20
自身に与えられた治療室は特別で、診察台もデスクも椅子も特注品だった。
部屋は広々として、大きな窓にかかったカーテンは上質なビロードで作られ、金モールが飾っている。
そういった「特別」は生まれた時から当たり前だと思って育ってきた。
高位貴族の家に生まれ、光魔法が発現した以上、どこへ行ってもそのように扱われてきた。
立場的には上であるはずの神官長からでさえ丁重に扱われてきた。
神殿に仕える光魔導士の中では随一の魔力量と威力を誇っていたのだ。
週に二度行う治癒の為に、沢山の貴族や裕福な者たちが列をなした。
神殿が高額な治療費を「寄進」という名目で取っているのは知っている。
それにより神殿は潤い、実家である公爵家も利を得ている。
自身にもそれなりの見返りはあるが、それがどれほどであるか確認したことはなかった。
必要が無かったからだ。
ありとあらゆるものが差しだされ、それを享受してきた。
繰り返すが、それが当たり前だったからだ。
だが、蝶よ花よ聖女様よともてはやされてきた自身に、「浄化魔法」だけは発現しなかった。
この世界の人間には会得することがかなわない魔法と言われ、魔沼が発生し、瘴気の被害が広がるにしたがって、人は「神子」を求めるようになった。
いや、人ではなく、主に城の面々だったが。
普段、神殿の力が強い事を快く思っていなかった王が、力の強い魔導士たちを選んで神器に魔力を注ぎ、異界から神子を呼び寄せた。
神殿は危機感を覚え、「浄化の旅」に光魔導士たちを随伴させることをごり押しした。
恐らく己の主家含む貴族派の上層部も同じ危機感からそれを押した。
そして、筆頭である自分がその面子に選ばれた。
行きたくはなかった。
旅は決して快適ではない事が判っていたからだ。
神子の仕事は、自分には関係ないとも思っていた。
しかし、父親と神官長に言われたのだ。
「神子は若い女だ。このままでは筆頭であるそなたの立場はなくなる」と。
何をしろと言われたわけではないが、恐らく言外に求められた通り遠征隊から追い出す事には成功した。
その上神子は律儀に最後まで浄化してくれたという。
あれだけの目にあっておきながら、人が良いにも程がある、と思う。
浄化が中途半端なままであれば、元凶としてこちらが責められた可能性もあったからだ。
神子が戻らなかった事について罪には問われなかったが、神子を神聖視する者たちからの視線は厳しくなった。
だが、気にする必要があるとは思わない。
どうせ病にでもかかれば、こちらに頼ってくるのだ。
そうして日常が戻ってきた。
戻ってきた筈だった。
聖堂が「揺れた」。
贅を極めた内装は剥がれ落ち、ガラスは割れて落ち、聖堂の屋根は一部が崩落した。
予兆も何もなく、一瞬の出来事だった。
「お嬢様、ご無事ですか!」
侍女や護衛が部屋へ飛び込んでくる。
「ええ、何があったの?地震?」
割れたガラスの向こうを見やる。
中庭の東屋は無事なようだった。
「判りません。ですが、こちらは危険です。外へ」
護衛に守られながら外へ出ると、神殿の前には人垣が出来ていた。
侍女がさっとローブのフードを被せてきた。
護衛の背中に隠れるように、後ろへ下がる。
人々のざわめきを聞くと、地震ではなく、神殿だけが揺れたらしい。
見ていた人間によると、聖堂の屋根に雷が落ちたという。
この国の人間は、天変地異の気配に敏感である。
ほかならぬ神殿に落ちた雷は、人々の不安をかきたてた。
誰かが、聖堂の屋根を指さした。
仰ぎ見ると、そこには、旅の途中で見た火の魔獣が立っていた。
「何故あんなものがこんなところに」
信じられない思いで呟く。
あれは、旅の途中で剣士が倒したはずではなかったか。
火魔獣は眼下の人間たちを睥睨した。
群衆は恐れて後ずさり、その波が後方へ伝わり、将棋倒しが起こり、悲鳴が上がった。
「こちらへ」
護衛は裏へ回ろうと先導するように走り出した。
その時、背後でどすんと地響きがして、振り返った。
火魔獣が屋根から飛び降りてきたらしい。
護衛がさっと前へとびだし、剣を構えた。
