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月影映る・海  作者: 林伯林
116/143

115


 氷の花のきらめく野原に、氷の神殿は建っていた。



 主の出迎えは無かったが、以前来た時にはぴたりと閉じられていた入口は開かれていて、招き入れる準備は出来ているかのようだった。

 ガイキは剣を背中の鞘へ戻し、学者を促して中へ入る。

 エイファは学者の肩に乗っている。


 前庭を抜けて建物内に入ったと思うと、以前訪れた竜の寝床でもあった花園に直結していた。


 見渡す限りの氷の花の中に、ぽつんと石造りの寝台があり、アルデシオンが横たわっている。


 数歩で近づくと、青白い瞼が震え、銀色の瞳が覗いた。




 「先日、力を使いすぎましたのでね」


 ゆっくりと起き上がり、アルデシオンはけだるげに銀髪をかきあげた。そもそもが青白い顔色ではあったが、それでもあまり良いようには見えない。


 「眠るしか回復する術がないのです。イェルキラは私を呼び出すつもりであったようですが、この有様ですので、逆にこちらへ呼び寄せる事になってしまいました」


 「それは、申し訳ない」


 学者が詫びる。エイファがふわふわと飛んでアルデシオンの前で何事か告げた。


 未だ眠気の去らない様子でエイファの身振り手振りを交えた話を聞き、宙に舞っていた氷の光を弾く小さな精霊たちが冬の大精霊を労わるように集まって来たのにも目を向けながら、状況を理解した様子だった。



 「紅蔓薔薇の方は容易いと思いますが、レイメの方は難しいかもしれません」


 「え、何故です?」


 「先見の力を守護する精霊は、殆ど姿を現しません。あれらは先見に従って行動するので、レイメを保護し守護する際、私の力添えを求めたのも、それが故であり、偶然です。殆ど繋がりのない存在だったのです」


 溜息をつきながら、両手で顔を覆って俯くアルデシオンの両肩から銀の髪が雪崩落ちた。


 精霊たちがその髪に戯れるように飛び交う。どうやら梳っているようだった。


 それを見て、女性の寝起きにいきなり訪ねてしまった事を漸く認識し、なんとも言えない気持ちになった学者だった。呼びつけたのは彼女の方だったが。


 いや、この精霊は女性とも男性ともつかない中性的な姿をしている。


 寝起きの姿に申し訳なさを感じなかったのはそのせいか。


 「現在、力添え出来るような者が殆どいなかった事も、私の所にその役目が回ってきた原因の一つだったのでしょうが」


 意識が明後日の方向へ行き始めたと感じた学者は慌てて軌道修正した。


 「その力添えも最低限でと依頼されました。それ故あの男に連れ去られる羽目になってしまった。精霊たちがそれを見逃したとは思えませんが、あれらは先身に従うので、もしかしたら現状を予見していたのかもしれません」


 両手を顔から離し、ふと考え込むような顔をしたアルデシオンは、再びふわふわと目の前に寄ってきたエイファと何かの意思を交換したようだった。


 きらきらと氷の精霊たちの細かい光に囲まれて、薄緑のエイファと対話するアルデシオンは傍目には一幅の絵のようでもあったが、アルデシオンはエイファから何事かを聞いて表情をこわばらせた。


 アルデシオンはやや斜め上に視線を上げた。


 そこにはいつの間にか大輪の氷の花が一つ浮かんでいた。


 「……」


 アルデシオンの唇から学者には聞き取れない言葉が漏れると、その吐息にまとわりつくように細かな光が宙に出現し、細い糸のようになって氷の花にぐるりと巻き付いた。


 もう一度、恐らくは同じ言葉をアルデシオンは囁き、花の中央にほんのりと赤味のある色のついた光が出現した。


 「紅蔓薔薇、あなたの守護する娘はそこにいるかしら」


 ぱたぱたと光は点滅した。


 瞬きするように。


 そして中心の赤は濃くなった。


 「ああ、いるようね。「祈り」を捧げる気持ちはあるかしら。古の乙女のように。地を覆った闇をはらうには、ばらけて拡散してしまった渡り人を再び呼び戻すしかないのだけれど。嘗て蔑み排除した存在の為に祈れるかしら」


