふうに見せていただけかもしれないが。

 岩のゴーレムを一瞬で倒した謎の魔法もあった。

 学者曰く雷だということだったが、今まで見たことも聞いたこともなかった。

 新たな属性なのかと思ったが、古代の文献には似た物の記述があるらしく、再発見ということのようだった。 


 魔力暴走と呼ばれる古代の出来事によって、一度滅亡の危機にまで陥って以来、アルトナミの人間は常に「衰退しつつある」という感覚にとらわれ続けていた。

 それはこういう事があればなおさらで、それだけ知識や技術を失ってきた事を実感してしまうのだった。

 形を変えつつも長きにわたって国を維持し続けている事さえ、評価できずにいる。


 エイディスは海辺の街で育った。

 現在アルトナミと呼ばれる国からは遠く離れた南の国だ。

 貴族階級ではなく、商人の家に生まれ、アルトナミからは遠いが故、普段は全く、古い過去の出来事など気にせず生きていた。

 だがある時、隣国へ荷を運ぶ為に商隊を組んで山越えをしている際、盗賊に襲われた。

 死を覚悟した時、白い鳥が舞い降りて来て、怪我で意識がもうろうとしているエイディスを癒しながら告げた。

 「私と来なさい。そなたにはすべきことがある」

 商隊はエイディス以外は全滅し、承諾する他なかった。


 あの時の白い鳥は何だったのだろう。


 目覚めた時は、アルトナミの宰相家にいた。

 救われた以上、恩を返すべきであろうと、黙って施される特殊な教育を受け、宰相家の、ひいては王家の暗部における調査員として生きてきた。

 白い鳥はあの時以来見ていない。

 そういえば、誰にも尋ねてみたこともなかった。


 まるでそうしむけられていたかのように。


 エイディスはぐるりと周囲を見回した。

 破壊された氷壁や泉の縁。その中を舞う小さな光たち。


 溜息をつき、水鏡の傍にいる子供を見やった。

 水鏡の中では、渡り人が竜を倒して、眉間の傷に手を突っ込んでいる。


 「白い鳥を知っているか?」


 子供に向かって尋ねる。


 子供は首をかしげるとふわふわと泉の水面近くへ浮遊し、ちょんと水面に足先をつけた。

 波紋が生まれ、青い光が螺旋を描くように足もとから子供の身体を包む。


 ---白い、鳥


 途切れ途切れの意志。

 エイディスははっと顔を上げた。

 子供はにっこり笑っていた。


 ---私が知る、白い鳥


 子供は水鏡を指さす。


 先ほどまでの映像が消え、どこかの山の中腹で、ひらひらとした白い服をまとい、背中に羽根を生やした大層美しい少女が現れた。

 見る間にすっぱりと首が落とされ、息をのむ。

 それをしたのは魔力の糸で、当然その先には渡り人がいた。

 何があったのかは謎だが、この少女は渡り人の敵らしい。

 そして、首を落とされても血の一滴も流れず、切り口からは金属や何かの配線が見え、それが自動人形であった事に気づく。


 「これは、違う」


 エイディスは呟いた。

 人形の首は浮き上がり、そのギラギラと光るとがった歯をむいて渡り人の肩口へ食いついた。

 再び息をのんだが、渡り人は恐ろしく冷静にその首を振り落とし、首だけになってもガクガクと動き続けるそれの眉間にナイフを突き立て、魔核らしきものをえぐり出していた。

 迷うことなく行うそれをエイディスは不思議に思う。

 渡り人は、ここへ来るまでは食料としての獲物一つ狩った事が無く、当然捌いたこともないと言っていた。

 城で剣の指南も受けたらしいが、上達は今一つであり、恐らく「戦闘には向いていない」と言われていた。

 だが、旅の途中で、水蛇の首を落とし、先ほどは竜とさえ戦っていた。

 いつの間に、あれらの技術を得たのだろう。

 旅をしている間、彼女が体術や剣術の訓練をしている所は見た覚えがなかった。



 可能性があるとすれば、暁の神官との邂逅---



 目の前に、精霊の子供が現れた。

 いつの間にか水面から移動していたらしい。


 ---もう一つ、白い鳥


 先ほどよりは滑らかになった口調で、子供は今度は氷壁を指さした。

 エイディスがそちらへ目を向けると、氷に閉ざされた大きな鳥が見えた。


 白い羽の。


 はっとして、よくよく見ると、氷壁に閉じ込められているのは鳥だけではなかった。

 旅の途中で見た、岩のゴーレムや火の魔獣や水蛇、そして先ほど水鏡で見た背中に羽根の生えた自動人形や竜がいた。


 「なぜ、こんなところにこれらがあるのか」


 呆然と見つめると、精霊の子供はくるりと回って微笑んだ。


 ---これらは、予言の為に用意された物たち。或いは試練の為に用意された使徒。


 「……『誰が』用意したんだ?」


 子供は答えず、くるくると舞い続けた。


 「答えられないのか?」


 ---人間が神と呼ぶ存在にとても似ている。


 「は……」


 エイディスは呆気にとられて言葉を失った。


 神とはまた……


 「念のために聞くが、神殿で祭られているような神の事でいいのか?」


 ---概念として近い。でもあれらではないよ。


 子供の口調が少し変わっていた。

 それとともに、先ほどから更にまた成長していた。

 幼児が、少年に近くなっている。


 「これらは、かつてはトーヤを、今回はセラを襲った物と同じか?」


 ---そう、同じ。


 「神が与えた試練という事か?」


 ---多分、そう。


 「多分ということは、お前もはっきりとは知らないんだな」


 ---そう。だって私は神ではない。


 子供は氷壁の白い鳥の所へ飛んで行った。

 これがあの時の鳥と同じかどうかは判らない。何しろ昔のことだ。だが、同じと考えれば……


 「俺は、その存在にここへ呼ばれたという事でいいのか?」


 ---そう。あなたもまた、『鳥』だから。




なかなかに難産でございます。「月影映る」は本当に三日で書けたんですけどねえ……

飽きずにお付き合いくださいましてありがとうございます。

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