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月影映る・海  作者: 林伯林
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その後の話11

 とはいえ、男性の随伴者はいた方がいいだろう。


 この世界は少女一人が生きていくには優しくない。


 「私、魔術師としてはそれなりの腕前よ」


 心配げな顔をする静音に少女は笑った。


 「ガイキとエイディスにももっと鍛えてもらうわ」




 少女はその日から更に熱心に竪琴の練習を始めた。


 オルアは何も言わずに見守っている。


 ルディは知育教育レコードから音楽理論等を少女へ教え始めた。


 静音はギィとリルに相談し、ロウスウで鍵盤楽器を買い求めて里へ運び込んだ。


 金満家が亡くなり、後継者が屋敷をいくつか整理しようとして市場に出てきた物だと聞かされた。


 居間の真ん中にでんと鎮座したそれを見た時、少女はぽかんとした後声を上げた。


 「うわー、すごい。どうしたのこれ」


 静音から見るとピアノ未満という所ではあったが、クラブサン等よりは仕組みも弦もしっかりしている。「維持」も重ねがけしておいた。


 側面や蓋には鮮やかな草花が描かれていて、華やかだ。


 「お勉強するならあった方がいいでしょ」


 「ああ……、まあそうね」


 少女が受けているのは魔導国家の頃の音楽教育だ。音域が広い楽器があった方が何をするのも捗るだろう。


 「ありがとう。嬉しいわ」


 少女はぽんと鍵盤を叩いた。


 ぴん、と少し金属的な音が響いた。


 懐かしそうな顔をすると、椅子に座って静音の知らない曲を奏でた。


 「あら、いい音がするわね……」


 静音もロウスウで試し弾きしたのだが、その時よりも良い音だった。 


 「弾き方があるのね」


 少女の手元を見ながら呟く。


 時折ギィが歌う古い歌に似ている曲は、静かな水の流れのようだった。


 興味深げに眺めていた吟遊詩人は、竪琴に指を滑らせ奏で、歌い始めた。





 時の狭間で、さえずる小鳥---




 夢の谷間、星の砂浜、竜の海峡




 歌はこぼれて流れ落ち、やがては空へ上っていく。





 少女の指が小鳥のさえずりのような響きを奏でた。


 金の髪が揺れ、口元は弧を描き、楽しげに身体を揺らしている。


 二つの楽器の音と歌声は緻密に絡み合い、織り上げられ、一枚の美しいヴェールのように居間一杯に広がり、やがては家の外へと暖かな波動となって広がっていった。


 水晶綿も心地よさげに花や葉を揺らし、フリュレの宿る木も揺れた。


 そうしているうち、晴れ間を残した空から柔らかな雨が降り注いだ。


 精霊たちはせわしなく飛び交い、綿花の収穫を始めた。


 「歌と魔力の慈雨だわ」


 囁き交わしながら。




 綿花は旋律に合わせてぴかぴかと光り、その繊維の中に魔力をはらんだ事が明らかだった。


 精霊たちはそれを素早く紡ぎ、布を織りあげる。

 


 


 「あなたの手は特別だ」



 ギィは少女に告げた。



 「あなたには多彩な能力があるが、旋律を紡ぐとその能力は何倍にも増幅されて発揮される。音楽とともにあるべきだろう」



 少女は曲が終わっても、鍵盤を見つめていた。



 「……吟遊詩人になれるかしら」



 「資格があるわけでもない。そう名乗れば、今日からあなたは吟遊詩人だ」



 「では」



 少女は立ち上がり、くるりと身体をギィへ向けた。



 「私は、吟遊詩人を名乗るわ」





 精霊たちが光の奔流のように少女の周りに集まってきた。


 驚く少女に向かって口々に祝福を言祝いでいる。


 ギィは遠慮するように数歩下がり、フリュレはその更に後方から微笑を浮かべて見守っている。




 この地がこの幼い吟遊詩人の誕生を心から喜んでいる。




 静音はそれを感じて溜息をついた。


 少女の存在そのものが、この地に、精霊にとって待ちわびた「欠けたピース」だったのか。




 