 アルデシオンの言葉は穏やかだったが、その内容は勝気で傲慢な娘を煽るかのようでもあった。


 ぱたぱたぱた、と光は羽ばたきのように瞬いた。


 やがてその中に、真紅の人影が現れる。


 「そのようにおっしゃられなくとも、このままというわけにはいきませんし、娘は祈りますよ」


 いささかむっとしたようにその人影は話す。


 よく見ると、背中に羽が羽ばたいている。


 アルデシオンはふふ、と笑った。


 「そうかしら。「庭」にいれば別段問題は無いでしょう?また万年経てば、闇も薄まるかもしれないわ」


 「「乙女」は人間ですよ。傷ついていた時ならともかく、変化のない「庭」で長い時を過ごすなんて無理です」


 「あら、「庭」には時の感覚なんてないじゃない」


 「それでもです。若くて健康な娘には「庭」は毒です。私に言われるまでもなくご存じでしょうに。それに、闇が薄まる可能性も、万年経とうが殆どない事も」


 アルデシオンは肩をすくめた。


 「では月神の神殿と繋ぎましょう。イェルキラが対応するわ」


 氷の花に巻き付いていた糸のような精霊たちの光がふわりと解ける。


 解けて、端が宙へ伸び、その先端が空気に薄まるように消えた。


 「ああ、それと、レイメの呼び出しは可能かしら」


 氷の花は銀色に輝き、その中心の真紅の人影は瞬く。


 「呼びかけは可能ですが、レイメ達には「見えて」いるのではないですか?」


 「先見がどこまで見えるかは判らないのよね。まあ、全く何も見ていない、ということはないだろうけど」


 アルデシオンの長い銀の髪が重力を失くしたかのようにふわふわと舞った。


 先ほど梳っていた精霊たちがまたしてもまとわりついている。


 揺れる豊かな銀の髪は見ている間に、中ほどからふっと空気に溶けるように消えた。


 花の中心にいた真紅の影は、そこではっきりと姿を現した。


 小さな可憐な少女の姿だった。


 「アルデシオン様……」


 少女は眉を寄せた。


 アルデシオンは青白い顔を更に青白くして深く息をついた。


 「「春」でなくて悪いわね。でも必要でしょう。あなたにも、先見にも」


 「ここまでしていただかなくとも」


 「これくらいしか出来ないのよ。今の私には」


 起き上がっている事すら限界のように見え、学者は思わず手を伸ばしたが、その前に精霊たちの光がアルデシオンの周囲に集まり、促すように横たわらせた。


 「レイメへの呼び出しに関しては、今、私に出来る最大限の力添えとして紅蔓薔薇に魔力を渡しました。恐らく応えてくれるくらいのことはしてくれるでしょう」


 アルデシオンの身体は金色の光を帯び、輪郭が揺らいでいた。


 「待って下さい。まさかあなた……」


 学者が慌てて声をかける。


 が、アルデシオンは答えず、その身体は金色に滲み、輪郭が曖昧になり、空気の中に溶け込むように消えてしまった。


 「力を取り戻せば、また人形(ひとがた)で顕現できます。今は回復の為に姿を解いている方が効率的なのです」


 傍らで立ち尽くす学者に紅蔓薔薇が宥めるように言った。


 「髪が短くなったのは、君に力を渡したせいか」


 「ええ、そう」


 紅蔓薔薇は溜息をついた。


 「今から先見を呼んでみます。あ、娘の方はイェルキラと対話しています。祈りを捧げるべきと思えばそうするでしょう」


 こちらからは見えない場所でイェルキラ達は動いているらしい。


 紅蔓薔薇は両手を組み合わせた。


 それはレイメ達が祈るスタイルに似てもいた。


 エイファが目の前へ飛んできて、くるくると舞い、薄緑の光を振りまいた。


 氷の花のスクリーンが、姿を変えた。


 薄く銀色に解け、もう一度形を成した時は、薔薇に装飾された一枚の長方形の鏡に。


 祈る紅蔓薔薇は姿を消し、銀色の影が見えた。


 「ああ、先身、ね」


 最初に声をかけたのはエイファだった。


 銀色の人影は紅蔓薔薇に比べると随分曖昧な輪郭をしていたが、微かに震えたように見えた。


 同時に、リンリンと降るようなかそけき鈴の音が聞こえてきた。


 「月の方の眷属がレイメとお話したいそうよ」


 「存じています。見えましたから」


 鈴の音の中から、細い声が聞こえてきた。


 「「祈り」の要請ではないのですか」


 「「祈る」かどうかは、レイメ次第よ。それは娘の方もそう。強制でなされることでもないでしょう」


 確かに、祈りとは真に願って溢れるものだろう。


 「では、月の神殿は一体何の用で」


 「世界と渡り人の現状を説明し、疑問があれば答える為、ではないかしら。実際、今、娘に対してはそのようになされているはずよ。その意味では、レイメには必要ないわね。だって「見えている」筈でしょう?」