侍女はこちらの手を取って先へいざなおうとする。
そちらへ向かいかけて、強烈な熱を感じた。
振り返ると、魔獣はその周囲に炎弾を幾つも作りだしていた。
「それは火の魔獣よ。火魔法は通らないし、普通の剣も浅い傷しかつけられない」
あの時、騎士が何人も挑みかかり、何人も弾き飛ばされた。
剣はほぼ無効で、剣士の剣のみがなんとか通っていた。
「存じております。私も浄化の旅には参加しておりました」
護衛が答えた。
驚いて後ろ姿を見るが、記憶には無い。
当然と言えば当然である。
光魔法の魔導士たちは、治療の他は殆ど騎士たちとは交流を持たなかった。
魔獣の特徴を知っているのならこれ以上ここに留まる意味は無い。
踵を返して侍女に守られながらその場を去る。
聖堂の裏へ回って、通用口から慌てて外へ避難する下働きの者たちを横目に庭の更に奥へと進む。
背後で建物の崩れる音がする。
仰ぎ見ると、聖堂の屋根はほぼすべてなくなっていた。
大昔のガラスの塔程ではなかったろうが、それでも王都一壮麗で城の次には高い建物だったはずの聖堂が。
見る間に崩れ落ちる……
「お嬢様!」
侍女の呼ぶ声にはっと我に返り、もう目と鼻の先の「秘密の出入口」まで無我夢中で走る。
先ほど前に出てくれた護衛はどうしただろうか。
あんな魔獣に普通の人間が太刀打ちできるはずがない。
騎士が総出でかかっても無駄だったのだ。
退治したのは剣士ガイキだったし、恐らく今回も退治できるのはガイキのみだろう。
ガイキはすぐ来られる場所にいるのだろうか。
王都にいるのであればよいが、そうでなければ悪戯に蹂躙されるのみだ。
そういえば、あの時ガイキはなぜあの細剣を手にしていたのだったか。
あの剣は確か……
漸く庭の片隅にある庭師の小屋から地下を通って敷地外へ出た。
そこは騎士たちの駐屯所の一つで、神殿を含むこの地区を警邏対象とする騎士たちが詰めている場所だった。
小さな応接室の暖炉横から突然現れた女二人であったが誰もおらず、外を伺うと、騎士たちの殆どは外の騒ぎに出払っている様子だった。
侍女は廊下へ出て、家から連絡が来ていないか確認しに行った。こちらの状況は伝書の鳥で知らせてはいるという。ここへ避難しているのは実家の指示らしく、「お迎えが参りますので、暫くお待ちください」と言われた。
備え付けのソファに腰を下ろすと、気持ちを落ち着けるように大きく息をついた。
あの時ガイキは最初は、背中に背負った大剣で魔獣へ打ちかかっていたはずだ。
どのタイミングで細剣に持ち替えたのだったか。
そもそもあの時は、あれは渡り人の腰にあった。
ああ、渡り人はあの時、戦闘中のガイキへ駆け寄ったのだった。
恐れもせず、躊躇いも見せず。
そして腰の細剣を抜き、何事か告げながらそれをガイキへ渡したのだ。
ガイキはそれを振りぬいて、魔獣を二つに切った。
では、魔獣退治には細剣も必要となる。
いや、むしろ、剣さえあればいいのでは……
あの剣は結局、王子が取り上げて騎士たちに持たせていた。
確かに、剣そのものに魔をはらう威力があるというのなら、慣れない渡り人より、騎士に持たせた方が有効だろう、とあの時は思ったのだったが、あの剣は「魔力食い」であり、「普通の魔力量」では長く持ち続ける事が出来ないと判明し、王子は渋い顔をしていた。
そもそも鞘から抜く事が出来るのは渡り人だけで、常に抜身の状態にしておかねばならず、更に、渡り人以外が持つとあの見た目でかなり重いとも聞いた。使い勝手はけっしていいわけではないのだった。
渡り人に合わせて作られているのだろう、と思う。
細い腕で平然と振っていた。
髪を焼かれようが、顔に傷を受けようが、取り乱す事もなかった。
食べ物に異物や薬を混ぜられても、見えているように避けた。
元の世界では一般的な人間で、特別な訓練を受けたような事はないはず、と聞いていた。
今まであまり気にしてはいなかったが、あれは一体、どういった考えを持って行動していたのだろう。
王子や宰相の息子が同道している理由は、懐柔も含まれているはずだったが、ついぞ親しくするような事はなかった。
