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「シリル……!アノ、忌々しい、闇精霊ガ……!」
アルケが呻くように鋭く吐き捨てた。
その発言に静音は驚いた。
闇精霊とは知らなかったからだ。
だが、あの黒く艶のある髪を見れば、属性は明らかであったのか。
「アレは、創造神ニ逆らい続けた太陽神ノ、愛し子デアリ、眷属デアリ、ソノ意思の化身」
「創造神ト我ノ行く手ヲ阻み続けル事ガ存在意義トデモ思っテいるノカ」
「ウ・ルフィネラを、完全ニ、支配デキナカッタのは、アレの、セイ……」
ふと、アルケは黙り込んだ。
静音はことりと小首をかしげた。
「へえ……。察するところ、レイメ、公爵夫人のあの「庭」的な感じだったのかしら」
レイメは心を壊す寸前に、精霊たちが庭へ招いたという。
そこで心だけは保護したのだそうだ。
後にその娘もやむを得ず「保護」する事になったのだったが、精霊たちとしては、受け入れがたい思いもあり、複雑な心境だったとか。
静音は、あの場で三々五々に寄って来る精霊たちの囁きを聞いたのだった。
「あの娘は我々に近い身でありながら、一時でもあなたに害意を持ってしまったがために、我々は完全には受け入れる事が出来ない」
そういうものか、と思ったが、今更どうでもいい、とも思った。
関わり合いにならなければそれでいい。
「あなたが関心を持たない存在になってしまった。それがあの子にとっての罰とも言えるのです」
そう言われ、それもまたそういうものかと思った。
ともあれ、アルケに支配された闇精霊に救いの「庭」があったとすれば、それはそれで。
「神の恩寵」が脆く、永続的ではなかったというのもそれが効いていたのかもしれない。
「精霊、ガ、あ奴ら、ガ、創造神の、邪魔ヲ、スル……」
アルケは恨むように呟いた。
「タカガ、精霊、ガ、神に逆らう、トハ……」
それを聞いて静音は笑った。
「そういうあなたはたかが人間じゃない」
「ナンダト……」
「たかが人間じゃない」
ざわり、と影の輪郭が逆毛を立てるように蠢いた。
闇よりも深く濃く、生あるものを死滅へ導く冷気の棘が静音の結界前面に突き刺さる。
結界はそれらを受け止め、くるみこむように呑みこむと氷を溶かすように消滅させた。
「神の代弁者のつもりなの?その神はあなたになんか興味ないわよ」
たかが人間なんだから。
静音は繰り返した。
「黙レ……」
再び冷気の棘が結界表面を襲う。
先ほどより威力を増したようだった。
ぴしりと音がして、一部にひびが入った。
「怒ったの?自覚もあるでしょうに。ああ、他者に指摘されると腹が立つということ?」
影が一気に体積を増して広がり、ひびの入った結界を覆うように襲いかかってきた。
静音は結界から先ほどの冷気の棘を反転させたように、浄化の棘を一斉にたたき出した。
広がった影は一面にそれを食らって黒い蒸気を上げる。
だが、静音が何故か修復しなかった結界のひびから、蒸気ごとその黒い影はアメーバのごとく侵入してくる。
静音は浄化の粒子を魔力糸に練り上げ、侵入してくるそれにふるって細切れにする。
「お前、トテ、タカガ人間デハ、ナイカ!」
叫びながらそれは全身を振動させて結界を砕こうとする。
「そうよ、たかが人間だったわよ。私はそれでよかったわ!」
静音は叫び返した。
叫びと同時に結界は砕けた。
リルの悲鳴が聞こえた。
静音は拳を襲い来る影に向かって突き出した。
その中には、浄化の石が握りこまれていた。
握りこんだ拳の、指の隙間から、浄化の光があふれ出す。
静音の全身を影は燃やし焦がして覆っていくが、溢れだした浄化の炎がその内側から逆に燃やし返していく。
どちらも燃え、どちらも灰になり、塵になり、宙に溶けて行く。
リルの静音を呼ぶ声だけが響いていた。
***
金木は、夜の空気の匂いを嗅ぎながらふわふわと飛び回っていた。
この空間に溶け込んでいる魔力粒子にうっとりとしている。
「ああ、「根」からではなくて上から降り注ぐ魔力って心地いいものなのね」
