118
薄闇の中にぼんやりと浮かぶ物があった。
小さな光に導かれ、それを見た。
徐々に形を明確にするそれは、少年の頃に死別した父と母であった。
ガイキは言葉もなく、亡くなった当時のままの姿の両親を見る。
父は、漆黒の髪と瞳の持ち主であり、静音と同じであった。
改めて見ると、伝承にある通り、繊細な容貌で、時の王が愛人に望んだという与太話もあり得ぬことではなかったのではないかと思える。
特に、静音に施されたという魂縛の術を思えば。
いずれにせよ、己とは大違いであった。
一方母は、長い金髪を背で結わえ、長身で鋭い眼差しをしていた。一級の戦士のような佇まいであった。
ガイキは母によく似ていた。
父はそれを「良かった」と時々ガイキの頭を撫でながらしみじみと呟いていた。
森での生活をガイキは懐かしく思い出した。
---ガイキ
ふと響く呼び声。
ガイキははっと顔を上げた。
単なる映像であると思っていた父がこちらを向いていた。そしてゆっくりと口を開いた。
---ガイキ
もう一度声が響く。
ガイキは目を見開いて父を凝視する。
---私の声が聞こえるか?
父は問いかける。
ガイキは信じられず立ち尽くすのみ。
---私のせいでお前に余計な苦労をさせただろう。済まなかった。それでもここまで息災であってくれて嬉しい。
父の黒い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
横に立っていた母の腕が伸び、その肩をゆるく叩く。
「生きている……?わけではないか。残留思念か?」
ガイキは呆気にとられながら呟く。両親の遺体を森の住処の傍に、土を掘って埋葬したのは自分だ。だが、母はこちらを見て首を横に振った。
---私たちはここに「記憶」として封じられている。残留思念ではなく、丸ごとだ。身体を失くしただけ。それ故生き続ける。
「生き続ける?永遠に……?」
それ以前に、「誰」に封じられたのか。
母は遠くを見やった。
---事が済めば死も叶おう。トーヤの、役割というよりは心残りが我らをここにとどめている一因であるが故な。
そしてガイキに視線を合わせた。
---我らが子であるが故に、お前にその一端が受け継がれてしまった。
忸怩たる思いである、と言わんばかりに母は顔を歪めた。
ガイキは、森で一人生き残ってからの日々を思い出した。
決して楽ではなかったが、ひどく難渋した事もない。両親の教えは生きていく上で役に立つ事ばかりだった。
辿り着いた、剣で身を立て魔獣を狩る暮らしはある意味気楽でさえあった。
予想外の事態が訪れたのは、渡り人が召喚されて以降だろう。
親の事情を知らされずにいたために、単に巻き込まれただけだと思っていた。
「セラの旅に随伴し、その剣士となる事は決定事項だったのか?」
---さて……。我らもお前の運命は読めなんだ。今世の渡り人は真に「終焉を導くもの」であったのは確かであったが。この世界を……
「世界を滅ぼすもの?そうは思えんが」
父は顔を上げ、母は笑った。
---お前が思う終焉とは違う。この世界はな、創造神の名残りの影響が強すぎる。もういない神、去った神でありながら、なぜこれほど支配を受けねばならぬのか。まるで呪いのように。
呪いのように。
父の言にガイキは思い出す。
魔沼の発生を転移していく病巣のようだ、と言ったのは静音だった。
---数度の破滅を繰り返し、活力が奪われ、まるで死にゆくようだった。天変地異から一万年経とうというのに回復しない。何かの病のようでもあった。私のもといた世界では考えられない事だったよ。
ゆっくりと死に向かう世界。
ふとガイキは、繋がりが切れてしまったオウナ大陸の方はどうなのだろう、と思う。
精霊たちが住まうという南の大陸は?