恐らく二人はのんびり構えすぎていたのだろう。
渡り人はさっさと去ってしまった。
それに一役買ってしまったのは自分ではあったが、恐らく神殿と実家の思惑には合致していたろうと思う。
実家は、更に、自分と王子との婚姻も目論んでいるようだが、どうなるだろうか。
実利第一の王子は、遠征中の渡り人への嫌がらせについては不問としたが、一部の人間には良く思われていない女を婚約者に据えるだろうか。
人の気配がして振り向くと、元に戻していなかった暖炉横の書棚裏の秘密通路から、同僚の魔導士たちが出てきた。
皆同様に逃げてきたのだろう。
「ご無事でしたのね」
彼女たちはこちらを見て笑みを浮かべた。
「外の様子はどうですの?」
こちら側からは、崩れてしまった聖堂の一部しか見えないのだ。
「あの魔獣は聖堂を壊してしまうと、攻撃をやめましたわ。それが目的だったのかもしれません」
中の一人が窓へ寄って外を見ながら答えた。
「中庭に降り立った所までは見ました。騎士たちが周囲を取り囲んではいましたが、どうなったでしょうか」
先ほどまで聞こえていた崩壊の音はやんでいた。
「微動だにせず、立ちつくしているようでしたわ。騎士たちも困惑しているようでした」
最後に避難してきた少女が言った。
「目的は果たしたという事でしょうか」
不安そうな声。
「それならいいんですけれども……」
少女はちらりとこちらを見た。
何か言いたげに見えたが、口をつぐんだ。
この少女も確か遠征に参加したのだったか。
筆頭の自分とは違い、厳しい旅を嫌がった他の娘達から押しつけられるように名乗りを上げさせられたはずだった。
忌々しいことにあの旅には、やむにやまれぬ事情がある自分以外は、高位貴族の娘はあまり参加していなかった。
神官長が止めたのもある。
高位貴族の令嬢はそれぞれが魔力量も多く、神殿としても必要な人員であったのだ。
「あ……」
窓の外を見ていた少女の声に考え込んでいた意識を戻す。
ぽん、と軽く舞い上がる影が見えた。
魔獣だ。
そこへ向かって、火魔法がさく裂している。
派手な炎が花火のように散る。
「あの魔獣に火魔法は利かないって言ってきたのに」
しかしこの国の人間は、火魔法ばかりを有難がってそれ以外を攻撃に使う事は考えない。
他に手が無いのだろう。
少女はまたちらりとこちらを見た。
「何かしら?」
言いたいことがあるなら言えと軽く睨む。
少女は首を振った。
「いいえ、なんでもありません」
「そうは見えないけれど」
「いいえ」
少女は窓から離れた。
火魔獣は神殿の敷地から出たようだった。
「ここも危なくなるかもしれません。避難した方がいいでしょう」
そう言って、廊下側の扉を開けた。
「私は家の指示でここに避難しているので動けないのよ。今実家から連絡が来ていないか確認させているから、あなたもそれまでお待ちになったら?」
避難するなら公爵家の護衛と一緒がいいのでは、と止めてみた。
「いえ、私は別に行動させていただきます」
「そう、なら止めないけれど」
「一緒にいたほうがいいわよ」
別の娘が少女の手を取ったが、少女は首を振った。
「私はご一緒するのが恐ろしいのです」
「どういうこと?」
少女は困った顔をしたが、自分を引きとめた娘とは比較的仲が良かったため、振りほどいて出ていくのも躊躇われ、仕方なく、といった感じに口を開いた。
「私は、ご存じの通り浄化の旅に参加しました」
何人かの娘が身じろいだ。
少女を参加させるよう仕向けた高位貴族の娘達だ。
「あの火魔獣は旅の途中で出現しましたが、名高い剣士ガイキと、渡り人が呪文をまとわせた宝剣で討ち果たすことができました」
「では、ガイキ殿がいらっしゃれば、退治できるのね」
「そうかもしれません。王都にいらっしゃるかどうかはわかりませんが。ですが」
少女はふう、と息をついた。
「あの時、騎士たちは魔獣を解体しましたが、負傷者も多かった為、我々も傍で治療していました。一番近くにいたのは私で、解体の様子をよく覚えています」
少女の視線がまたこちらへ向いた。