 先見は応えず、黙り込んだ。


 「見えている、のよね?」


 鈴の音が響く。


 「私に見えたのは、今、この対話。それから、逆巻く海と闇に閉ざされた大地。祈りに応えない神……」


 やがて、銀の精霊のか細い声。何かを恐れ、そして嘆くかのように震えていた。


 「レイメにも、同じ物が見えたそうです。その後は、何一つ見えない。私もレイメにも。レイメは既に祈りに入っています。イェルキラが必要とするなら、どうぞお話を」


 それきり声は途絶え、鏡の中の銀の影も消えた。


 鏡の縁の薔薇の装飾が一斉に震え、蔓が伸び、メタリックな光が消えて、瑞々しい紅の蔓薔薇に姿を変えた。


 蔓はするすると伸びあがり、その先端に一際赤い花をつけた。


 「先見」


 その花に向かってエイファは声をかけた。


 「レイメの先見には、過去視が混ざっている。竜はそのように告げたはず。あなたもそう。あなたが見た災難は、未来ではないかもしれないわ」


 応えは無い。


 「用心深いのはいいわ。でも過度に怯える必要もないと思うわ。先だけでなく、今も見て」


 構わずエイファは続けた。


 幼い姿であった為、その中身も幼いと思い込んでいた学者は目を瞠った。


 精霊とはそういうものだとも言われていた。「幼い」事はその属性であるとも。


 気まぐれで、愛らしく、時に親密、時に冷酷。


 人とは理の違う生き物であるのだと。


 その意識は長い年月を生きて神聖を帯びたかにも見えるアルデシオンやシリルを見ても変わらず、彼らも精霊と言われても、特殊な事例なのだろうと思っていた。


 人と違う理で生きている事に違いは無いと思えたが故。



 応えはなかったが、鏡から伸びあがった花は輝き、三度瞬いた。


 エイファもそれ以上は語りかけず、学者の元へ戻ってきた。


 「終わったのかな」


 学者は指先を近づけて尋ねた。


 エイファはにっこりと笑った。


 「おつかいはね」


 エイファはぱたぱた、と羽ばたいた。


 おや、と学者は笑む。


 そしてちらりとガイキの方を見た。


 「俺たちに、これ以上何か出来る事があるのか?」


 ガイキの言葉に学者は苦笑いする。


 「真面目だねえ」


 「そうか?これでも親が渡り人だったらしいからな」


 ガイキは無表情に答えた。


 二人は静音を思い浮かべていた。


 魔沼を全て浄化し、「約束は果たした」と言った生真面目な渡り人を。


 「この世が終わるかもしれないんだったら、もう好きな事してもいいと思わない?」


 「好きな事と言われてもな。あんたは何かあるのか?」


 「そうだねえ」


 学者は指先に小さな魔力の光を生み出してエイファと戯れながら考え込んだ。


 「もう一度古代アルトナミに飛ぶとか、ああ、エイファ、古代遺跡に精霊に守られている所はないかい?君がかつていた所は?」


 エイファは楽しそうに笑い声を弾けさせた。


 「勿論あるわよ。私がかつていた所は……」


 エイファは目を閉じた。


 「ああ、結界が生きているわ。もっとも迷宮の奥殿だけだけれど」


 「え、君、あの奥に行けるの?」


 「ええ、勿論。だって私、あの迷宮の案内の灯だったんだもの」


 「案内係ってことかい?」


 「いえ、案内用の灯の中に住んでただけ。あの迷宮にはそういう道具が置かれていたの。あそこには嘗ては多くの精霊がいたのよ。私たち、楽しく遊んでいたの」


 「へえ。あそこは君たちにとっては楽しい所だったんだね」


 「ええ。崩壊前は精霊の遊び場って言われてた場所だもの。その後、私一人だけが何故か同じ場所に「返った」の。行く?二人なら連れて行けるわ」


 「是非行きたいよ。ガイキはどうする?」


 振り返るとガイキは渋い顔をしてはいたが頷いた。


 「ここにいても仕方がないし、あんた一人を行かせるわけにもいかんだろう」


 「ええ、無理しなくてもいいよ?」


 「俺は護衛だ。しかも報酬は前払いされている」


 「律儀だねえ。この事態で金銭の価値なんてもうないよ」


