12
リルと呼ぶことにした。
リルは閉じ込められた事に抗議するように壁を叩いたが、静音に睨まれて大人しくなった。
ルーはしげしげと結界球の中を興味深げに覗きこんでいる。
「迷惑はかけないと言わなかった?」
静音が言うと、リルは悲しそうにうつむいた。
「ごめんなさい。魔力が……甘くて」
首をかしげた。
「なんですって?」
「名付けとともに受け取った魔力があまりにも甘くて……慕わしくて、恋しくて」
それはふわふわと薄緑の光を帯びた長い髪を揺らしながら、顔を上げた。
現れたのは幼児というべき年頃の丸い頬をした可愛い少女だった。
全体がほのかに光を帯びていたが、瞳の色は南の海の青緑色。唇は赤く、鼻筋もすっきりとしていて、成長すればさぞや美しくなるだろうと思われた。
成長すれば、だが。
「どうしてもあなたの傍に来たかったの」
静音は溜息をついた。
「来てどうするの。私はあなたに何もしてあげられないわよ」
「いいの。ただ傍にいたいの」
「それと、がっかりするんじゃないかしら。多分、その魔力、私からは感じないと思うわ」
ぱちんと結界球が割れた。
リルはふわりと宙に浮きあがった。
そして静音の周りをゆるりと回った。
「あなたを囲んでいるのは魔力だけど……。え、何故……」
戸惑うように呟く。
「私には内在魔力はないのよ」
右手を上げた静音は人差し指の先に魔力蛍を出す。
「あ……」
リルは誘われるようにその光へ近づいた。
「あなたが好ましいのはこれね」
静音は指を差し出した。リルはその光をそっと胸に抱きしめるように腕を伸ばした。静音はリルに光を渡すと指を引いた。
「私は魔力粒子を集めて使っているだけなの。あなたがそれを甘く感じるなら、それは人間の中を通していないからじゃないかしらね」
「そうなの……?」
「多分ね」
魔力脈から発される魔力粒子をそのまま集めて差し出しているだけなのだから。
「人を通した魔力とそうでない魔力であなたの身体に何か違いがあるかしら?」
「わからない」
リルはくるくると宙を飛び回った。
「少なくとも今すぐ消えてなくなる事はなさそうね」
静音は言って立ち上がった。
「ありがとう。私は静音の契約精霊になったから用があれば言ってね」
リルは楽しげにふわふわと飛びながら言った。
静音は答えず、砂の上にばらまかれた皿や茶器を拾い始めた。
リルは機嫌が良さそうに結界内を飛び回り、ルーの目の前にも飛んできた。
「あなたは、海洋の妖精、ではないけど、近い存在ね」
「私は魔導人形だ」
「ん~」
リルはくるくるとルーの周りを回った。
「変化してるわ」
「変化とは?」
「魔核に静音の魔力を注がれたでしょう?」
「ああ……そうだな」
「その時、私と同じような変化をしたの。あなたに刻まれた古い国の「役目」は消えたわ。静音との契約に上書きされてる」
「は……」
静音は集めた食器を洗浄魔法で綺麗にしながら顔を青ざめさせた。
***
「つまり、ルーはプログラミングされた使命やら役目やらが綺麗さっぱりなくなったと言うことね?」
静音はリルに確認する。
リルは頷く。
「そう。静音が新しい「マスター」ね」
静音は顔をゆがめた。
「そういうの勘弁してほしいなあ……」
「いや……」
ルーは首を振った。
「そうであれば、先日からの自分の行動にも納得がいく。キシュキナを警護する事とは全く関係ないのに、静音に興味を持ち、静音の傍にいて、静音と話をしたかった」
静音は両手で顔を覆った。
まるで愛の告白のようではないか。
「静音、契約ってそういう事なの。仕方ないのよ。私たちは命を与えられたようなものだから、ひたすら契約相手が慕わしく恋しいの」
いずれも美形の二人に熱烈な愛を告げられて静音は天を仰いだ。
異性ではなく、人ですらない存在ではあるが。