 「真の王ってこういうことなのかしら」


 いつのまにか傍に来たギィに小さく呟いた。


 「大地に真に望まれた者という意味でなら」


 「彼女が()()なるってアルケは判っていたのかしら」


 「どうだろう。過去の出来事が彼女をここへ至らせたのは間違いないけれど」


 「つまり、アルケも誘因の一つだったということよね。皮肉ね」


 ギィの指が一弦をぴんと弾いた。


 そういうものだ、と言いたげな音だった。


 吟遊詩人の性として、ここで一曲即興で歌い出しそうな気配ではあったが、未だ精霊たちの祝福は続いていて、流石に控える事にしたようだった。


 「外へ出ましょう」


 静音はそっとギィの腕を引いた。




 

 家の外には、久しぶりに見る金色の人影があった。


 ギィは頭を下げ、静音の後ろへ下がった。


 静音は数度瞬きした。


 以前よりも髪が伸びて、空気まで金色に染まっているように見えた。


 人形の素体で髪が伸びるなどということがあるのだろうかと見当違いな事を考えた。


 「お久しぶりです」


 アルケの闇をはらって以来、姿を見ていなかった。静音は月神に声をかけた。


 月神は精霊が集まって光って見える小さな家を見やったままだ。


 「あなた、あの子まで導いたのね」


 月神の呟きに首をかしげる。


 「私は何もしていませんよ。ギィを紹介しただけです」


 「あの子、今となってはアルトナミ最後のそして唯一の遺児になるのよ」


 静音は首をかしげた。


 「王家が残っているでしょう?」


 「今のアルトナミじゃなく、魔導国家アルトナミの、よ」


 遠い昔、恐らくこの星で一番の発展を遂げた高度な文明の。


 そして、恐らくだが、アルケの血を引いてもいる。


 月神は微笑む。


 「公爵家の始まりは、アルケがこしらえた男子の一人だったわ。あの子は四代か五代下がった子孫の筈よ」


 それは本人も判っている事ではあるだろうが、考えたくもなく己の中のその血を嫌悪している事も聞かずとも周囲も察してはいた。


 「ルフィネラとは関係ないのですよね?」


 「その前の息子よ。アルケは魔力の強い女との間に子を作っては女だけ追い出していたわ」


 恐らく捨てられた女児を含めたら、子は星の数ほどいるのではないか、と告げられ、静音は溜息をついた。


 「気持ち悪い男……」


 男だけで王家を固めてどうしたかったのだろう。


 「特殊な能力や強い魔力を王家に入れたかったのだと思うわ」


 為政者としては当たり前の行動だろうと。だが長寿であった為、結果が異様になったのだろうと。


 月神の言に静音は肩を竦めるしかない。


 「あの子は当時でも特別魔力が強い上に能力の高い子だった。まして今であればその強さは常軌を逸している存在になる。実を言うと少し困っていたの」


 このまま放置しておいてよい存在なのかどうか。


 第二のアルケになる可能性もあるのだ。


 「あの子結構気性が激しいですからね」


 静音は笑った。


 「あなたが傍にいたから、手出しせずに見ていたのだけれど……」


 「それは幸いでした。私はあの子が気に入っていますので」


 月神は目を見開いた。


 「まあ、そうなの……」


 「手出しは無用ですよ」


 意外な事を聞いたと言いたげな月神に静音の方が驚くが釘を刺す。


 「まあ、あれだけ精霊の祝福を受けてしまってはね……」


 どうやら月神にも予想外の出来事だったらしい。


 そも薄まっているとはいえアルケの血族が精霊と親和性を見せるなど。


 「先祖の事はあの子に言わないでやって下さい。怒り狂って暴れ出すでしょうから」


 静音の苦笑に月神は困惑するような表情で答えた。


 「勿論それを特別言い立てたりしないわよ。私が直接あの子と話す機会もそうそうないでしょうし」


 「そうですか。それは良かったです」


 静音はにっこり笑う。


 ではさっさと立ち去ってくれと言わんばかりのそれに月神は子供のように頬を膨らませた。


 「追い返さなくたっていいじゃない。久しぶりに会ったんだし、もうちょっとお話してくれてもよくはないかしら」