アルトナミと同じように活力の衰えた世界なのだろうか。
---渡り人の凱旋は、一時的にアルトナミの活力を上げていたようだがな。
しみじみと父は言い、ガイキは目を瞬いた。
---我々が呼びつけられるのはそのためではないかとさえ思ったよ。外の世界から足りない力を取り込む手段、ではあるからな。
「いや、そんなまさか……」
---そういう側面も、ないとは言えん。この仕組みを考えたのは恐らく暁の神官とその周辺だ。彼らの思惑も二重三重にあって、目的がはっきりしない。浄化の為であるなら、あんな障害を幾つも用意する必要はない筈だ。あれらが果たして一体何の為にあったのかすら私にはわからない。
「……あれらは「役目を終えた」と終端へ向かった、と聞いた」
---真に今世の渡り人が最後。そういうことなのだろう。
父、渡り人トーヤは溜息をつく。
---私では最後まで導けなかったが故な。彼女にも悪い事をした。
「本来なら父さんの役目だったと?」
---何度か呼ばれてきた渡り人は、それぞれがなんとかしようとしていたようなのだ。そんな義理もないのにな。それもこれも、これ以上犠牲者を増やさない為と、曲がりなりにも行き場のなかった我々を必要としてくれたこの世界に多少なりとも恩義を感じていたからでもあったわけだが、皆どうにも人の悪意への対処の仕方がうまくなかったようでな。
それは、主に貴族や王家のしがらみというやつだろうか、とガイキは遠くを見た。
元の世界で居場所が無い、ということはそれらの対処が不得手ということでもあるのだろうか。
父もそうであったのか。
ガイキの視線に父は苦笑いした。
---私は親の顔を知らず、親戚中を厄介者としてたらいまわしにされていてな。まあ、そういうことだ。
なるほど。居場所が無かった、とはそういうことか。
父は隣の母を見やった。
---結局のところ神殿も居場所ではなく、全てをあきらめて逃げ出した魔の森で漸く安寧を得た。
母の鋭い眼差しが父を見る時だけ緩む。
ガイキはその柔らかな瞳をよく覚えていた。
母は父に笑みを向け、そしてガイキを見る。
---私はお前には出自を森の民としか言っていなかったが、元トーヤの旅の随伴者、剣士でもあるのだ。
伝承には、剣士が何者であったか詳しくは語られず、資料にも残ってはいない。
ただ、辺境の出身であり、神殿が見出した、としか。
そして、ガイキに剣を教えたのは母ではない。父だった。
母が剣をふるう姿をガイキは見たことが無い。
---最期まで随伴すると誓いを立てた。力を貸してくれたのは私の元同胞たちだった。
「森の民、か?」
森に住んでいながら、両親の存命中ガイキはそれも一度も見たことが無い。
そもそも森の民という存在を聞くことはあっても、その姿を見たことがある人間を知らない。ほぼ伝承の中にのみ存在する部族ではないかとさえ思われた。
---森に住まう者たちはな、精霊の加護を受けた民と呼ばれている。
「知っている。だが、アルトナミから精霊が姿を消して長い。その加護は生きているのか?」
---精霊に見捨てられていれば加護も消えようの。
母の言は皮肉に歪んでいた。
---我らが命を落とすことになったのはその同胞の裏切りによる。なぜこれほどの時を経てそれがなされたのかをずっと考えていたが、時限装置のような物であったようだ。
---我らの逃亡に手を貸したその時から、それは仕組まれていたようだ。本当に、なぜこれほどまでに執拗に渡り人を苛むのか。
「時限装置とは……?」
---次の魔沼の発生に合わせて、魔物避けが無効となるよう仕掛けられていた。
数百年の時をかけて……?
「ではあの頃からどこかに魔沼は発生していたのか?