「私があげた魔力は私の魔力ではないわよ?」
「そういう事ではないの」
リルは首を振った。
「そういう事ではないな」
ルーも言った。
静音は長い長い溜息をついた。
「まあ、いいわ。ではルーはもう都市を守る為にずっとここに縛られる必要はないのね」
「そうだ」
「では、行動の自由を得たと言う事ね。どこか行きたいところはある?」
「特には。私は魔導人形だ。己の欲望は本来ないのだ」
「一万年も生きているのよ。心が生まれていても不思議じゃないと思うわ」
ルーは首を傾げた。
「不思議な事を言う」
「不思議かしら」
「不思議じゃないわ」
リルが答えた。
「これからゆっくり変わっていくわ。私たち、似たものになっていくと思うわ」
リルに向かってルーはやはり首をかしげる。
「似ていくのか?」
「多分ね」
リルの微笑は邪気が無く美しかった。
ルーも微笑を浮かべた。朝の空気よりも青く清浄でやはり美しかった。
静音はそんな二人を見ながら、諦めに似た溜息をついた。
「さて、リルは生まれたばかりと言っていたけれど、あそこで生まれたのよね?」
「そうね」
ルーの肩にちょんと腰を下ろしてリルは答えた。
「一万年前の魔力変動で精霊や妖精は全て消えたと聞いたけど、生まれているのね?」
「ん~」
リルは少し考え込むように上を見上げた。
「生まれていると言えば生まれている、のかなあ」
どう答えればいいのか迷うような言い方をする。
「あのね、私たちは消滅しても魔力粒子に戻るだけなの」
リルは手を上げると人差し指をくるくると回した。
その指先には静音もよく知っているオレンジ色の光の粒子が渦巻いた。
「魔力脈から生まれた魔力粒子はこの地をゆっくりと揺蕩って、満ちていくわ。人はそれを取り込んで魔法を発動するし、使われなかったものは凝って私たちのような姿になる事もあるし、そのまま空へ上って消えていくものもある。けど多くは循環しているの」
「循環」
「そう、循環」
リルは指先に魔力粒子の渦をまとわせたまま、腕を回した。渦は大きく揺れて、リルが息を吹きかける動作を見せるとほのかに輝く花の形を取った。
「精霊や妖精の記憶は消滅の際に消えてしまうけれど、稀に残ることもあって」
よいしょ、とリルは声を上げて飛び上がり、ルーの右耳の上に魔力の花を飾った。
「私は少し……いえ、だいぶ、記憶が残っているから、生まれたばかりと言うのも変な感じなの」
「ずっと眠っていたような感じ?」
「あ、そう、そんな感じ」
感覚にぴたりと当てはまったのかリルは手を打って微笑んだ。
「多分、本当の生まれたてだったら、あんなに必死に静音にすがらなかったと思うわ。消滅の恐怖なんて記憶が無ければ判らなかったもの」
生まれたては、意識もうっすらとしかなく、曖昧で影のようなものなのだ、とリルは言った。
そしてその多くは、泡沫のように短時間で消えていく。
それ故、生まれていると言えば生まれている。だが増え行く兆しは殆どない。
静音は腕を組んで考え込んだ。
リルはふわふわとルーの周りを跳びながら無邪気に魔力の花を飾る。
青銀の髪にオレンジ色の花が、黄金のように輝いてルーの美しさをより引き立たせていた。
ルーはされるがままになっている。
そういえば、ルーにはこの魔力粒子が見えているのだろうか。
静音がまとう魔力シールドはガイキ以外の人間に気づかれたことはなかったが。
「昔は、精霊も妖精も沢山いたのかしら。南の大陸は人はいなくてそういったもののみの土地だったと聞いたけれども」
「そうね。沢山いたわ」
ルーの髪を飾り立てて満足したのかリルは静音の方へ寄ってきた。
「明確な意識を持てずに消えていくものが殆どだったけれども」
「なるほど」
リルは今度は静音の髪に花を飾ろうとした。