 「あなたと話さなくてはいけない事は、今までで大方話し終えたと思っていますが」


 「まあそれはそうだけど、必要な事以外はおしゃべりはしてくれないの?」


 静音は腕を組んだ。


 「今じゃなくてもいいでしょう」


 どうしようもない子供を見るような目だった。


 「次はいつになるか判らないわよ」


 「永劫の時を生きる方が、時を惜しむようなことをおっしゃる」


 皮肉めいた言。勿論その時を生きるのは静音とて同じだ。


 時間はいくらでもあるだろう、と。


 月神はむくれたままだ。


 「あなた、本当に私には冷たい」


 静音は溜息をついた。


 「あなた方のような存在とは出来るだけ関わり合いになりたくないんですよ」


 「事ここに至ってもそんなこと言うの」


 「言いますよ。私は静かに過ごしたいんです。というかあなた、あれ以来ずっと音信不通だったじゃありませんか。暫くは一人で過ごされるおつもりだったんじゃないんですか」


 「そうだったんだけど、まあ、あの子の目覚めも感じ取ったし」


 思えば月神は魔力脈に溶け込んで今は存在していない予定だったのだ。それが叶わず、そのつもりもなかったウェスファリトナの覚醒の時を迎える事になってしまった。


 いわば身の処し方に困っている、のか。


 静音はそれに思い至って呆れたような顔をした。


 「関わるつもりがなかったのなら、関わらなければいいんですよ。ご覧の通り、なるようになりますよ」


 この世界の事に静音はあまり関心が無い。少女が長じてどのように変化しようがそれは少女の選択としか思わない。


 月神の心境は理解できない。


 「そんなこと言って、あなたうまく導いたじゃない」


 「意図したわけではないですし、彼女がこの先どうなっていくかは未知の領域ですよ。私はそこまで関わるつもりはありません」


 「ふうん……」


 そんな事を言ったとて、例えばギィや学者たちから助けを求められれば出向いてしまうのだろうに。


 そう言いたげな月神に冷ややかな一瞥を与えて静音はギィの方を振り向いた。


 「悪いけど、今日はもう帰るわね」


 そう言って、さっと消えてしまった。


 取り残された吟遊詩人は顔を上げ、月神と視線が合い、再び頭を下げた。


 「私も失礼いたします」


 「あ、待って」


 静かに去ろうとする気配を月神は咄嗟に止めた。


 不思議そうな目を向ける吟遊詩人に月神は微笑みかけた。


 「あの時はありがとう。あなたが一時も休まず演奏し続けてくれた御蔭で全てが何とか収まったわ」


 「お役に立てたようで良かったです」


 「あなたには静音が色々と与えてしまったけれど、私の返礼も受け取ってもらえるかしら」


 「いえ……」


 吟遊詩人は首を振った。


 「静音が与えてくれた物だけでも身に余ります。これ以上は」


 「そうなの?」


 「ええ。はからずも得てしまった寿命で、人としてはありえない年月を静音と過ごせるだけで私は満足なのです」


 「まあ……」


 金茶の瞳は穏やかに微笑んでいた。


 激しさは見えなかったが、精霊の好む感情は見て取れた。


 「では、あなたには、旅の安全とほんの少しの幸運を」


 「感謝します。月神様」


 何重にも重ねがけされた静音の防御魔法は見てとれたが月神はそこにそっと自分の守護も重ねた。


 そもそも静音の過剰なそれがこの吟遊詩人をどれほど大事に思っているか物語っていた。月神の魔法は余計でもあった。


 だが月神には長くこの世界で神としてあり続けた神としての守護の仕方がある。それが彼の役に立つ事もあるだろうと思えた。


 「それにしてもあなたはいいわねえ……。静音ととても仲が良くて」


 溜息をつくように月神が言う。


 「ねえ、あなた、時々でいいから私の為に歌ってくれない?短い歌でいいから」


 「喜んで」


 吟遊詩人の微笑は静音に向けられるものとは明らかに違っていたが、それでも敬愛の気持ちに溢れてはいた。


 それに一抹の寂しさを覚えながらも、喜びも感じて月神も微笑んだ。