---魔物の異常発生が続いていたであろう?お前も王都の門前で押し寄せる群れを防いだではないか。
確かに、森を出る際、魔獣や魔物にひっきりなしに襲われたが、家の周囲に張り巡らせていた魔導具が壊れたせいだと思い込んでいた。
その後も傭兵として魔獣退治の依頼を受けたが、それ以前を知らないため、それが異常とも思わずにいた。
「浄化出来る者を排除して、魔沼の発生を促すように、ということか?」
---「魔が極まった」と人間が気づくまでに時を稼ぐ為か。それまで敢えてトーヤを生かしておいた意味も実はよく判らない。トーヤの力を警戒して油断を待っていたのかもしれないが。確かに油断はあったかもしれないがあの時我々を襲った物は魔物ではなかった……
「魔物でなかった?」
ガイキは眉をひそめた。
薬草を取りに出ていて、両親が襲われた所を見たわけではなかったが、身体についた傷は大型の獣の爪痕に見えた。
---魔物も同時に襲っては来たが、最初に現れたのは我が同胞、森の民だった。人のよさそうな表情を浮かべて近づいてきた。用心はしていたが、突然その身体を「破って」黒い影が我々に襲い掛かり、我々を無力化した。魔法も通じなければ、結界も無効だった。我々の身体は痺れて動かず、どうにか剣で押しのけようとした魔物に手傷を負わされる様をあれは確認して「消えた」。お前が戻ってきたのはその直後だ。
そう、皮膚がざわめくような危険な感覚が襲ってきて、急ぎ家へ戻ったのだ。
血まみれで倒れ伏す両親の周囲の魔物を剣で切りとばし、追い払い、親を助けだした時にはどちらも虫の息だった。
---あれは、当初トーヤへ施された魂縛の術に似ていたように思う。意志を奪う類のような。そうであれば、森の民もアルケにいつの間にか侵食されていたのであろう。俗世からはなるべく距離を取って生活していたにもかかわらず。切っ掛けは、私のようなものが生まれてしまったせいかもしれん。
母は沈鬱な顔で溜息をついた。
---あれは人の心の隙間、闇に入り込む。抗いようはなかったのかもしれぬ。私のような髪色の人間は、森の民にはほぼ生まれないのだ。故に先祖がえり、精霊の血に近い者とされ、巫女として大事にはされたが私を巡って部族内は静かに荒れた。渡り人の随伴者として都に出されたのもそのせいだ。今、こういった存在になって、現世の有様が全てではないがそれなりに見通せるが、もう、森の民の存在をどこにも感じない。
恐らく、滅びたのであろう。
母は呟いた。
母が最後の一人であったのかもしれない。
母の金の髪が、「何か」の力を帯びてふわふわとなびいていた。
ガイキはそれが、何度も見てきた精霊たちの力の発現の予兆によく似ていると思った。
ガイキと同じ色の瞳は、青い光を帯びている。
まさか己の母親がそういった力を持つとも思わなかったが、魔法の手ほどきをしてくれたのは母であったと思い出す。
母の魔法は森の空気にことのほか馴染んでいた。
森の……
「部族の祖と言われる精霊に名前はあるのか?」
---名前は伝わっていないけれど、緑の精霊であったという話だ。
「金の髪で……?」
---そう、金の髪で、青い瞳。私たちは灰色がかっているけれど、それでも伝承の精霊の色合いにとても近いようだ。
金色の髪の、緑の精霊。
「俺もその色を受け継いでいると言う事は、そういう事なのか?」
母は悲しげな顔で微笑む。
「俺の力の半分は、異界の力だと、セラ、今世の渡り人は言ったが」
---そう。トーヤと同じ。そして私と同じ。
そういう事だと母は瞳で語った。
ガイキは左手を握って、緩めた。
小さな光が現れて、ふわふわと宙に浮かんだ。
---本来なら、お前にかけていた制限は私かトーヤが解くつもりだったのだ。必要になった時に。
何故自分は外部に魔法が発現しないのだろうと不思議には思っていた。
多少不便ではあったが、それで何か不利益を被った、という事もなかったので、さほど気にしてはいなかったが。
母が教えてくれたのは魔力を体内で意識する方法と練り上げる方法だけだった。
だがそれが自在に行えるようには厳しく訓練された。
そのおかげで、制限が外れてからも、魔力制御がうまいと学者に褒められた事もある。
「必要になった時、とは、今、という事か?」
ガイキが己の背後を振り返る。
先ほどから、そこに、強い魔力を感じていた。
今まで、あちこちで目にしてきたシリル・バトゥの像が立っていた。枝を大きく広げた巨木を背後にして。
神像も樹木も、淡く金色に光っている。
「魔核が無い、な」
神像の双眸は暗く穿たれていた。
ガイキが知る神像は全て、魔核を内包するよう作られていた何かの装置だった。
ガイキが背中から剣を抜き、切っ先を神像へ向けると、剣は震え、青白く光った。