筆頭である自分は、後方へ運んでこられた魔導士アリオの治療をしていた。全身大火傷で重症だったせいもあるが、彼もまた公爵家の子息だったせいもある。優先順位をつけたのだ。そのことに関しては別段良心の呵責はない。そういうものだと思っている。
しかし、彼の治療の目途がついたら、その場を離れて自分も解体の場所へ向かったはずだ。
梃子摺っているこの少女を確かに見た覚えがある。
重症と思われる者から順に治癒魔法をかけていったが、魔獣から二つ魔核が出た、と聞いて振り向いた。
普段は魔獣の解体現場になど近づかないが、別段それを見て気分を悪くするようなことはない。
一つは水晶のように透明で、何の属性も帯びていないように見えたが、太陽に透かすとうっすら赤く輝いた。あれほどの火力を誇る魔獣の魔核にしては薄すぎるように思えた。
もう一つは頭部から取り出された真っ赤な石だった。
見たことが無い程混じりけなく、透明で、王宮で大事にされている真紅の薔薇に似ていた。
「その魔核、売却されますの?」
魅せられて、思わず尋ねた。
売るのであれば、実家に言って買い取らせるつもりだった。
「いや、他の部位はともかく、魔核は確保しておく。必要になることがあるかもしれない」
答えたのは王子だった。
「そうですの。残念だわ」
微笑んでおく。
だが、あらゆるものを買い与えられて育ってきた身で、初めて「欲しい」と思ったものだった。
そうそう諦められるわけがない。
魔核は魔導鍵のかかったケースに収められた。
暫くは外に出されることもないまま旅は続いたが、火山が噴火するとなった時、麓の村に土魔法で障壁を張ると決めた学者は王子にその魔核を出せと迫った。
何でも他の属性でも土魔法に変換できる魔法陣を開発したと言う。
再び取り出された薔薇の魔核は、本当に輝いて見えた。
だが、学者の無粋な手がむんずと掴み、魔法陣の中心に置いて薔薇から魔力を抽出しはじめた。
同時に他の魔核を次々と魔法陣の中へ置いていく。
輝く金の光。
それをじっと見ていた。
学者は変換の魔法陣を幾つも使い分けながら、土の障壁を築いていった。
少しでも土魔法の属性を持っている者たちを次から次に呼び寄せながら。
魔核を中心に据えた魔法陣は宙に浮かび、学者のあとをついていった。
誘われるようにふらふらと自分も少し離れてその後に続いた。
名目は、僅かにある土魔法を提供するという体で。
だが、光魔法の魔導士たちは、その属性上、最後まで魔力を温存するよう言い渡されていたし、そもそも自分の魔力は光魔法にのみ使用されるべきであると思っている為、全力で魔力を注いではいなかった。
遠征隊で確保していた魔核は次から次に魔力を吸い取られて魔法陣からぽとぽとと落ちていく。
火魔獣の魔核二つと、水蛇と岩ゴーレムの魔核は、その大きさからなかなかの魔力量で、最後まで学者の傍に浮いていたが、一番最後、障壁が出来上がった所でぽとりと落ちた。
築かれた障壁にわく騎士たち、魔力を極限まで使い切って転がる騎士たち。
学者は落ちた魔核を拾おうとして、顔を上げた。
いつの間にか、薔薇の魔核を握っていた令嬢に、驚きもせず、ただ、疲れた顔で皮肉に笑う。
何故、学者はあの時、笑うだけで黙っていたのだろう。
今、ペンダントに加工して、胸元に隠している石に手を触れる。
魔力を抽出されたにも関わらず、魔核の色に変化はなかった。
今でも真紅に輝いている。
そういえば、少女はあの時も傍にいた。
土魔法の方が適性が高いと言って。
落ちた魔核を拾って握りしめたのを見て、青い顔をしていたのを憶えている。
「あれは、それを」
少女は胸元をさす。
「取り返しに、来る」
背後の窓に影が差した。
振り返るのと、魔獣が窓を吹き飛ばすのは同時だった。
遅れてすみません。
これでストックは終わりました。
この部分は、書き直したい衝動にかられて出すかどうか逡巡したのですが、書き直すにしてもどこから手を付けるべきか判断がつかず。
最初の勢いのままで出すことにしました。
ストックが尽きたので、少し時間を頂きたいと思います。
申し訳ないです。