 「それではね」


 そうして月神も姿を消した。


 ギィは微かに溜息をついた。


 人としては幾らか多目の魔力を得、魔導士ともなったとはいえ、高位の存在を前にしてはいささか緊張を強いられる。滲み出す神気はこちらを刺すようにも感じられる。


 まざまざと己とは違う存在であるのだと肌で感じる。


 そしてその高位の存在と同質であるはずの静音からそれを感じないのは、「気遣われている」からだ。


 静音はなるべく、人間に近い存在として吟遊詩人の傍に現れる。




 自分は確かに静音にとって「特別な」人間なのではあろうが、それでも人間のくくりから離れられない存在で、永遠に彼女と一緒にはいられないとこうして事あるごとに実感する。


 月神には羨ましがられたが、吟遊詩人は月神こそが羨ましかった。不遜であるとは思いながらも。


 


 「あれは月神様のあてつけよ」


 だが、静音の契約精霊で、今や眷属であると言ってよいリルは言うのだ。


 「私は、永遠に静音とあれる月神様が羨ましいよ」


 ギィはそう返した。


 「月神様のそれは見当違いだ」


 静音とて、同じ時を生きる存在である月神が特別でないはずがない。


 「そうね」


 リルも言葉少なに肯定した。




 それきり言葉を失くし、二人して未だ光を放ち続ける小さな家を見つめ続けた。


 精霊の祝福はやみそうにない。




***




 少女ウェスファリトナの旅立ちの時が来た。


 フリュレは水晶綿の里を故郷にすると良い、とにっこり笑って言った。


 ついでにギィに与えた家もこのままにしておくので、いつでも来て良いとも。


 良質の歌と演奏と魔力がやってくるのだ。密かにほくほくしているようだった。


 更についでに学者たちにも出入りの許可は残しておくと告げられた。


 こちらはあくまでついでのようだった。


 「ほんと?来ていいなら来るね」


 学者は空気を読まずに出入りするつもりのようだ。


 見違えるほど身綺麗になり、繊細さを取り戻した容貌は微笑だけで数多の淑女を虜に出来そうだったが、相変わらず中身は学者馬鹿のようだった。


 ウェスファリトナとも何かあれば連絡を取り合う約束もしていた。魔術の事についてあらかた理論と知識は授けられたとはいえ、実践にはまだまだ足りないのだ。


 「お世話になりました」


 頭を下げた少女はすっかり吟遊詩人のいでたちで、旅支度を整えて立っていた。


 傍にはオルアがこれもまた旅装束で控え、ルディはその肩に乗っている。


 少女は暫くギィと行動を共にする事にしていた。


 歌と演奏の修行をしながらあちこちへ旅をし、この新たに生まれなおした世界を見て回り、その後を考えようというのだった。


 ギィはそれが良いと受け入れた。弟子として連れて行こうと。


 見送りに来ていた静音は微笑んでいた。次から会う時は少女も一緒だろう。「三重奏の練習をしておくわ」とだけ言った。





 里からは転移で街道近くの山道へ出た。


 のんびりと坂道を歩いて下り、街道で学者たちと左右に別れた。




 青空が広がっていた。




 里で見る空とは違って見え、少女は不思議に思いつつもそれで一つの旋律を思いつく。


 鼻歌で歌いつつ、竪琴を鳴らすと、ギィがそれに合わせてくれる。




 吟遊詩人の子弟と魔導人形であるナースとぬいぐるみの変わった四人組は、村や町を巡りながらそれなりに有名になっていった。


 最初はギィが弟子をとった事を驚きを持って迎えられたのだったが、弟子の腕前は確かだった。


 魔力の乗った演奏は人々の心を揺さぶった。

 



 やがて少女は「摩訶不思議な歌姫」と呼ばれ、ギィと同じく名を成していく。





ーーー完ーーー

一応の完了を迎えました。

また伏線を拾いそこなっていますが、そのうち、また、なんとか、しま、す。


来てくださってありがとうございます。

長らくお待たせして申し訳ありませんでした。

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