「反応している。この刃には、エイディスという男の魔力の一部が宿っているが、それが呼応しているのか?」
---偶然なのか、必然なのか。あの男にも渡り人の血が流れている。この神像には本来の石があった筈なのだが、魔力変動の際、逆流する魔力によって砕かれてしまった。シリル・バトゥがいざという時の為に魔力脈の要所の上に作ったにも関わらず。
「要所?ここは次元の壁を隔てた場所ではないのか?」
ガイキが首をかしげると、母は指先を上げた。
示された方へ目を向けて、ガイキはそこが、見知らぬ平原である事に気が付いた。
荒涼とした草木の少ないなだらかな海辺。
---ここは極の海辺だ。
母が掌を打つと、金の光が散る。
父がそれを風で緩く飛ばして空気が渦を巻く。
そうして、神像を中心とした一帯を結界で包んでいる事に気が付いた。
---魔力脈の流れの一つがこの下にある。シリルが最後に作った像で、ここから魔力脈へ身を投じたようだ。
結界は父の力だった。
静音の作る物とよく似ていた。
ガイキは己の足下から神像へと魔力視を滑らせた。轟々と渦巻く川の流れのような魔力を感じ、そして「見えた」。
他の場所で、ここまではっきりと魔力脈が見えたことは無い。
恐らく、地表に近い所を流れているのだろう。
父の掌の上に、虹色の光が立ち上った。
---今回は、私がこの流れに入ろう。
父は静かに言った。
ガイキは目を見開いた。
---そのために、私はここにいたのだ。
「「前」は魔力脈が乱れ、暴走したが故に、シリルがそれを鎮める為に身を投じたと聞いた。今回は魔力脈には別段異常はないはずでは……」
---シリルは魔力脈の中に溶け込んで、暴走を鎮めると同時に魔力を変質させた。人との親和性を下げたのだ。それは彼なりの呪いであり祝福でもあった。
虹色の光は、ゆるゆると渦を巻き、父と母の周囲を取り巻くように動いた。
---人に魔力の恩恵を与えすぎる事を避け、魔法以外の能力で生きていくよう促すつもりでもあったのだろう。まあ……中途半端な結果に終わったようだが。
父の唇から苦笑が漏れた。
---私の力で、また変質する。
ガイキは息をのんだ。
父はガイキをじっと見つめた。
---「人」にとって、魔力脈はどうあるべきだろう。完全に封じてしまう事もまた道ではあるだろうが……
「俺には……判らない」
ガイキは答えた。
完全に封じてしまうということは、今、人が生まれながらに持っている魔力も意味がなくなってしまうということだろうか。
ささやかな魔法さえ行使できなくなるということか。
小さな火種を生み出す事さえも。
元より、ガイキは魔法が発現するまでそのように暮らしていたのだったが、身体強化も使えなくなるということか。
「判らないが、父さん達がそうすべきだと思うのなら、そうするといい。そもそも、父さんやセラのいた世界は、そういう所だったのだろう?」
それでも、文明社会を築き、維持し、発展しているのだ。
父は苦笑を浮かべたまま微かに首を振った。
---魔法無しの世界も悪くはないが、精霊の存在がそれを阻む。精霊も同時に滅ぼすなら我らのもといた世界と同じになるだろうが……
魔力暴走によって消えてしまったと言われていた精霊たち。
実際、アルトナミでは全く見かけなくなっていた、筈だった。
しかしガイキは、渡り人の契約精霊を見た。学者の契約精霊も見た。
月神の眷属たちを見た。
あれらを全て滅ぼすが道、と言われれば……
「母さんは精霊の先祖がえりと言われていたのだろう?その髪と瞳の色と、そして恐らくは力を受け継いだ俺もまた、精霊に近い者ではないのか?つまり……」
ガイキもまた、滅びるべきもの、であるのか。
父は悲しげに顔を歪めた。
---そんなことがあるものか。
母が強い口調で首を振る。
---お前が「生まれた」事こそが、その証左だ。
母の感情に呼応するように虹色の光が強くなる。
---その刃に宿った力の持ち主も、そなたも、生きているべき存在であるからこそ、生まれてきたのだ。
---だからこそ、私は、精霊が、お前たちが生きられる世界を望むよ。
父の優しげな声とともに虹色の光はより一層強くなり、目を開けていられなくなる。
ガイキは目を細めて光を避けるように腕を上げた。
右手に持った剣の刃が震えて父の強まる光に反応している。
「父さん、俺の浄化の力は、渡り人の誘導がなければ発現しない。父さんが、導いてくれ」
視線を背後の神像へ向ける。
---無論だ。お前は、私たちの希望。私たちの光。
父の声はどこまでも穏やかで、慈しみに満ちていた。
ガイキはもう一度剣の切っ先を神像へ向けた。
力の奔流は、神像の穿たれた双眸に注がれる。
南の極近くに、光の柱が立ちあがった。
遅くなりました。
ねちねちと三回くらい書き直しました。
書き直す度に良くなるどころか何かが抜け落ちていくような気が……