「一個で勘弁して」
静音が言うとリルは不満そうに頬を膨らませた。
「私たちがお花を贈るのは特別な意味があるのよ。とてもとても慕っている人にだけ贈るものなの」
そう言いながらも、魔力を練って形を整えて、オパール色に輝く大輪の花を作り出して静音の右耳の上に飾った。
「もっと沢山飾りたいのに」
一個で留めておいてくれるようだった。
ルーのような美貌であれば飾り立てても良いだろうが。
「静音の黒髪は美しいな」
ふと、ルーは呟いた。
そっと手を伸ばしてきて、繊細な指先が静音の適当に切った髪に触れた。
「混じりけが全くなくて、艶がある」
「ありがとう」
ルーに褒められても、とは思ったが、確かに日本人である自分の髪は混じりけのない漆黒で、それが欧米人から見るとたいそう美しく感じるのだ、とかつて言われた事があったので、そこだけは頷いておいた。
若返って白髪が消えたおかげも大いにあるのだったが。
「その花も黒髪によく映える」
確かにオパール色の花は黒髪に映えるだろう。
「ありがとう」
顔色も変えずに言う静音にリルはすねたような顔をした。
「気に入らないの?」
「え、いいえ。ただ慣れてなくてね」
戸惑いを浮かべつつ静音は答えた。リルの機嫌を損ねるのもどうかと考えて。
「精霊の花は祝福の印だ。受け取っておけ」
ルーはとりなすように言う。
「大概の人間には喜びを持って受け入れられるものなのだ」
「ごめんなさい。本当に慣れてなくて」
半泣きの精霊を見て、あわてて静音は手を伸ばした。
精霊に倣って鈴蘭の花を魔力で作った。
「ありがとう。これ代わりに」
そっとリルの髪に飾った。
リルは涙を浮かべた瞳を大きく見開いて静音を見上げた。
「いいの?」
「ええ。鈴蘭ていう花なの」
そっと小さな手が小さな花を撫でた。
「ありがとう。嬉しい」
それはそれは可愛らしい顔でにっこりと笑って礼を言う精霊に、静音は流石に罪悪感を覚えた。
「いいのよ。私の方こそありがとう」
ようやく微笑むことが出来た。
すっかり機嫌を直した精霊はまたふわふわと結界内を飛び始めた。
「静音は感情をあまり表に出さないのだな」
ルーはリルを穏やかな眼差しで追いながら言った。
「もしそうなら、こちらに来てからだと思うわ」
綺麗にした茶器にまた茶を入れながら溜息をついた。
「周りの状況は全く分からない、周囲の人間は全て腹に一物ある感じ。そのまま浄化の旅とやらに行かされて、道中は貴族令嬢たちにわけのわからない嫌がらせをされる。同行の王子は謎の王族理論を振りかざす。これでリルみたいににこにこ素直でいられる人って脳みそにお花が咲いてる人だと思うわ」
右耳の上の花をつついて静音は言った。
ふふとルーが笑った。
「笑いごとではなかったのよ」
静音は茶葉が開ききったのを確認して、陶器のタンブラーに氷を満たして茶を注いだ。
三杯用意されたうちの一つに、ストローを差した。
リルの分だと悟って、ルーは笑みを浮かべた。
いそいそとテーブルへ降りてくると、リルは小さな手でストローを掴んで茶を吸い上げた。
「美味しい」
にっこり笑うので微笑み返す。
「精霊はお茶飲むのね」
「ん、お茶と言うより、静音が手ずから入れてくれたお茶だから。お水も静音が魔力で出したでしょ?」
ああ、なるほど、と納得した。
魔力が甘い、と言うからには、水も甘いのだろう。
それを聞いて、ルーもタンブラーを手に取り、一口含んで目を見開いた。
「あ、美味しいでしょ?」
リルがそれに気づいてルーの顔を見上げた。
ルーは目を見開いたまま口を手で覆った。
「甘くて、かぐわしい」
「でしょ?」
リルがにこにこしながら言う。
静音は首をかしげながら自分が入れた茶を飲んでみるが、ごく普通の味しかしなかった。
ひどく不条理な気がした。