くるりくるりと大きく回転しながら、金木の枝の間を潜り抜ける。
中心の窪みには虹色の光が小さく蹲っている。
今や太陽神と等しくなってしまった渡り人の眷属である精霊であり、魔力粒子にまで自ら存在を解いてしまった渡り人を思って嘆いている。
金木は不思議に思ってその傍へ近づいた。
「どうしたら引きとめられたのかしら」
リルは涙に濡れた瞳で顔を上げた。
金木は首をかしげた。
「意思持つ者は、在りたいように在るのではないかしら」
「そうね……。静音はこの世界を疎んでいた。この世界で何かしらの存在であることを忌避していた。判ってはいたの」
ぽろぽろと薄緑の瞳はオパールの遊色の涙を零す。
「私では引きとめられない事も」
「ここに」
金木はくるりくるりとその場で回った。
手足の先から軌跡を描くように金の光が尾を引く。
「こうして「ある」じゃない」
心の底から不思議そうに金木は言う。
「それじゃ駄目なの?」
人の姿をとって意思の疎通が出来る姿も、目に見えぬ粒子となって宙に漂っているだけの存在も、金木にとっては変わりない。
そこに「ある」のだ。
それで何の不都合があるのだろう。
金木の疑問に、リルは溜息をつく。
本来であれば、リルにとっても「そういうもの」である筈だった。
そう、確かにここに「ある」。
それで良い、はず。
「駄目じゃないわ。その存在にとって一番心地いい姿であるべきよ。でも私は欲張りだから」
静かに落ち続ける涙。
その遊色は夜に弾けて小さな光となる。
光は蹲った金木本体の上で落ちて砕けて更に細かい粒になり、周囲の濃い魔力粒子と混ざり合って、花火の名残りのようにきらきらときらめいた。
「私は静音の姿が好きだったの。声が好きだったの。歌が好きだったの。面倒だって口では言いながら、私の食べたいものを作ってくれて、優しく髪を撫でてくれたわ。触れられない筈なのに、静音の指先からこぼれる魔力がそっと梳ってくれたわ。全部全部、大好きだったの」
きらめきはゆるく渦を巻いてリルと金木を包み込む。
金木はゆっくりと周囲を見回した。
「そんなに嘆き悲しむのなら、金木の森に住む?」
宥めるような声で金木が言うとリルは瞳を瞬かせた。
「私たちとともに眠れば、夢を見る事が出来るわ。そこでは静音も元の姿でいるでしょうし、意思の疎通も可能でしょう」
金木の夢は、魔力で見る夢。
確かにそこに静音はいるだろう。
「夢か実体かなんて、大した問題じゃないわよ。そうすれば一年の半分は静音と一緒にいられるわ」
事実金木の森でそうして暮らしている精霊や妖精はいる。
夢見の大陸は魔力に満ちた安寧の地であり、太古の昔から存在を傷つけられた精霊や妖精の癒しの地でもあった。
この星が、魔力で生きる存在にのみ用意した。
リルは寂しげに微笑んだ。
「ありがとう」
そう言って周囲を舞う魔力粒子をとらえようとするかのように指を伸ばした。
「でも、もう無理かもしれないわ」
指先にまとわりつくきらめきが、不意に消えた。
夜の闇がリルの指を隠す。
「アルケの燃え散った魔力粒子が、どういうわけかまだアルケの残留思念を帯びている」
溜息のようにリルは囁いた。
「どうやっているのかしら……。魔力粒子を負に反転させて、今、ここから星中に広がり始めている」
「執念深いわね」
金木は僅かに眉を寄せたが、大して慌てた様子もない。
「さすが金木ね。地表がどうなろうとあまり影響はないものね」
リルが苦笑気味に言うと金木は肩をすくめた。
地表が負の魔力粒子で覆われて、葉も枝も幹も枯れたとしても、根が魔力脈に触れている限り真の意味での死ではない。
「静音の魔力の反応は?」
リルは首を振った。
「無し。多分、何もする気が無いんだわ」
「あら、でも……」
首をかしげた金木の姿が不意に掻き消え、リルの微笑が、真っ黒な闇に呑まれた。
夜の闇に塗りつぶされた空間がそこから広がり始めた。
遅くなって済みません。
切りが良い所が短かすぎて、ほどほどの長さになるまで書いてから、と思ったら、時間がかかりまして。