 「契約は契約だ」


 学者はそれを聞いて肩をすくめた。


 「最後かもしれないんだよ?君は君の好きな事をするべきだ」


 ガイキの剣を握る腕に軽く触れ、言い聞かせるように囁いた。


 「僕は僕のやりたいことをやる。君はどうしたい?」


 学者は灰青の瞳を見上げた。


 そこにはそれ以上に複雑な色と、渋面が浮かんでいた。


 ガイキは学者に触れられた右手を上げ、背中に背負った剣の柄を掴む。


 すらりと抜かれた刃にまといついた魔力は、学者の血を受けて薄緑に変じたまま。


 「エイディスが気になっている」


 溜息のようにガイキは言った。


 「月神とともにいるはずだが、月神はことここに至っても出てこない。「乙女」が祈ったのは月神に対してではなかったか。無視を決め込んでいる神は果たして祈りを聞き届けてくれるのか?」


 「なるほど。その剣でさっきのように呼び出しはできるかな」


 「判らん。どうだ?」


 ガイキはエイファを見やる。


 エイファは小首を傾げて刃の周りをくるくると舞う。


 「う~ん」


 しきりに首をかしげている。


 「どうしたの」


 学者が尋ねると、エイファは考え込むように腕を組んだ。


 「さっきと違うの」


 「違う?」


 「うん。渡り人ゆかりの剣と魔力に、精霊と契約した者の血。それで練り上がった筈の魔力が、今は、これ、風、かな」


 緑の魔力は確かに風ではある。


 「エイディスって、魔法属性何だったかな。剣は氷を発現したから、てっきり氷かと思ってたんだけど」


 学者も首をひねった。


 「アディって風が得意なのよね?」


 「まあそうだけど」


 「でもこの魔力、アディのじゃないものね」


 二人して同じ方向に同じ角度で首を傾けたので、ガイキが思わず笑い出した。


 「え、何かおかしかった?」


 気づかず、学者が戸惑ったような顔をする。


 ガイキは首を振った。


 「いや。仲がいいなと思っただけだ。で、この魔力で呼び出しは可能か?」


 「可能とは思うけど、多分、この風の魔力の所へ行くんじゃないかな」


 「エイディスとは関係ないということか?」


 「多分。じゃあ誰だって言われると、判らないんだけど……」


 ガイキは刃をさざ波のように走る魔力をじっと見つめた。


 仄かに薄緑に光りながら、柄から先端へ向かって揺れている。


 その波紋にも見える揺れ方に、ガイキはある文字列を読み取る。


 「ああ、大丈夫そうだ」


 それが何かを理解して、ガイキは言った。


 「呼んでみよう」


 そして空に向かって一度軽く剣を振った。


 刃先から迸った薄緑の魔力は風の刃を形作って空を駆けた。


 その軌跡は薄く光って空間を切った。



 切れ目から眩い金の光があふれ出した。



 目を細めたガイキの身体の周囲をその光は押し包む。


 宙に浮かんだままだった薔薇の装飾の鏡が呼応するように点滅する。


 それを見てエイファが飛びあがった。


 「ああ!アディ!呼ぶんじゃなくて呼ばれちゃった!」


 「なんだって!」


 ガイキの身体を繭のように押し包む光の中に、学者は躊躇なく飛び込み、鏡を見上げていたエイファも慌ててその後に続いた。



 光の繭は三人を呑みこむと砂のように崩れて消えた。



 残ったのは、冬の精霊の庭に浮かぶ銀色の鏡。


 

 ちかちかと瞬いていた光は、徐々にゆっくりになり、間遠になり、やがて消えた。


 鏡面には銀の影と紅色の影が時折通り過ぎるように映り、その周囲を銀色の細かい光の粒子が取り巻いている。

練って唸ってまた練って。

大晦日を過ぎ、元日を過ぎ。

どんなに練ってもこの辺が限界かなと思ったのでここで上げます。


そうこうしている間に、元旦からとんでもない災害が起こっておりました。

夕方になってTVつけて驚きました。

どうか被災地の皆様がご無事でありますように。

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