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金色の細かな光の粒が降り注ぐ森の中を漂っていた。
高くそびえる木々は全て金木。
つい最近知った木で、小さな精霊のような分身を作り出せる。
---静音、静音……
呼びかける声は金木ではなく、薄緑の髪と羽を持つ元は緑の精霊。
---ねえ、静音、私、木になってしまったわ。風の向くまま気の向くまま、ふらふら流離っているのが好きだったのに。でも、根付きたい場所に送ってくれてありがとう。
虹色の光輝を帯びて緑の精霊リルが出来した。
幼い少女の姿でありながら、静音の愛する南国の海の色、瞳にはひどく老成した光が宿っていた。
---エイファと学者が苗木を植えてくれたわ。結果的に人を静音の島に招き入れる事になってしまったけれど、島も闇に覆われて火口の神域から出られるわけでもないし、大丈夫よね。移動できる状態になったら、移動してもらうわ。
リルは不意に、笑みを消して、ひどく生真面目な顔になった。
---静音、私、随分背を伸ばしたの。ゆめまぼろしの島の金木より背が高くなったわ。火口は島で一番高い山のてっぺんにあるから、火口の縁を越える程大きくなったら、島で一番高くなる。そうしたら、私、島を丸ごと結界で覆うわ。金木は結界が得意だから、私も得意になったの。静音の好きな珊瑚礁の所まで海も覆うわ。空の闇も押しのけて太陽の光が差すようにするわ。ねえ、そうしたら、島は前と同じようになるわ。ちょっと狭くなって、沖の方の魔物の戦いは見られなくなるけど、でも、私も成長して力をつけるから、そのうち結界の範囲を広げられると思うの。
ねえ、そっくり前と同じになるように頑張るから。
---だから、静音、島に戻ってきて。
---もう確たる存在でなくてもいい。ずっと眠って過ごすのでもいい。だから、島に戻ってきて。あなたが安らげる場所にするから。
あなたが安心して眠れる場所にするから。
---堅固な結界を築いて、島の守り手になるから。
---ずっとずっと守るから。星が終わる最後の時まで。
---だから、お願い。
---傍にいたいの。
リルは胸の前で指を組み合わせ、祈るように訴えた。
ブルーグリーンの瞳の縁から、ぽたりと雫が零れ落ちる。
---お願い。静音……
虹色の遊色を弾く涙の粒はぱたぱたと金木の森に落ち続ける。
金木たちがざわざわとひそやかな声で騒ぎ出す。
ゆるゆると風が起こり、呼び覚まされたように金木の枝から精霊や妖精が姿を現す。
土の上を転がる虹の水滴に吸い寄せられるように集まってくる。
一番最初に手を伸ばした精霊は黒い髪をしていた。
それが水滴に触れる寸前に、何かが阻むようにぱちりと静電気を走らせた。
リルは、はっと周囲を見回す。
散らばった水滴は空気に溶けるように全て消えた。
---リル
馴染んだ思念の呼び声。
リルは「ああ」と微かに声を出して息をついた。
---その涙には魔力がこもっているわ。精霊や妖精が下手に触れると、過剰摂取で消し飛ぶかもしれないわよ。
静音の声もまた溜息のようだった。
だが、その声にこもった圧とも言うべきものに、精霊や、まして妖精は恐れおののくようにその場から姿を消した。
---リル、気を付けなさい。あなたもう前とは違うのよ。
リルはきょとんとした顔をした。
---違うの?
---同じなわけないでしょう。あなたは今や金木よ。魔力脈に繋がって、無尽蔵な魔力が身体中を巡っているわ。
---私、静音と契約しているのだから、そもそも静音を通して無尽蔵に魔力を得ていたのよ?同じじゃないの?
---私はフィルターなり安全弁なりの役割を果たせるけど。ダイレクトになったら調整も何もない。ましてあなた今、とてつもない魔力の器になっているのよ。進化したと言っていいのかどうかわからないけど。
---ううん……
リルは不思議そうな顔をして小首を傾げた。己の身体を巡る魔力へ意識を向けて細部を確認する。どこから来て、どこを巡ってどこへ行くのか。
---根は確かに魔力脈に繋がってる。ダイレクトに全身を満たす事も出来るし、そうしてもいるけど、でも……
あの島の火口は魔力脈から枝分かれした小枝がすぐ下を通ってはいた。静音に与えるために強引に引っ張ってこられたのは明白だったが、
それが今回リルの金木を根付かせる礎にもなったのだから、何がどう役に立つか判らないものだと静音は思う。
---わたしは静音の魔力で満たされているわ。
静音も小首をかしげた。
もはや漠たる存在となってしまった静音は、己の中を通り過ぎる魔力粒子の行方に無頓着になっていた為、改めてそれを「視た」。
契約を交わしている者との繋がりはそのまま維持されており、僅かながら魔力の流れが枝分かれしている、筈。
静音は目を見開いた。
この金木の森は、夢のあわいの世界でもあった。
本来であれば南の大陸に存在する。
だが夢を介してリルは遠く離れたキシュキナの島から出来していた。
その力の源は当然島の金木であり、実体もそこにある。
いわば、ここにあるリルの身体はゆめまぼろし。
であるにも関わらず、精霊の姿であるリルの身体は静音の魔力で満たされていた。
---ああ、静音……
リルが再び瞳をオパールの遊色に滲ませた。
その瞳の中には、静音自身が見慣れた静音の姿が映っていた。
リルが金木に変じる事によって得た膨大な、己が行使できる魔力量。
それまで己を満たしていた静音の魔力を抱きしめるように捉えこんで包み込み、「リルの形」に閉じ込める事など造作もない事だった。
その魔力は「同質のもの」を容易く集め、「望むまま」の姿に「固めて」しまう事もまた容易い事だった。
もっともリルが意識してそのような事をなしたわけではなかったが。
ただ、ひたすら、「静音を求めてやまない心」が
「静音の姿」を出来させた。
星中に薄く広がってしまった静音の一部でしかない為、それは半透明の儚い姿でしかなかったが。
---ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのだけれど……
リルは詫びた。
いささか狼狽えてもいた。
だが、再び静音の姿をとらえられた喜びにあふれてもいた。
静音は薄く透ける己の身体を見回して溜息をついていた。
---夢のあわいだからこそ、成った事ね。
苦笑しながらそう呟いた。
夢のあわいの世界では、望みは容易く叶う。
まして、膨大な魔力をもってすれば。
---静音。あなたに会えるなら、どんな形であってもいいの。島はあなたの居心地がいいように整えるけれど、ここで会えるならもうそれでいい……
リルは囁いた。
静音は苦笑したまま大きく溜息をつく。
---姿が大事?私、細かい粒子になってあなたの傍にもいたのに。
---そうね。静音の気配を微かに感じられはしたわ。それだけで満足すべきだったのかもしれないし、最初はそれでもいいと思ったの。でも、私は、イェルキラ達のようにはなれない。
力を使い尽くして眠り続ける月神の目覚めを万年待ち続けた眷属たち。
だが、意識体としてだけでも目覚めた月神を前にして、彼女たちの精気はそれまでとは段違いに跳ね上がり、満ち溢れた。
思い出して、静音はもう一度溜息をついた。
---あなただけじゃないわね……
静音の視線の先を見る。
金木の森に、天上から一条の銀色の光が差し、そこに月神が現れた。




